第7話 文句
☆
早朝。
授業が始まる前に、俺は教会へと足を運んでいた。
昨日の神楽とのやり取りを報告するためだ。
正直、昨日の神楽は少々おかしかった。イカレているという意味で言うならいつも通りなのだろうが、それにしても違和感を覚える。俺としては当たり前の台詞を口にしているだけなのに、やたらと時間を掛けてこちらの真意を探ろうとするような視線で睨みつけてくるし、かと思えば急に気色悪い笑みを浮かべるし、仕舞いには本来の目的であろう俺の勧誘に対しても、何ら難癖をつけてくることなく俺の答えを認めて学園まで送り返してくれたのだ。
拒否すれば即戦闘まではいかなくても、「じゃあもう用はないから歩いて帰れよ」と屋敷から放り出されると思っていたくらいだ。最後なんて人が変わったかのような綺麗な笑みを浮かべて見送ってくれたし、二重人格者だと言われた方がまだ納得できるというものだ。
師匠やシスター・メリッサに話せば、もしかすると神楽の意図が掴めるかもと思っていたが、俺の予想に反して2人は難しい顔で黙り込んでしまった。まだ早朝だからか、シスター・メリッサと一緒にやってきたアリスは、信者が座る椅子でうつらうつらと頭を左右に揺らしている。
師匠が無言のままシスター・メリッサへと視線を向ける。ほぼ同じタイミングでシスター・メリッサも師匠へと視線を向けていた。
「……どう思う?」
「いや、さっぱり。決定権が無くて頭も弱い影武者だったんじゃない?」
シスター・メリッサのあんまりな言及を聞いた師匠が、俺へと目を向ける。
「偽物だった可能性は?」
「俺やウリウムに感知できないクラスの幻術魔法が発現されていたのなら話は変わりますが、そうでないのならあり得ないと思います」
初めの傲岸不遜なあの態度は、まさしく問題児である神楽宝樹そのものだった。それが徐々に徐々に変わっていったから、俺としても疑問に思っているわけだが。最後の人が変わったかのような状態が最初から続いていたのなら、俺も偽物を疑っていたかもしれない。
「何が何やらさっぱり分からないわね」
師匠はため息を共にそう口にした。
師匠でも読めなかったか。少しだけ、そんな気はしていた。なにせ、神楽と会う前に師匠からもらったアドバイスは、結局使うことが無いまま話し合いは終わってしまったのだ。神楽側は師匠の屋敷には興味が無かったと言うことだろうか。
「他に、何かチミに対してしてきたことは無かったわけ?」
「最初に痺れ薬とやらを混入した飲み物を出された以外は、特に何も」
シスター・メリッサの問いにそう答える。
2杯目は何も入って無かったし。神楽から「直ぐに車を用意させる」と言われてこれで帰れると安心し、つい無意識のうちに出された紅茶を口にしたことで分かったんだけどな。あの時のウリウムの怒声は今でも忘れられない。おかげで肩がびくっとなってしまって、神楽に怪しまれていないか不安なくらいだ。
師匠が、唸りながら腕を組んだ。
「……私の想定とまったく違う結果になったわ。神楽家の狙いを外していたかしら」
「神楽家の狙いとは? 俺を引き込んで『黄金色の旋律』への影響力を手に入れようとしていたのではないのですか?」
俺の問いに、師匠は首を横に振る。
「そもそも私が信用されていないからね。神楽家としても『黄金色の旋律』を管理下に置けるとは思っていないはずよ」
「あはは。この女が簡単に首輪を差し出すわけ無いじゃない。そんな従順な性格していると思う?」
思いません、と。
口に出しそうになったが何とか堪えた。
師匠はジト目でシスター・メリッサを睨みつけていたが、本人はどこ吹く風といった様子で明後日の方角へ視線を向けている。師匠はあからさまなため息を吐くと、俺へと視線を戻して口を開いた。
「神楽家の目的はね、貴方の価値を探ることだと考えていたの」
「俺の価値……、ですか?」
「そう。それは魔法戦闘力に限った話じゃない。おそらくは、私にとって貴方がどのような存在なのかを知りたかったのだと思っていたのよ。例えば貴方の身柄を抑えることで、私のことをどの程度束縛できるのか、とかね」
「ははは。そのくらいで師匠が束縛できるはずがないじゃないですか。俺ごと神楽家を吹き飛ばして終わりでしょう」
第一、その程度で師匠の行動を制限できるのなら、俺の身はとうにどこかの頭がイカれた集団によって連れ去られているだろう。師匠は、人の悪い笑みを浮かべて「そうね」と呟いた。なぜかシスター・メリッサが顔をしかめながら師匠を見ているが、その理由は分からない。
