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ちなみに次の日、文化祭最終日にして世間的には文化の日にヤンキー対策として準備していたのは。
「父さん、その格好……」
真っ青な顔をした由紀が引きまくる中、父さんと呼ばれたスーツ姿の人物は苦笑いしていた。
「久々に着たからどうもサイズが、なあ」
由紀パパ。確かにサイズが合っていない。無理に止めたジャケットのボタンがはちきれそうになっている。
「……ジャケット脱いで。脇に抱えておけばどうにかなるでしょ」
小声で父に詰め寄る由紀に、気弱で地味なメガネ少女の印象はない。凄みのある目で無表情に見上げるその顔、ちと怖い。
「おいおい、いくらなんでもこの時期に上を脱いだら寒いだろう」
由紀パパは華麗に視線を受け流している。内弁慶気味の由紀だから、意外に家の中ではあんな顔をしょっちゅうしているのかもしれない。慣れているか、よほどの鈍感じゃなきゃ、あの攻撃は流しきれない。
でも、この人じゃどう考えたってヤンキー対策にはならない。普通の農家だし。
でも、ここは田舎。力のある農家でもある由紀パパのネットワーク、なめちゃいかんのだよ。
日本の農家はたいてい政治的にも経済的にも非力で悲劇的な存在として捉えられがちだけれど、それはマスコミや農協が作ったイメージ。その方が自分たちにとって都合がいいから。農家もその方が色々と得だからそのイメージに乗っかっている。
実際そういう立場が弱い農家もたくさんあるけれど、由紀パパはそっちの側じゃない。
どういう側かというと。
「渋谷さん、久々に来てみましたけれども、いいもんですな、若人の息吹というものが感じられて」
「近頃の若者には情熱が感じられんと思ってましたが、なかなかどうして」
おじ様おば様方ご一行。
その中に、綾華さんがいる。
永野家の嫡流として、地元の名士に顔が知られている綾華さんが接待役に最適ということで俺が当て込んだんだけれど、スーパーお嬢様モードに入っている綾華さんの大人あしらいは天才的だ。
「近頃の若者なんてくくりは無意味ですわ。今この瞬間に輝いている彼らを見てあげて下さい。そのために皆様をご招待させていただきました」
大人受けする純真そうな笑顔を振りまく綾華さんは、たぶん心の中で俺を呪っているに違いない。時々飛んでくる視線がぐさぐさ突き刺さる。後で引き受けますから今はどうかおじ様おば様方をどうぞよろしく。
この方々、どういう面子かといえば、地元選出県会議員をはじめとする地元名士の方々。近隣農家の若手(高校生の娘がいるような農家は若手もいいところらしい)の顔役である由紀パパが動けば、こういう面子を呼び出すことも出来なくはない。さらに、文化祭のまとめ役が永野家のお嬢だと触れ回っておけば、そのお嬢と顔をつないでおこうと動く政治家だっている。
実は、この提案は由紀パパからのもの。俺からしたらとてもありがたいご提案で、綾華さんはあまりいい顔はしなかったけれど、
「これをしておけばヤンキー被害が無くて済みます。ついでに学校側の評価まで上がれば、校長辺りも文句はないでしょう。協力して下さい」
と俺がいうと、渋々納得してくれた。
ヤンキーたちもこの土地で生きている以上、色々しがらみがある。そのしがらみが嫌で暴れたりしているわけだけれど、政治家や地元の有力者たちにまともに刃向かって生きていけると本気で思っている奴はそう多くないし、県会議員クラスが何人も集まるとなれば、警察も動く。
制服、私服の警官が学校周辺をそれとなく警戒している気配には、一般の生徒よりヤンキーたちの方が敏感。しかも、交通警察じゃなく、警備警察が動いているとなると、ヤンキーで歯が立つ相手じゃない。街の不良ごとき、どんな罪名でも簡単にしょっ引いて排除できる連中だ。
ヤンキー避けにこれほど便利な存在もない。わざわざ警察に協力要請しなくても向こうから来てくれるのだから実にありがたい。
綾華さんもそれがわかるから、渋々とはいえすぐに納得してくれた。
もっとも、会計氏にこっそりいわれている。
「……佐藤、外部の政治家を引き込んで後ろ盾にして、ごちゃごちゃ裏で動いていた事実を正当化しようとしているだろう」
図星ですぜだんな。こいつも見え見えですかそうですか。
