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「申し訳ありませんでした」
ずらりとそろった文化祭実行委員会新執行部が、といっても4人だけれど、生徒会長を前に一斉に頭を下げた。
日付は少しさかのぼって、クーデターの翌日のこと。
場所は人気のない会議室。会長だけがいすに座り、4人がその前に並んでいる。
仕事を始める前に、俺たちはまずやらなければならないことがあった。
思いっきり屈辱と恥を与えてしまった相手、生徒会長に、まずは謝ることだった。
許してもらうのが目的じゃない。そんなに虫のいい考えは、いくらなんでも持てない。会長を失脚させておいて、一度謝ったくらいで許されるなら、世界はずいぶん生きやすくて平和な世の中になっているに違いない。
これは儀式だった。新たに自分たちの体制が走り出すためにはどうしても必要な儀式だった。これを済ませておかないと後悔する。
綾華さんをトップに、頭を下げた4人を前にして、会長はしばらく無言だった。
生徒会長は、「目立ちたいから会長になった」という噂がほとんど事実として伝わっているタイプの人物。去年の会長選では派手なパフォーマンスで話題をさらったというけれど、確かに目立つタイプのルックス。
最初のうちはそれでも頑張っていたらしい。会計氏も側近として彼を支えてていた。
それが、年度が替わって新入生を受け入れる頃には、あまり生徒会に興味を示さなくなってしまったという。
報われない仕事が多かったからだろう、と、会計氏はあまり理由については話してくれなかったけれど、生徒会内部で人間関係が荒れたことがあって、それで嫌気が差したらしい。
会長はしばらく黙っていた後、会計氏に向き合った。
「……お前が裏切るとは思わなかったよ」
静かな声だった。怒っている声でも、戸惑っている声でもなかった。
会計氏は俺たちに付き合って頭を下げてくれたけれど、こちらにも戸惑いの様子はなかった。
「裏切ったつもりはない。前にもいっていただろう。好きにやらせもらうって」
淡々と答える。
「僕は生徒会を第一に考える。君をどう支えるかはその後に来ることで、生徒会と君の言動が対立するなら迷わず生徒会を取る。その条件で生徒会に残ったはずだ」
「……そうだったな」
会長は軽くうなずいた。
「長い間生徒会を預けっぱなしにしていたのは俺だ。お前に裏切られたとか、思う方が間違いだったな」
意外に、あっさりと自分の非を認めた。自覚はあったらしい。
「それでも僕は君が戻ってきてくれることを願っていた。去年の選挙の時、僕が会計に立候補したのは、この地位が一番君を効果的に支えられると思ったからだ」
綾華さんも由紀も、そして俺も、二人の間に何があったかは知らない。詳しくは教えてくれなかったから。ただ、一言では表現しきれない何かがあったのはわかるし、そこに深く食い下がっていく気にもならなかった。
会長は座ったまま脚を組み、会計氏を見上げた。
「俺はまがい物だ。会長なんて呼ばれて最初は喜んでたけど、仕事はお前の方が出来るし、俺がいなくても生徒会は回っていく。そのまがい物を今まで支えてくれたお前に、俺から何かいえると思うか?」
「立場を奪ったのは確かだからね。生徒会会計としては裏切ったつもりはないけど、一人の人間としてはお前に同情もするし、悪かったとも思っているよ」
会計氏はそういうと、綾華さんに視線を送った。
「永野が出てこなければ、それでも僕は君を最大限に使おうとしていたと思う。でも、今の生徒会に一番足りなかった物が、目の前に現れたんだ。お前にこだわる理由は無くなったんだ」
「足りなかったもの?」
「今あるものをぶち壊してでも何かを完成させようとする、やる気だよ」
会計氏のその言葉に、会長は答えなかった。答えられなかったようにも見える。
