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 田舎の学校だから、怖いお兄さんなんて掃いて捨てて燃やしてもまだ出てくるほどいる。校内だけじゃない。学校の外に出れば、女子を狙っているのかただの暇つぶしなのか、車でその辺りを徘徊している怖いお兄さん方の姿は、それほど珍しい光景ってわけでもない。

 俺の場合、なぜかそういう筋かそれに近い先輩方と付き合いがあったり、そういう筋の先輩方が畏敬する方に可愛がられていたり、本人の意思に関係なくそういう方々と顔見知りなケースが多かったりした。

 バイト先でお世話になっているカケスさんは、現役の不良たちにとっては伝説的な存在で、やくざの世界に進んでいればあるいは大立者になっていたかもしれない。今じゃただの子煩悩パパだけれど。

 その人に可愛がられているというだけで、俺はだいぶこの学校で生きやすかった。自分からは何もせず、単に親父の知り合いという縁だけでそんな風になってしまっている俺は、相当運がいいんだろう。

 でも、別に俺がそういう社会での有名人かというとそんなことは無いわけで、同じ学校の先輩方の一部に「まあそんな奴もいる」という程度に覚えてもらっているという話。



 頭に大げさな包帯を巻かれてしまった俺は、帰るのも気が重かった。たぶん、大騒ぎされるに違いない。

 過保護な親ではないけれど、さすがに帰ってきた息子が包帯巻きで帰ってきたら、人並みには驚くだろう。

 あの後は大変だった。

 学校側にしてみれば、遊んでいたというならともかく、校内で生徒会の職務で動いている中での負傷だから、下手したら管理責任を問われる事態。俺が保健室にのこのこ歩いていったら、たまたま通りかかった教師がこっちがびっくりするくらい大騒ぎしてくれた。

 まずは病院へ、という話になったけれど、自分でももう血が止まりかけているのがわかっていたから、傷は大したことがないだろうと高をくくっていた。保健教諭がすぐに傷の具合を見たけれど、さすがに場慣れしているだけあって、少しも騒がず、「なめときゃ治る。自分じゃなめられんだろうから彼女にでもなめてもらっとけ」という、高校生にいうには少しきわどすぎる冗談を飛ばしていた。

 それでも大事をとってということで、教師側のたっての願いで、俺の頭にはおおげさな包帯が巻かれてしまった。

「傷は大したことはないけれども、傷口が開くと出血が大きくなる。後始末も大変だし、化膿しないように注意も必要だ」

 ということで、俺には傷口がふさがるまでの洗髪禁止令と、運動禁止令が下されてしまった。

 運動禁止って。

 既に通学が充分な運動だと思うんですよ。丘の上にある学校目指して自転車こぐってこと自体が。

「なんとかしろ。傷がきれいにふさがればともかく、変に化膿なんかしてみろ。異臭はするわ痛みはひどいわ、もっといえばその辺りから毛が生えなくなるぞ」

 それは大問題だ。怪我したのは右側頭部、思いっきり髪の中。別に目立つ場所じゃないけれど、自然に生えなくなるまでは生えていてもらわんと。

 まあ、自分の不注意もあっての怪我なので文句はいえない。

「しばらく自転車以外で考えてみます」

 自転車以外というと、歩くかバスか。ただ、田舎のこと。家からバス停が遠い上に本数が少ない。

 電車、と都会人なら考えるんだろうけれど、残念ながらうちの高校と、家から近い駅の鉄道路線とは、接点がない。

 車で送り迎えしてもらう当ても無いし。うちは両親共働きで、残念ながら兄や姉もいない。

「本数少ないバスに頼るしかないか」

 保健室から出た俺がため息をつくと、治療中ずっと保健室の隅にいた由紀が、俺の背中にくっついてきた。

 いや、くっつくというほど大胆なことはしていない。

 俺の制服のすそをつまんで、軽く引っ張っていた。その距離が非常に近いというだけ。

「すごい心配しました」

「ごめん、不注意だったわ」

「怪我のこともあるんだけど……」

「?」

 よくよく理由を聞いてみたら、怪我をした直後、俺にすさまじい形相で睨まれた時のことをいっているらしい。

 いや、睨んだつもりは無いんだって。あれはそういう目になっちゃっただけであって。

 そういう俺の思いは百も承知のようで。

「事情はわかってても、あの目が怖かったのは事実ですから」

 と由紀は譲らない。怒っているというより、かまってほしいだけにも見える。

 そこでふと気付く。ああ、由紀はもう帰る時間か。

 怪我をした時点で時間は5時を回っていた。保健室でごたごたとして、既に時計は6時を回っている。由紀はつい最近熱を出して寝込んだ前科があるから、家族が、特に父親がひどく心配していた。

