第14話 “俺は戻らない”
10月17日。
いよいよ文化祭前最後の3日間に突入した。本日より学園の授業は全てお休み。これからの時間は全て文化祭準備の為に割り当てられる。
そして。
「お疲れ様でした。これを持ちまして第3回青藍魔法文化祭実行員会を終了します。残り3日間、悔いの残らないよう準備に全力を注ぎましょう」
午前中の朝9時から始められた最後の文化祭実行委員会もこれで終わり。既に悔いだらけで雁字搦め状態の副会長は、その顔を若干痙攣させながらそう告げた。
多目的室が拍手で包まれる。ただ、皆「ようやく終わった」というよりも「さあ、これからだ」といった表情だ。そんな彼らに副会長の心境など到底分からないだろう。
それは隣で絶句している女子学生然り。
「……何か申し開きはあるか? メイド黙認の生徒会役員さん」
これ見よがしに嫌味成分たっぷりテイストでそう言ってやった。
……。
反応が無い。いや、口をパクパクとさせており何かしらの反応はあるのだが、さっきから一向に変化が無いのだ。
片桐が担当しているクラスの1つには元・2年C組がある。つまり鑑華がいるクラスだ。さらに言えばメイド喫茶をやるクラスでもある。片桐の包囲網を見事突破したC組には、惜しみの無い称賛を贈ってやるべきだろう。俺のクラスであるA組と違い、担当の生徒会役員を懐柔するのではなく、最後まで隠し通してみせたのだから。
「生徒会はいつでも力になります。何かお困りのことがありましたら担当の生徒会役員、もしくは内線で――」
次々と退出していく各クラス代表に、副会長は頭を下げて回っていた。
「俺らも行くか」
片桐から返事は無い。
「ったく。一生固まってろ」
☆
文化祭実行委員会が終わった後は、授業が無い以上は各自の自由時間だ。文化祭に向けて準備をする必要が無ければ丸3日休みということになる(が、これに該当する生徒はほとんどいない)。
俺たち生徒会役員は、生徒会館に集合していた。
「これからは見回りが主な業務となる」
全員が席に着いたことを確認するなり会長はそう切り出した。
「魔法を使った作業が増えてくるからね。事前に止めるのがベストだが、くれぐれも巻き込まれたりしないでくれよ?」
会長の言葉に皆が頷く。それを確認した会長はアイコンタクトを副会長へと送った。それを受けた副会長が立ち上がる。
「基本的には自分が担当したクラス周辺をメインに回ること。もちろん、他のクラスから要請があったらそっちへ向かってね。長くなりそうなら担当に投げること。皆にはこれを配ります」
手際よく役員分に配られたそれは、携帯電話だった。いや、これは……。
「PHS。いわゆるピッチですね」
手に取ったそれをまじまじと見つめる俺に対して、隣に座る片桐が端的にそう言った。
折りたたみですらないそれは、初期の頃の電話形態を地で行く形をしていた。角が丸みを帯びている直方体のフォルムにアンテナ。画面は当然カラーなどでなはく、点の集合体であるドット文字で月日と時間、曜日のみが表示されているだけである。
「……まだこんな機種残ってるんだな」
「ピッチ馬鹿にするんじゃないわよー」
俺の呟きを見事に掬い上げた副会長が口を尖らせた。
「これを備品として常備させてもらうだけでも、相当苦労したんだから」
そう続けて、副会長はピッチをひっくり返し裏面を指差す。
「それじゃ、後ろに各自の名前と登録番号が入ったシールが貼ってあるから。何かあった時はその番号にかけるように。中条君が役員になって、そこも新しく変えてるわ」
11番が会長、12番が副会長、13番が会計、14番が書記、15番が片桐、そして16番が中条と表記されていた。その後に21番が1、2年職員室、22番が3年職員
室、23番が生徒会出張所、24番が生徒会館と続いている。
どうやらいちいち電話番号を全て入力しなくても、この番号を打てば直ぐに電話が繋がるよう登録されているらしい。
「文化祭間近ですから、皆ピリピリとしていますわ。見回りの最中に余計な火種を生まぬよう注意してくださいね」
「そうよー、中条君。相手が手を出してきたからってそこら辺の『番号持ち』を叩きのめしちゃダメだからねー」
