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「さて」

 と会計氏は綾華さんを見た。綾華さんは会計氏を見つめたまま、無表情だった。どこまでも冷たいその顔は、そのまま美術館に展示できそうなほど美しく、気高い。学園のアイドルといわれたり、不良の女神といわれたりした人だけれど、この時の美しさは尋常じゃなかった。

「外堀は埋まった。後は君のやる気だけが問題だ、永野」

 その美しさに気圧されもせずにいってのけた会計氏も、すごい人だった。周囲の高校生とは格が違う。

「僕は以前の君になら、こんなことはいわない。無責任にもほどがあるからね、素行不良の君にすべての権限を譲ろうなんて」

 まっすぐに綾華さんの目を見て揺るぎもしない。線の細い感じのする人だけれど、芯は強いにもほどがある。

「でも、僕は知っている。実行委員になってからの君を。物事に対して君がどれだけ真摯で、人を惹きつける魅力があるか。君以外に適任はいない。佐藤にいわれるまでもない」

 綾華さんはついに目を閉じた。一度ほどいた腕をもう一度組み直し、きゅっと口元を結んだ。

 会計氏も口を閉じた。

 俺は当然何もいわない。

 他の誰も何もいえず、室内はしんと静まり返った。身動き一つ出来ないのは、動けばいすが音を立ててしまうからだ。

 異常な緊張感の中で、多くの人が視線をさまよわせた。

 綾華さんを見て、会計氏を見て、俺を見る。主要人物はこの三人に絞られ、他の人物には視線すら向けられない。ここで一番のVIPは生徒会長のはずだけれど、この部屋では既に過去の人になっている。

 やがて、綾華さんが目を開けた。長いまつげが物憂げに揺れる。

 組んでいた腕を再びほどいた。

 会計氏がじっと見つめる。

 綾華さんは一度俺の顔を見た。表情に変化がある。目に、力と決意がある。極限まで冷たかった表情に、血の色が差していた。

 俺は思わず立ち上がりかけたけれど自制し、じっと座ったまま、こくりとひとつうなずいた。

 綾華さんは俺からついと視線を外し、立ち上がる。

「……条件は一つだけ」

 玲瓏な声が部屋の空気を震わせる。

「聞こうか」

 会計氏が綾華さんの声に応える。余裕たっぷりの、大人の声だった。

「この場にいる人たちの全面的協力。命令っていい方は嫌いですけど、指示は出しますから。どんな指示だろうが、従ってもらいますけど、それが受け入れられますか」

「受け入れられない奴がいたら今すぐここを出て行け」

 会計氏のセリフは早くて激越だった。意外なほど大きなその声に、首をすくませた人はいたけれど、出て行こうとする者はいなかった。

逆らえるような、会計氏の雰囲気じゃなかった。今まで感じたことが無い、威があった。

「……ということだ、『新』実行委員長。よろしく頼む」

 そういうと、会計氏は立ち上がった。

「佐藤」

 呼ばれた俺は立ち上がった。

「君は実行委員会の副委員長であり、執行役だ。この祭りをまとめ上げて見せろ。出来ないとはいわせない。やれ。命をかけろ」

「はい」

 短く、でも大きく返事をした。この人は本当にすごい。場を完全に支配していた。

「というわけだ、みんな。僕はこの二人を力の限り支える。みんなも覚悟を決めてくれ」

 立ち上がっている三人が周囲を見回す。

 その場にいる誰もが、少なくともこの三人に従う以外に道はないことを悟ったらしい。

 やがて、誰からともなく拍手が起きた。それはすぐに全員の拍手となり、生徒会室を満たした。




「助かりました」

 開口一番、俺は会計氏に頭を下げた。

 緊急ミーティングはあの後、一転して新実行委員会の業務振り分けの場になった。

 あらかじめ作ってあったロードマップを配付して、俺が説明する。会計氏がそれに適宜突っ込みを入れ、綾華さんが振り分け先を指示する。

 一気に事は回り始めた。

 今までの沈滞していた空気がウソのように、生徒会室は活況を呈した。

「部門分けはこれからもどんどん変えていくわ。全体の状況はあきちゃんがまとめて、次の日にはみんながわかるように掲示しておいて。みんなそれを必ず確認して、どんな指示が出ても対応できるようにしておくこと。いいわね」

 綾華さんのさばき方は見事で、三年も含めた全員が従った。

 それが終わったのは6時前で、そこで一旦解散になった。

「明日は放課後になり次第ここに集合。当日まであと10日も無いんだから、勢いで乗り切るわよ。いいね」

 綾華さんの掛け声に、全員がそれぞれの表現で返事をした。

 解散後、まだしばらく興奮冷めやらない人々の熱気の中で、各担当がどんどん質問をぶつけてきた。何しろ全体像がわかっているのはこの時点では俺だけだったから、目が回るような忙しさだった。

