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連続投稿2話目です。

「由紀に嫉妬したんだ。馬鹿だと思うけどさ、嫉妬しちゃったんだよ」

 綾華さんは暗い目のままつぶやくようにしていった。風が弱かったからかろうじて聞こえた。

「あんたのこと、すごく信頼してるのが伝わってくるんだよ。言葉の端々からさ。耐えられなくなった」

 由紀が身じろぎする。触れるか触れないかの距離にあった由紀の左手が、そっと俺の右ひざに置かれる。

「だから、全部いった。あんたが好きだってこと、彼氏と別れたこと、あんたに思いを伝えたこと、それできっちり振られたってこと」

 俺は正直、呆然としていたと思う。

 綾華さんは俺の顔をちら見したあと、組んでいた腕をほどいて、片手で髪をかきあげた。

「いうだけいっちゃえば、あたしはすっきりするし、気持ちの整理もつくし。つまらない嫉妬で由紀と一緒にいる間中いらいらすることもなくなるだろうって思ったんだけどさ」

 由紀が、俺の右ひざの上に置いていた手にきゅっと力を入れた。

「こいつ、それ聞いてなにいい出したと思う? あんたなら想像つくんじゃない?」

 皮肉っぽい笑み。

 残念なことに、大体想像はついてしまった。熱くなっていた右ひざの感覚が、俺にそれをいうなと伝えてくる気もしたけれど、綾華さんの顔は、中途半端な答えを出したら容赦しない、といっているように思えた。

 あんた、あきちゃんの隣に座るんだったら、それなりのものを見せてみなさいよ。

 綾華さんの目が、由紀にそう訴えている。これから始まる断罪、それをどう受けるかで、綾華さんは自分のこれからを決めようとしている。

「……俺を譲るとでもいいましたか。自分が消えればいいとでも」

「晃彦くん……」

 由紀の涙混じりの声。

「あはっ」

 綾華さんがはじけるように笑った。

「お見事! 消えればいいってところまで当てるのがさすがね」

 自分を過小評価する癖がある人間は、自分がらみで何かが起きれば、すぐに自分が消えればいいと考えてしまうもんだ。そんなの、俺だってそうなんだから、俺以上にその癖がひどい由紀がそう考えないはずがない。

 綾華さんにはわからないだろう。

「そこまで理解されてるのよ。愛されてるのよ。何が不満なのよ。消える? 冗談でしょ、それじゃ完全にあたしが悪者じゃない」

 低い声で、綾華さんは由紀を連打する。

「あんたのは自分を守ろうとしているだけだわ。自分が悲劇のヒロインになればそれで場が納まる、もう自分を攻撃してくる者もいなくなる、消えてしまえばつらいことも無くなる、そういうことでしょ」

 由紀はじっと耐えていた。俺の右ひざをつかみながら、うつむいて、じっと耐えていた。耳をふさごうとはしなかった。逃げ出さなかった。

「あたしは振られたのよ。あきちゃんに選ばれたのはあんたなのよ。そのあんたがあきちゃんは諦めます、私は消えてなくなります、ふざけんじゃないわよ。自分を選んだ男を放り出してあたしに拾わせようっていうの? ずいぶん傲慢な言い草よね、それ。どんだけ上から目線なんだよ」

 俺は綾華さんを止めなかった。

 打たれているのは由紀だけれど、一番傷付いているのは綾華さんだ。

 そしてこの傷は、途中で打ちやめてしまえば、残る。

 いっそ激しく切り裂いてしまった方が治りが早い傷もある。

「あたしがどんだけ苦労してあきちゃんを諦めたか、あんたにわかんの? あんたがそばにいるなら諦められるって、自分を納得させられるまでのあたしの苦しみがあんたにわかんの? そのあんたに、あきちゃんを譲られるとか、どんだけ屈辱だと思ってんの? あんた、傲慢にもほどがあるだろ」