まあ、俺ごと吹き飛ばすは言い過ぎか。しかし、助けるための腕の1本や2本くらいは慢心から来る代償だから我慢してね、くらいは言いそうである。
★
頭を下げ、教会を去っていく聖夜の背を見送る。
扉の閉まる音が反響した後、教会内に静寂が戻った。それから更にたっぷりと時間を使ったのち、ようやくシスター・メリッサが口を開く。
「あんたらの意識の差、どうにかならんの?」
「……別に。困る事でもないでしょう」
「今はね。そのうち、取り返しのならないことになりそうだけど」
シスター・メリッサの言葉に、リナリーは鼻を鳴らした。何を大袈裟な、と思ったからだ。ただ、口には出さなかった。身を翻し、教会の地下への入口へと手を掛ける。シスター・メリッサも追及はしなかった。わざとらしく肩を竦め、手を繋いだまま半ば意識を手放しているアリスのおでこを小突く。
「あぅ」
意識を取り戻したアリスが、慌てた様子で周囲を見渡した後、恐る恐る視線をシスター・メリッサへと向けた。庇護欲を掻き立てられる仕草だったが、シスター・メリッサとしても怒っているわけではない。「行くよ」と短く告げて、繋いだままの手を引く。アリスは大人しくついてきた。
地下へと続く長い階段を下りる。
訓練場まで辿り着くと、アリスの方から繋いでいた手を離した。視線だけでシスター・メリッサに問いかけてくる。それにシスター・メリッサが頷くと、アリスは小さく一礼してから駈け出した。リナリーやシスター・メリッサから離れたところで、日課となっている魔力を練る訓練を始めるためだ。
胡坐をかいて座り、シスター服の袖をまくり上げる。シミ1つない白い腕には、少女の外見に似合わない年季の入った木製のMCが装着されていた。魔法世界で、聖夜がアマチカミアキから受け取ったMCである。
結局、聖夜が魔力を流し込んでもこのMCは反応を示さなかった。
ウリウムの時は会話ができる前から雑音のようなものが聞こえていた、と聖夜は言っていたが、このMCに至ってはその雑音すら聞こえてこないらしい。まったく反応が無いにも拘わらず、両腕にMCを装着して学園に通い続けるわけにもいかない。外見からして第三者の興味を引いてしまうものなのに、意味も無く2つのMCを装着していればどんな反応を示されるか分かったものでは無いからだ。普段は制服の下に隠れているが、そのふくらみまでは隠せない。いらぬ詮索を受けるのは面倒を引き起こしかねず、リスクと経過観察の重要性とを天秤にかけて、最終的に学園に通っている間は外すという結論に至ったというわけだ。
しかし、そのまま置いておくには勿体ない。希少な妖精樹を材料として作成されたこのMCは、当然のことながら破格のスペックを誇っている。それは、聖夜が持っているウリウムを見ても分かるだろう。だからこそ、折角ならばと、まだ自分専用のMCを持っていないアリスに回ってきたのである。勿論、アリスの修業ついでにこのMCへ魔力を循環させ続け、刺激を与えて様子を見るという打算もリナリーにはあったが。
「むむむー」と小さな眉間に皺を寄せながら集中し始めた小さな弟子を視界の端へと追いやり、既にテーブルの上に散乱した資料に目を通し始めていたリナリーのもとへ、シスター・メリッサは歩を進めた。
「何度目を通したって結果は変わんないと思うけど」
そう声を掛けながら。
それは重々承知しているのか、リナリーは一瞬だけシスター・メリッサへと視線を向けたが、直ぐに手元の資料へと戻した。
「……何の問題も違和感もない。そうでしょ?」
対面の席へ遠慮なく腰かけながら、シスター・メリッサが再度問う。それに対して、リナリーもようやく口を開いた。
「違和感が無い、というところに違和感を覚えているの」
「何それ」
リナリーが資料を捲る音をBGMにしながら、シスター・メリッサはアリスのために用意していた飴玉を1つ摘み、包み紙を剥がして口の中へと放り込んだ。
「美麗や剛くんが言っていることの方が正しいと思うよ、私は」
視線をリナリーに向けることなく、飴玉の包み紙を手で弄びながらシスター・メリッサは言う。
「あんたは、アマチカミアキを美化しすぎている。そりゃさぞかし素晴らしい学園生活だったんだろうさ。なにせ、じゃじゃ馬であるあんたと肩を並べられる存在だったんだ。それも力では無く頭脳で……、ね。そんな男が呆気なく死んだ。何の策略も施さず、真正面からあんたと対峙して無抵抗で死んだ。裏があるんじゃないかと疑う。だから調べる。結構なことだよ。けど……、結果はどうだい?」
視線は、左手で弄ぶ包み紙に固定されたまま。
