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文化祭実行委員の仕事の方は、ここに来て軌道に乗り始めた。
一番大きかったのは、生徒指導主任の教師が俺たちの側についたこと。
「ここまで入念に準備したり計画持ち込んできた奴は久しぶりだ」
俺が別の交渉ごとで生徒会にかけあいに行っている間、生徒指導主任にかけあいに行ってくれたのは綾華さんだった。あたしの方が教師には顔利くでしょ、という理由だ。
そして、行った先でそんな風に褒められて、
「しかもその相手がお前ときたら嬉しくてねえ」
と涙ぐまれたらしい。ちなみに生徒指導主任はこの前孫が生まれたばかりの新米おばあちゃんで、成績はいいが素行がよろしくない綾華さんとは色々あったらしい。
「やったのはあたしじゃないよ」
と綾華さんがいうと、
「聞いてるよ、1年生と組んでやってるんだって? こういうのはチームプレイなんだ、誰かががんばってるだけじゃうまく動かない。お前もやるべきことをやっているからチームが動いているんだろう」
といわれ、さらにチームプレイのことだけで8分間ほどお話が続いたらしい。
戻ってきたときには、今まで見た最大級の疲労困憊ぶりだった。
「もーあいつのところには行かん」
自分で行くといっておきながら、とは思ったけれど、俺も由紀も何もいわない。しっかり生徒指導主任をたらしこんで、こちらの計画以上の収穫を得てきてくれた功労者なのだから。
まず、俺たちが管理することになっていた資材関係の貸出申請は、来週中に提出された分のみの受付にされるよう、生徒指導主任が請け合ってくれた。つまり、文化祭開催間際になっての駆け込み申請は認めないということで、それだけこっちの資材管理や購入に伴う予算管理が楽になる。
これは生徒会の権限で決められることのようでいて、意外にそうでもないらしい。綾華さんがいうには「教師に泣きついてねじ込んでくる馬鹿が出るに決まってる」そうで、生徒指導主任にこれを認めさせるということは、そういう「馬鹿とそれにだまされるもっと馬鹿な教師」の出現を防げるらしい。
とはいっても、ぎりぎりまでがんばったところで「どうしても足りない!」となるところも出てくるだろう。それを救うための予備予算も、全体の予算の概算を綾華さんに持たせたのが良かったのか、「この枠内なら学校の予備費から出すよ」とお墨付きをもらった。しかも、あえて吹っかけた概算要求そのままの金額で。
「ただし生徒会の会計には話を通しなさいよ」
と注が付いたそうだが、そこは大丈夫。なぜなら、その話を通すべく、俺は綾華さんに生徒指導主任を任せ、生徒会会計に直談判しに行ったのだから。
なぜか俺のことを気に入ってくれている生徒会会計氏は、俺たちの計画案を見ながら、「予備費が学校側から出れば助かるなあ」と簡単に承認してくれた。
「でも、生徒会費以外の資金が入れば、当然監査の対象になりますけれど」
一応、マイナス点もいってみると、先輩はごく気軽に答えた。
「企業の外部監査じゃあるまいし、出納さえしっかりしてれば問題ないよ」
それに、と付け加える。
「僕が指摘する前から、監査の対象になることまでわかってる奴が管理するんだ。何か問題があるのかい?」
やっぱりこの人は面白い、と思わせるに充分な、余裕のありすぎる先輩だった。
そして、生徒指導主任がこの件を請け合ったことによって、自動的に各クラスに、資材関係の申し込みやそれに先立つ出し物の計画案提出を急ぐよう、教師側から一斉に通知が出されることになった。
正式にそうなったわけじゃないけれど、自分が担任しているクラスが万が一遅れでもしたら、生徒指導主任という校長・副校長に次ぐ実力者が認めた期限を破ることになる。非常にまずいわけだ、教師の立場的に。
「どこからこのアイディアを思いついた? 僕はむしろそこに興味がある」
会計の先輩は真顔で聞いてきた。生徒会費以外の財源を導入するアイディアも、期限を守らせるために生徒指導主任を引き込もうというアイディアも、これまでの生徒会には無かった発想だった。
「まだ交渉に行ってるだけで、成功してませんけれども」
そう、この話をしている時点ではまだ成功してない。でも、先輩には成功しようがすまいが関係ない。アイディアの源を知りたがった。
「3人でです。3人で話してて、そういう話で盛り上がって」
「あの永野もか」
「永野もか、というより、あの人がメインですよ。最初校長のところに乗り込むとか無茶いってましたけれど」
「そりゃ無茶だな。事なかれ主義が服着て歩いてるような爺さんだ。生徒指導主任に目をつけたのは見事だと思うぞ」
「ですかね」
「最良の人選だろう。それも永野が?」
「そうです。俺たちは生徒会担当しか頭に無かったんですけれど、綾華さんが自分で行くからこいつがいいとかいって」
「あいつがねえ」
先輩は遠い目になった。上級生でもある先輩には、色々と綾華さんについての事件の記憶やまことしやかな噂話の記憶が積み重なっていて、感慨深いらしい。
「生徒会なんてのは、本気でやる奴が損をするようにできているんだ。悲しいことに。でも、成果を出せば、それが人に認められなくても楽しかったって自己完結できる奴にとっては、いい遊び場になると思う」
自分がそうだから、とはいわなかったけれど、この先輩、どこまで大人なのか。俺たちの渾身のアイディアを容易に理解した上で認める度量といい、物事の捉え方の深さといい、とても高校生とは思えない。