 それも大体収拾が付いて、本格的に解散になったのは7時ごろ。

 それから校外へ出て、俺、綾華さん、そして由紀が別の場所に移った。

 例の、国道沿いの喫茶店。

 そしてその喫茶店には由紀のお父様もいた。あらかじめ遅くなりそうなことを連絡していた由紀が、その場に呼んでいた。由紀としては駐車場でちょっと待っていてもらうつもりだったらしいけれど、そうも行かないだろうという俺と綾華さんの言葉で、急遽同席してもらうことになった。

 そして、俺たちが頼んだコーヒーや紅茶が席に回ったところで、会計氏が合流した。

 会計氏が座ったところで、俺が頭を下げた、という流れ。

 会計氏は苦笑いしていた。

「何が始まるかと思ったけど、まさかクーデターとはね。恐れ入ったよ」

「すみません、事前に相談できれば良かったんですけれど」

 俺が謝り、綾華さんも頭を下げた。

「猿芝居にまで付き合ってもらっちゃって、ありがとうございました」

「永野まで謝らなくていいさ。どうせ、考えたのは佐藤なんだろう?」

「ええ、まあ」

 頭をかいた。申し訳ない上に、この人は芝居を芝居とわかった上で、これ以上にない乗り方をしてくれた。

「金森先生は知っていたのか?」

 と、うちの担任の名前を出した。俺は首を振る。

「知りません。生徒指導主任は知ってますけれど、こういう策謀は知ってる人間が少なければ少ないほど成功するっていって、内緒に」

「あの狸ならいいそうだな。孫が出来てもそういう茶目っ気は失せないんだな」

 そういって笑ったのは、意外にも由紀パパ。実は生徒指導主任の教え子だという。

「新任当時から既に狸だったよ、あれは」

 由紀パパは事情は良く知っている。なにしろ、当事者たちが昨日話していた計画を、この人は由紀からすべて聞いている。

「なるほどね。でも、いいアイディアだ。組織を変えるには、上を変えるしかない。下がどんなに頑張っても限度があるからな」

「それをどうやって変えるか考えたんですけれど、あんなのしか浮かびませんでした。会長には申し訳なかったんですけれど」

「いいさ、あれだって立候補してまでなった地位を放置していたんだ、当然の報いだろう」

 会計氏は容赦が無い。

「むしろ、主任から強権発動してもらった方が早く進んだだろうに、わざわざあんな芝居まで打ってくれてありがたかった。あれで生徒の自主性の牙城は護れたんだからな」

「そこが問題だったしね」

 といったのは綾華さん。

「あたしも教師からいわれてやるなんて、形だけでも嫌だし」

「という綾華さんの強い希望があったんで、あの芝居を打ったんです」

「打てただけすごいよ。普通の高校生はああいう芝居は思いつかないし、思いついてもやらない。成功する訳ないからな」

 下克上で構わない。要するに、言い出しっぺが生徒で、引き受けるのも生徒で、あくまで生徒主体で起きたクーデターだったという事実が欲しかった。

「僕が反対に回ったらどうする気だったんだ?」

「その時は仕方ないですから、先輩にリーダーになってもらう計画でした」

「おいおい、待ってくれ」

 会計氏が本気であわてた。俺の隣に座って大人しくしている由紀が、それを見て嬉しそうに笑っている。

「その時はあたしが涙ながらの大演説を打つ予定だったんですけどね。残念、見逃したね」

 綾華さんもそういいながら愉快そうにけらけら笑っている。

「永野に泣かれちゃ断れないな……主任を落として予防線を張っておいて、俺まで視野に入れた三段構えの策か。やるな佐藤」

 会計氏はため息をつきながらいった。俺は黙って頭を下げる。何をいっても失礼になりそうだ。

「でもそれをすぐに理解できるのって凄いね」

 綾華さんが手放しで褒めた。非常に珍しい。

 会計氏は別に嬉しそうでもなく、追加で運ばれてきたコーヒーカップを手に取った。

「自分では考えつけなかった策だ。見抜いたからといって偉いものでもないさ。とっさに芝居に乗れた自分の演技力には、我ながらちょっと感心したけどさ」

「かっこよかったです、とっても」

 昨日から目をきらきらさせっぱなしの由紀が褒めると、さすがに会計氏は嬉しそうだった。打算が感じられないだけ、由紀の賞賛は素直に受け入れられるんだろう。でも、俺は知っている。