 門限は基本7時。

「早く帰らないと、その目より怖い人が待ってるんじゃないの?」

 俺は何も考えずに、ただ頭に浮かんできたことをそのまま口にした。

 とたんに、制服を強く引っ張られた。ぐいっと上半身が後ろに傾く。

「私は早く帰れってことですか?」

 声が平板。あ、怒ってる。

「そういう意味じゃないよ」

 できるだけ気楽そうにいう。フォローは限りなく早く、そして相手の先回りをしてこそ。

「これから長く付き合っていくためには、周りから認められないとさ。まずは由紀んちで一番怖そうな人からも信頼してもらえるようにしないと」

 さも思慮深く聞こえる発言だけれど、もちろん今考えて出てきたセリフ。

 もっとも、うそじゃない。いってから、「その通りだな」と自分でも納得できた。

「ずっと一緒にいたいなら、最初が肝心でしょ?」

 いいつつ、由紀の手を握る。由紀は、手を握られた瞬間に体をぴくんと震わせ、それからうつむいて、俺が握る手をきゅっと握り返してきた。

「ずるいよ……」

「へ?」

 突然何を言い出すのか、俺が首をかしげると、由紀はうつむいたまま俺の胸元辺りを見て、ぼそっとつぶやいた。

「そんなこといわれたら、帰りたくないなんてわがまま、いえなくなっちゃいます」

 なにをかわいらしいことをっ! ずるいのはどっちですかと問いたい。




 送るといったら、逆に怒られた。

 結局今日は親父が迎えに来るまでの間、学校で待つことになったんだけれど、その間は暇だから途中くらいまで由紀を送ろうとしたら、

「けが人は今日くらい大人しくしてなさい」

 と怒られてしまった。

 その怒り方が妙にかわいらしかったので、もうちょっと怒らせてみたかったんだけど、多分それをいったらしばらく口をきいてくれなくなりそうだったから、諦めた。

 で、待ってたわけだ。親父を。

 携帯で話した時の親父の反応は、さすがに俺の親だった。

『頭は大げさに血が出るからな。噴き出してるんでもなければ心配いらんよ』

 俺と同じようなことをいっている。さらに続けて出たセリフが止めを刺した。

『母さんが見たら大騒ぎするだろうな。覚悟はしておけ』

 親父も、俺の想像が見せた風景が同じように見えていたらしい。

『仕事が終わって迎えに行けるのは8時過ぎになる。それまで待っていられるか』

「書類仕事がいくらでもあるし、やってるうちにそのくらいになっちゃうと思うよ」

『学校はまだ閉まらないのか』

「受験組の自習室が9時までやってるからね」

『わかった、待っていろ』

 実際に書類仕事をやっていると、時間が経つのは早かった。

 何枚かリストや申請書の処理をしているうちに時間が過ぎ、いつの間にか8時を回っていた。

 今日は綾華さんはいない。生徒指導主任との談判が意外なほど体力を消耗させたようで、「今日帰ってもいい?」と珍しい申し出があった。「もうやめるー」「むりー」とはいっても、「もう帰るー」とはなかなかいわない人なのだ。

 何しろ大功労者なので速やかにお帰しした。

 ただ、書類仕事に限っていえば、いない方がはかどるのも確か。

 こんなものは黙々と一人でやるに限る。綾華さんがいると漫才が始まってちっとも前に進まない。

 それでも8時を過ぎるとさすがに疲れてきたので、俺は片付けて帰り支度をしてしまうことにした。

 親父が来るまでどれだけかかるかわからないけれど、なんとなく外にいることにした。深い理由は無くて、この日はすっきりと晴れた日だったから、外に出て風に当たっていても気持ちいいかな、などと思っただけ。

 昇降口から外に出ると、朝晩がすっかり涼しくなった10月中旬、乾燥した風は適度に体温を奪っていって、気持ち良かった。

 ただ、時間が経ってくると、傷がじんじん痛んでくるのには参った。傷が熱を持ち始めたようで、鼓動にあわせてずきずきと痛む。

 一人で顔をしかめつつ、俺はぷらぷらと学校の敷地の周辺を歩くことにした。



「おい」

 と声をかけられたとき、俺は正面門から100メートルほど離れたところにある石碑を見ていた。

 静かだけど重い車のエンジンノイズに紛れた呼びかけに、俺が振り返ると、目の前には、俺が10年バイトした金額を全部つぎ込んでも買えないと思われる高級車と、左ハンドルであるがゆえに声をかけやすいところに座っているドライバーのお兄さん。

 少なくとも見覚えのある人ではなかったから、俺を呼んだのは人違いじゃないかと思ってまわりを見たけれど、残念なことに、この近辺にはそもそも人間が俺くらいしかいなかった。

「お前だよ」

 ドライバー氏は苛立つようにいった。

「俺、ですか」

 間の抜けた声だっただろう。自分でも思ったくらいだから、相手にはずいぶん気が抜けた声に聞こえただろう。

「お前、佐藤晃彦か」

 自分の名前を聞いた瞬間、俺はさすがに身の危険を感じた。普通、悪意でもなければ、わざわざ人の名前を確認してはこないものだろう。

 違います、とすっとぼけようとも思ったけれど、それは即座に断念した。

 助手席に、知った顔がいた。

 忘れもしない。

 綾華さんと知り合ったばかりのとき、いきなり朝っぱらから人の目の前で指を突き立て、調子に乗るなといい放ったあの女。

 こりゃ面倒な目に遭いそうだぞ、と、いくら鈍い俺でも、勘付かざるを得なかった。

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