49
最終回まで一気に書き上げてしまいましたので、連続投稿です。
二人はすぐに見つかった。
連絡が来たのは、あらかた指示も出し終えて、二人がいなくても文化祭終了まで突っ走れる状態になった頃だった。
『永野先輩と渋谷さんは一緒です』
一年の実行委員から俺の携帯に連絡が入った。俺は仕事に専念する時間が少しでも取れたからか、冷静になれていた、と思う。
『生徒会室に向かうそうです』
「わかった。ありがとう」
なんで俺に敬語なんだろう、という疑問を持ちつつ、通話を切る。同時にメールを打つ。二人が見つかったこと、捜索隊は直ちに解散し自分の持ち場に戻ること、そのメッセージををメールリストで一気に飛ばす。
『見つかったか』
すぐに会計氏から電話が入った。
「生徒会室に二人で来るそうです」
『無事なんだな』
「無事です。ヤンキーなんかとは関係ないようです」
『なら良かった。こっちは大人の相手を続行する。後は頼んだ』
「よろしくお願いします」
手短に通話を切ると、その後も続々と連絡が入ってくる。急に態勢が変わったから、指示がないと動けない人が多く出ていた。電話の相手だけじゃなく、別の留守番要員にかかってきた電話にも答え、留守番要員自身の質問にも答え、俺はやたら忙しかった。
この時の俺の判断力は、後から考えても異常だった。
とにかく色々な判断が求められていたけれど、片っ端から答えていた。
パニックになったのはほんの数分前のこと。それがとても信じられないような俺の指示ぶりに、この時一緒にいた実行委員たちは、後に、綾華さんと由紀と会計氏の三人が乗り移っていたようだったと表現した。
俺としては、もうやれることを徹底的にやる以外にないわけで、ここまで文化祭を引っ張ってきて、悪辣なこともやって、とてもじゃないけどもう一度やれといわれても絶対に出来ないような仕事をしてきた。
ここでひっくり返されるわけにはいかない。三人分だろうが四人分だろうが、出来る限りのことはやる決意だった。
「もう資材がどうこういう段階じゃないだろうから、体育館裏の要員は後夜祭準備に回って下さい。指示は後夜祭担当に出してもらって」
「校内アナウンスで後夜祭の誘導と火気の取り扱いについて注意を促して下さい。案内メッセージは予定通りで」
「巡回班はそろそろ準備を。人がそろっていなくても構いません、現地集合で回って下さい。チェックリストを忘れないように」
「演劇部の最終公演が始まる頃です。開演したら誘導スタッフはそのまま各クラスの火気機材の回収作業に回って下さい」
「職員室に伝達、迷子の捜索状況を詳細に伝えて、指示を仰いで下さい」
「巡回班に追加指示を。各クラス単位で持っている領収書の類も回収して下さい。ここで渡さなければ自腹ですよと。どこまで経費で扱えるかはリストを見てください。わからなければ連絡下さい」
どんどん指示を出していく。そばに二人スタッフを置いて、電話の応対をさせたり、俺の指示をメモさせたりしていたのだけれど、事後、彼らは「自分が何をやっているかわからなくなるくらい忙しかった」「あんなに早く指示が出てくると二人がかりでも追いつかなかった」と語ったそうだ。
確かにあの時の俺はちょっと凄かった。
たぶん、それこそあんなまねは二度と出来ないと思う。
そんな大騒ぎの最中に、綾華さんと由紀が生徒会室に戻ってきた。
俺はしばらく相手をしなかった。
完全に無視していた。
わざとそうしたわけじゃない。仕事を優先したら、正直二人のことに構っている余裕なんか1グラムも存在しない。
「喧嘩? 数で押し切ってください。まわりのスタッフをそこに集めますから、喧嘩してる連中をまとめて袋叩きにして構いません。佐藤晃彦が責任を持ちます」
「クレーマーですか。うちの生徒ですか? 外部ですか? 外部なら、職員に振って下さい。構いません、生徒がケツ持てる話じゃないでしょう」
「特別教室棟の配置が薄くなっています。誘導係が足りません。遊んでいるスタッフはすぐに仕事に戻ってください」
二人の姿すら視界に入れず、俺は指示を出しまくっていた。手元にどんどんメモが飛んでくる。それをすぐに処理し、次のメモに取り掛かる。
そんな状態が10分も続いた。
ようやく生徒会室が落ち着きを取り戻したのは、綾華さん、由紀、会計氏の上席三人が一気に抜けて出来た穴をふさぎきった、その証拠だった。
あまりに集中していたせいか、俺はめまいを起こした。
立ったまま指示を出し続けていた俺は、なんとか机に両手をついたりして体を支えていたけれど、ある程度めどが付いて気が抜けた瞬間、目の前が真っ暗になった。
あ、やばい。
かろうじて目の端に入ったいすに手をかけ、感覚だけで座ろうとする。
何とかそれには成功したようだったけれど、自分がどんな状態になっているか、わからなかった。
多分、座ったんだろうと思う。机に腕を乗せて上体を支えたつもりだけれど、よくわからない。