 綾華さんの声は低いままだったけれど、涙混じりになってきたのがわかる。

「あたしが今、ここで、あきちゃんに抱きついて、あたしを選んでっていったらどうなるかわかるか?」

 綾華さんはそれまで寄りかかっていた鉄柱から離れた。腕を組み直してゆっくり歩き、俺たちの前に仁王立ちした。

 俺の顔を見て、暗い目のまま口元だけを笑みの形にゆがめた。

「こいつ、由紀をかばうよ。あたしを絶対に選ばない。拒絶するに決まってる。そういう奴だよ。だから好きになったんだ」

 由紀は、いつの間にか顔を上げていた。涙をこぼしながら、いつになく強い顔で綾華さんを見上げていた。

「憎たらしいほど頭いいくせに鈍感で、鈍感なくせに人の心ずばずば読んで、どっちなんだよってこっちが混乱してるうちに心の中に入ってくるんだ」

 そういうと、綾華さんは俺の足先を軽く蹴った。

「策略家のくせにまっすぐで、正直で……手に負えねえよ、こんな奴」

 聞いているだけだとどんな完璧超人なんだ俺は、という感じだけれど、黙って聞く。

「で、あんたは、今もそうやってあきちゃんの隣に座ってる。それってさ、あたしに譲る気なんかこれっぽっちも無いってことじゃんか」

 由紀はまだ顔を上げ続けていた。そして、ようやくここで声を出した。

「……譲りません……譲れません……」

 詰まった声は聞き取りにくかった。そして、いい終わると大きくしゃくりあげた。

 それがきっかけのように、由紀はいつになく大きなはっきりした声でいった。

「私が弱いから、綾華さんにいわれてとっさに気弱なことばかりいっちゃいましたけど、私は晃彦くんを誰にも譲りません。もっと強くなって、晃彦くんが誰よりも好きな自分に負けないようになります」

「意味わかんないよ、頭悪いあたしにもわかるようにいってくんない?」

 腕組みして仁王立ちしている綾華さんは、女王の風格で由紀に迫る。

 ついに由紀は立ち上がった。

 小さな肩は、いつの間にか、細いなりの強さを漂わせていた。

「私は晃彦くんが好きな自分に負けてばかりいました。好きな気持ちだけが大きくて、どうしたらいいかわからなくて、そんな気持ち、無かったことにしちゃった方が楽だとすら思ってました」

 二人の対決に、俺の立ち入る隙はなかった。

「でも、綾華さんに馬鹿なこといって気付きました。どうして自分の気持ちに正直になれないんだろうって。晃彦くんが好きな自分に負け続けて、それで晃彦くんを失って、それで誰が一番つらいのかって」

「あんたでしょ。まさかあきちゃんだとでもいう気?」

「自分です。そんなこといいません。自分が一番つらいです。それに耐えてちゃいけないって気付きました」

「気付いてどうするの。自分のわがまま通せば幸せになれるとでも思ったわけ」

「わがままなんかじゃありません。だって、晃彦くん、私のことを選んでくれました」

 ここで二人が俺を見た。どきっとしたけれど、へらへら笑える場面でもないから、黙ったままうなずいた。そのまま続けて、と伝えたつもり。

「綾華さんと何があっても、関係ないです。私と晃彦くんがお互いをどう思ってるかが大事なんです。そんなことも気付かないでおろおろしていた自分が馬鹿みたいです」

「……」

 綾華さんが黙った。黙ったまま、腕を組んでじっと由紀を見つめている。

「何も知らないで晃彦くんと一緒にいられる幸せに浸ってた自分ももっと馬鹿だと思います。でも、何があったか知ってしまったときに、自分から引き下がろうとした自分が最強の馬鹿です。死んじゃえばいいです、そんな奴」

 由紀のセリフとも思えない、強い表現がどんどん出てくる。

「だからそんな奴はここで殺しちゃいます」

 そこで言葉をひとつ区切り、由紀は大きく息を吸った。声に、もう涙の成分はない。

「私は、晃彦くんが好きです。晃彦くんが私のことを好きといってくれた、その何十倍も何百倍も好きです。綾華さんが晃彦くんを好きな気持ちになんか絶対に負けません。そのこと、私自身が認めなかったら、何もかもウソになっちゃう」

