第9話 足手纏い
感想、励みになっています。
誤字報告も助かっています。
ありがとうございます。
Q.奇跡ってのは起きるモンじゃねぇ。起こすモンだ。そうだろう?
☆
垂れてきた鼻血を拭う。
どろりとした感触が手の甲に伝わり、不快感を覚えた。
やはり、それなりの距離は転移したようだ。
魔力をかなり消費しているし、倦怠感も凄い。
周囲を見渡す。
俺が立っているところから一定の範囲内は、俺の魔力によって吹き飛んだらしい。半球体状に地面が抉れているため視界があまり良くないが、見渡す限りでは森の中へと転移したようだ。いったい、栞はこんなところで何をやっていたんだか。
こちらへ近付いてくる気配を感じ取り、そちらへと視線を向ける。
抉り取られた地面の先。俺を見下ろすような位置へ、黒髪の少年が姿を現した。俺の姿を確認し、驚きのあまり目を見開いて絶句している。震える指先で俺を差し、パクパクと口を開閉させたかと思えば、ようやく声を上げた。
「……白髪、……目つきの悪いその顔。……な、中条、……聖夜か?」
「その者は『ユグドラシル』です!!」
少年の問いに答える前に、栞から情報が飛んできた。
なるほど。
『ユグドラシル』か。
そうか。
……、そうか。
「き、聞いてないっ!!」
少年が叫ぶ。
「何なんだよ、この魔力はっ! 学べっこないじゃないか!! こんな情報聞いてないぞ!! こんなの、俺たちがいくら集まったところで――」
言葉は、そこで止まった。
轟音。
明らかな殺傷能力を持ちながらも、視認することのできない砲撃が少年の横を掠めたからだ。
「……外したか。持て余した魔力に翻弄されている結果だな」
自らの手のひらを見つめながら自嘲する。
立ち込める砂ぼこりを払い、視界を確保した。俺が放った『不可視の砲撃』は、狙ったかのように少年の横を素通りしたらしい。軌道上の地面は綺麗に抉れ、生い茂っていた木々は道を譲るかのようにその直線上には何も残っていなかった。
威力は魔法世界で撃った時とほぼ変わらず……、かよ。
やっぱりすげぇな、魔力暴走は。
その結果に応じたリスクが怖すぎるという欠点を除けばだが。
「T・メイカー様っ」
その声に振り向けば、栞を自らの防護結界へと保護していた小柄な少女が叫ぶ。
「お任せしてしまい申し訳ございません。可能なら、生け捕りを。重要参考人です」
なるほど。『ユグドラシル』の構成員に出逢えば確実に殺そうと覚悟を決めていたが、実力差があるなら生け捕りの方が今後何かの役に立つか。
「……舐めるなよ」
怨念すら籠った声色で少年が呟く。
一際大きく息を吸い込んだ少年は、声を大にして叫んだ。
「そう簡単にやられて――」
もっとも、俺にその口上を聞き終えるまで待ってやる義務はない。
喚く少年の顔を掴む。強化魔法による移動ではなく、『神の書き換え作業術』で真正面に転移したためか、少年はまったく反応できていなかった。発現の兆候すら察知できないようなら、その実力もお察しといったところだ。
少年の顔を掴んだまま、思いっ切り地面に叩き付ける。
派手な音と共に地面が隆起した。しかし、少年は死んでいない。加減をしたのもあるが、しっかりと身体強化魔法で防御を図っているのは確認していた。そうでなければ、今頃少年の頭は潰れたトマトのようになっていただろう。
「が……、あっ」
「おい、痛そうに呻いていないでさっさと次の回避行動を取れよ。そのまま死ぬぞ」
そう告げて『不可視の弾丸』を打ち込んだ。少年の顔面を標的として、掴んだままの手のひらから打ち込んだ。
1発。
2発。
3発。
その度に地面は隆起し、段々と少年の頭部が地面へとめり込んでいく。じたばたとあがくように蠢いていた少年の手足の動きが鈍くなる。5発目を打ち込んだところで、ぱたりと動かなくなった。
手をどける。
顔面をどす黒い血で汚した少年が、辛うじて呼吸をしているのを確認した。鼻は潰れて骨格もぐしゃぐしゃ。目も開けないのだろう。何やら呻くような声が聞こえるが、もはや言葉にはなっていなかった。
「……その程度の実力で、良く人様の命を狙いに来たな。無駄死にするとは思わなかったのか?」
