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「あたしね、アキちゃんのこと知ってたよ」
と、綾華さんは突然話を切り替える。
「どっかで聞いた名前だなあ、とは思ってたんだけどさ」
「まあ、この辺じゃありふれてますけどね」
と俺が答えたのは、佐藤姓だけで一クラスは作れるほど校内に佐藤が多いから。綾華さんは足を組みながら首を振る。
「そういうんじゃなく。アキちゃんってさ、掛巣さんの秘蔵っ子とかいわれてない?」
「ああ……そっち筋ですか」
「そう、そっち筋」
恐るべし、カケスさんの伝説。未だに校内に影響力を残すか。娘の誕生日が近いからって、その話で三十分は引っ張るというマイホームパパのくせに。
「ヤローどもの噂になってたの思い出したんだ。普段はどう見てもおとなしいマジメ君のくせに、喧嘩は恐ろしく強いって」
「それは大いなる誤解ですよ、勘違い。事実は結構しょぼいですよ」
「強いかどうかはどうでもいいのよ、この場合。大事なのは、二年三年のやんちゃどもが、アキちゃんに一目置いてるらしいってこと。たいしたもんじゃんか」
「一目、ねえ」
そうなんだろうか。麻雀に呼ばれたり集会らしきものに誘われたりすることはあるけれど、たいていは明らかに人数集めの網に引っかかっただけっぽいんだが。
「その噂があったから、あの子達もアキちゃんに興味ありありだったんだよ」
「そうなんですか? 綾華さんと仲良くするなって同級生女子にぼこられたって噂らしいですけど」
「それもあるけどさ」
綾華さんは悪びれずにうなずいた。
「そうそう、それってどうなの? ほんとに同級生の女子になにかされたわけ?」
聞かれたから、俺は自分が何をいわれたか、どんな目で見られているかを説明した。
綾華さんはくっきりとした二重の目で俺を見つめながら、笑み崩れる一歩手前、という顔をしている。
「へえ、大変だねえ」
「その大変さの何割かは綾華さんのおかげなわけですが」
「あたしはそんなの知んないもーん」
ぷいっと横を向いた綾華さんは、明らかに笑いをこらえている。そして顔を正面に戻して、臆面もなくいった。
「学園のアイドルと二人きりで話したりできるんだよ? その程度、安いもんじゃない?」
「自分でいいますか、それ」
思わず失笑してしまった。
「誰もいってくんないから自分でいってみた」
綾華さんも笑っている。
「確かにすごい人気ですけど。同性にあそこまで好かれるってのは、もう才能ですよね」
「やっぱりー? あたしって天才っぽいんだよねー、困っちゃうなー」
大げさに身振りをしている。もう、明らかに突っ込んでくれオーラが漂っている。
同級生なら盛大にスルーして逆ツッコミを待つところだけれど、そこまでこの先輩と距離が近付いていると自惚れるほど、俺は自信たっぷりに生きてない……
「調子の乗り方はいたって普通でつまんないっすね」
……などと考えつつ、こういうこき下ろしを口にしてしまうあたりが、俺の悪いところだろうか。
「えー」
綾華さん、一気にふくれっつらになる。
「その突っ込み、冷たくない? アキちゃんってあたしのこと嫌いなんじゃないの?」
「とんでもない」
わざとらしく肩をすくめて、俺はせいぜいわざとらしく聞こえるように続けた。
「本当に嫌いな人に冷たいツッコミするなんて無粋なことはしませんよ。愛情と敬意あればこそ、冷たい突っ込みも出来るんです。親愛の情ですよ」
「ちょーうそくせー」
綾華さんはふくれっつらのまま抗議している。その顔が、無表情でいると大人びた美貌なのに、異様にかわいい。
「アキちゃんってこの前のラーメン屋とかでも思ったけど、ごまかすの上手すぎだよね」
「ごまかしの人生歩んでますから」
「すげーむかつくんすけど」
「むかつかせてるんです、もちろん」
「うわっ、やな奴っ」
二人ともニヤニヤ笑っている。変な空間。
「ところでアキちゃん」
と、綾華さんはニヤニヤしたままいう。
「彼女とかいないの?」