しばらくして、会長が口を開いた。
「いつからだ? 計画が始まったのは」
「昨日、あの場だよ」
会計氏は相変わらず静かに答えた。
「この3人にしたって、一昨日考え付いたらしいしね。僕は彼らに乗っただけさ」
「佐藤」
会長が俺を見る。反射的に背を伸ばした。
「お前が黒幕ってことになっていたな。事実か」
「事実です」
簡潔に答える。
「生徒指導主任辺りに乗せられてのことじゃないんだな」
「主任は知ってはいましたけれど、関わっていません。俺たちの暴走です」
こういうときにべらべらと言い訳をし始められるほど度胸は良くない。会長はその俺の態度にひとつうなずいてみせた。
「永野」
今度は会長の目が綾華さんに向けられる。綾華さんはすうっと背を伸ばしたまま、肩の力が抜けた声で「はい」と答える。
「引き受けたからには最後までやり通してくれるんだろうな」
「もちろん」
綾華さんの答えも短い。ただ、声の表情が穏やかだった。喧嘩を売ろうなんて気配は少しもないし、おびえもない。さすが、としかいいようがない。
「……なら、いい」
会長はふっとため息をついた。
「あの場で俺は圧倒された。その時点で俺は終わりだよ。会長の資格はない。すべてお前たちに任せる」
その会長が、今、壇上にいる。
文化祭の開会宣言。
全校生徒が一度校庭に集まり、開会式が開かれる。短い開会式の中、会長の開会宣言ですべてが開始される。
開会宣言を誰がやるかで、実行委員の中でも意見が分かれた場面があった。
俺が急遽作り直した計画書の中で、開会宣言は生徒会長の役目になっていた。それに、一部の実行委員が噛み付いた。
というのも、俺たちがクーデターを起こしたせいか、生徒会執行部から実権を奪った以上、執行部の人間には文化祭に関わって欲しくない、と考える人間もいた。
クーデターを実行した俺や綾華さんより、なぜかそれについてこようとする生徒の方が過激なことをいう。
ちょっと前に読んだ本にも同じようなことがあった。幕末維新の時期を描いた小説だったけれど、長州藩過激派のリーダーだった高杉晋作や桂小五郎より、その下にいて追随していた若者の方が、言動は過激で、ついには幕府や薩摩藩と対立し壊滅する悲劇に遭った。
俺や綾華さんがクーデター劇のときに繰り広げた舌戦やら何やらが、一部の実行委員にはずいぶん格好良く見えたらしい。自分もそうなりたい、と考えるのはまあいいとして、よほど過激な行動に見えたようで、その過激さに憧れてくれて、過激こそ正義と突っ走ろうとする者がいた。
やたら難しい表現を使いたがるのもその現われだろうな。
「永野がやるべきだろう。開会宣言は旧権力の象徴者が行うべきじゃない。実効権力の象徴として永野がやるべきだ」
2年の男子の実行委員が言い出した時、俺はげんなりした。この人の物言いが苦手で、恥ずかしくなることがある。
「まして文化祭執行の遅延を招いた体制の旧弊を代表する人物の宣言など、聞くに堪えん」
聞くに堪えんのはあんたの演説だよ、と思っても口に出せるはずもなく、俺は黙っていた。別に俺に直接いっていたんじゃなく、計画書を見て生徒会室でわめいていただけだったから。
その俺の無反応さが気に入らなかったようで、その2年生はさらに大声になった。
「彼らが自らの責任を放棄したが故に生じたこの事態に対し、彼らがどう責任を取った? 我々が権限を強制的に委譲させるまで何もせずにいた彼らが、開会宣言を行うなど僭越もはなはだしい」
彼が「我々」と表現した辺りでちょっと腹が立ったけれど、それでも俺は付き合わなかった。
それがさらに彼の口に火をつけた。俺が反応しないのが面白くないのか、逆に俺が反応しないのは論破されるのを嫌って逃げたと判断して得意になっていたのか。
確かにクーデターの黒幕といわれる俺に論戦で勝ったら、さぞ気持ちいいいだろう。
