23
月曜日。
俺は少々呆然としていた。
何がって、お姉さま方登場。
朝、登校して、由紀と顔を合わせて、あまりのこっ恥ずかしさに二人とも黙りこくるという展開を経験して、授業を受けて、昼休み。
生れて初めて彼女を持って、これからバラ色の人生を味わうはずの俺は、なぜか由紀を迎えに行くより先に、綾華さんご紹介のお姉さま方に囲まれていた。
「あきちゃんを守りに来たよー」
「はい?」
意外すぎる第一声に思わず聞き返すと、総勢4名のお姉さま方は、周囲の同級生が興味津々で聞き耳を立てる中、それを気にもしないで笑顔を見せた。
「ほら、綾華のおかげで女にぼこられちゃったっていうじゃない?」
「哀れな下級生をわざわざ助けに来るとか、あたしたち超優しくない?」
「せっかくだからお昼くらい付き合いなさいよ、この前は携帯の番号も聞けなかったし」
「まさか断るとかそんな冷たい子じゃないよね、あきちゃん」
今まで俺が関わり合いになることもなかった派手な上級生たちに囲まれ、俺は動揺しまくった。そりゃそうでしょう。免疫なんか無いし。
「は、はあ」
俺は、皆様には失礼ながらドン引き。
でもそんな気配なんか、お姉さま方には何の障害にもならないようで。
「ほらー、行くよー」
「え、どちらに」
「中庭。さっさと弁当持ってついてくるの」
お姉さま方は極めて強引。こっちの都合なんぞ考える余地すらないらしい。
断る理屈も思い浮かばず、助けを求めるかのように視線を泳がせた俺は、視界の端に最も見てはいけないものを見てしまった気がして、思わず目を閉じた。
一呼吸置いて目を開け、その方向を見る。
視線の先に、由紀がいた。扉のすぐ近くからこちらをそっとのぞきこんでいる。
その顔、無表情。
血の気が引いたような、いつも以上に白い顔をして、メガネの奥の瞳も色を感じさせない。氷のような気配。凍てつく波動。
背筋にぞっと寒気が走る。これは間違いなくやばい。事情は分からなくても、由紀は秒速30万キロメートルの速さで俺から身を引いていくに違いない。
「ちょっと待った」
思わず俺は叫んでいた。
俺を注視していた周りが驚く。
近くにいたお姉さま方はもっと驚く。
そして由紀は。
ぱっと背を向け、走り出していた。
「待てってのに!」
俺はお姉さま方を無視して走り出した。障害物が多すぎる教室の中を強引に突破して、一気に廊下まで出ると、由紀の姿を目で追うより先に全力で走りだす。
探さないで正解だったかもしれない。ギリギリのタイミングで由紀は考えにくい方角に曲がっていた。自分のでもない、特に親しい友達がいるとも聞いていない教室の中に入っていた。
俺はそれはきっとフェイクで、俺が行き過ぎたらそそくさと出ていくつもりに違いないと瞬時に踏んだ。
だから、俺はわざと行き過ぎて、別の扉からその教室に入った。
由紀は俺が走り抜けていくのを窓から確認しようとしていたらしく、違う角度から俺が現れたことに気づくのが遅れた。
俺の方がわずかに発見が早い。その早さが勝敗を分けた。
黙ったまま由紀を捕まえようとした俺に気づいて、由紀はあわてて逃げだそうとしたけれど、いくらなんでも運動や反射の分野で、俺が帰宅部の由紀に負けるはずがない。俺は背を向けようとする由紀の右腕をつかみ、逆の手で肩を押さえた。
由紀は必死で声をこらえながら、それでも俺から逃げ出そうとする。
「逃げることないだろ、ちょっと落ち着こうよ」
できるだけ優しい声を出したつもりだ。ついでにつかんでいた腕や肩も即座に離し、どうしても低い由紀の視線の高さに、思い切り腰を落として俺の視線の高さを合わせた。
妹との長い付き合いの中で学んだことだ。視線が高いとそれだけで相手は威圧されるように感じて反発する。話を聞いてもらいたいなら、目の高さを合わせるのは必須。
