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仕事の都合で1週間ほど休載します。申し訳ございませんが、再開をお待ちいただければ幸いです。
もともと、生徒会のやる気が無くても、校内の文化祭熱は高かった。
何か出し物を準備しているクラスは当然盛り上がるし、文化部はここが活躍の場とばかりに気合が入っている。クラブ以外のバンドやアカペラグループも舞台が準備されていたから当然の盛り上がりだったし、早くから看板などが作られ始めていたから、ビジュアル的にも文化祭の雰囲気が出来始めていた。
盛り上がる雰囲気の中で、催行者であるはずの生徒会だけがむしろ孤立していたといっていい。
それが変わった。
生徒会長が失脚、代わって永野綾華というこの学校の顔ともいうべき女が新たに文化祭のトップに就いたという話題は、翌朝には校内を駆け巡っていた。
いくらなんでも知名度で俺が綾華さんに及ぶはずもなく、クーデター劇の配役は綾華さん、会長、会計氏ということになっていたけれど、綾華さんまで陥れてこの事態を作った黒幕が俺だ、という話はまことしやかに流れていて、もともと綾華さんもクーデター劇の計画段階から中心人物だったという話は当然極秘だったから、俺には黒い噂が立つことになった。
腹黒い生意気な下級生に仕組まれたものの、最後には自ら文化祭を背負って立つことを決めた学園のアイドル。
そのアイドルを陥れ、会長を失脚に追い込んだ学園の悪のフィクサー。
「フィクサーねえ、お前がねえ」
友達が感心している。
「どうせあれだろ、あまりに上にやる気が無いもんだから、ぶち切れて文句いってる内に、引っ込みかつかなくなったんだろ」
俺を実際に知っている人間はそういう評価になるらしい。
「生徒指導主任や校長に話を通すとか、大ぼらだろ?」
「まあ、なあ」
俺は笑ってとぼけたけれど、主任には話が通っていたし、こんな大事になるんだから、当然主任は校長にまで話を通していたはずだ。大ぼらどころか、まったくの事実だ。でもいわない。いえるわけがない。
「永野先輩を立てるのはいいけどさ、後が怖いんじゃないの?」
と聞いてくる友達もいた。
「罠にはめて引き受けさせちゃったんでしょ? 報復とかさ」
「あの人は」
と、一応弁護する。
「自分で引き受けたものの責任を他人にかぶせるようなまねはしないよ。どんな形でも、あの人自身が受けるといったんだ。そのことで俺が報復されたりとか、そんなちっちゃい人じゃない」
それどころか、クーデター計画の立案者の一人なわけだが。
聞いている方は感心していた。さすが永野先輩、などとつぶやいていた。
実はクーデター計画を最初に言い出した、あの由紀との廊下での会話に続いての話し合い。
場所は例の喫茶店だった。なぜかあそこは密談がしやすい。
その話し合いの場で、俺は多分これが企画倒れになるだろうと踏んでいた。というのも、「文化祭でトップを張るのは綾華さんしかいない」という発想から生まれたことなので、綾華さんが上に立つことに「うん」といわない限り、成立のしようがない。そして綾華さんがこれに乗ってくるなど、俺は想像もしていなかった。
「よくまあそういう……」
最初はさほど具体的な計画があったわけじゃないけれど、生徒会執行部から根こそぎ権限を奪い去ってしまうクーデターという発想は、綾華さんを呆れさせた。
「せっかく校内は盛り上がってるのに、その勢いを生徒会がそぐとかありえないじゃないですか」
「あたしはその発想がありえないと思うわけよ」
という話の流れから、綾華さんが引き受けると断言するまで、わずか5分。
あまりの話の早さに、俺も由紀もぽかんとした。
「……なによ」
「いやあ……まさかこんな簡単に引き受けるとは思ってもみなかったんで」
「なにいってんのよ、考えた張本人が」
綾華さんは飄々とした態度で甘いコーヒーに口をつけた。
「こんなことを思いついちゃいました、えへへ、で終わるんじゃないかと」
「終わらせてどうすんの。この盛り上がりを大事にしたいんでしょ?」
「したいですよ。俺だってこういう祭りでみんな一緒に熱くなるっていうの、好きですし」
「あたしだって好きだよ。上からの命令でやらされるのは嫌いだけど、みんなで一緒にって、結構好き」
「でもちょっと意外です」
と、由紀がいう。
「私も、綾華さんはトップに立つとか絶対に引き受けないと思いました」
「うーん、まあ、そりゃそうか」
「なんで由紀がいうと納得するんすか」
「そりゃ自分の胸に聞いてみなよ」
綾華さんがにやにやしながらいった。
思い当たる節ならいくらでもあるから、反論せずに黙っていることにした。
「あたしはね」
と、綾華さんはテーブルに肘を付いて俺と由紀を見比べるようにして話し始めた。
「目立つことが好きなわけじゃないし、トップに立つとか柄じゃないからしたくないの。でもね、やりたくないってのと、やるべきことってのを、一緒くたに考えられるほど馬鹿でもないつもりだわ」
