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 深いワイン色のワンピースの上に白いカーディガンを羽織った姿が、コンビニの強い照明に浮かび上がっている。長い黒髪が濡れたように光っているけれど、まさか風呂上りじゃないだろうな。

 背を伸ばして、あごを引いて、両肘を抱くようにして立っているその姿は、もとが華奢だからはかなげではあっても、電話の声のように弱々しい感じはしない。

 俺が歩いている方向はちょうど死角らしく、すぐ近くに行くまで、由紀は気付かなかった。

 ちょっと大きな声を出せば届く距離になって、由紀が俺に気付いてくれた。ちょうど、声をかけようかと手を上げかけたときだったから、そのまま手を上げた。

「お待たせ」

「あ……ごめんなさい」

「いきなりごめんなさいなんだ」

 思わず笑ってしまった。

「だって、急に呼びつけたりしたから」

 由紀は視線を合わせず、急におどおどして落ち着きなく俺の胸の高さで視線をさまよわせている。頭も揺れるから、メガネのフレームが照明を反射してきらきら光っている。

 かわいらしさを出そうとしているのなら、ここで上目遣いのひとつも炸裂させるんだろうけれど、由紀の場合は本当におどおどしてしまっているらしい。

「その件はさっきの電話で解決したと思ってたけど」

 という俺と、目を合わせるどころか、後ずさろうとしている。本当にこの子は俺のことが好きなんだろうか。

「うん……じゃあ、ありがとう」

 落ち着き先を探して肩からかけたトートバッグにかかっていた両手を離し、からだの前に重ねて丁寧にお辞儀した。

「それならいいよ」

 もう、笑うしかなくなっていた俺がいうと、由紀は頭を上げながらやっと俺の顔を見た。俺はやっと由紀の顔が拝めた。

 風呂上り、ではないらしい。髪はきちんと乾いている。ほとんどの女子が羨望の眼差しを向けること間違い無しのまっすぐな髪が、風も無い夜の空気に触れてしっとりと輝いていた。

 学校ではたいてい後ろで束ねているから、下ろしているのが新鮮だった。中学生の頃には何度か見た記憶もあったけれど、高校に入ってからは見た記憶が無い。

 白い顔は、実のところ、よく見えていない。目が悪いからじゃなく、逆光だったから。由紀がコンビニを背にして立っていたから、暗い住宅街を背中にしている俺には、目がまだ明るさになれていないせいもあって、表情まではよく見えていない。その分由紀には俺の顔がよく見えただろう。

 もっとも、由紀はすぐに顔を伏せてしまっていたけれど。

「移動とかご挨拶とかで疲れてるだろ。どこか、座れるところに行かない?」

 まぶしくて目を細めながらいうと、由紀が小さくうなずいた。

「じゃあ飲み物買っていこうよ」

 俺かコンビニに入ると、由紀は一歩遅れてついて来た。ペットボトルが置いてある一画に来て選んでいる時も、俺の視界に入ってこない。冷蔵庫の扉を閉めてレジに向かおうと振り返ると、さっと違う扉を開けてペットボトルを取り出し、やっぱり俺の後ろについた。

 本当に、本当にこの子は俺のことが好きなんでしょうか。不安になってきたんですけれど。

 なんか以前より強力に警戒されてないか、という疑惑が大きくなっていく中、俺はせいぜいゆっくりと歩きながら、コンビニのすぐ後ろにある公園へ歩いていった。

 由紀の家からは歩いて3分。学校からだと歩いて10分かからない場所にある。小さな公園だけれど、滑り台と砂場と鉄棒があって、北側に一本大きな桜の木がある。そのすぐ近くにベンチが設置されている。

「寒くない? 大丈夫?」

 と、座った直後に由紀に尋ねる。ちょうど隣に座りかけていた由紀は、ふるふると首を横に振った。俺がベンチのほぼ真ん中に座ったのに、由紀は一番端にちょこんと腰掛けて、結界でも張るかのように、俺との間にトートバッグを置いている。

 泣くぞこのやろう。

「で、さ」

 と、俺はちょっと間を置いてから口を開く。視線はまっすぐ前。隣に座る由紀の姿はほとんど見えない。

 何をどう喋ればいいんだろう、と、ここに来るまでは色々と考えていた。

 でも、こうして由紀と一緒に座っていると、考えていたのが馬鹿馬鹿しく感じる自分がいた。

 告白してきておいて、前よりよそよそしくなるってどうなんだよ、という怒りにも似た感情がある一方で、でも自分が相手を好きな気持ちが相手にとって迷惑だったらどうしよう、と考えすぎたあげくそうなってしまっているのだとしたら、それって相当かわいいよな、などと考えている自分もいる。

 考えてきたセリフなんか捨てちまえ。今のこの気持ちをぶつけて、あとは由紀に任せればいいじゃんか。

「きみが俺とのこと、どうしたいかは、よくわかんないけど」

 視界の端に、由紀がピクンとからだを固くした様子が入ってくる。けど、放置。

「だって、なんか今日はやたら壁を作られている気もするし、正直、こうして今会ってるのも、実はきみにとっては重荷だったりするのかなあ、とか考えたりもするし」

 由紀が慌てたように俺を見て首を振っているのが目の端に見えたけど、まだそっちは向かない。いいたいこというのが先。

「でも、俺も、まあ、恋愛経験とかあるわけじゃないし、自分が告白した立場だったら、相手が回答して来てくれてないのにどう振舞えばいいのかとか、多分思いつかないだろうからさ」