 綾華さんは腕組みしたままの姿勢で由紀を見つめていたけれど、もうその目は暗くなかった。むしろそれは。

「私、消えません。譲りません。綾華さんがどこまでも晃彦くんのことで争うというなら、どこまでも戦います。綾華さんのこと大好きだけど、これだけは絶対です」

「よくいうじゃないの」

 大化けしたライバルの成長を喜ぶ敵方の大物のような……といったら失礼かもしれないけれど、いっそ爽快なほど、綾華さんの立ち姿は凛々しかった。

「さっきまでひざを抱えて泣いてた小娘がよく吼えたわ。大したもんだわ」

 赤い日差しの中で、綾華さんは腕組みをほどいた。誰もが校内一と認める美貌は、笑顔の時以上に、強気な眉目に鋭気をたたえた表情の時に光り輝く。

「そこまでいえるなら安心だわ。いえないようなら、どうせそのうち誰かに奪われちゃうんだろうから、先にあたしが奪うところだけれど」

 そういいながら、綾華さんは手を差し伸べた。

 由紀はじっと綾華さんを見つめたまま、その手を取った。

 握手するのか、と、由紀は思ったのだろうし、俺もそう思った。

 でも、相手は綾華さんだ。まともに行くはずがなかった。

 取ったばかりの手をぐっと引き、綾華さんは戸惑う由紀を力いっぱい抱きしめた。

「あんた、あたしが好きになるくらいいい女よ? 大丈夫、自信持ちなさい。その内、あきちゃんが持て余すくらいのすごい女になれるから」

 そして、抱いてた腕のうち右腕だけを伸ばし、俺を手招きした。

 何を始める気かはわからないけれど、ここで戸惑っていても仕方がないので立ち上がった。

 綾華さんの白くて長い指を取ると、綾華さんは俺の指を引いて、抱き合う二人の横に導いた。

「もとはといえば、ぜええええんぶあんたのせいね。わかってるわよね」

「え、あ、え、いや」

 俺はどもった。今さら綾華さんに気後れしたからでも、怯えたからでもない。確かに俺が原因かもしれないけれど、全部俺のせいといわれると非常に反論したくなる。

「あんたのせいなの! こんないい女二人も振り回しといて、自分がいい男だって自覚がない馬鹿のおかげで、どんだけこっちが苦労したと思ってんのよ!」

 綾華さんが怒鳴る。由紀がこらえきれずにくすくす笑っているのが肩から読み取れて、俺は抵抗する気を失った。

「へえへえ、そいつぁ悪うござんしたね」

「わかったらあたしたちに謝りなさい」

「どうもすいませ……」

「言葉じゃなくて! ふつう、ここまで導かれたらわかんだろ!」

 空いている右手がすかさず俺の胸にクリーンヒットする。

 ごふっと息が詰まる。相変わらず加減を知らない人だ。

 俺が身を折って苦しんでいるのを見て、どうやらまた自分がやりすぎたらしいことに気付いた綾華さんは、心配するより先に、自分が左腕に抱いている由紀と顔を見合わせた。

 そして、二人で笑い出した。

 ついさっきから笑いをこらえていた由紀は、今までで一番明るい笑い声を上げた。綾華さんは豪快に笑い飛ばしている。

「……どんだけサドだよあんたらは……」

「あんたがちんたらしてるからでしょ」

「でしょ」

 由紀までが可愛らしく綾華さんの尻馬に乗ってくる。

 綾華さんが二人になったようだ。

 俺は未来が少々……だいぶ恐ろしくなってきたけれど、今はまあ、喜んでおくべきなんだろうな、とぼんやり思った。

 思いつつ立ち上がり、二人の前につと、そのまま抱き合っている二人を丸ごと抱きしめた。




「……げふん」

「……決まんない男ねえ、そこでセキ?」

「誰のせいですか……げふっ」

「大丈夫ですか? 痛みますか?」

「なんかもう胸も心も痛みっぱなしですわ」

「痛みも感じないようにしてやろうか」

「抱きしめられてる最中にそういうこといいます?」

「しおらしいあたしに何の魅力があるの?」

「そんなことをそんな真顔で言われてもねえ」

「でも……たしかに……」

「由紀、あんた、納得しすぎだから」

「納得してやれ由紀、お前にいわれるのがなんだかんだいってこのひと一番堪えるんだ」

「あきちゃん、あんたどこまで生意気になるつもり? 潰すよ? 本気で潰すよ?」

「だから抱きしらられてる最中に……」

 どこまでも色気がない三人だった。

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