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テレポーター  作者: SoLa
第11章 女帝降臨編
386/432

第6話 読み合い




「……中条聖夜は?」


「既に到着しております」


 離れの廊下を歩く。

 宝樹の予定より、時間が大分ずれ込んでいた。


 まさか資金運用の相談ごときでここまで時間を取られるとは。

 それが、今の宝樹の率直な感想だった。


 本当ならもう少し早く話を切り上げてしまいたいところだったが、相手は真徹ではなく宝樹個人に対する支援者だ。ある程度の対応はしておかなければいけなかった。それも踏まえた上で組んだタイムスケジュールだったのだが、それを上回ってくることは宝樹にとっても想定外だったのだ。


「それで……、飲んだの?」


 着いて早々にあれを口にしたのなら、効力はとうに切れてしまっているだろう。

 ただ、今回の目的は中条聖夜を行動不能にすることではない。


 飲んだか、否か。

 それによって、今後取るべき対応も変わってくる。


「いえ。今も監視を続けていますが、口にしたという報告は入っておりません」


「……へぇ」


 警戒しているのか。

 それとも、異物が混入されていることに気付いたのか。


 どちらにせよ、流石はリナリー・エヴァンスの弟子なだけはある。平和ボケした学園で生活しているとはいえ、そういった部分ではしっかりと弁えているということだ。宝樹の中で聖夜に対する評価が1つ上がった。同時に、警戒レベルも一段階上がったということになるのだが。


 少なくとも、一番つまらない展開は回避されたということになる。

 宝樹は口角を少しだけ吊り上げた。


 それなら次のステップ。

 気付いているのか、それとも警戒しているだけなのか。

 気付いているのなら、それを理由に感情を表に出すか否か。


 中条聖夜のプロファイルは既に手に入れているが、宝樹は自分の目で実際に確かめたものしか信じない。資料に目を通した限りでは、中条聖夜は後ろから指示を出すよりは前線で指示を受けながら戦うタイプの人間だ。それは青藍魔法学園での選抜試験のデータ、文化祭時の監視カメラからの様子、魔法世界エルトクリアにおけるアギルメスタ杯などからも窺える。


 しかし、本当の姿は果たしてそうなのか。

 勘違いしたまま神楽家の建前に乗せられて入り込んで来るとすれば、後に厄介な火種ともなり得る。


 仮に今回のケースで、全てに気付いた上で感情を上手くコントロールできるような人間だと判明すれば、先週の一件で怒りの感情を見せたのも演技だった可能性がある。扱いやすい駒であるように見せかけ、こちら側の懐に入り込む作戦だ。単純で分かりやすい手法ではあるが、神楽家の内情を知りたいのならこれほど短時間で潜り込める作戦も無い。


 こうして警戒させることそのものが、中条聖夜の狙いという線も考えられる。


 警戒すれば、足は鈍る。

 相手の動きを窺おうとする。

 後手に回らざるを得なくなる。


 普通ならば、だが。

 その定石を崩すのもまた、楽しみの1つでもある。


(……楽しみね、中条)


 果たして、中条聖夜はこちらの思惑を理解した上でここへ来ているのか。

 そうだとすれば、自分に対してどう挑んでくるつもりなのか。


 リナリー・エヴァンスを背景に、武力でゴリ押そうとするのか。

 はたまた宝樹に対して、頭脳戦を挑んでくるのか。


 せめて、自分では判断できないなどと嘯いて逃げるような凡庸な人間であって欲しくは無いものだ。リナリー・エヴァンスを同伴せず単独で来た時点で、中条聖夜はある程度の裁量を与えられていることを意味している。にも拘わらず、全てを「判断できない」と言って逃げようとするならば、それはお互いにとって不幸なことになるだろう。宝樹はそう思う。


 宝樹の興味が失われてしまえば、聖夜はこの離れから出ることもできなくなってしまうのだから。


 宝樹に付き従っていた3名の黒服のうち、1人が宝樹の前に出る。

 聖夜の待つ部屋の扉をノックしようとして。


 中から、何かが破壊される音。

 同時に、宝樹の背後で待機していた黒服2名が宝樹を守るように前へと躍り出た。


「開けなさい」


 自らを庇う位置に立った黒服2人を手で押しのけながら、宝樹は先頭に立つ黒服へと命じる。ノックを中断して宝樹の指示を仰ごうと視線を向けてきていたその黒服は、宝樹の命を受けてその手の行き先をドアノブへと変えた。