「とかいって純粋そうに褒めてる由紀ですけどね、先輩が反対したらリーダーになってもらう策、出したのこいつですからね」

「ば、ばらしちゃうんですか」

 由紀が一転してあわてる。綾華さんも暴露に乗ってきた。

「あたしがする予定だった涙の演説、この子が原案だからね。かわいいからってだまされちゃダメよ」

「ひ、ひどいです、綾華さんまで」

「事実だしー?」

「晃彦くんもひどいです、何となくいっただけなのに『採用!』とか叫んで勝手に私の発案にしちゃって」

「事実だしー?」

 綾華さんのまねをする。由紀が本気で悔しがり、怒り出したから、あわててなだめる。

「あの話し合いに参加してたら誰でも思いつくことだよ。由紀が考え付かなくても、結局はそうなったって」

「なっただろうな」

 とつまらなさそうにうなずいたのは、当の会計氏。

「僕がそこにいても同じことを考えただろうし」

「それにしても」

 と綾華さんが強引に話の方向を変えたのも、これ以上由紀の機嫌を悪化させないためだろう。

 俺の余計な行動でお手間を取らせます。

「ずいぶん迫力あったね。あたし、先輩があんなに凄い人だとは思わなかったよ」

 それは全面的に同感。こくこくとうなずくと、先輩は苦笑した。

「僕だって思わなかったさ。舞台が人を作るとかいうけど、まさか当事者になるとはね」

「もう高校生のノリじゃなかったもんね。あきちゃんを睨み据えたあの視線ってばもう、大人の男って感じで」

「やりやがったなこの野郎って思ってたからね。厳しい目に見えたとしたら、それはかなり本気が入ってる」

「うわあ、本気で睨まれてたんだ、俺」

「怖かった?」

 綾華さんが嬉しそうに聞いてくる。人が怖がるのがそんなに嬉しいですか。そうですか。

「怖かったです、かなり」

 正直に答える。

「未来の番長をびびらせたんだから、たいしたもんだわ」

「ちょっと待て、その呼び方をするなとあれほど」

「しらなーい」

 本当に楽しそうだ、綾華さん。

「すごいな、君らは」

 と、由紀パパが不意にいった。

 全員が視線を由紀パパに送る。

 由紀から見て俺の逆隣に座っている由紀パパは、温厚な顔に温厚な表情を浮かべていた。

「自分が高校生の頃のことを考えると、君らが途方もなく大人に見える」

 いいながら、由紀の頭をなで始めた。

「この子もこういう大人しい子だから、大した経験もしないまま卒業してしまうんじゃないかと思っていた。どうも杞憂だったらしい」

 そういうと、笑う。

「君らがそばにいるなら、この子もいろんな経験ができそうだ。安心したよ」

「……それ、どうなんでしょう」

 と疑問を呈したのは綾華さん。

「普通、こういう事態に娘さんが出くわしたら、逆に切り離そうとするのが親心ではないかと」

「安全に場所に置いておきたいって? それは中学生までの話だろう」

 由紀パパ、笑顔を崩さない。

「世間の裏なんて人間の感情が渦巻いている世界だ。その一端にも触れずに学校を出てしまったら、いざ世間に放り出されて何が出来る? 少なくとも君らの策は後ろ向きじゃない。ポジティブで建設的だ。その場面に立ち会うことが出来たんだ、幸せというべきだし」

 由紀の頭をなでていた手を下ろす。

「そういう人間と親しくなれたということは、これからも色々な経験が出来るということだ。立ち直れないほどつらい目にも遭うかもしれないが、それもいい経験になる。高校ってのは、そういう経験をするためにいくものだろう」

 全員、大人の意見に一言も無かった。この人がいうんだから、そうなんだろう。そう思わせる説得力があった。

「まあ、私の興味はむしろ、この子が佐藤君とどこまで進んでいるのかにあるんだがね」

 爆弾発言に、俺も由紀もとっさに反応できなかった。いち早く反応したのは綾華さん。

「あらおじ様、ご存じなくて?」

「それは僕も興味があるな」

「何乗ってるんですか、先輩まで!」

 俺がどうにか突っ込むけれど、そんなもので止まるはずもない。

「わたくしはむしろおじ様が彼との関係を認めているかのようにおっしゃる、その事に興味がございますけれど」

 綾華さんがいきなり超お嬢様モードに切り替わる。

 こうなったらもうダメだ。止まるはずがない。

 由紀が青ざめていくのがわかる。でも対処のしようがない。

 あきらめろ由紀。

「認めるさ、こんないい男、次にいつ由紀が捕まえられるかわからないしね」

「あら、理解のあるお父様でいらっしゃいますわね。ではわたくしも誠意を持ってお答えいたしますわ」

「何の誠意だ何の」

「この男、実はこう見えて意外や意外、バカップルを地で行く困り者でございまして」

「困り者ってなんだよ」

「ほう、詳しく聞こうか」

 会計氏もここぞとばかりに身を乗り出している。この人、実はこうやってどんな話にも乗っていくのが趣味なんじゃないのか。

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