「我々が実効権限を持っているという事実は文化祭の歴史に銘記されるべきだ。無気力体質の執行部を生んだ責任を断罪するためにも、我々の勝利は喧伝され称揚されて然るべきだろう」
「誰の勝利だって?」
そのタイミングで、綾華さんが入ってきた。
2年生は興奮した状態のまま続けた。
「生徒会執行部に対する我々新勢力の勝利だよ、永野」
綾華さんはそのセリフが終わった瞬間、持っていた空のファイルを彼に思い切り投げつけている。
ファイルが見事に腹部に当たった2年生が、驚きのあまり「おおおっ」と叫んだ、その語尾に重ねて綾華さんが怒鳴っていた。
「あんなもんを勝利とかほざいてる勘違い野郎は今すぐ出て行け! 二度と面見せんな!」
大激怒。
みんな唖然としている。
「しかも我々の勝利だ? てめえが何をした? 他人の尻馬に乗ってでかい面するとか、どんだけ増長してんだタコ! あたしとあきちゃんと由紀が考えて実行したんだ、勝手に自分の手柄にしてんじゃねえよ、キモイにも程があんだろ」
綾華さんの怒りは簡単には収まらず、しりもちをついて真っ青になっている2年生男子にさらに罵詈雑言が飛んだ。
「こいつ、他に何をほざいていやがった? 知ってる奴、報告しな」
鋭い綾華さんの声が飛び、たいていこういうときに相手になってきた俺が不機嫌に黙っているから、仕方なく誰かが答えた。
「開会宣言は綾華さんがやるべきだと……」
「……てめえ、なに座ってんだ! とっとと失せろ! この世から消えちまえ!」
綾華さんがさらに噴火した。机の上にあった紙パックのりんごジュースが飛び、頭に当たりそうになったそれをぎりぎりで2年生が避けた。綾華さんがステップを踏むようにしてそいつに蹴りを飛ばす。さすがにそれは避けようがなくて、肩を思い切り蹴飛ばされた彼は悲鳴を上げた。
さすがにこれ以上やったらまずい。
俺は立ち上がり、軽く綾華さんの肩を叩いた。
「彼と心中する気ですか? もういいでしょう」
彼に対する暴行のかどで綾華さんが文化祭実行委員長から外されても困る。
ひと暴れしてすっきりしたのか、綾華さんは素直に手を引いた。ただ、暴れっぱなしで自己解決されても困る。
「どうしたんです、今日は」
暴れたら暴れたで、周囲にフォローしておいてもらわないと、わがままな暴君という印象になってしまう。それでは困る。
綾華さんは俺の眉間にしわを寄せている顔を見て、ちょっとひるんだらしい。
「ど、どーもしないわよ」
微妙に動揺していた。
「ただ」
と綾華さんが続け、その場にいる誰もがその声に集中した。
「あたしたちは勝ち負けで文化祭背負ってるわけじゃないでしょ。文化祭の成功のためだけにあんな事件起こしたのよ。偉そうなセリフは成功してからでしょ」
綾華さんのセリフは、率直でわかりやすい。もっとも、口調がちょっと言い訳がましいのが減点。それでも、綾華さんは続けた。
「それに、開会宣言は生徒会長にしてもらわないといけないわ。けじめでしょ。生徒会の代表は選挙で選ばれた会長だわ。あたしたちは会長から仕事を任されただけじゃない」
「その通りです」
俺が応じた。
「その程度もわからない人に怒るのは当然ですけれど、でも程度も考えて下さいね」
「わ、わかったわよ」
周囲にも伝わっただろう。俺たちは馬鹿なことをして権限を奪ったけれど、だからこそ筋は通さないといけない。妙な増長なんかしている暇はないんだ。
綾華さんのいうとおりだ。成功してなんぼである。
そんな事件もあったから、会長の開会宣言は、感無量だった。
「我々生徒会は、ぎりぎりまで体制を整えられずに皆さんにご迷惑をおかけしました。だからこそ、今日と明日の文化祭は、皆さんに心から楽しんでもらえればと願っています。それでは、ここに、第46回文化祭の開会を宣言します」
俺たちの文化祭が、今、始まった。