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 不思議なもので、あれだけひどい体調だった月曜日、薬を飲んでろくにものも食べずに寝込んだはずなのに、火曜の朝、俺の体調はずいぶん良くなってしまった。

「本調子には程遠いけれど、なんかそんなに気持ち悪くはないよ」

 起き出してきた俺を見て無言で体温計を突き出した母にいう。体温も平熱だった。

「頑丈に産んだ自信はあるけれどね、こんな鉄人に育てた覚えもないわよ」

 俺の減らず口は絶対この人の遺伝だ。でなきゃ教育の結果だ。

「遺書書かせようかと思ったくらい昨日はひどかったのにね」

 横からいってくる妹も濃厚なDNAを感じさせる。

「俺ならあと一週間は寝込んでるな。本当に俺の子なんだろうな」

 と能天気に放言した親父は、最大の責任者だと思われる。

「あんたの子じゃなきゃこの平凡な顔は作成不可能でしょう」

 とは母。父は当然切り返す。

「お前、自分の顔鏡で見てからいえよ? まるっきり複製じゃないか」

「目が腐ってるんじゃなきゃ、あなたこそ鏡見てきなさい。どれだけ濃い遺伝子よ」

 別に喧嘩ではない。これが我が家の普通。

 かくして俺の減らず口が誕生したわけだ。

 安心してくれ。どっちも確実に俺の親だよ。




 学校に行くと変な顔をされた。

「お前……ゾンビか」

「なんだそれ」

 人の顔を見るなり、小学校からの連れがいう。

「昨日の顔色見たら今日は絶対休むと思ってたのに、何で明らかに昨日より元気なんだよ」

「知らないよ、起きたらこうだったんだから」

「包帯も取れて完全復活じゃないか、中間すっ飛ばして」

「すっ飛ばしてない、普通に回復しただけだろ。まだガーゼ張ってあるし」

「やっぱお前は怒らせないことにする。人間相手ならともかく、そうじゃない奴に逆らっても仕方ないもんな」

「ボクは小市民だよ? 人知れずひっそり生きていくんだから変ないいがかりはよしてくれないかなあ」

「うそ臭いにもほどがあるだろ」

 実際、俺の評価というものが、文化祭実行委員になって以来、だいぶ変わっている。

 ちょっと前に喧嘩に巻き込まれて、危うく素行不良グループの一員に数えられそうになったけれど、それは回避して、結局小市民の目立たない生徒の地位を回復していたはずだった。地味で、それほど目立つ個性があるわけでもなく、生徒が3人もいたら存在感が埋もれてしまうような存在。

 それは悲しい存在かもしれないけれど、俺にとっては居心地が良くてそれなりに楽しい世界だった。

 それが、綾華さんとまともに渡り合っている下級生がいるという噂でくつがえった。その後のもろもろの事件で「こんなやつがこの学校にいたのか」的扱いを受けるようになった。とくに大人の評判が悪い人々から。

 一方で、生徒会会計の先輩や、生徒会活動に多少でも関わっている教師たちに、面白い1年生がいるという評価も受けている。こちらは素直に喜んでおきたい。

 それから、由紀と付き合うようになって、急に女子と口を利く回数が増えた気がする。

「体の調子、もういいんだ」

「なんとかね」

 という話を、登校してから授業が始まるまでの間に3回、それぞれ別の女子と交わしている。

 原因は何だろう、と不思議に思っていると、解答は綾華さんがくれた。

 昨日、俺が帰ってから、由紀は学校に戻って文化祭の仕事をしていた。綾華さんは由紀不在の間からずっと仕事に取り掛かっていて、昨日も結構遅くまでがんばってくれていたらしい。

 3時間目と4時間目の間の休み時間、教室移動のついでがあったようで、綾華さんは生徒会関連の書類を持ってきてくれた。

「放課後すぐに出して欲しいんだってさ。あたしたちじゃよくわかんなかったから」

 2年生が1年生の教室に入ってくることはあまりなく、まして来たのが綾華さんじゃ目立つことこの上ない。ただでさえ注目されやすい人が、この教室では完全にスター扱い。誰もが異常なくらいに綾華さんに注目している。