ぐるぐると世界が回る感覚の中で、俺は、そういえば二人が帰ってきてたんだったな、なんで二人がここにいるんだっけ、などと考えにもなっていないことを考えていた。
ようやくまともに頭が動くようになったのはどれくらい経ってからの事だろうか。
気が付くと、俺の体を支えるようにして由紀が抱きついていて、その体が不規則に揺れていた。
「ごめんなさい……ごめんなさい」
時々つぶやいているのが耳元に聞こえてくる。顔を見なくても、泣いているのがわかった。
「……どしたの」
由紀の頭をなでようと腕を上げ、それが由紀の頭に届くより先に、やっと見えるようになった視界の中心に、綾華さんが凝然と立ち尽くしている姿が入ってきた。
綾華さんは無表情だったけれど、その目が、今まで見たことがないほど暗かった。
「ここまできたら」
と、誰かが声をかけてきた。見ると、例のクーデター以降、俺たち新実行委員会指導部のメンバーとして一緒に働いてきた2年生スタッフだった。
「あとは計画通りに運んでいくだけだ。配置換えが上手くいっているから、もう多少のことじゃ君の判断も必要なくなっている。俺たちに任せてもらっていいよ」
「……そういうわけにも行かないでしょう」
「そういうわけにいってもらいたいんだけどね。なにしろ空気が重過ぎる」
スタッフはそういって苦笑した。
綾華さんはそっぽを向いた。由紀は抱きついていた姿勢をぱっと戻し、俺から離れた。泣き顔を隠すように俺に背を向ける。
「……なるほど、重いですかね」
「重い、重い」
どう見ても、二人が突然消えたり、生徒会室にどろどろした空気を持ち込んだ原因は、俺にあると見て間違いなさそうな雰囲気だった。
綾華さんが俺に告白した経緯を知らない人々でも、この三人になにか問題が起きていることだけは感じ取れた。
俺は。
由紀が泣いているのも、綾華さんが暗い目をしているのも、気に入らなかった。
俺の知らないところでなにやってんだよ二人とも。
あからさまではないにしても、生徒会室のいる誰もが、事情は知りたいけれど係わり合いにはなりたくないという態度になっている。ここは、三人で出て行くのが正解なんだろう。
めまいは治まっていた。
俺は立ち上がった。
「……おいで、由紀」
背を向けていた由紀の背に手を当てる。そっと押すと、由紀は抵抗しなかった。俺が歩き出した方向に、一緒に歩き出す。
「綾華さん、行きましょう」
少し離れたところであさっての方向を見ていた綾華さんにも声をかける。綾華さんは顔をうつむけて一瞬考えるような仕草をしたけれど、すぐにそのまま歩き出した。後ろから付いてくるつもりらしい。
文化祭の期間中、俺たちは校内各所の鍵を預かっていた。本当は会計氏が預かっていたのだけれど、大人対策を頼んだあの時に、鍵束をそのまま渡されている。実行委員の取りまとめ役が鍵くらい持っていないと、イベントも何もできなくなってしまう。
その鍵束を使って、普段は閉鎖されている校舎の屋上に出た。
文化祭初日の昨日は、ここで科学部が気球を上げる実演をしたり、夕方には天体観測の実演をしたりで大騒ぎだったけれど、今日は予定は入っていない。鍵を開けて扉の外に出ると、秋晴れの空が出迎えてくれた。
屋上の給水塔の脇にコンクリートブロックがある。もう少し前の季節なら、日陰にならないそのブロックに座ろうなんて思わないけれど、11月の日差しはもう沈みかけている。
「もう寒くなってきそうだけれど」
といって俺が座ると、由紀は素直に俺の右隣に腰を下ろした。
後からついてきた綾華さんは、給水塔の柱に寄りかかるようにして立った。陰の中に入り、俺から見て左側に立っている。日向側からだと、もう薄暗くなり始めているから顔色がやや見えにくい。
「それで……」
俺は正面に顔を向けていった。
「何が起きてるのか、説明してもらえます? どっちでもいいから」
まず由紀を見る。
由紀は俺の隣で背を伸ばして顔だけを伏せていたけれど、俺の言葉に顔を上げ、綾華さんのほうをちらりと気にした。
その視線に誘われるようにして綾華さんを見る。
綾華さんは、腕組みして立ったまま、じっと俺たちの足元の辺りを見つめている。
「なんでもないよ」
低い声で、綾華さんがいった。暗い顔は少しも変化がない。
「それで納得するとでも?」
俺はあまり気分のいい体調ではなかったけれど、おかげで肩の力や気負いは抜けていた。綾華さんの態度に腹も立たなかったし、別に問い詰める気も無かった。少し食い下がって、まだ説明する気が無いようだったら、おとなしく引き下がるつもりでいた。
なぜといわれても困る。事情はともかく、少なくとも俺にすまないという気持ちがあることだけは、二人の顔を見ればわかる。なんかもう、それで充分な気がしていた。
多分、話し始めるとしたら由紀だと思っていた。二人きりになってからかな、なんて思っていた。
だから、綾華さんの方から声がしたのには、少し驚いた。
「……あたしが悪いんだよね」