「するかっ!!」
蔵屋敷先輩の言葉へ便乗するかのようにして言う副会長に思わずつっこむ。ただ、直ぐに説得力が無いことに気付いた。それだけのことを、既に俺はしてきている。
「……よ、余計な行動は慎みます」
「よろしい」
ジト目で俺を睨んでいた副会長は深く頷いた。
「ただ、かと言って最低限のクラスだけ見回るだけなのも感心しませんよ。来年の勉強にもなりますし、適度に見回りの範囲は広げてくださいね」
「あ、ああ」
……来年。……来年、か。
来年の俺は、いったいどこにいるのだろうか。
片桐のその言葉を聞いて、ふとそんなことを思ってしまった。
☆
『寝てたの? 貴方』
第一声がそれだった。それだけでも何が言いたいかは十分に理解できた。これは、現状に対する質問じゃない。
『返事が無いわね。まだ寝てるのかしら』
「……言い訳が何も無いだけです」
『なお悪いわね』
即答だった。
『話は聞いてる。無様にも操られて無系統保持者と浅草流次期後継者を相手取って戦闘になった、ってね』
……。
『ふざけてんの? 貴方』
何も言い返せない。
『どれだけ危険な状態だったのか。はっきり理解してるのかって聞いてんのよ私は』
「……理解、……できてますよ」
絞り出すようにしないと、今の俺の口からは言葉が出てくれなかった。
「貴重な無系統保持者と、浅草一門の次期後継者。その2人を殺してしまうところだったんですから」
成してしまっていたら今頃大騒ぎだっただろう。
が。
『違うわよ。その程度の話をしているんじゃない』
師匠からは思いもよらぬ否定の言葉が返ってきた。
「え?」
『貴方が殺されてたかもしれないってこと。そこまで完璧に貴方を操ることができる能力者だったのだとしたら、貴方を自害させることも容易だったはず、とは考えないわけ?』
……。
……ああ、そうか。そういう考え方もあるのか。
正直、そこまで頭が回っていなかった。その他人事のような話を聞かされたのはつい先ほどのこと。自分が無意識の内に操られていたという事実に、まだ思考が追い付いていないようだった。
『……聖夜』
軋む身体に不快感を感じない。痛む掌に現実味を感じない。まるで他人の物語を傍観しているかのような浮遊感に包まれている。
ただただ、無性に泣きたかった。
『聖夜!!』
「っ!? あ、は、はい」
名前を呼ばれ身体が強張る。
……あれ、今の師匠の声だよな。
……、……。
何の話をしてたんだっけ?
『……聖夜』
深いため息の後、電話越しにもう一度名前を呼ばれる。
しばらく間を置いた師匠は、俺の今の有り様を全て理解しているといった声色でこう続けた。
『貴方、青藍辞めて私のところに帰ってきなさい』
☆
「おーっす聖夜」
「おぉ……。結構良い雰囲気出るもんだなぁ」
将人に出迎えられて2年A組の教室を覗いてみると、そこは既に知らない空間へと変わりつつあった。食事用のテーブルは机を合わせテーブルクロスを利用することでかなり“らしい”状態になっている。備品保管室にあった暗幕を仕切りにして、うまく調理場と客を入れるスペースも割り振れていた。
「想像以上に良い感じじゃないか。客の入るスペースもうまく確保できたみたいだな」
「ノンノン聖夜、『お客様』もしくは『ご主人様』だ。我々は奉仕の精神を忘れてはならない」
誰だお前。
「お、聖夜じゃないか」
「生徒会の方は一段落ついたのかい?」
「いんや、今は見回り中だ。このクラスは俺の担当だからな」
手を振ってきた修平ととおるにそう返す。2人は他のクラスメイト数名と教室の隅で何やら工作に勤しんでいた。黒画用紙や段ボールなどが辺りに散らばっていることから、もしかしなくても2人の間にあるあれがプラネタリウムの原型なのかもしれない。
「何だ、そうか。この後、買い出し班がこの間のショッピングモールに行く予定だったんだが……。聖夜はやめとくか?」
「悪いな」
本当は手伝ってやりたいところだったが、そうも言ってはいられない。
「何だかんだで忙しそうだもんな、生徒会」
「そんなところだ」
したり顔で納得している将人に同意しておく。
「ただ……、どこか行くなら、もう少し後にした方がいいと思うよ」
「ああ、そうだな」