きれいな顔に、さっきまでのにやにやは無い。
「まわりを見る限り、まともに文化祭回せそうな奴なんて、あたしとあんたと由紀の三人組か、会計やってる先輩くらいしか見当たらないじゃんか。会計の先輩もあきちゃんも、誰がトップに立ったって仕事はばりばり出来るだろうけど、あたしは無理。あたしがトップ譲ってもいい、こいつの下なら働けるって思ったのは、あきちゃん、あんただけよ」
じっと目を見つめられながらそんなことをいわれたから、昨日の告白のどきどきがよみがえってきそうになった。慌ててその心の沸き立ちを抑え込む。
「そしたらさ、客観的に見て、あたしがやるべきことって、上に立っちゃうことだよね。あきちゃんはあたしの下がいいってこんな計画持ち込んでくるわけだし、先輩は流れ次第でどうとでも協力してくれるだろうし」
「……その通りだと思います」
「そう思ったから、あきちゃんも計画立てたんでしょ?」
「ええ」
「じゃあ、まだ仕事がしたいなって思ってる私としては、やることはひとつなわけよ」
テーブルから肘を上げて、綾華さんは背もたれに体を預ける。
「クーデターにでも何でも乗ってやるわ。上に立てっていうなら立つ。自分の役割からは逃げない。そういう生き方をしたいって、決めたから」
綾華さんの口調は力強かった。
「それが大人ってもんでしょ?」
綾華さんが微笑んで、俺はすべてを理解した。
綾華さんは、大人になりきれない広瀬さんを捨てた。それは、自分の子供っぽさとの別れでもあったんだろう。
大人の定義なんか俺は知らないけれど、少なくとも、自分が責任を負うべきと感じたら、そこから逃げ出さずに全力を尽くす覚悟を持てる事は、大人というもののひとつの形だろう。
綾華さんは俺から見れば充分大人だけれど、ここでさらにその上を行こうとしている。
「すごいです。あなたと知り合えて、本当に良かった」
俺は思わずそう口にしていた。
綾華さんは途端に胡散臭そうな顔をした。
「……なにそれ、気色悪い」
「いうに事欠いてなんてことを」
いきなり否定されたので反論したけれど、照れ隠しなのだろう。でも気色悪いはないと思う。
「正直にいっただけですよ。綾華さんの下で働けるなら、死力を尽くしますよ。本気で」
「あたしも」
と、由紀が興奮した声で乗ってくる。ただし、相変わらず声そのものは小さい。
「出来ることなら何でもしたいです。綾華さんと働くの、凄く楽しいんです。自分が高められる気がするんです」
「おおげさだなあ」
由紀がいうと素直に照れる。なんなんだ。
「でも、そう思わせる力がある人だから、俺は上に立てたいんですよ。人をまとめ上げるカリスマって、こういうことだと思います。カリスマがある人じゃなきゃ、今の文化祭は救い上げられない」
「受けた今になって褒めたって仕方ないでしょ」
綾華さんは顔やスタイルを褒められることには慣れていても、人格や才能を褒められるのには慣れていない。話を切ろうとした。
「まずはどうやって権力を奪うか。それから、権力を奪った後に何をするか。それを話し合いましょ」
照れ隠しなのか、本気でうざくなって来たのかはわからないけれど、綾華さんがせっかくその気になってくれたので、俺たちはそのまま悪謀に知恵を巡らすことにした。
生徒会クーデター計画はこうしてわずか40分ほどの話し合いで出来上がった。
クーデター成功後の文化祭準備の進め方、ロードマップは、解散した後、家に帰ってから作った。どう作ればいいかなんてわからないから、カケスさんによく清書を頼まれてはパソコンに打ち込んでいた、土木工事の工程管理図を参考にした。
何をすればいいかは、資材関係の書類を散々作っていた俺には多少わかる。それと去年の文化祭計画書を照らし合わせて、項目を挙げ、図面に書き起こしていく。線で結んだそれらに、それぞれの作業にかかる時間を書き込み、全体の行動予定を一枚の図面にしていく。
やってみると楽しい作業だったけれど、残念なことに時間がない。
病み上がりの自分の体力にまだまだ自信が持てない時期だから、睡眠時間は最低限欲しいところで、それも考えて図面はごく簡単なものにした。
もっとも、土木工事の工程表と比べれば文化祭の工程管理なんて大した量にはならない。それに時間的な予定表を線引きしてしまえば、ある程度全体は見通せる。
こんなにバイトの経験が役立つとは思っていなかったから、なんでもやってみるもんだなあ、と我ながら感心してしまった。
それを引っさげ、さらに予算関係の書類に、自動生成のグラフなんぞをちょちょいと添えて見栄えを良くしたものをくっつけた物を準備し、翌日のクーデターに臨んだわけだ。
予算関係の書類をいじったものは、生徒会執行部がどれだけ文化祭のことを知らずにいたかという証拠として、えげつなく使わせてもらった。
これも、工事の完工検査の時に役所に提出する書類を5分で改造したもの。
本当に、バイトなんてやっておくものだ。
こうして準備を整えた俺たちは、翌日のクーデターに見事成功することになる。