しかも、よりによって『黄金色の旋律』に喧嘩を売るとは。馬鹿なんじゃないのか。俺相手に手も足も出ないようでは話にならない。師匠とエンカウントしていたら、小指でちょんで死にそうだ。
「お兄様!」
結界が解かれたのか、栞が駆け寄って来る。
「あまり近寄らない方が良いぞ。辛いだろう」
現在も、俺の身体からは莫大な魔力が垂れ流されている状態だ。呼吸することすら辛そうな表情を浮かべる栞を見れば分かる。ある程度の距離まで来たところで足を止めたものの、栞は気丈にも首を横に振った。その栞の横へ、栞をこれまで護衛してくれていたであろう小柄な少女が並ぶ。そして、そのまま俺へと跪いた。
「良く栞を守ってくれた。礼を言おう」
「勿体無きお言葉。貴方様へも絶対なる忠誠を」
「お、おう」
急になんだこいつ。
あれ、どこかで見たことが……。
あー。『白銀色の戦乙女』だ。
だから仮面を付けていなくても俺のことを『T・メイカー』だと分かったのか。確かに、『白銀色の戦乙女』なら納得だ。なにせ、あの魔法世界での一件で全員に素顔は晒してしまっているからな。
名前何だっけ。
「お兄様、その魔力はいったい……。大丈夫なのですか?」
「いや、大丈夫じゃない。そろそろタイムリミットだと思う」
「え?」
ちょうど、そのタイミングだった。
抑えようにも抑えきれずに溢れ出ていた俺の魔力が、突然消える。
そう。
本当に突然消えた。
そのまま膝から崩れ落ちる。分かっていたことだとはいえ、どうにも締まらないものだ。内心でそう苦笑しながらも、魔力と共に力も抜けてしまった身体はどうにもならない。
ただ、顔面から地面にダイブは避けられた。
声にならない悲鳴を上げた栞が受け止めてくれたからだ。膨大な魔力の消失と共に崩れ落ちた俺の元へと駆け寄った栞が、俺のことを胸元に抱きしめるようにして受け止めてくれる。女の子特有の甘い香りと一緒に、俺の顔は栞の柔らかな感触によって包み込まれた。
ん。
僅かながら成長しているな。
どこが、とは具体的には言わないが。
「T・メイカー様っ」
跪いていたはずの小柄な少女までやってきた。
そちらへ視線を向ける。
「来て早々ですまないが、俺はもう使えないものとして考えてくれ。今はどういう状況なんだ?」
肩で息をしながら尋ねた。
しかも、自分より年下の女の子の胸元に顔を埋めながらだ。
これほど頼りない援軍も無いだろう。
というより、もうこの俺に戦う力は残されていない。
援軍ではなく、ただ足手纏いが1人増えただけだった。
クソ格好悪い。
何をしに来たのか、という話だ。
「敵は4人。1人はT・メイカー様が倒してくれたから、後は3人。シルベスターとケネシーが頑張ってくれています」
そうか。
敵があの少年と同じ場所にまとまってくれていたら良かったのに。
変にバラけていたせいで一緒に始末できなかった。
やはり楽観視していたようだ。
ウリウムが怒るのも無理はない。
ただ、今回の俺の決断が間違っていたとは思わない。
ここまでの移動手段として発現した『神の上書き作業術』に吸い取られた魔力量を考えれば、ほぼ間違いなく通常状態の俺では発現を失敗して無駄に魔力を消費するだけだった。その時点でもう『魔力暴走』を使わないという選択肢は無い。
この『魔力暴走』によって、魔力生成器官を刺激して魔力を暴走させる。それで『神の上書き作業術』で跳べる距離を増やす。手段としては間違っていなかっただろう。問題なのは、第二段階である『暴走掌握』を使いこなせる領域までは至れなかったということだ。暴走させることは可能だが掌握することは不可能。つまりは、一方通行の技術ということになる。
これが何を意味するか。
すなわち、暴走状態から通常状態へ自分の意思で戻すことができないのである。
そんな俺が通常状態へと戻る方法はただ1つ。
自然治癒である。
耐えず膨大な魔力を放出し続けていれば、そのうち身体が危険信号を鳴らす。当然だ。無限に魔力を放出し続けようとしていればいつかは死んでしまう。だから、俺の意思に関係無く、身体は魔力生成器官にこれ以上魔力を溢れさせないよう蓋をしようとする。
それまで待つしかない。
どのくらい魔力を吐き出してから蓋がされるかは、その時々によって違う。