「……妙な揚げ足取られて当日に身動き取れなくなるのも困りますからね。保険です」
「なにか動きがあるのか」
「生徒指導主任の存在が煙たくて、かわいがられてるらしい俺たちが不正を働けば、それをネタに主任の権威に泥を引っ掛けられるって考えてそうな教師だっていますしね」
「政治家がいれば少なくとも当日にそれはできないか」
「後でどうなろうがかまいません。当日、成功のまま終わりさえすればいいんです。ついでに、綾華さんや由紀、あなたに泥をかぶせもしません。すべては俺の責任でやっていることだ」
「かっこつけるんじゃない」
会計氏は俺の頭を軽くはたいた。
「泥くらい僕だってかぶってやる。泥はここまでで押しとどめる。それにしても」
と、会計氏はため息をついていた。
「これを思いついて、あまつさえ実行に移すお前の頭と力が僕は恐ろしいよ。大した奴だ」
「そうですか? まわりが勝手にお膳立てしてくれるところに乗っかってるだけですけれど」
「ばらばらに起こっている事実をつなぎ合わせて、すべてを文化祭の成功に結び付けていってるじゃないか。永野の実行力も凄いが、君の調整力も大したものだ」
「そんなもんですかね」
褒められるのに慣れていないから、俺はごにょごにょと濁した。
「あまり自分を過小評価するな。でかい面をされても腹立たしいが、過小評価されると色々裏があるんじゃないかと疑いたくなるのが人情ってもんだ」
「はあ、気をつけます」
間の抜けた返事をすると会計氏は笑っていたけれど、そういうところも確かにあるんだろうなあ、と思ったし、最近同じようなセリフをやけに身近な人々から何度も聞いていたから、ちょっとは自分が成長できたりしてるのかもな、と考えることにした。
でも、所詮俺は高校生になってまだ1年もたってない小僧なわけで。
仕事の方は、色々な人を巻き込んだおかげで上手く回っていた。事前の段取りを入念に行っていたおかげで、本番当日にはほとんど生徒会室から出る必要がないくらい暇で、俺が暇ということは、段取りが上手くいっていたという証拠になる。
その仕事に追われていたせいで、俺は多分一番大事なことを見落としていた。
仕事上のペアとしても、先輩後輩としても、綾華さんと由紀はパーフェクトなペアだった。それぞれが足りないところを補い合うとどこの完璧超人だという仕事振りを発揮したし、どちらも相手のことが大好きだから関係も上手くいっていた。
俺がいなければ、の話だ。
でも、俺はいるわけで、お互いにとってその存在は絶対に無視できなかった。
そして俺は自分を過小評価する癖があったから、そのことも過小評価して、取るに足りない問題だと思っていた。
恋愛なんて経験もなければ想像すら出来ずにいた。その俺がいきなり二人の女性から好かれるという奇跡に恵まれて、舞い上がってもいたし、浮かれてもいたし、仕事に追われるクソ忙しさにかまけてしまっていた部分も大きかった。
だから、綾華さんの告白が終わって、足を思い切り蹴られたところで、すべての問題は解決したと思っていた。
二人の間にどんな会話があったか、その場にいなかった俺にはわからない。
二日目の午後、文化部の発表もメインイベントを迎え、文化祭の盛り上がりは最高潮に達していた。
一番忙しくなるはずのこの時間、いきなり、二人と連絡が取れなくなった。
『おい、何が起きているんだ』
会計氏から連絡が来たとき、俺はパニックに陥っていた。
綾華さんがやるべき仕事はたくさんある。実行委員長としていくつものイベントの審査員に任命されていたり、生徒会主催イベントの仕切りをしたり、まだ何人か残っている地元名士たちの相手をしたり、綾華さんでなければ勤まらない仕事がある。
由紀も、綾華さんの秘書としてやるべきことは山ほどある。俺より全然忙しいはずだ。なにしろ綾華さんの行動予定を完全に把握しているのは由紀だけで、どの仕事がどれだけ進んでいるかを把握しているのも由紀だけだった。
二人が同時に消えたら、文化祭は最後の最後で崩壊する。
何度も何度も、二人の携帯を呼び出そうとした。でも、どちらも応答なし。
実行委員会のネットワークで捜索も開始したけれど、あらゆる場所で「見た」という証言は取れても、「見える」という表現は一つも無かった。