シスター・メリッサは、右手でテーブルに散乱している資料を指さす。
とん、と。
人差し指がテーブルを突く軽い音が鳴った。
「かき集めた資料の全てが、アマチカミアキの死を示している」
シスター・メリッサの視線がリナリーへと向く。
「それが全てだろ?」
リナリーは答えない。
くしゃり、と。
シスター・メリッサの左手が包み紙を握りしめた。
「長い間、あんたとアマチカミアキは交わることが無かった。進む道を違えたが故に。お互いが見誤ったってことさ。過去のままの人物像を、何の疑問も抱くことなく現在の相手へと投影していた。あんたは、あの場に無策でアマチカミアキが訪れるとは思っていなかった。アマチカミアキは、あの場であんたが冷徹に自分へ手を下せるとは思っていなかった。だから、その食い違いの結果としてアマチカミアキが死んだ。簡単なことじゃないか」
リナリーは答えない。
一心不乱に資料を漁るリナリー。
その様子は、まるで何かの現実から必死に目を逸らしているようにシスター・メリッサには感じられてしまった。だからこそ、歪んだ笑みを浮かべたシスター・メリッサは言った。
「もしかしてだけどさぁ、リナリー」
答えなど、聞く前から分かり切っていたというのに。
「あんた、アマチカミアキに生きていて欲しかったの?」
この空間に、窓など無い。
地上から繋がる通路も、内側から施錠した状態で降りて来た。
だから、ここで風が流れるはずはない。
にも拘らず。
テーブルに散乱していた資料が、静かな音を立てて床へと散らばった。
底冷えするような魔力と共に。
「……メリー」
凍てついた声が、この現象の原因を作った女性へと飛ぶ。
「喧嘩売ってんの? この私に」
その態度が答えとなってしまっていることに、果たしてリナリーは気付いているのか。無論、気付いていないはずがない。にも拘らずその態度が表に出てしまっていることが、今現在もリナリーは心の整理ができていない状態である、ということを明確に表していると言えた。
「あはは、そんな命知らずなこと、私がするわけないじゃん」
そして、それをリナリーへ自覚させればそれで十分。
軽口を叩くようにシスター・メリッサは返答した。
一連のやり取りが指し示す意図を全て理解したリナリーが、苛立ちを体内から抜き出すように、意図的にゆっくりとため息を吐く。それに呼応するようにして、リナリーから発せられていた底冷えするような魔力も霧散していった。
「ん。存外、冷静になるのが早かったね。良かった良かった。もう少し掛かるようなら、流石にかわいそうだったからさ」
「……何が」
ほれ、と。
シスター・メリッサが指で差す。
それに応じるように視線を向け、リナリーはシスター・メリッサが何を言いたいのか理解した。
小さな肩を震わせながら、荒い呼吸を繰り返す幼女。
リナリーからの強大過ぎる魔力にあてられた結果だった。
「へーきー?」
「だ……、だいじょぶ……、です」
シスター・メリッサからの気の抜けた問いかけに、アリスはじっとりと濡れた汗を拭いながら答える。リナリーの魔力は、アリスへと向けられたものでは無かった。それでも、余波だけでこれだけの影響力がある。
シスター・メリッサは歪んだ笑みを浮かべたまま言う。
「あんたの影響力、自覚できた?」
それは決して、アリスに対することだけではないだろう。
シスター・メリッサをしばらく無言で睨みつけていたリナリーだったが、もう一度大きなため息を吐いてから視線を外した。手にしていた資料をテーブルの上に置く。おざなりに手を一振りすれば、床に散らばった資料が瞬く間にテーブルの上へと収まった。
返答はせず、リナリーは立ち上がった。
それをシスター・メリッサは止めなかった。
リナリーが肩で息をするアリスのもとへと歩み寄る。
そんな様子を、シスター・メリッサは頬杖をつきながら見送った。
☆
「あいつは! 馬鹿なんじゃないか!?」
朝のホームルームで、困惑した様子の白石先生から告げられた内容。それは、神楽が青藍を辞めたというお知らせだった。結局、あいつが登校したのはあの顔合わせとなった1日のみ。自己紹介をするだけして学園を辞めたことになる。馬鹿だ馬鹿だと思っていたが、ここまで突き抜けた馬鹿だとは思わなかった。
最後まで困惑した表情のまま、「今日も1日頑張りましょう」と告げて白石先生が教室を去る。なぜか、このクラスにいる全員からの視線が俺へと集まった。
「……何だよ」
「聖夜、私あれほど言ったわよね! 神楽に変なことをしちゃ駄目よって! 何したのよ、言って御覧なさい! このヘンタイ!!」