それをいうと、先輩は苦笑していた。
「いずれお前も同じことをいわれることになりそうだな、苦労人くん」
苦労人呼ばわれされた俺だけれど、仕事は実に楽しかった。
なにしろ、できたばかりのかわいい彼女と、できる経緯をしっかり見届けた上に祝福してくれる美人の先輩と、3人でわいわい仕事ができる。これで楽しくない男がいるわけがない。
が。
好事魔多し。
俺には幸運より、凶事の方がお似合いらしい。
人々の中に埋没して、個性らしい個性も無く、目立たず大人しくさえ生きていればいい、底辺を這いずり回るべき存在の俺が、いっちょまえに彼女なんぞ作ってバカップルを楽しんでしまった罰が下ったのかもしれない。
まず起きたのは、事故。
資材申請が早くも行われ、教室内を区切るパーテーションとして使う大きなベニヤ板が貸し出されることになった。
そのクラスの担当と俺が、生徒会室の隣にある資材置き場からベニヤ板を運び出し、さらにそれを支える足になる金属板を取り出そうとしているときに、事故は起こった。
まだ資材置き場には物があふれていて、これを数えるのに俺たち3人は死ぬ思いをしたわけだけれど、それらのうち必要なものだけを取り出そうとするとちょっと無理がある。
「あれを出してここをこう移動すれば出せるんじゃない?」
などとパズルゲームのような資材出しが必要になる。
それをやっているうちに、誰が置いたかはわからないけれど、明らかに資材出しの動線上に、ペンキが入った小さな缶が置かれた。
看板用のベニヤ板を一時的に出すべく、俺とクラス担当とが一緒に板を持ち上げ、移動を開始したとき、不運なクラス担当はそのペンキの缶に脚をとられた。
転ばないように踏ん張った彼は、看板の板に思いっきり体重をかけてしまった。その片一方を持っていた俺に、当然ながら思いっきり加重がかかる。
クラス担当の「うおぉぉっ」という声は聞こえていたけれど、何が起きたかまではわからないから、突然かかってきた妙な加重に、俺は耐え切れなかった。そのまま後ろに倒れこみそうになる。
そのままじゃ怪我をする、と判断したのか、俺の体は何も考えずにその板を投げ飛ばすようにして離していた。気が付いた時には俺は尻餅をついていた。
そこまではまあ良かったんだけれど、悪かったのは、看板用のその板から俺の支えが消えたことで、クラス担当が派手にこけたことだった。
その動きのおかげで看板用の板が飛び、資材置き場の扉の窓ガラスを割ってしまった。
そのガラスが、俺のすぐ頭上。
ガラス片が飛び散り、大きな衝撃音と共に近くにいた女子の悲鳴が響き渡った。
「そんな叫ばんでも……」
と思った俺だけれど、その叫び声はべつに大きな音に驚いたからじゃないということに気付くまで、少々時間がかかった。
「佐藤、お前、大丈夫かよ」
「ええ、まあ、お尻は痛いっすけど」
「いや、そうじゃなくて」
「?」
本当にわかっていなかったのだけれど、次の瞬間、なぜそんなことをいわれるのか理解できた。
落ちているガラス片で手など切らないように気をつけながら立ち上がった俺は、いきなり目に何かが入ってきてびっくりした。思わず何かが入った右目を閉じ、下を向いて目に手を当て、そして開いている左目に写った光景を見て、すべてを悟った。
血痕があった。それもきわめて新鮮な。
さらにいえば、そいつは増えていた。ぽたぽたと、俺の頭から落ちていたんだ。
「あー……なるほど、こりゃあ大丈夫には見えないわなあ」
本人はこういうとき意外に冷静だ。周りの方が大騒ぎしていた。
「頭は大げさに血が出るだけだから、大丈夫ですよ」
と俺がいったところで、誰も聞いちゃいない。
「保健室! 保健室!」
「タンカ! タンカ!」
「救急車! 救急車!」
「先生呼べ! 先生呼べ!」
なぜああいうとき、人は短い言葉を2回繰り返すのだろう。不思議である。
「いや、そんな大げさな……自分で保健室行くから大丈夫ですって」
「いやああああああ」
「怪我してない奴が叫ぶんじゃないよ、うるさいなあ」
たぶん雰囲気に呑まれて叫ばずにいられなかったらしい女子に思わず突っ込んだりもしたけれど、本当にこの場面、落ち着いているのが俺だけだった。
これ以上パニックになられても損するのは俺だけなので……理不尽だが……俺はその場にいる全員を見捨てて、とっとと保健室に向かうことにした。後片付けなんぞ知るか、血痕なんぞ誰かが拭いとけ。
というタイミングで現れたのが、まさに絶妙なタイミングで現れてくれたのが、我が愛する姫君だった。
血だらけでずんずん歩いてくる俺の姿を、ちょうど別の仕事が終わって手伝いに来たらしい由紀が見つけた。
最初はメガネの奥の目と口をまん丸にして、次に出そうになった悲鳴をとっさにこらえ、それから駆け寄って抱きつこうとした。
俺は目で止めた。今抱きつかれたら、由紀の制服まで血だらけになる。
後の由紀がいうには「狩の後の肉食獣みたいな目で、近付いたら殺されると思」ったんだそうだ。目に血が入った後だったから、たぶんまともに開いてない目で無理やり由紀を見ていたからだと思う。
「私もあの時は泣きそうになってましたけど、あの目を見たらそれを通り越してひきつけを起こしそうになりました」
と付け加えてくれて、聞いていた綾華さんが腹痛を起こすほど大笑いしてくれていたけれど、まあ、それは大したことじゃない。本当の事件はその後に起こった。