「ん?」
とおると修平の助言に思わず首が傾いた。
「どういうことだ?」
「ふふふ。それはな、聖夜……」
隣でそれを聞いていた将人が不敵に笑う。
「今、我がクラスの選ばれし女子たちが着替えに行っているのだよ!! 更衣室ヘ!!」
……。
大仰に手を広げて告げられたその言葉で、何が言いたいのかよく理解できた。
ようはメイド服の試着でもしているのだろう。もう学園へと正式に通知している以上、隠す必要性はどこにも無いのだ。
「お前も気になるだろ? 二大プリンセスのメイド服姿とかさ!!」
「……うぜぇ」
肘でつんつんしてくる将人を払い除ける。
ひとまず。
現状、特にトラブルに見舞われているということはなさそうだ。それだけ確認できれば、今の俺としては十分なわけである。
「じゃ、行くわ」
「おいおい、聖夜」
教室を出ようとしたところで修平に呼び止められた。
「本当に行っちまうのか? 御嬢さん2人はお前に見せるの、結構楽しみにしてたぞ?」
「言ったろ? 忙しいんだよ生徒会役員ってのは。合間見つけてまた来るから、用事があったら直ぐ言ってくれ。じゃあな」
「お、おう」
隣にいた将人の肩を小突いて廊下へと出る。
後ろ手に扉を閉めてため息を吐いた。
半分は本当で半分は嘘。
文化祭準備による自由登校となっているこの3日間に、ホームルームなどのカリキュラムは無い。時間配分は、全てそれぞれの生徒が主体となり自発的に決められるのだ。
よって。
早朝の文化祭実行委員会から始まり生徒会館での会議を経由してここまで来た俺は、まだあの2人には会っていなかった。そして、そのままでいいと思っている。
包帯で巻かれている右手は、ポケットに入れて隠していた。身体中に巻かれているそれは、学ランによって外からは見えない。だから、俺が怪我を負っていることは生徒会のメンバーを除いて誰にも気付かれていない。
でも、表情だけは隠せない。
付き合いの浅い奴らなら誤魔化せる。それは今のやり取りの中で証明できた。師匠に指摘された通り、感情が未だにうまくコントロールできていない俺でも、その程度はこなせるらしい。
ただ。
舞だけは、誤魔化せる気がしない。
可憐がどう出てくるかは分からないが、舞だけは何度想像してみても誤魔化せるイメージができなかった。
☆
「……え?」
反射的に聞き返していた。
師匠が喋っているのは日本語で。
俺の耳はそれを正常に聞き取れていて。
それでも。
言っている意味が理解できなかった。
「……、今、……何て?」
『聞こえなかったはずないでしょう。青藍辞めて私のところへ帰ってきなさいって言ったの』
聞き直す俺を咎めるような口調。そこで、師匠が本気でそれを口にしているのだと悟った。
「ど、どうしてまた急に……」
『どうしてまた急に』
俺の言葉をオウム返しにする師匠。
『貴方こそどうしたっての。貴方が青藍に編入した目的は何。美麗の愛娘たちを護衛する為だったはずでしょう。その後のフリーを貴方は文字通りフリーに過ごしてたってだけ』
……。
「……それは、……そうですけど」
師匠の言っていることは間違っていない。俺は既に魔法使いの証を取得しているし、わざわざ日本の魔法教育機関で卒業の資格を取る必要も無い。
『「黄金色の旋律」に緊急招集をかけたわ。貴方が私の下へと戻ってくるまでの間、貴方の守護を命じてある。あの子たちが到着するまで貴方は待機。青藍を抜けた後は――』
「ちょっ、ちょっと待ってくださいっ」
こちらの反応を待たずポンポンと話を進めていく師匠に待ったをかける。
「あいつらを緊急招集? 俺の守護? いったいどういうことなんですか!?」
『どうも何も』
呆れた口調を隠そうともせずに師匠は続けた。
『敵が貴方を狙っているのは十中八九間違いない。メリッサから報告は受けてるわ』
おそらく、ワインレッドの制服を身に纏った黒髪の侵入者の話だろう。
『姫百合家から要請を受けていた仕事は既に終わってる。青藍に貴方を残しておくメリット、と言うより意味そのものが無い。何か問題でも?』
「っ」
言葉に詰まる。
『送り出した時の貴方のままなら、こんなことにはならなかった』
俺を余所に、師匠は続ける。