あの二人がいなくなる。
なにしろ、あの二人だ。強烈極まる存在感の綾華さんと、その陰になりながら不思議と存在を無視できない由紀。どちらも美少女。話題の人物。
悪い想像しか出来ないとしても、誰も俺を責めないはずだ。
「なんだよ、出てくれよ!」
俺は十何度目かの携帯連絡が空振りに終わると、思わず携帯を投げつけそうになった。
それを止めたのは、ちょうどそのタイミングで生徒会室に戻ってきた会計氏だった。
「やめろ佐藤、お前が取り乱して何になる」
低い声で俺の腕を押さえた会計氏の目は、少しも甘くなかった。
「何かが起きているのはわかるが、お前が取り乱したところで問題は何も解決しないぞ。落ち着け」
いっていることはもっともだったから、俺は反発はしない。頭が沸騰したまま、それでも何とか息を吸い、吐き、携帯を握り締めたまま腕を下ろした。
「もともと永野も渋谷も、お前が立てた計画に従って動いていたんだ。とりあえずその穴を埋められるのはお前の指示と判断だけだ。二人のことは一通り処置をしてからにしてくれ」
「あんた……」
俺はパニックから立ち直っていない。沸騰した頭のまま、会計氏が何をいっているのか理解できず、つっかかった。
「二人が消えたってのに、んな悠長なこと、よくいってられるな」
「頭を冷やせ」
「うるせえよ、あんたがやりゃいいだろう、もとはあんたたちの代の文化祭だろうが、俺は二人を探しに……」
最後まで言い切ることは出来なかった。
俺は、左頬を殴られていた。
殴ったのは、目の前で俺を厳しい目で見ていた会計氏。暴力沙汰からは、由紀と同じくらい縁遠く思えていたひと。
「落ち着けといっている」
凄まじい眼力だった。俺は思わず立ちすくんだ。左頬の衝撃は脳の反対側まで達し、重い振動で頭がぐらぐらしていたけれど、頬の痛みも頭の鈍痛も、会計氏の目の力に消し飛ばされた。
「今の貴様が動いたところで見つかるものも見つかるものか。まずはやることをやれ。二人のことは貴様以外の全員で探す。いいな」
貴様、などという表現をまともに使う人間を初めて見てしまった。
いや、俺が使わせたんだ。
頬の痛みと過激な表現で、多少は俺も目が覚めた。
「……ミス・ダンディコンテスト審査員は生徒会執行部から一人代役に出てもらいます。演劇部のゲストは辞退、至急部長に連絡を入れてください。最悪、生徒会長に代役をお願いできるように手配を。地元名士の相手役は先輩がお願いします、サポート役に実行委員の女子を一人連れて行ってください」
矢継ぎ早に指示を出す。会計氏は「わかった」と短く答えると、どすん、と俺の背中を平手打ちした。
「落ち着いてさえいればお前は大丈夫だ。まずはお前が冷静でいること、それがすべての状況を解決する一番の近道だ。いいな」
会計氏のメガネの奥の目が強く光る。
何が起きているかわからないけれど、少なくとも、信頼できる仲間がいてくれる。
確かに、取り乱したところで何が解決するわけでもない。
落ち着け。
会計氏は俺の顔を少し見た後、視線を切って声を張り上げた。
「さあ、馬鹿な大人どもをだましに行くぞ。僕と一緒に行こうという奇特な女子はいないか」
俺が取り乱して凍りつきかけた空気が、会計氏の声で解凍された。
実行委員長と秘書が消えるという非常事態に、にわかに生徒会室は騒がしくなった。それぞれが自分の仕事以外に何が出来るかを探し始めていた。
「業務の振り分けは佐藤の指示に従え。それから、永野と渋谷だが、思いつく限りの人数に動員をかけて、一気に探し出せ。時間との勝負だ、手段は問わない」
会計氏が部屋を出ながらいい置いた言葉。
緊急事態発生、とばかりに、生徒会室の緊張が高まる。そのすべての視線が、俺に集中していた。
俺は次々に指示を出しながら、まずはこれに集中することにした。少なくともここにいる人々は、綾華さんや由紀がいない穴を少しでも埋めようとしている。ここにいない人々の何人かは、必死で二人を探してくれている。
俺一人でじたばたするよりずっといい。
俺は俺の責任を、捜索隊には捜索隊の責任を。それでいい。
さっさと仕分けを終えて自分で探しに行けるまでは、まず文化祭実行委員会副委員長の職務を優先させる。その間に二人が見つかればよし、見つからなければそれはその時のこと。
それで行くことにした。