舞が怒りマークを浮かべて詰め寄ってくる。
挙句、とんでもなく失礼な事を言ってきた。
「……お前の中でどうしてそんな結論に至ったのか凄い気になるんだが?」
「あいつは力で無理矢理押さえ付けたところで絶対に折れたりしないわ。そもそも神楽家の人間を力づくで抑えられる奴なんて普通はいないんだけど、まあ……、その……、貴方はちょっと特別だし……」
「おい」
徐々に口調が弱々しくなってきてるぞ。
そんな態度を取られると余計に怪しまれるからやめてくれ。
俺の心情を視線から感じ取ったのか、舞は頭を振ると先ほどまでの勢いを取り戻した。両手を俺の机に叩きつけて叫ぶ。
「とにかく! 力づくじゃなければそういうことじゃない!!」
「なんでその二択になってるんだよ……。視野が狭すぎるだろう」
流石に勘弁してほしい。
風評被害だ。
「第一、俺が関係しているとは限らないぞ。家の都合かもしれないし」
俺としてはそれしか考えられないのだが。
「どのような手段を用いられたかは置いておきましても……。先日の様子を拝見した限りでは、あのお方に影響を与えることができるのは中条さんだけかと」
俺と舞のやり取りを隣で見守っていた可憐が口を挟んできた。苦笑しながらもそう口にした様子を見るに、可憐も神楽が学園を辞めた原因は俺にあると考えているようだ。
なんでだよ。
昨日神楽の屋敷に呼びつけられたことを知っているのは、まだ師匠とシスター・メリッサだけだぞ。それも今日の早朝だ。他に情報を得られる手段なんて……。
《……マスター。学園から出て行く許可、実は取ってあったんじゃない?》
は?
ウリウムから言われた内容に、思わず思考が停止する。
出て行く許可?
……ああ。
そういうことか。
神楽家の送迎の話だ。
青藍魔法学園は、日本五大名家に名を連ねる姫百合と花園の息が掛かっている。そこへ無断で侵入し、生徒を連れ出すとなれば一大事だ。学園側に正式な証拠として残さないよう秘密裏に動いたとしても、姫百合と花園にはこっそり話を通していた可能性はある。神楽家と言えど、姫百合と花園の2つを同時に相手取るのは避けたかったということか。
言われてみれば、そうとしか思えなくなってきた。
いや、そうでなくては困る。
ただの憶測でここまで決めつけてくるのは不自然だからな。
《うーん。マスターのあの時の態度を見る限り、決めつけられても文句は言えないような気もするけど》
うっせぇ。
あの時も、俺は正論しか言ってないぞ。
「とにかく、俺は関係ねぇよ。あいつがなんで辞めたのかも分からないし、不埒なこともしてない。何を考えているのかもさっぱり分からん。どうしてこうなったのかは俺が聞きたいくらいだ」
むしろ、俺はあいつへ「登校しろ」と言ったんだからな。
辞めろ、とは一言も口にしていない。
「それに、俺が本当にあいつへ手を出していたら、護衛の人たちから速攻で肉片に変えられているだろうよ」
黒服の実力は、舞たちもその目で見ている。
正気を疑う話だが、この教室で俺へ襲い掛かって来たんだからな。
俺の冷静な言葉に、「それはそうかもしれないけど」と舞がたじろいだ。
思わずため息を吐く。
「分かったらこの話は終わりだ。いいな?」
有無を言わさぬ口調でそう告げる。
可憐と、遅れて舞も、納得したかは別として頷いてはくれた。
エマと美月から向けられている視線は、気付かなかったことにした。
★
やせ我慢をするアリスの介抱を終え、リナリーは地下にある訓練場から地上の教会へと戻って来ていた。手にはスマートフォン。数日前に「問題となる箇所は発見できず」という結果を姫百合家から示されつつも納得できず、結局独自の駒を利用して再調査を進めていた。しかし、それも徒労に終わるという現実を受け止める時が来たようだった。
結果報告では無く、現実逃避として行っていたのだと認めることによって。
手で弄んでいたスマートフォンの画面を見る。
着信は無い。
電源ボタンを操作し、しばらくの間スリープモードとパスワードの入力画面を交互に行き来させていたリナリーは、わざとらしくため息を吐いてからロックを解除した。緩慢な動作でお目当ての連絡先を画面に表示させる。
しかし、発信アイコンをタップする前に着信音が鳴った。
奇しくも、それは今まさにリナリーが掛けようとした相手だった。
通話アイコンをタップする。
そして。
「……は?」
――――事態は、急展開を迎える。
次回の更新予定日は、7月15日か22日です。
15日に更新が無ければ22日だと思ってください。