『随分と平和ボケしているようね、聖夜。確かに、貴方はまだ魔法使い見習いの域を出ていない。魔法使いの証を取得したのだって送り出すほんの少し前だし、姫百合家からの護衛任務がプロになった貴方の初仕事だったのも間違いない。……けどね』
師匠は、続ける。
『貴方には取得前から私の荒事に付き合わせていたはずよ。実戦経験はそれなりに積んでいるはずなの。それなのに、こうも簡単に後れを取るとはね』
息を吸って、吐いて。
師匠は、続ける。
『貴方には落胆させられたわ、聖夜。今の貴方程度では、まだ独り立ちなんてできやしない。姫百合家の依頼をこなせただけ、まだマシだったという評価』
「――――っ!?」
さんざんな言われように、頭が沸騰しそうになった。
だが。
言われている内容は、どれも事実。
『理解した? したのなら――』
「待って、……ください」
俺のその言葉に、早々に話を切り上げようとしていた師匠の口が止まる。
「俺はまだ、……帰れません」
『はぁ?』
返ってきたのは呆気に取られているような声だった。
「……俺にはまだ、やることが残っています」
『ふざけんてんの? 貴方』
「ふざけてません。俺はまだ、貴方のところへは戻らない」
『やっぱりふざけてるわね。まだ操作魔法下にあるのかしら』
「奴らは文化祭の時にまた来ると言いました。俺にはそれを止める義務がある」
『そんなものはない』
……。
一蹴だった。
『相手が勝手に売ってきた喧嘩でしょうが。貴方まさか「自分がいなくなるせいで青藍が滅茶苦茶にされたら……」とか思ってないでしょうね』
……、……。
沈黙を答えと受け取ったのだろう。電話越しに露骨なため息が聞こえてくる。
「……悪いですか」
正確には舞や可憐、咲夜たちの心配をしているだけで、青藍全体まで気に掛けているわけではない。……そりゃあ、あれだけ真剣に準備しているところを見せられちゃあちょっとは思うところはある。ただ、それとこれとは話が別だ。
『平和ボケと同時に随分と安い正義感を手に入れたようね』
「……何とでもどうぞ。俺は残る」
『そのおママごとのようなチンケな精神は、プロの世界では不要よ』
……。
「それがプロになるということなら、俺は一生見習いのままでいい」
その言葉は、自然と口から漏れ出た。
安い友情ごっこで敵を一掃できるのはな、フィクションの世界だけなんだよ。お前を狙った奴らが息巻く世界で、そんなものは無用の産物でしかない。
かつて。
俺が可憐に向けて放った言葉。
本心だった。
何を甘っちょろいことをほざいているのかと、本気で思っていた。
それでも。
『……なんですって?』
電話越しに聞こえてくる声のトーンが、一段階下がった。気分を害した証拠だ。
が、口にした言葉に嘘偽りは無いし、後悔もしていない。
あいつらと絡んでから、本当に平和ボケしたのかもしれない。
それでも良いと、本気で思った。
これより大切なものなど無いのだと、本気で思えた。
だから、言う。
「狙いが貴方の言う通りに俺なら返り討ちにする。狙いが花園と姫百合なら叩き潰す。これが片付くまで、俺は戻らない」
☆
いくら気分が乗らないとはいえ仕事は仕事である。
と、いうわけで。俺はもう1つの担当クラスである1年A組へとやってきた。
「中条せんぱいっ! 来てくださったんですねっ!」
「よう」
俺を見付けるなり駆け寄ってきた咲夜に片手を挙げて応える。
「中条先輩、お疲れ様です」
「来て頂いてありがとうございます」
咲夜に続き、ちらほらと声を掛けてくれるのもいた。全てが歓迎の視線というわけではないのだろうが、少なくとも全体的に見れば好意的に受け止められているようだ。
少し安心した。
今回の文化祭での担当であることに加えて選抜試験で見学に来ていた奴もいたようだし、呪文詠唱ができないという『欠点』しか知らなかったであろう当初よりも、見方が変わってきているのかもしれない。
「何か困ったことは?」
教室を見渡しながら問う。
「今のところは特に無いです」
縁日に必要な細々とした道具から、ベニヤ板を用いたハリボテ屋台など、徐々に形になってきているようだ。
咲夜からの返答に頷いた。
