13
「休み?」
綾華さんは、取り巻きに囲まれながら足を組んで座り、さながら女王様だった。
うさんくさそうな視線に囲まれながら、俺はなんでこんなところにいるのかという内心のボヤキを隠し、うなずいた。
「熱出しちゃったそうです」
昼休みの二年の教室の中で、綾華さんは五人の女子を従えて、サンドイッチや菓子パンを並べ、おしゃべりの最中だった。
昼休みが始まると、パンを詰め込んですぐに二年の教室に向かった。
一年にとって二年の教室に行くというだけでなかなかのプレッシャーなわけで、しかも訪ねる相手が綾華さんときているから、タイミングなんて考えていたらダメ。食べ終わって勢いで立ち上がったら、そのまま突撃。
「ふーん、病欠ならしょーがないか」
由紀のことだ。
昨日、あれからしばらくして俺たちは別れた。なにしろあそこの家は心配性だから、いつまでも一緒にはいられない。
時間をくれ、といってあるから、なにも結論は出ていないけれど、別れるときには由紀らしいおとなしい笑顔を見せていた。
で、今朝、顔を見に隣のクラスに行ったら、病欠が判明。
「んじゃ、今日は仕事無しなわけね」
「そういうことです」
「メールくれりゃそれで済むじゃんか」
ごもっとも。でもできなかったんです。
「携帯、忘れてきちゃって」
「だめじゃん」
まったくです。
たぶん、由紀からも連絡が携帯に入っているだろう。こういう日に限って忘れるってのは、どういうことなんだろう。
「でも、会計と話はしたんでしょ?」
「しました。まだまとめてませんけど」
「早くまとめなよ。各クラス担当に渡す資料、早く作らなきゃいけないんでしょ」
「そうなんですけど、メモってたの、由紀なんで」
「ああ、そうなんだ。由紀の復活待ちかあ」
「すいません、コピーしてもらっとけば良かったんですけど」
「それは仕方ないでしょ。週明けにやれば、まだ間に合うだろうし」
ここで別の声がわりこむ。
「すげー、綾華、マジで仕事してんだ」
「うそくせーとか思ってたけど」
口々に、まわりのお姉さま方が騒ぎ始めた。
「うっせーよ、あたしは仕事はマジメだっての」
綾華さんは照れるでもなく、むしろ堂々といい放った。行事の仕事なんかマジメにやってらんねー、とかいい出しそうな人だと、俺も前は思っていたけれど、今はこの人がどれだけ自分の責任に対して真面目かはわかっている。
「彼が噂の子なんでしょ?」
と、一人のお姉さまが俺を見ていうと、今度は俺に照準が。
「あー、綾華と仕事一緒になったら、一年の女からぼこられたっていう」
誰が、いつ、ぼこられたと。
「まじで? かわいそー」
「ねー、こんなにかわいいのにさー」
かわいいですと。何をどう見たらそーなるんだ。
「今度いじめられたらお姉さんたちが守ってあげるからね」
「そーそー、いつでもおいでー」
「は、はあ」
完全に遊ばれているのがわかる。わかっていても、五人の先輩に口々にいわれて、まともな神経を維持できるほど強くない。精神的にはどん引き。
「きれいな顔してんじゃんね」
「思ったー、焼けてるからワイルドっぽいけど、顔はきれいだよねー」
「これで小っちゃかったら女装とかさせてー」
「それいい、絶対かわいいよー」
「えー、ちょっとー、マジ好みなんだけどー」
「あんた彼氏いんでしょうが」
「あんなんどうでもいいから、この子連れて歩きたいよー」
「うっわ、ガチ浮気発言だよ、引くわ」
「美形は世界の宝だよ? 大切に保護しなきゃだよ? 誰も保護しないんなら自分が保護するって、むしろ偉くね?」
「その理屈、おかしいし」
勘弁してください、この空気……近所の還暦迎えたおばちゃんたちくらいにしか「かわいい」だの「美形」だのいわれたためしがないんです。妹には「頑張って強く生きていってね」とかいわれてるんです。
俺が心の底からどん引きしている様子を見て、さっきから黙って見ている綾華さんは、くすくすと笑っている。