 扉が開かれる。

 今まさにティーカップを破壊した聖夜と、宝樹は目が合った。


 聖夜の目が、ゆっくりと見開かれる。


 まるで、嫌なところを見られてしまったかのような。

 そんな表情だった。


(……私も舐められたものね)


 そのわざとらしい挙動に、宝樹は思わず舌打ちしそうになった。


 毒入りだと気付いていなかったのなら、最初から口に含んでいたはずだ。毒入りだと気付けていなくても、警戒していたのなら、最後までティーカップを手に取ることはしなかったはずだ。それなのに、なぜこのタイミングで手に取るようなことをしたのか。


 決まっている。

 聖夜は何らかの方法で気付いていたのだ。


 用意された紅茶に、毒が仕込まれているのだと。


 しかし、相手は神楽家。

 聖夜は正面切って文句を言うのは難しいと判断したのだろう。


 だから、このタイミングにした。

 扉の外に気配を感じて、偶然を装ってティーカップを破壊したのだ。


 同時に、これは宝樹の出方を試しているとも見るべきだ。


 毒を飲ませることが目的だったのか。

 それとも、反応を窺うことこそが目的なのか、だ。


(前者なら、偶然零れてしまったかのように装っている中条の演技に乗っかって、もう一度薬を入れた紅茶を出すだろうし、後者なら出さず何事も無かったかのように話を進めるだろう、ってところかしら?)


 宝樹は、視線を下にずらす。

 琥珀色の液体が、自らの領土を拡大していくかのように、ゆっくりとテーブルを汚していく。


 この展開は、少々予想外だった。聖夜が敢えて宝樹の狙いを外しに来ていたのだとすれば、ここで宝樹がどのような行動を取るかで今後の方向性を見極めるつもりだろう。動揺を見せるのはもっとも愚策。しかし、時間を掛け過ぎるのもまた愚策だ。


 零れた紅茶が、じわりじわりとテーブルを汚す。

 その光景を目にしながら、宝樹は自らが取るべき次の一手を決めた。


(試されていると分かっているこの場面で、消極的な手段をこの私が選ぶと思う?)


「どうして痺れ薬が入っているって分かったの?」


「は?」


 まさか単刀直入に事実を口にするとは思わなかっただろう。

 反応はいかに。


 宝樹は表情に笑みを出さぬよう注意しながら、視線を聖夜へと戻す。


 そこには、何を言っているのか分からないといった表情を浮かべる聖夜がいた。しかし、段々と宝樹の言っている内容を理解して来たのか、聖夜の表情が徐々にしかめられていく。


(これもまたわざとらしい反応。私への当てつけってこと?)


 その様子はまるで、偶然服毒を回避できたかのようだった。宝樹の口からその事実を聞かされるまで、与えられた紅茶に毒が仕込まれているなど考えておらず、たまたま手を滑らせて零してしまっただけのように見えてしまう。


 だが、当然そんなことはあり得ない。

 このタイミングで破壊しているのだから、偶然だと考えるには無理が有り過ぎる。


 ここまでのやり取りは、可もなく不可もなくといったところか。

 いや、狙いを読まれた挙句に外されている以上、こちら側が劣勢であると見るべきだろう。


 そう認めるべきだ。


 面白い。

 宝樹は素直にそう思った。


「新しい飲み物を用意して。私も飲むから普通のやつで。あと、ここの片付けも」


「はっ」


 1人が新しいティーセットを用意するために退室し、もう1人は聖夜が汚したテーブルの処理に掛かる。宝樹は聖夜からの刺さるような視線を敢えて無視して、聖夜の対面のソファに腰かけた。3人目の黒服は、その後ろへと控えるようにして直立している。


 宝樹が想定していた中条聖夜という複数の人物像の中から、リナリー・エヴァンスの操り人形という線は捨てた。目の前の男は魔法戦闘だけではない。頭脳戦という土俵であっても、十分な実力を発揮できる者であると見るべき。