「そっか。なら良かった。定期的に顔は出すようにする。何か入用な時は遠慮無く言ってくれ」
「はいっ。よろしくお願いしますねっ」
咲夜の飛び切りの笑顔とその他からの挨拶に見送られ、教室を後にする。扉を閉めた瞬間、中のざわめきが一段と増した気がした。
「姫百合さん、誘うんじゃなかったの?」
「何で言わなかったの?」
「どしてどしてー?」
「ふえ!? な、なんでそれを知って!?」
「だってあんなあからさまにソワソワしてたらねー」
「ねー」
「あぅあぅあぅ」
「くっそぉやっぱり俺たちには高嶺の花なのかー!?」
「いや、諦めなければまだ道はっ!!」
「持ってかれてたまるか!! 俺たちだって!!」
「中条先輩って格好良いよねー」
「姫百合さんと仲が良いってホントなんだー」
「はいはいはいー!! ここにも格好良い男子がいますよー!!」
「姫百合さんがいかないなら、私が誘ってみようかなぁ」
「きゃっ、ダイタン!!」
「その為にはまず紹介してもらわないとねぇ」
……。
普通に話してて、咲夜にはバレそうになくて良かったなぁなんて感想はとりあえず脇に置くとして。俺は聞かなかったことにしてさっさとその場を離れることにした。
☆
『一端の口、聞くようになったじゃない。自分の身すら自分で守れない見習い風情が』
……。
そう言われることは分かり切っていた。正直、自分でもよくこんなことが言えるなと思う。
ただ、どうしてもここは退けなかった。
『……本気ってわけ』
短くない沈黙を破ったのは師匠の方だった。
「はい」
『自分がどれだけ身の程知らずな発言してるか理解できてる?』
「もちろん」
『それが分かっていながら、撤回する気は無いと?』
「そうです」
即答する。
再び沈黙が訪れた。
そして。
『まりも』
それは俺に対してではない。その証拠に、電話越し、その更に遠くから「はぁい」と呑気な声が聞こえてくる。
『さっきのアレ、取り消しといて』
その言葉と同時に、電話越しに何かが崩れ落ちる音。「はぁー!? 何おっしゃってるんです師匠ー!? 緊急招集って意味分かってますかー!? もうとっくに動き出しちゃってますけどみんなー!!」という声色の割にまったく焦ってなさそうな緩い怒声が響き渡った。
『その通りよ。分かったらさっさと手配なさい。と、いうわけで聖夜』
「……はい」
師匠は遠くから聞こえる怒声を騒音と割り切ったのか、何の前触れも無しに会話相手を俺へと戻す。
『好きになさい』
俺の意志に対するあっさりとした回答だった。
「あ、ありがとうございま――」
『その代わり』
俺の言葉を遮るようにして、師匠は言う。
『「黄金色の旋律」からは誰一人として投入しない。こちらも、貴方のくだらない感傷に付き合ってやれるほど暇じゃない』
「……はい」
辛辣な言葉をこの身に浴びながら、ぼんやりと今の師匠の声が過去の自分の声と重なっていた。
安い友情ごっこで敵を一掃できるのはな、フィクションの世界だけなんだよ。お前を狙った奴らが息巻く世界で、そんなものは無用の産物でしかない。
編入して僅か数日で発生した可憐の誘拐騒動。犯人の隠れ家へと同行しようとした可憐に、俺が向けた言葉。
そうなのかもしれない。いや、実際にそうなのだ。命を懸けるということは、そういうこと。アニメや漫画のように、ヒーローへ素敵な奇跡が起こってどんな逆境をも乗り越えみんなでハッピーエンドを迎える。そんな風に、世界は優しくできてはいない。
それでも。
そうした考え方しかできないこと。
それがなぜか、今はとても悲しいことに思えた。
『……聖夜?』
「あ、はい。大丈夫です。聞こえてます」
押し黙った俺に疑問を感じたのか、師匠から名前を呼ばれる。それで我に返った。
「ありがとうございます。それで結構です。後は俺がやりますんで」
『ええ』
……。
また沈黙が生まれた。ただ、先ほどまでと違い、もう話すことなど何も無い。
「……それじゃあ、切りま――」
『ちょっと待ちなさい』
携帯電話のボタンに指を掛けたところで、師匠から呼び止められた。
再び、沈黙。
『……現段階で、私が掴んでいる情報だけ教えておくわ』
「え」
その申し出は予想外だった。