おそらくコンディションなどによって左右されるのだろうが、そのタイミングが掴めるはずもない。というか、その辺りがコントロールできるようになっていたら、それは第二段階である『暴走掌握』まではあと一歩と言ったところになるだろう。
それが俺の現状なのだ。
実に格好悪い。
ただ、良かったこともある。
周囲に俺の知っている魔力の持ち主がいるな、とは思っていたが、シルベスターとケネシーだったか。道理で、俺がこちらへ転移してから間も無くして放出される魔力量が跳ね上がったわけだ。敵には同情するとしよう。肉片すらも残らないかもな。
「それなら、ここで吉報を待つことにしよう。すまないが、ここで俺たちの護衛を頼む」
「承知しました」
俺の言葉に、小柄な少女がぺこりと頭を下げた。
★
木々の間を縫うように駆け回り、剣戟で火花を散らし、時に魔法球を打ち込み、時に障壁を両断し、敵の命を断ち切らんと互いが殺気を向ける。3対2という数において劣勢な状況下においても、シルベスターとケネシーは巧みに互いをフォローし合い、敵の手を栞やルリへと向けさせないように立ち回っていた。
ただ1人。
2人の連携から抜け出し、栞へと迫った切磋琢磨を除いて。
しかし、これは『ユグドラシル』が数の優位で押し切ったからでも、彼の技量が2人の連携を上回ったからでもない。自らの能力を抑えて戦闘に臨んでいたシルベスターとケネシーの現状の実力では、4対2という劣勢のまま戦闘を進めていくと、いずれは押し負けると判断したからだ。
つまり、敢えて敵の戦力を分散させることで戦力の均衡化を図ったのである。シルベスターとケネシーの防衛網を突破したところで、護衛対象者である栞の傍にはルリがいる。現在戦闘となっている敵の技量ならば、誰が抜けたところで1対1ならルリが負けるはずもない。敵との僅かな接触で、シルベスターとケネシーは特に会話を交わすことも無くそう結論付けた。
今回の護衛対象がリナリー・エヴァンス、もしくはT・メイカーであったとしたら、シルベスターもケネシーもこのような手段は取らなかっただろう。万が一にでもリナリーやT・メイカーに危険が及ぶ可能性があるならば、その手段が採用されることはない。能力の制限下においても、シルベスターとケネシーは意地でも戦線を維持しようと努めるに違いない。最悪、抑えていた能力を全て解放してでも防衛網を死守しようとしただろう。
残念ながら『白銀色の戦乙女』において、『黄金色の旋律』の構成員は皆が皆平等に扱うというわけではない。そもそも『白銀色の戦乙女』というグループの目的は、リナリーの手となり足となることである。この忠誠心はリナリー個人に向けられているのであって、彼女が指揮を執る『黄金色の旋律』に向けられているわけではない。もっとも、例外となった人物が1人だけいるわけだが。
だからこそ、こういった手段も躊躇いなく取ることができる。
シルベスターとケネシー、そしてルリは、栞を見捨てても構わないと考えているわけではない。ただ、リナリーから下された命令に忠実であろうと考えているだけだ。リナリーからは「栞の護衛をしろ」と言われた。続けて「目立つような真似は極力控えろ」とも言われた。
だから、広範囲に被害が及ぶ殲滅型の魔法は控えている。
だから、オンリーワンのスキルである幻血属性の使用も控えている。
だから、身体能力向上の魔法が付与されたいつもの鎧も着ていない。
多少の危険を孕んでいたとしても、リナリーから下された命令を忠実に実行できるのなら、その選択肢が正しいことになる。護衛対象に多少の怪我があろうとも、死にさえしなければ護衛任務は達成される。なぜなら、傷1つ付けずに護衛しろとまでは言われていないのだから。目立つ行動を避けつつ護衛した結果なのだから。
むしろ、この一件で護衛対象である栞が手傷を負うのなら、その責任は対象者の近くで迎撃要因として控えているルリに責任がある。わざと防衛網を突破させたシルベスターとケネシーに非はない。それがもっともリナリーの命令に従った上での行動だと判断されるからだ。
仮に護衛対象がリナリーやT・メイカーだったとして、それでこの手法を取っていたら立場は逆転することになるのだが。その場合、全てが終わった後にルリがシルベスターとケネシーの首を刎ねるだろう。