「ねーねー、携帯教えてよー」
「さっき忘れたっていってたじゃんか、なに聞いてんだよ」
「えー、持ってなくても、自分のは覚えてるでしょ、ふつう」
「覚えてる?」
一斉に全員の目が俺の顔に集中する。
俺の早期警戒警報装置が、いち早く激震の気配を察知した。直下型地震の前兆を捉えた。
まずい。
地震のたとえが適当でないなら、これは凄まじい地雷原だ。内戦直後のカンボジアなんか目じゃないぞ。一歩でも間違えたら吹き飛ばされる。
教えちゃダメだ。この人たち全員に教えたら、俺は無意味なメールの嵐に巻き込まれ、溺れ死ぬに決まっている。
「……いやあ、買ったばっかで……番号もメアドも覚えてないんです。ごめんなさい」
うそ、とはいいきれない。買ったばかりなのは事実。ただし、機種変更なので番号もメアドも変わってないし、どちらもばっちり覚えている。
「えー」
「覚えとけよー」
ブーイングの嵐。
ここでぐずぐずしていたら、メモに走り書きした番号なんぞ渡されかねないから、俺はすぐさま撤退することにした。
「それじゃ綾華さん、俺はこれで。月曜に仕事進められそうなら、また連絡します」
ぺこりと大きく一礼して、周囲の声をぶった切って、俺はそそくさと立ち去ろうとした。
「うん、わかった」
綾華さんは鷹揚にうなずくと、ごく当たり前のように、自然に立ち上がった。俺の不自然なお辞儀とは正反対の、そこで立つことが脚本どおりとでもいうかのような、恐ろしく自然な動作。
「それからさ、各クラスに渡す書類なんだけど」
と、綾華さんは仕事の話を続けながら、歩き出そうと……いや、逃げ出そうとしていた俺に歩調を合わせ、進み始めた。それがあまりにもこちらのリズムと一致していたから、俺はむしろ綾華さんのペースに引っ張られるように歩き始めた。
「要は、クラスごとの企画をとっとと出してもらって、必要な資材があればそのリストを作りたいわけよね」
「ええ、そういうことです」
「企画の管理までやるんだっけ?」
「ええ、むしろ本来はそっちがメインですし」
「じゃあさ、期限つけてさ、遅れたらペナルティがあるって書き込んどけば?」
「それは考えました。ついでに、教務主任あたりと掛け合ってみて、もし大丈夫なら、全校一斉に帰り前にでも時間とってもらって、クラス企画のホームルームをやってもらおうかと」
「おお、すごいこと考えるね、あんた」
「生徒会長とか、生徒会担当の先生とかとも話してからですけど」
「その場には行きたいな、なんか面白そう」
綾華さんがわずかに前を歩くままに、俺たちは二年の校舎の外れまで来ていた。右手に生物室、左手に化学室、正面に物理室が並ぶ通称「理系三角地帯」。
綾華さんは勝手に化学室の扉を開けた。鍵はかかってなくて、中には誰もいなかった。
「ここ、昼休みは開放してるんだよね。試験勉強用に。誰も使ってないか、弁当部屋になっちゃってるけど」
「はあ」
なんだろう、なんでこんな部屋に来たんだろう、なんかまずい発言があったかなあ、などと考えながら、俺が生ぬるい返事をすると、がらがらと背もたれ無しの椅子を引っ張り出しながら、綾華さんが俺を見た。
「ごくろーさん。あいつらに囲まれて、怖かったんじゃない?」
そういって、にやりと笑う。
「あ」
と、俺は声を上げて、そのまま頭を下げた。
「ありがとうございました、ほんと、助かりました」
助けてくれたんだ。きっと、あまりにも俺が情けない顔をしていたから。
「うん、素直でよろしい」
綾華さんは、相変わらず規格外な姿で、でもそれがとても似合っていて、恐ろしく綺麗だった。その姿で椅子にぺたりと座り、両足の間に手を置いて座面をつかんでいる。
笑顔に曇りがなくて、陰もなくて、さっきのにやりという顔から、すごく澄んだ笑顔になっていた。
この顔か、と俺は思った。この顔で、この人は女子の心すらつかむ校内のスターになったんだ。