『勘違いだけはしないように。私は貴方を見捨てようとしているわけじゃない。だから現状で知り得ている情報は教えてあげる。ただ、それが「黄金色の旋律」からのフォローだとは思わないこと』
「わ、分かりました」
『貴方が無様にもやられまくってくれたおかげで、青藍に侵入した2人の人間は容易に特定できた。夜の森で戦闘になった男は一獲千金、貴方を操った女は合縁奇縁。どちらも偽名を使って日本の魔法学園に潜入している』
呆気に取られているこちらを余所に、いきなり確信が来た。
「……偽名を使って潜入?」
『一獲千金は名を山田太郎と名乗り紅赤魔法学園へ、合縁奇縁は秋山千紗と名乗り黄黄魔法学園へそれぞれ潜入しているわ。その目的までは知らないけどね』
「……山田や秋山が偽名で一獲千金とか合縁奇縁とかが本名なんですか?」
俺の記憶が確かなら……という言葉を使うまでもなく、それは日本の四字熟語というやつだろう。
『まさか。それが本名なら笑い飛ばしてやるわ。どっちも偽名ってことよ』
ですよね。ていうか四字熟語を偽名に使うってどうよ。中々にぶっ飛んでいる連中だな。……青藍に乗り込んで魔法ぶっ放してる時点で既にぶっ飛んでるか。
そういえば、男の方は俺を見るなり「一獲千金だ」とか吠えてたな。あれ、名乗ってたのか。
『話、戻すわよ』
「はい」
電話越しに無意味に頷く。
『面倒臭いのは、今言った両名が共に「番号持ち」だってこと』
「……確かに、実力は相当なものでしたね」
合縁奇縁とかいう女の方は分からないが、一獲千金とやらは中々の実力者だった。無詠唱、詠唱破棄の魔法攻撃と身体強化魔法。どれも洗練されており、どう考えてみても授業で習った範疇を越えている。明らかに実戦で培われた実力だった。
『いえ、私が面倒臭いと言ってるのはそっちじゃない』
ただ、師匠の言うそれは俺の考えているそれとは別物だったらしい。
「そっちじゃないと言いますと?」
『相手が「番号持ち」だってことよ』
「……何か違うんですか?」
『もちろん。「番号持ち」っていうのはね、言うなればその学園の顔なわけ。それが他校の学園で悪さをし、挙句玉砕したとでも言ってごらんなさい。学園の面子そのものが潰れることになる。ただでさえ危ういとされているそちらの国の内部バランスが崩壊してしまうわよ』
その言葉で、会長が言っていた内容を思い出した。
3つの学園はお互いを過剰に意識し合い凌ぎを削ってきたのさ、と。
「……それは、……中々に面倒臭そうですね」
日本魔法協議会常任理事のご子息ご令嬢を気に掛けねばと思っていた矢先にこれである。今回の相手は実力でもその他の意味でも、この上なく厄介なものであるようだ。
「向こうが勝手に襲ってきてるんですし、正当防衛になるとは思うんですけどね」
『それは疑ってないわ。問題はその先ってことよ』
そうか。そうだな。
『……面倒臭いならやめて戻ってらっしゃい。今ならまだ間に合うわよ』
「すみませんが、ここで降りるつもりはないです」
『……そう』
端的な返しの割に、様々な感情が入り混じったかのような声色だった。
『聖夜』
「はい」
『1つだけ約束してちょうだい』
約束。
俺の無系統魔法を明るみに出さないということ。
なぜかは知らない。
師匠に命を救われて。
屋敷に連れていかれて、魔法を鍛えてもらって、それは発現した。
そして。
その使い道を提示してくれたその日に、その約束は生まれた。
その魔法は、絶対に知られてはいけないと。
むやみやたらに、使用してはいけないと。
理由だけはいくら質問しても答えはもらえなかった。
それでも。
その理由は知らされぬまま、約束は今の今まで守られている。
「分かってますよ」
そう答える。
今回の相手は一筋縄ではいかないだろう。だからこそ、使えない。相手が実力者であればあるほど、使ってはならない。見破られる危険度が増してしまうから。
「使うなら、こっそりと。バレるようなヘマはしません」
『ううん、そっちじゃない』
「……え?」
分かってるならいい、と。そう返ってくるものだと思っていた。しかし、師匠から返ってきた言葉は違っていた。
『無茶だけは、しないで』
それだけ。
それだけで、通話は一方的に切断された。