 持っていたペットボトルを由紀とは反対側、右側に置く。

「だから気持ちは伝えとく。俺、由紀が好きだよ」

 さらり。

 こんなに簡単に出ていいもんなのかな、と思うくらいさらりと出た、好き、という言葉。

 それから、俺はやっと由紀を見た。

 由紀は、ベンチに浅く腰かけて、ピンと上半身を伸ばしている。手は脚の上にそろえてぎゅっと握られていて、斜めに向けた体から俺をまっすぐに見つめていた。

 メガネの奥の瞳が丸くなっていて、コンタクトなら間違いなく外れている。いつもはきゅっと閉じられている唇は半開きになっていて、要するに、由紀は、呆然としていた。

「……と、いっても信じられないか」

 そんなに驚かれるとは思っていなかったから、こっちまで驚いた。

 俺が付け足すようにいうと、由紀は口をパクパクさせた。

「?」

 首をかしげる。何がいいたいのかまではわからないけれど、少なくとも酸素が足りなくてパクパクしているわけじゃないことくらいはわかるから、由紀の言葉を促そうとした。

 そうしたら、由紀まで首をかしげた。

「いや、そうじゃなくて」

 思わず突っ込んでしまった。

 それで呪縛がとかれたのか、あるいは喉の奥にあった形のない障害物が取れたのか、由紀はひとつ大きく頭を振ると、自分が置いたトートバッグを邪魔とばかりに膝の上に乗せ変え、乗り出すようにしてきた。

「し、信じて、信じていいですか?」

 言葉面にすると勢いよくいっているように見えるかもしれないけれど、実際は可聴範囲スレスレの細い声で、乗り出すようにといってもひどく控えめ。

 ついでにいうと、大きく首を振ったときにメガネがずれている。それを直す気になれないくらい、由紀は俺に集中していた。

 一途な目って、こういう目のことをいうんだろうな、と俺は思った。うす暗い街灯の光しか届かないベンチの上で、由紀の瞳の底から光が湧き出しているように見えた。

 後から考えれば、緊張と集中が高まりきっていた由紀の瞳孔が最高に開いていたってことなんだろうけれど、もちろんそこまで考える余裕はこの時の俺には無い。

「信じてくれなきゃ……」

 妙に、由紀のメガネのズレが気になった。

 いいながら、多分俺はにやけていただろう。好意的に見れば優しい微笑み、悪意に取ればだらしない顔。

 右手が自然に伸びていた。

 じっと俺を見ている由紀の顔の横から、そっと手を近付けて、メガネのつるに触れる。

「……この距離が縮まんないよ」

 するっとメガネが定位置に戻る。

「俺も好きでいていい?」

 ゆっくりと手を戻しながらいう。

 由紀が、視線を俺の目から外さずに両手を上げて、離れようとする俺の右手に触れた。そのまま壊れ物を包み込むようにする。

「……」

 無言で右手を外し、メガネを取ってトートバッグの中に落とし、左手で俺の手を導いて、頬に当てた。

 再び両手が俺の手を包み、手のひらに由紀の頬の体温としっとりした肌の感覚が伝わってくる。

 頬に当てた手をいつくしむようにして、由紀がささやいた。

「……ありがとう」

 閉じた由紀の目から涙がこぼれる。

「なんか泣かせてばかりだね、おれ」

 喫茶店でのことを思い出して俺がいう。

 由紀が目を閉じたまま、ふっと笑う。

「泣いてばかりです」

 こっちの胸が音をたててしまいそうなほど、幸せそうな顔だった。

 もう、遠慮も何も無かった。

 気がついたら、俺は由紀を抱きしめていた。

 といっても、こんなに繊細な生き物をどう扱っていいかわかっていないから、恐る恐るという表現ぴったりの、肩を引き寄せて両腕で包む程度のもの。

 由紀は両手を俺の胸につけて、額を首筋に押し当てるようにしていた。

 腕の中の細い肩も、胸元に感じる息も、いつの間にか当たっている膝も、どれも俺の全身をしびれさせる凶器だった。

 右手で髪をなでる。

「……もう、変に距離取ったりしないでね。寂しいから」

 本音が自然に出た。

 胸で、由紀がうなずいた。伝わってくる息遣いで、苦笑しているのがわかった。

「でも、難しいかもしれません。晃彦くんの前に出るとどうしても緊張しちゃうから」

 ささやきが、甘く耳と心をくすぐる。

「そうなの?」

「はい」

「どうして」

「……」

 少しの沈黙の後、由紀は顔を上げた。

 至近距離で視線がぶつかる。

「どうしようもなく好きだからです」

 そういって目を閉じた由紀の顔を、いつまでも眺めるような馬鹿な真似は、さすがにしなかった。

 2秒後、俺は生まれて初めて、キスをした。

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