「なんですかいきなり」
「聞いてるのはこっち。お姉さんの質問に答えなさい」
「いないですよ。いるように見えないでしょう」
「うん、見えない」
失礼な。
「というのもだね、君。どうだろう、さっきのお姉さま方のどれか、紹介したげようじゃないか」
「は?」
素で聞き返してしまった。
「あんなんだけどね、いい子ばっかだよ。ちょうど彼氏いないのばっかだし、かわいがってもらえるぞ」
「はあ」
思いっきり不審がっている声になってしまった。
「そう警戒するなって。何も企んでないから」
「企んでる人が正直に企んでますっていうわきゃないと思うんですが」
「いかんねえ、もっと人を信じないと。人生つまらなくなるぞ」
「その顔でいわれても説得力ないです、綾華さん」
綾華さんの顔は、どう見ても底から企みがちらちら目をのぞかせている。
「ああ、ひどいわ、あたしを少しも信頼してくれていないのね」
今度は悲劇のヒロインですか。
「綾華、ショックで立ち直れないわ。悲観したあまり、眠れないままに夜の街をさ迷い歩いたあげく、うっかり深夜のファミレスでパフェなんか食べちゃったりしそうだわ」
「ただの夜更かしでしょ、それ。つか、ニキビ出るからやめた方がいいっすよ」
「そのドライアイスのようなツッコミが快感に変わったりしたら、あたし人間やめたほうがいいかもね」
「よくそういう大げさな言葉がぽんぽんと出てきますね」
半ば本気で感心していると、綾華さんも半ば感心したような声を出した。
「あんたもどこまでもクールでドライだよね。ここまであたし相手に萎縮しない後輩って初めてだわ、まじで」
「恐れ入ります」
萎縮しないってんじゃないだろ、これは、と心の中でつぶやく。かわいげがないだけだな、あるいは好かれる気が無いか。
そりゃ好かれた方がいいに決まってるけれど、なにしろ素敵な彼氏持ちの上級生相手に、好かれようと努力してビクビクするなんて無駄もいいところだ。
どうせ俺ごときがこの人の友達やそれ以上に昇格する可能性なんかないんだから、仕事仲間でいるうちは、せいぜい地で勝負するしかない。かっこつける気も、必要以上の気を使う気もない、というのが正直なところ。
これだけの美人を相手にしようというのだから、そのくらいの気でいないと、心のバランスが取れない。
男は、美人を前にすると喋るのもつらくなってしまう生き物なのだ。女だって、いい男の前に立ったら、言葉を出すことすら難しくなるだろう?
「こりゃあの子らの手に負えるガキじゃないわ。しばらく付き合って、あたしがみっちりとお姉さまとのかかわり方ってのを調教してからじゃないと」
「調教って……仕事はマジメにやりましょうね?」
「マジメにやるよ? もうマジメってのはあたしのためにある言葉だってとこ、見せてあげるわ」
「何に対してマジメかは別として、ですか」
「いい所ついてくるねー、さすがに」
「勘弁してくださいよ、ただでさえ同級生たくさん敵に回してるのに」
「気にすんな、ここに味方がいるだろ」
「なにかしら陥れようとしている、実に頼りがいのある仲間がいますね」
「悪意にとっちゃいかんよ、君」
「よくそれで人の事を『政治家みたいでむかつく』とかいえますよね、感心しますよ」
「対抗してるだけだもーん」
なんだか、心の底から楽しんでいるように見えて、こっちまでわくわくしてくる。
気が合うってのは、こういう人との関わりの事をいうんだろうか。
ここでチャイムがなって、舌戦終了。
「あら、残念。もうちょっとバカ話したかったんだけどな」
「こっちは疲労困憊ですよ」
最後の憎まれ口を叩くと、綾華さんは鮮やかに切り返してきた。
「うそつけ、めちゃめちゃ楽しかったくせに」
図星だったから、とっさに何もいえなかった。綾華さんは、花が咲くような笑顔を見せた。
「やっぱアキちゃんといると飽きないわ」
「……オヤジギャグ、じゃないですよね、まさか」
今度は綾華さんが黙る番だった。
ラストにそんなつまらんギャグを平気でいうとは。
なかなか深い人だ。