栞は、こうした扱いを受けていることを理解していた。自らの優先順位はリナリーの遥か下であり、リナリーの命令を受けているからこそ白銀色が動いているのだということを。そして、その事実にシルベスターとケネシーも気付いていた。フォローの言葉を口にすることは無かったが。むしろ、頭の回る娘だと感心したくらいだ。
こうして、均衡化に成功した戦場において、淡々と敵の攻撃を捌いていた2人であったが、戦況の変化は突如として現れた。変化が生じたのはここではない。
護衛対象とルリがいる場所だ。
「こ、この魔力は……」
怖気すら走る膨大過ぎる魔力に、ケネシーが声を震わせる。しかし実際のところ、ケネシーの声が震えたのは恐怖からではない。そしてそれは、その声を近くで聞いていたシルベスターも同様だった。
「予定変更だ、ケネシー」
手にしていたロングソードを一振りし、シルベスターはケネシーへ言う。
「私の責任のもと、制限の解除を許可する。こちらへ向かってくる愚物の排除へ移れ」
シルベスターからの命令に、ケネシーは端正な眉を吊り上げた。
「必要なことだと理解はしているけれど、こちらはいいの?」
「問題無い。……それともこちらが良ければ変わるか?」
その言葉に、ケネシーはこれがシルベスターからの気遣いであることを理解した。首を振ってから愛刀であるレイピアを鞘へと納める。
「では、任せたわ」
「あの御方は余計な犠牲を嫌う。払う程度にしておけよ」
「ええ。優しく墜落させる程度に留めておくわ」
ケネシーは素敵な笑顔を振りまいてから姿を消した。
シルベスターが前へと向き直る。
「待っているとは、随分と殊勝な心掛けだな」
「はん。不意打ちで女を嬲り殺したところで何が面白いんだよ」
上半身裸の、筋骨隆々の男が歯を剝き出しにして笑う。他2人の姿はシルベスターからは見えないが、気配の察知はできている。目の前の男のサポートに回るようだ、とシルベスターはあたりを付けた。
ため息を1つ。
ロングソードを自らの正面へと掲げるように持つ。
「この俺の拳でヒビ1つ入らねぇとはよ。自信失くすぜ。何の素材でできてんだ、その剣」
「ロングソード相手に拳で応戦している時点でおかしいのはお前だ」という正論を述べることなく、シルベスターは淡々と答えを口にした。
「魔力だ」
「は?」
筋骨隆々の男は、思わず首を傾げる。
しかし、シルベスターは構わない。
事実を、ありのままを話す。
「私のロングソード、その刀身に至るまで全てが魔法具だと私が口にしたか? 魔法具の本体は、魔力を刀身の形に出力するための柄と、その魔力をチャージするための鞘のみ。この刀身は私の魔力によって形作られているものだ。そして、刀身が魔力である理由は……、直ぐに分かる」
木々のざわめきすらも消え去ったかのような錯覚を覚えた。
完全なる静寂。
そうこれはあくまで錯覚だ。
シルベスターの刀身から放たれる禍々しい魔力に釘付けとなってしまった哀れな男の。
「星々の煌きのもとで朽ちて死ね」
シルベスターが掲げたロングソードの刀身。
それが眩い光を放つ。同時に、靄が掛かり原型が揺らいだ。しかし、刀身の原型が完全に失われたわけではない。白、黄、赤、そして青。もしくはそれらが複雑に混ざり合い、別の色にも。まるで銀河をその刀身のもとへと凝縮したかのような光景。刀身の周囲を渦のように舞う粒子の数々は、まるで星たちの煌き。
その幻想的な光景に、敵対者の目が奪われる。
それぞれが目を細めたくなるほどの煌きを発する星たち。しかしその全ては、シルベスターの敵を穿つ凶弾となる。
「『渦巻銀河』」
幻血属性『星』。
星々の瞬きによって火力が変わるシルベスターの魔法。但し、その魔法は、星空の下でしか扱えないものでは断じてない。シルベスターの一言によって、幻想的なその刀身に変化が訪れる。
「『星光の葬列』」
銀河が膨張を開始した。
A.違います。起こすものではなく、起きるものです。そして、基本的に起こるものではないから奇跡と言います。いつか後悔することが無いようによく覚えておきましょう。質問者様の幸運を祈ります。奇跡が起こると良いですね。
次回の更新予定日は、おそらく8月12日(水)になると思います。