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生徒会で管理している文化祭用の備品チェックは、思っていた以上に大変だった。
「なあ、これ終わんないじゃね?」
生徒会室横の倉庫代わりに使われている部屋の中に、永野先輩のだるそうな声が響く。
去年の担当が残したチェックリストはいい加減で、どれが残っていてどれが捨てられてしまっているのか、わかりゃしなかった。おかげで一から数えなおし。
「終わらせるんですよ、綾華さん」
なんていってはみたけれど、いってる俺自身がうんざりしてるんだから。
永野先輩の場合、こうしてちゃんと作業に参加しているだけで立派なものかもしれない。どう見たって、素直に作業に出てくるようなタマには思えないし。
そうそう、永野先輩を「永野先輩」とは呼べなくなってしまっている。
理由は簡単。
『あのさあ、永野先輩とか呼ばれるとさあ、なんかむかつくんだよねー』
という理不尽な怒りをぶつけられ、俺と渋谷さんは、強制的に先輩を「綾華さん」と呼ばされていた。あまり永野という姓の響きがお好みではないらしい。
で、ついでというか、渋谷さんは先輩から「由紀」と呼ばれるようになった。自分が名前で呼ばれるんだから、他の人間も名前で呼ばれるべきだ、という理屈らしい。
渋谷さん、なんて俺が呼ぶと、『なに同級生にさん付けしてんの? 気でもあるわけ』とかいわれる。理不尽だ。
もっと理不尽なのは俺の呼ばれ方。
「先輩とか呼ぶなっていってんだろー、アキちゃん」
晃彦だからアキ。
いや、わかるんだけどさ、なにもそんな女みたいな呼び方しなくてもさあ。受け顔のひょろ系ならともかく、そこそこ体格もいいガテン系捕まえて、アキちゃんって。
ちなみにもう一人の2年生、ここまで名前すら出てこなかったかわいそうなあの人は、担当から外れている。
原因はやっぱり綾華さん。
初めての担当のミーティングが開かれたときのこと。
備品チェックで三人が悲鳴を上げる、二日前のことだ。
リーダー役が俺になって、事前に生徒会の会計や副会長から指示を受けたり、わからない部分を聞いたりして準備して、担当の3人を招集した。
ミーティング場所に借りた化学室には、意外にも綾華さんが最初に来ていた。
「早いですね」
思いっきり意外そうな声をしてしまったからか、綾華さんはむっとした顔をしていた。
「なんか勘違いしてるみたいだけどさあ、別に私はやる気がないわけじゃないんだよ」
資料を机におきながら、俺はまだ意外そうな顔を崩せなかった。
「そうなんですか? なんかこの前、私はやんないとか何とかいってましたけど」
なにげにずけずけものをいう奴だ、俺も。綾華さんはそのことは怒らなかった。
「あれは、先にああいっておけば、私がリーダーになったときに指示を出しやすいだろうなって思ったんだよ」
「へ?」
今度こそ、俺は意外に思っているとしか取りようが無い声を出した。
「だって2年は私とあの変な奴しかいないしさあ、あんなのにリーダーになられたら仕事する気無くなるじゃない。なら私がなるしかないけど、先にああやってガツンといっておけばさ、私だってやりたくてやってるんじゃないんだから、あんたたちもしっかりやってよねっていえるじゃない」
「……策士だったんですね、案外」
タイプ的に、学校行事なんて鼻くそ以下にしか思っていなさそうな人なんだけれど、決してそうでは無いらしいということを知った。
「でもさ、あんたがやるっていったでしょ。ちょっとやばいかなって思ったんだけど」
綾華さんはふっと笑いながら続ける。
「すぐに話を切り上げて解散したじゃない。あれで見直したんだよね」
「はあ」
よくわからない。
「変な下級生にリーダーになられたらなおさらやる気失せるけどさ、ああやってちゃんと状況見てさ、やること無いなら解散しようってきちんと判断下せる奴だったら、問題無いやって思ったんだよ」
褒められているらしい。
まさかあなたの顔をあれ以上見ていたく無かったから解散したんです、とはいえないから、
「そりゃ光栄です」
とごまかすことにした。
それにしても、これは一体誰なんだろう。
綾華さんの噂を聞くと、行事の担当をまじめに務めるようなイメージは、どうしたって浮かんできやしない。