「良く待っていたわね」


 待たせることに対して、何ら罪悪感を抱いているわけではない。ただ、毒入りの紅茶を前にしても、大人しく待っていたのは宝樹にとって意外だったのだ。この言葉に対する返答がどのようなものかで、また1つ中条聖夜という人物がどのようなものなのかを推し量ることができる。


 待たせたことに対する苦情か。

 何事も無かったかのように用件を聞いてくるか。


 まさかこの期に及んで見え透いたご機嫌取りをしてくることはないだろう。


「……言いたいことが多過ぎるんだが。まずは痺れ薬とやらを混入させていたことに対して、何か言うことは無いのか?」


 悪びれもせずに対面へと腰かけた宝樹を見て、やや乱暴にソファへと腰を下ろした聖夜は言う。まるで謝罪を求めているかのようなその口振りと、明らかに気分を害したと見せつけるような態度を取る聖夜へ、宝樹は僅かに眉を吊り上げた。


(毒を仕込んでいたのは中条を試したかったから。代わりのものを用意させる建前で、「普通のやつ」と私が口にしたことで、中条もそれには気付いたはず。お互いの答え合わせが終わった以上、この問答は無意味と言える。どんな意図が?)


 宝樹は高速で思考を回転させるが、明確な答えは導き出されなかった。その事実に苛立ちを覚えながらも、その心境を悟られないよう表情に嘲りの色を乗せる。聖夜同様、こちら側も狙いは全て分かっていると言わんばかりの余裕を見せながら、宝樹は口にする。


「なに? 貴方が無様に痙攣しているところが拝みたかったのに、って私の口から負け惜しみでも言わせたいのかしら。良い性格しているわね、貴方」


「……お前に言われたくねぇよ」


 がっくりと肩を落としながら、うんざりしたように聖夜は言う。

 ため息を1つ吐き、視線だけを宝樹に向けながら、聖夜は改めて口を開いた。


「……で。人を呼び出しておいて、挙句こんな時間まで待たせた神楽宝樹様のご用件はいったい何なんでしょうかね」


(……あぁ、なるほど)


 感情の籠っていない棒読みのような口調で告げられた質問で、宝樹は先の疑問に対する答えを得た。ようするに、用件を尋ねる前にワンクッション入れることで、宝樹が遅れてきたことに対する謝罪を有耶無耶にしてくれたのだ。


 聖夜があからさまなご機嫌取りをしてくるような性格ではないということは、先週の学園の一件を見れば分かる。かといって、「良く待っていた」という宝樹の声掛けに対して即座に「用件を言え」では角が立つ。それでは、言外に「いつまでも待たせるんじゃねぇよ」と言っているのと同じだからだ。


 だから、敢えて答えの分かり切っている仕込みの件を口にしたのだ。それを間に1つ挟むことで、宝樹の口にした台詞への返答ではないことにした。


(まさか、試しているつもりが気遣われることになるとは。やるわね、中条)


 宝樹の中で、聖夜に対する評価がまた1つ上がった。


 確かに、学園での一件を思い返してみれば、口調は信じられないくらいに無礼なものだったが、聖夜自身は宝樹に対して一切危害を加えるような行動は起こしていない。むしろ、自分の味方であるはずのガルガンテッラを抑え込んでいたくらいだ。今日のやり取りを踏まえた上で見れば、あれも保身のためではなく、宝樹を守るための行動だった可能性もある。


 自らの立場を弁えた上での立ち回りだ。


 そうなると、あの一件でのやり取りは全て聖夜の演技ということになる。冒頭での自己紹介のやり取りから、外からの狙撃を敢えて紙一重で避けたのも、それを理由に宝樹へと食って掛かったのも、担任の扱いに対する苦情すらも。


 それら全てが、神楽宝樹という人物を見極めるための演技。


「ふひっ」


 堪え切れず、宝樹は笑ってしまう。


 試していたつもりが、試されていた。

 その事実に、自分はまったく気付けなかった。


 気付けたのは、聖夜が宝樹に違和感を抱かせてくれたからだ。




 そう。

 わざとらしいほどに愚者の演技を披露してくれなければ、宝樹は気付けなかった。




(……あれだけ堂々と覇道を謳っておきながら。なんと無様なことか)