「そんなん」

 と、解答をくれた綾華さんは非常に明快だった。

「あんな静かな子と付き合うんだってわかったからでしょ」

 体がでかい上に目立たず生きていこうとしていたからとっつきにくく、しかも交友関係が素行不良勢に傾いていたから(本人にその意識はないけれど)、女としては話しかけにくい人間だったらしい。

「なるほど」

「じゃ、その書類よろしくね」

 綾華さんは次の授業のこともあったからさっさといなくなった。

 その後姿を見送っていた周囲が、綾華さんが扉を出て行った途端、俺を取り囲んだ。

「いいなあ、綾華さんとあんなに普通に喋れるんだ」

「どうなの、綾華さんってなんか庶民とは話してくれないイメージがあるけど、そんなでもないの?」

「今一番綾華さんと仲がいいのって晃彦らしいじゃん」

 みんな、綾華さんは雲の上の人だと思っている。俺もつい最近までは別の世界の人だと思っていた口だから、人のことはいえない。

「別に普通だよ。俺の場合はたまたまきっかけがあったからだけど、むしろ話しやすい人だよ。変に人を区別したり差別したりはしない人だし」

「あたしたちとかでも?」

「きっかけさえあればね。用もないのに愛想売ったりはしないけど、用がなくたってファンですっていえば話くらいしてくれると思うけれどね」

「紹介してよ」

「それはダメ。自分から行くくらいの行動力は欲しがる人だと思うし」

 今まで、同じクラスなのにほとんど喋ったことがない女子まで話しかけてくる。綾華さん効果はすさまじい。




 昼休みはほとんど書類の処理に費やされた。由紀も手伝ってくれたけれど、たかが二日仕事から離れただけで、だいぶたまっている。

 自分が手がけて配布していたものが戻ってきている書類がほとんどだったから、機械的に一気に処理していく。リストを見て照合したり、こちらで直せるミスなら直していったり、不明点には深く考え込まずにどんどん付箋を貼っていったり、生徒会や職員室に提出する書類には検印代わりのサインを書いていったり、別に難しい処理はしていない。

 ただ、隣で見ている由紀には驚きの速度だったらしく、手伝いながら感心していた。

「やっぱりすごいですね」

「面倒なことは棚上げして後回しにしてるからね。別にすごくもなんともないよ」

「このスピードをすごくないとかいったら、落ち込みます」

「なんで?」

「私にはどうがんばっても無理です」

「得手不得手があるでしょ。俺は由紀みたいに綿密なチェックはできないもん。ざっとやっていくのは俺の得意、綿密さは由紀の得意、人それぞれだよ」

「そういう風にいえるのもすごいと思います」

「由紀は俺がやることは何でもすごく感じちゃってるんじゃない? もしかして」

「そうかもしれません」

 由紀はあっさりと認めた。俺が書類から少し目を離して由紀を見ると、白い顔をわずかに上気させた由紀は、聞こえるぎりぎりの小さな声でいう。

「惚れた弱みなので仕方ありません」

 思わず書類を放り投げそうになった。

 いきなり何をいい出すか、こいつは。

 引っ込み思案で大人しくて、なかなか自分の思いを口に出さない、というのが一般的な由紀のイメージだと思うけれど、とんでもない。この前から、この子は結構いいたいことをはっきりという。声は小さいけれど。

 これは内弁慶というんじゃないだろうか。俺は由紀の思いに答えた瞬間から由紀にとっては他人ではなくなったから、意外なくらいするっと思っていることを口に出せるんじゃないだろうか。

「……ほんと、由紀は俺を何度殺してくれるのか」

「えっ、変なこといいましたか?」

「変じゃないけど、想像をはるかに超えてるのは確か」

「想像を超えてるのは晃彦くんも一緒です、私の想像なんて全然届かないくらいすごいです」

「もういいよ、褒め合いは……仕事にならない」

 呆れて、というより、これ以上由紀に褒められたら、勘違いしそうだった。俺ってすげー人間なんじゃね? と。

 昼休みはそんなことで終わっていき、午後の授業を経て放課後になる。

 放課後になると、いよいよ今日の本番という感じだ。

 俺がいない二日間にたまり、今日また大量に発生したお金関連の仕事が、俺を出迎えた。資材購入には、歴代の生徒会が付き合ってきた業者と話を進めなければいけないけれど、生徒会の会計氏以外に話を通すとややこしくなりそうだったから、俺が最初から最後まで面倒を見てしまうことにしていた。