渋谷さん改め由紀ならともかく。
美形で、派手で、社会人の彼氏もちで、友人関係も華麗で、度々教師と衝突しつつ、それでも成績だけは落とさないから学校側もあまり強くいえない、という無敵な人……。
人間って、直接話したりしてみないとわかんないもんだなあ、と思わされた。
それはまあ措くとして、だ。
このミーティング、俺のすぐ後に渋谷さん改め由紀も来たから、残る一人の到着待ちになった。
気位が高くて庶民なんかとは話もしないんじゃないかと思っていた(俺が勝手にね)綾華さんは、地味、の一言で片付けられがちな渋谷さん改め……しつこいか、由紀とも、ごく当たり前のように言葉を交わした。
これまた意外だったのは、由紀もごく普通に綾華さんと話していたこと。
俺と話す時はせいぜい単語が3つも続くかどうかだってのに、綾華さんとだと、おとなしい印象の範囲内だけど、けっこう楽しそうに話している。
なにかしたか、俺。
いじけるぞ。
二人の会話に加わるのもなんか気が引けた、というより、女同士の会話に入れるほど女慣れしてもいなけりゃ度胸も無いヘタレ君は、昼休みに生徒会の副会長や会計から仕入れた情報を書きなぐったメモをまとめ始めた。
何かあるとすぐ仕事に逃げ込むのが男の悪い癖だ、とかいうセリフを思い出した。
俺は疲れたサラリーマンか。
一人で突っ込みながら仕事をしていると、時間はあっという間に過ぎていく。
気がつくと30分以上経っていたらしい。
いつの間にか化学室は静かになっていた。
メモをまとめ終わって顔を上げると、綾華さんと由紀が俺を見た。
「……?」
なんでしょう、と首をかしげると、二人とも一緒に首をかしげた。やばい、かわいい、などと思っていると、綾華さんが口を開く。
「あいつサボりっぽいしさあ、おなかも減ってきたし、早く帰りたいわけ。そろそろミーティング始めない?」
ああ、そういえば来てないな、もう一人の先輩。初日からばっくれか。いい度胸だな。
「そうですね。んじゃ、始めましょうか」
俺がいうと、二人とも姿勢を正した。
由紀はきちんと座り直し、俺の向かい側の席で背を伸ばす。メガネの奥の目が、きりっとしていた。
綾華さんは足を組んだまま腕だけをほどいて、左腕を机において斜めに座っている。この人にしてみれば姿勢が正されている方なのだろう。そう思い込むことにする。
ミーティング自体は1時間もかからなかった。やるべきことはまとめていたし、手順はもう考えてあった。後はそれを実際にどうやって行くかの相談で、生徒会作成のプリントや俺がまとめたメモに書き込みしながら、3人で淡々と進めていった。
楽しかった。
なにがといって、女子二人、タイプは違うけど間違いなく美形の女子二人を相手に回して、1時間も一緒に仕事ができたら、誰だって楽しいだろう。
ああ、楽しいさ。
もう人生にこんな機会は訪れないかもしれない、とすら思ったさ。
相変わらず由紀は俺と目を合わせないし、綾華さんは高嶺の花だし、二人とどうなりたいとか思うわけじゃないけれど、女の子たちと、同じ目的に向かって仕事をするというのは、人間関係がこじれたりしていなければ、男にとっちゃ楽しいことに決まっている。
仕事始めは備品チェック、それは明日にまわすことにして、この日は帰ることにした。時間的に出来ないことはなかったけれど、ガテン系の俺の体力やらなにやらで判断すべきじゃないわけで。
んで、帰ろうとしたわけだけれど、俺は今日のこととこれからの計画を報告しに、生徒会室に行かなきゃいけない。
一人で行こうとしたら、「んな寂しいこというなよ、最後まで付き合うって」と強引に綾華さんが付いてきた。
由紀もなんとなく流れで、という顔で付いてくる。実際、彼女の場合は綾華さんに乗せられているだけっぽい。
これはあまり嬉しい事態じゃなかった。なぜか。食欲の分野の下心が見え見えだから。
俺がバイトしていることはばれている。家が多少貧乏でも、俺自身は高校生にしちゃ小金もちだってことは二人とも知っている。そして綾華さんはおなかが減っている。
絶対、たかる気でいる。
それくらいはわかる、俺だって。
でなきゃわざわざ付いてくるなんていうもんか、あの人が。
そして生徒会室に向かう途中で事件は起きた。