 笑みに嘲りが混ざる。

 言うまでも無く、その対象は自分に対してだ。


 おそらく聖夜は、あの時の宝樹を見て、宝樹に対する評価を最低ラインまで下げたに違いない。当たり前だ。自分が試されていることに気付かず、自分の優位を信じて疑わないまま堂々と宣言したのだ。「自らは哀れな道化である」と。だから聖夜は、ここで自らも道化として無様な姿を演じることで、宝樹へと言外に伝えてきたのだ。「今一度両者の置かれている立場を見直してこい」と。


 それを伝えるためだけに、聖夜はここへ残っていた。


 毒が仕込まれた飲み物を差し出されても。

 理不尽なほど長時間待たされていても。


 宝樹が無自覚のまま、見当違いの方向へ突っ走っていかないように。


 完敗だった。

 これ以上ないほどに。


 しかし、恥辱に塗れた事実であるにも拘わらず、宝樹の精神は凪のように穏やかだった。清々しさすら感じてしまう。まさか、まだ2回しか顔を合わせていない男からこのような感情を与えられることになるとは驚きだ。そして何より驚いているのは、自分の敗北を完全に認めてしまっている自分自身に対してだ。


 なにせ、宝樹はあの場面で聖夜のマウントを取る為だけに、自らの切り札とも言える魔法まで披露してしまっているのだ。対して、聖夜が見せたのは己の身体能力の高さと危機察知能力、そして強化魔法に関する情報だけ。情報の価値は明らかに宝樹が披露したものの方が高い。


 これを完敗と言わずに何と言うのか。


「淑女のする笑い方じゃねぇな、それ」


 なんて失礼な奴だ。

 それこそ、紳士の口にする台詞ではない。


 背後に控える黒服が僅かに動いたのを察知したが、宝樹は手を軽く挙げることでそれを制した。宝樹の視線は聖夜に固定したまま。その聖夜といえば、何ら警戒心を抱く素振りすら見せずにこちらを観察している。武力で訴えてきても、返り討ちにできる自信があるのだろう。強者にしか許されない態度だ。


(いえ……、違うわね)


 聖夜が黒服の実力を確認できているのは、学園の一件で手合わせした1人のみ。いくら前以って神楽家を調べていたとしても、宝樹に仕える人間全ての隠し玉を含めた力量を把握するのは不可能だ。つまり、あの態度は宝樹が仕掛けてこないことを理解していたからに他ならない。仮に、宝樹の性格上あり得ないことではあるが、聖夜を上回る戦力で圧し潰そうとしていれば、聖夜は宝樹に対して「そちらから頭脳戦を仕掛けておきながら、窮地に立ったら力技。つまりはその程度の女だったのか」と嘲笑いながら死ぬのだろう。


 それでは、宝樹の勝ちにはならない。

 むしろ、一生塗り替えることのできない敗北を背負うことになる。


(場合によっては、リナリー・エヴァンスより厄介かもしれないわね)


 宝樹はそう思った。


 気分屋であるリナリー・エヴァンスは、時と場合によってはプライドなどかなぐり捨てて力技に頼ることがある。しかし、中条聖夜は違う。あくまでプライドを優先し、心理戦で相手の心を圧し折りに来るタイプの男だ。宝樹のような人間からすれば、こういったタイプの方が厄介だと言える。


 聖夜に敗北を認めさせるには、その心を折るしかないのだから。


 何より厄介なのが、これほどの男がリナリー・エヴァンスのブレインとしてその背後にいることだ。世界最強と謳われるリナリー・エヴァンスの、その強烈過ぎる光の陰に隠れた『黄金色の旋律』における真の司令塔。


 おそらくはという注釈は付くが、ほぼ間違いないと宝樹はこの時点で確信していた。


 同時に、この考えに至ったことで、これまでのリナリー・エヴァンスの破天荒な行動、その全てもこの男の策略なのではないかと思えてきたほどだ。そうなってしまうと、リナリー・エヴァンスの地雷原、つまりは『彼女にとってどこまでなら許せてどこからが許せないのか』といった線引きすらも不明瞭なものとなってしまう。少なくとも、過去のデータの洗い直しから始める必要がある。リナリー・エヴァンスが聖夜を手中に収める前と後との比較だ。


(おじい様に伝えておく必要がありそうね)


