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相変わらず視線は合わない。
うつむいている由紀の黒髪は、沈んで行く陽の光と蛍光灯の双方に染め上げられて、しっとりと紅くつやめいている。
徹甲弾の直撃を受けた俺は、生まれて初めての直撃弾の威力の前に呆然としていた。
……何をいってるんだこの子は。
それこそありえないだろ、俺が好きとか。
なんか勘違いしちゃってるんじゃないのか? ほら、会計と仕事の話してるところ見てるうちに、催眠状態みたくなって、ちょっと付き合いが出来た同級生が素敵に見えちゃったー、とか。
いや、俺が素敵に見えること自体おかしいだろ。メガネの度が合ってないんじゃないのか?
てか、頭大丈夫か? とりあえず正気取り戻しとけ?
いやいや、実はドッキリか罰ゲームとか。由紀がそういうのに乗るかどうかは別としてだな、ふつーに考えたらそれだよな。
動揺しまくって、でも動けないでいる俺。じっとうつむいたままファイルの前で手を組んでいる由紀。
開いている廊下の窓から、野球部のバットの音やサッカー部の怒鳴り声、近くの工場の機械の音が、まとまりもなく入ってくる。
廊下に二人で突っ立っていると、試験期間直前の部活を上がってきた同級生たちが横を通り過ぎて行く。俺たちの事なんか眼にも入れちゃいなかったけれど、その話し声がすぐ近くを通り過ぎていって、やっと金縛りが解けた。
「と」
口がからからに渇いていて、上手く言葉にならない。
うめくような俺の声に、ぴくっと由紀が肩を震わせる。
まるで俺がいじめているみたいじゃないか、怯えてるようにしか見えないぞ。
「とりあえずさ、ここで話もなんだかだし、学校出ようよ」
どうにか言葉を絞り出す。
とにかく、間が欲しかったんだ。自分を取り戻す間が。
このままじゃ帰ってしまう。
いつもの別れが積み重なるだけで、一歩も前に進めない。
友達になることすら出来ずに、このまま距離を置かれて過ごすのはつらいだけ。
自分で作っている壁を壊して、気持ちを伝えなきゃ、何も変わらない。
何も始まらない。
早くしないと誰かにさらわれてしまう。
そういうことらしい、どうも。
田舎のこと。外に出たって、近くにカフェがあるわけでも、ファーストフードが軒を連ねているわけでもなく、二人でお茶でも飲みながら話ができる場所なんて限られている。
その限られた場所に向かう道すがら、できるだけゆっくり歩いている俺の横で、由紀がぼそぼそという。
聞こえるぎりぎりの小声だから、聞き逃さないように前かがみになりながら、由紀の声を耳で拾いつつ歩く。
「さらわれちゃうんだ、俺」
目的地、とっさに二人で話せる場所として思い浮かんだ場所は、学校から歩いて10分ほどのところにある、国道沿いのファミレス、のとなりにある喫茶店。
ファミレスの方はうちの生徒もよく出入りしているけれど、ファミレスが建つずっと前からそのとなりにある喫茶店は、昔ながらのたたずまいということもあって、あまり高校生は出入りしない。よく潰れないな、と思うくらい、客も多くはない。
その喫茶店が見えてきたあたりで、俺は苦笑しながらいった。笑うしかない、という感じ。
「カラスみたいにスーッと飛んできてスーッとさらっちゃうわけ?」
笑いに紛らわそうと、下手くそな冗談を飛ばしたつもりだったけれど、由紀はうつむいたまま軽くうなずいた。
「どんなカラスだよ、物好きもいいところだな」
心底そう思う。俺なんかさらってってどうするんだっての。バイト代狙いならまだ理解できるけれどさ。
由紀は俺の右隣を歩いていて、さらに右斜め前に視線を落としながら答えた。
「晃彦くん、人気ありますよ?」
「初耳だな、それ」
芸がない答えだけれど、事実初耳だったから仕方ない。
「高校入ってから、晃彦くん、変わりましたから」
「変わったか? まあ、バイトはじめて、体格は良くなったと思うけど」
「そういうんじゃないです」
なぜか、由紀の口調が怒っている。
理不尽だ。
「ずるいです、はぐらかそうとしてる」
あげく、批難される俺。
「まあ、苦情やご批判は店内で承りますんで、どうぞ」
喫茶店の扉を開け、先に由紀を通す。
扉を開けたとたんに、コーヒーの香りに包まれて、ちょっと幸せな気分になった。
俺はしょせんガキで、コーヒーの味なんかわかりゃしないけれど、家ではよくブラックコーヒーを飲んでいる口で、入れたてのコーヒーの芳香はちょっと他に代えがたいとも思っている。
これで少しは落ち着けた気がする。
「俺はブレンドで。由紀は?」
座るなり注文する。とりあえずコーヒーがあれば良くて、種類なんか選ぶ気になれなかった。
後で思えば、かなりテンパっていたんだろう。
由紀は、テーブル席の俺の向かい側に座って、おずおずとメニューに手を伸ばし、うつむき加減にじっと見つめていた。
喫茶店なんか慣れてないんだろう。
俺だって慣れちゃいないけれど、相手が自分以上に場慣れしていない雰囲気だったから、これも落ちつける要素になった。
動転しっぱなしだった俺の神経が、少しずつだけれど鎮まっていた。
「……えっと……ウィンナーコーヒー」
今時の高校生はそんなもん知らんぞ、という名前を口にされても、驚きはしなかった。
「……って、ウィンナーが乗ってたりはしないよね」
というべたなボケが出てきたのにはさすがに驚いたが。
ちなみに、濃いコーヒーにホイップを乗せたもののことで、ウィンナーはかけらも入ってません、念のため。