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歌鳥  作者: ねこじゃ・じぇねこ
1章 鳥籠
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1.檻の中

 目を覚ました時、わたしは見知らぬ形の場所に居た。

 しばらくぼんやりとした頭を抱えて見つめ続け、ようやくそれが鉄の檻だと分かった時、わたしの頭からはすっと血の気が引いていった。

 思い出すのは光景。

 常日頃、美しいと見惚れていた庭園の真ん中に、着飾っているわけでもないのに輝かしいばかりの美をまとっていた一人の女を見つけ、引き寄せられるように姿を見せたという華やかな光景の記憶だった。

 同性であるわたしの心までもすっかりと盗み去ってしまったその女。

 彼女を見つけた時の感動は、まるで初恋でもしたかのようだった。

 優しげな表情と柔らかな目付き。優雅に手招く彼女に甘えて、ただの人間だってそう易々と近づけないはずのテーブルへと向かった記憶が、おぼろげに甦ってくる。温かな眼差しとそれに恥ずかしくも魅了されてしまうわたし。

 あの後、わたしはどうしたのだろう。

 他に覚えている事と言えば、彼女から差し出され、疑いも無く受け取った、とろけるように甘い飲み物の味。

 ――ああ、そうだ。

 ようやくわたしは肝心な事を思い出した。

 あの飲み物を口に含んでから、全てが曖昧になったのだ。

 あの液体が口の中で広がってから、彼女の声も、わたしの視界も、果実そのもののように甘い香りも、とろけるような痺れも、全てが曖昧なものへと変化していったのだ。

 そして、気付けばわたしは檻の中に居た。

 どういう事なのか、何が起こっているのか、少しずつ理解出来てきた。

「誰か……」

 誰もいない部屋に向かって、わたしは虚しく囁いた。

「誰かいないの……?」

 恐怖で声が震え、大声で叫ぶ事も出来ない。

 檻の向こうには机と椅子があり、その傍には鍵らしきものすら見える。あれがあれば、中からだってどうにか開けられるだろう。けれど、だからと言って何なのだろう。ここからでは到底届きそうにない。

 わたしが閉じ込められている檻の周囲は、石壁に包まれた冷たい暗がりが広がっている。

 明かりは所々を照らす仄かなともりのみ。炎の精霊の力を借りた、弱々しき灯りのみが、わたしの意識を揺るがすようにちらちらと光を躍らせていた。

 檻の中にあるのは毛布。

 その毛布にくるまれながら、わたしはふと、自分の衣服を見つめた。

 それは、着慣れない服だった。今まで着てきたどんな服よりも肌に馴染み、とても温かい。檻の端には簡素な料理が用意され、飲み物まで置いてある。

 ああ、これで分かった。

 わたしがこの冷え切った場所に入れられたのは、何かの間違いでもなければ、とっさの思いつきでも何でもない。

 その証拠に、わたしの首には、身に覚えのないペンダントが光っていた。

 明かりに照らしてみれば、そこにはわたしの読めぬ文字が刻まれている。

 息を飲むわたしの耳に、ふと音が聞こえてきた。

 足音だ。

 誰かがこの檻に近づいて来ている。階段を下るような音が響き、軽い足取りでわたしの傍へと近づいて来ている。

 程無くして、足音の主は姿を現した。

 ――彼女だ。

 庭先でわたしを手招き、怪しげな飲み物を手渡してきたあの美しい女が、ランプを手に持ちながら檻の向こうからわたしを見つめている。

 そして、わたしが起きている事を確認すると、その目を狐のようにそっと細めた。

 あかりを傍の机に置くと、彼女はしゃがんでわたしに目を合わせ、檻越しに傷一つない美しい手を伸ばしてきた。

 わたしを捕まえ、閉じ込めた張本人。

 けれど、そう分かっているはずなのに、その美しさを前にわたしは惚けたままだった。

 伸ばされた手を避けることも出来ず、わたしは黙って彼女に頬を触れられた。

「気分はどう?」

 問われ、わたしは口籠る。

 うっとりとするほど聞き心地のいい声に包まれると、冷たい状況も忘れて幸福な気持ちさえ浮かび上がってくる。

 まるで危険な魔術に囚われてしまったかのよう。

 魔女か何かなのかと問いたくなるような彼女に触れられながら、わたしは震えと恍惚を必死に抑えながら、どうにか口を開いた。

「ここは何処……」

 彼女との面識は無かった。

 あの庭園で出会うまで、気ままで世間知らずだったわたしは、その屋敷の女主人を知らないままだった。

 名前も知らず、顔も知らない相手だったけれど、それでも、初めて見た彼女の姿は、わたしの興味と関心の一切を奪い取ってしまうほど魅力的に見えたのだ。

 それなのに、いや、それ故なのか。

 わたしはじっと女を見つめながら答えを求める。

「どうしてこんな事を……」

 確かな美を湛えるその女主人の顔を見つめながら。

「ここは私の屋敷」

 女主人はわたしに触れたまま答えた。

「そして、あなたの一生の住まいとなる鳥かごよ」

「一生の住まい……?」

 その言葉を痺れている頭で何度も反芻して、ようやくわたしは理解することが出来た。

 それと同時に、絶望的な今の状況を思い知らされて、感じた事のないほどの寒気と震えが魂までも凍らせるかというほどにわたしを襲った。

「いや……」

 女の手に触れ、私は懇願した。

「お願い、ここから出して……」

 どうしてこんな事になったのだろう。

 わたしが何をしたと言うのだろう。

 一体、何の罪で、何の理由があって、こんな冷たい檻の中に囚人のごとく閉じ込められなくてはならないのだろう。

 考えたところで思い当たるものは一つもない。やましいことなんて一つもない。

 それでも、女主人は情動一つ生まれていないかのような眼差しでわたしを見つめ、ゆっくりと楽器でも引くように、わたしの髪に触れていった。

「いまはまだ駄目よ」

 冷静ではっきりとしたその声に空気が震えている。

「――どうして」

 わたしは縋るように女主人に理由を求めた。

「どうしてなの……?」

 自由に暮らし、自由に生きてきたわたしが、その日会っただけの人間にこうして囚われなくてはならない理由が何処にあると言うのだろう。

 しかし、この恐ろしい屋敷の女主人は表情一つ変えることなく、わたしに触れたまま優しげな声でこう言ったのだ。

「あなたが歌鳥だから。それだけよ」

 ――歌鳥。

 その言葉がわたしの思考を迷いなく一つの真実まで導く。


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