「迎えに行こうと思ったら囲まれちゃったけど、大丈夫、あの人たちは大丈夫だから。な?」
息が切れそうになるのを強引に押しとどめて、俺は自分の限界に挑戦するくらいの努力で、小さくて柔らかい声を絞り出した。
実際にそう出せていたかどうかは分からない。全然知らないこのクラスでも、変な注目を浴びてしまっているけれど、それも気にしていられるような場合じゃない。
とにかく一秒でも早く由紀の心を開かせておかないと、多分また心を開いてくれるのに恐ろしく膨大な時間と労力が必要になる。そんな気がして、俺の危機感を乱打してくる。
由紀はメガネをかけた顔をうつむけたまま、しばらくじっとしていた。
一瞬でも全力疾走した後に、じっと腰を落とした姿勢になるのは、じつはかなり辛かったりする。俺がその姿勢に早くも耐えられなくなってきたあたりで、由紀は静かに顔を上げた。
俺とわずかに目が合う。
そしてすぐに下げられたけれど、それはうつむいたというより、いつもの由紀らしい、長い時間目を合わせたがらない癖が出ただけだったようだ。
「……ごめんなさい……」
「なんで謝るんだよ。由紀は悪くないよ」
思わず俺は伸びあがり、伸びあがりながらいった。
「さ、ご飯にしよう。一緒にいてくれるんでしょ?」
何事もなかったように聞こえるように、俺は気楽な感じでいう。
由紀は小さくうなずいてくれた。
……助かった。
弁当を取りに教室に戻ると、当然ながら注目の的になった。野次馬の視線はまあいいんだけれど、いや、あんまり良くないけれどまあいいとして、まだいたお姉さま方の視線が痛い。
「あれぇ、あたしたちって今完全にしかとされちゃった?」
「おかしいねえ、守ってあげようとしてわざわざ来てあげたのに」
「なんか私たち以外の女を追いかけて行っちゃったよこの子」
「ちょっと許されなくね?」
口々にいう、その視線が完全に面白がっている。
「察してくださいよ」
俺はもうどうでもよくなってきて、間違いなく苦笑以外には見えないだろう顔をしながらいった。
「彼女いないんじゃなかったっけ?」
一人がそういうから、面倒くさくなった俺は、素直になってしまうことにした。
「いませんでした、昨日までは」
「今日からはいるんだ」
「ええ、おかげさまで」
野次馬たちがどよめく。
ええい、散れ。散ってしまえ。
そんな俺の心の声が聞こえるはずもなく、野次馬たちはたちまちひそひそと噂話を始める。彼女いない歴イコール年齢だった俺が、いきなり派手なお姉さまに囲まれるわ、彼女います宣言するわだから、そりゃ噂にもなるわな。
お姉さま方は、俺があまりに素直に認めたから、からかう気にならなかったらしい。
「そりゃ残念」
「なんだー、できちゃったのかー」
「フリーだと思ったから優しくしてやったのに、裏切られちゃったわね」
「まあしゃあない、妬くな妬くな」
口々にいいながら、意外にも俺に絡むことなく教室から出て行こうとした。
「まあ」
と一人が俺を見ながらいう。
「その彼女に振られたらいつでもおいで。お姉さまがじっくり慰めてあげるから」
恐らく、綾華さんと知り合う前の俺がこんな会話の相手にされたら、舞い上がって身動き一つできなくなっていたと思う。
でも、俺も綾華さんと知り合い、色々珍しい経験をして、さらに由紀といろいろあって、短い間でもそれなりに成長なんかしちゃってたりしたのかもしれない。
「そうならないようにします。ありがとうございます」
すっとそんな言葉が出た。
お姉さま方は、そういう俺の様子に、何かを感じたらしい。
「がんばってねー」
「泣かすんじゃないぞ」
「ここまでしといて泣かしたらリンチっしょ」
「天に代わってあたしらがたたき殺すっての」
何やら恐ろしいセリフを吐きながら、それでも笑顔で去っていった。
そして俺は。
野次馬たちの質問攻めにあう前に、とっととその場を逃げ出すことにした。