 なにしろお金が発生することだから、本来は学校の事務が肩代わりしていく仕事なのだけれど、そうすると今度はがしがし予算が削られたり、ひつひとつの購入資材に理由のコメントが必要になったり、ややこしくはないけれどひどく面倒にはなる。

 だから、会計氏や生徒会指導主任の担任を味方につけて、金額の枠内であれば自分で決済できるようにしていた。

 自分で決済、ということは、責任が付いて回るということ。交渉から受け入れの段取り、使用後の保管場所の決定から所有者票の作成・貼付まで、やることはたくさんある。

 業者に電話するのは完全に俺の仕事。

「私、しゃべれません……」

 といってその役から降りたのは由紀で、綾華さんには「あたしに数字の仕事させる気?」ど逆に脅された。やりたくないといっているのではなく、やったら責任は取れないよ、という押し付けっぽい理屈で押し通す気なのだろう。

 俺だってそういう電話に慣れているわけじゃないし、やりたくてやっているわけじゃないけれど、バイトで使い走りとしてあちこち走り回ったりお使いしたりしてきた経験は、無駄にはなっていない。

「しゃべらなくてもいい仕事がいっぱいあるから覚悟しといて」

 と由紀にいう俺の一番の仕事は、実はお金のことではなく、文化祭全体の資材が絡むことの段取りをつけて締切りを設け、それを守らせること。締切りがないと人間は動かない動物のようだから、守れそうな程度の締切りを設定し、それを軸に、直前になったら警鐘を鳴らし、時間を迎えたら確認し、過ぎていたら催促し、協力が必要なら協力し、それでもできないようならこっちでやってしまう、そういう割り振りをしていくこと。

 なんでも自分でやるのではなく、逆に自分以外の人間をどれだけ動かすかが大事になる。

 特に自分の体調にどうも自信がもてないから、徹底的に人を使っていくことを考えないと、また寝込んだりしたらまわりにかける迷惑がすさまじいものになる。

 カケスさんがよくいう事だけれど、仕事は段取りが8割。段取りさえできていれば、何も考えずに手足を動かしている内に、大方の仕事は片付く。

 この頃になると、企画を早く上げないと資材を貸せないよ、という俺たちの最初からの掛け声が浸透したようで、取り組みが遅いところでも出し物などの見通しが立ってきて、学校全体に文化祭を迎える雰囲気が出来上がってきていた。

 文化祭の、ざわざわした、期待と焦りに満ちたような空気が出来上がってきていた。

 こういう空気は嫌いじゃない。

「今年はずいぶん盛り上がりがあるな」

 といったのは担任。

「取り掛かりが早かったからかな、去年までとちょっと雰囲気が違うな。ぎりぎりにならないと、文化部以外の生徒はなかなか盛り上がらないもんだが、今回はクラス単位の盛り上がりがすごそうだ」

「そんなもんですか」

 去年の空気なんか俺が知っているはずがないから、話は一方通行。

「あたしもこういう雰囲気って好きだなあ。みんなで寄ってたかって祭りを作っていく感じ、わくわくするよね」

 意外に素直な感想を口にしたのは綾華さん。

「不健全だったり非合法だったりする騒ぎのテンションも嫌いじゃないけど、こういう健全なテンションの高さってのもいいよね」

 と、余計なことを付け加えてくれたけれど。

「お前たちの仕事が速いから助かるよ。校内の文化祭モードのスイッチを押してくれたようなもんだな」

 生徒会指導主任でもある担任の評価は、俺たちにひどく高い。

 人に評価されたくて始めた仕事じゃないけれど、やったことを評価されるのはやっぱり嬉しい。

「まだこれからが山場ですし、最悪のタイミングで倒れたりしないように気をつけます」

 俺がそういうと、両隣にいる綾華さんと由紀が同時に深くうなずいた。俺が倒れて、まず直撃を食うのはこの二人なのだから当然だ。

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