 今回の真徹の策では、リナリー・エヴァンスの逆鱗に触れないぎりぎりのところを攻めるはずだった。しかし、その線引きが曖昧なものであると分かってしまった以上、無視して進めるのは得策とは言えない。


 そこまで考えを巡らせたことで、更なる解答に宝樹は思い至った。


(……まさか、これは忠告ということ? リナリー・エヴァンスが自ら動き出し、取り返しのつかないことになる前に、その見え透いた愚策を取り下げておけという)


 忠告か警告か。

 その二点で大きく異なるが、宝樹はこれを忠告として受け取った。


 これまでの聖夜のやり方を見るに、その行動の真意さえ見極めてしまえば、聖夜はどちらかと言えば宝樹側に寄り添った動きを見せている。言外に宝樹の敗北を知らせてくれたこともそう。当てつけのように回答を急かさなかったこともそう。


 そして。

 神楽家の真意に気付き、その答えを言外に提示してくれたこともそう。


(この男……。中条聖夜という人物は、どこまで私の上を行くというの)


 聖夜は、全てを見抜いていたのだ。




 身の程知らずという皮を被った、圧倒的な智者。




 それが中条聖夜の本当の人物像。

 リナリー・エヴァンスが弟子と称してその手中に収めている理由も分かるというものだ。


 結論が出た。

 長いこと、思考の海に沈んでいた。


 自らに向けられている視線を思い出し、宝樹は改めて目の前に坐する男を見る。


 不自然なほどに間が空いたにも拘わらず、聖夜は何も口にすることなく宝樹の回答を待ち続けている。聖夜は神楽家の真意に気付いている。その答えすら提示されているのだから、それはもはや疑いようのない事実だ。つまりは、これから宝樹が口にする内容も見当がついているということ。それでも待っているのは、おそらくこれまでのやり取りから宝樹の理解がどこまで及んだのかを確かめるためだろう。


 視線が僅かに泳いだり、居心地の悪さを感じているかのような態度を滲ませているのも演技に違いない。これもまた、聖夜の気遣いに他ならないのだから。絶対的上位者として振る舞っている宝樹の顔に泥を塗らないよう、配下の者がいる前で宝樹の敗北を演出しないようにしてくれているのだ。


 扉がノックされる。

 新しいティーセットを用意した黒服が帰って来た。


 一礼してから、宝樹と聖夜の前に紅茶とお茶菓子を並べていく。

 また一礼してから、宝樹の背後へと回った。


 紅茶の良い香りが宝樹の鼻孔をくすぐる。


 息を吸って。

 吐いて。


 宝樹は気持ちを落ち着かせた。


 これから宝樹が口にする質問も。

 それに対する聖夜の回答も。


 既にお互いが知っている。

 両者ともに理解している。


 これから行われるのは、形式的なやり取りだ。

 しかし、これから行われるやり取りの真実とは。




 宝樹による、完全なる敗北宣言である。





「改めて、貴方を勧誘したいと思ってね。私のモノにならない?」


「断る……、と言ったはずだが?」


 当たり前だ。

 誰が好き好んで自分より下の者に従わなければならないというのか。


 自分の背後で気配を揺らす従者たちは気付いていないだろう。

 今のやり取りの、本当の意味を。


 気付かれないように、目の前の男が誘導したのだ。


 本来の神楽家の目的。

 それは、中条聖夜という存在の価値を探ること。


 あの自由気ままなリナリー・エヴァンスが重宝しているという中条聖夜とは、いったいどれほどの価値がある存在なのか。リナリー・エヴァンスに見出された価値とは、武力によるものなのか、知性によるものなのか、男女の関係によるものか、はたまた何か別の理由があるのか。日本における拠点と中条聖夜を天秤にかけて、果たしてリナリー・エヴァンスはどちらを取るのか。そして、中条聖夜という存在は、リナリー・エヴァンスにとっての弱点となり得るのか。


 その目的自体は、もう達したと見ていい。

 リナリー・エヴァンスは手放さないだろう。


 そして、弱点にもなり得ない。

 もっとも警戒すべきは、リナリー・エヴァンスではなかった。


 この男は、そのリナリー・エヴァンスすらも自由自在に操れるであろう正真正銘の化け物だ。


「……そう、残念ね」


 それはリップサービスではなく、宝樹の本心から出た言葉だった。


「話はそれだけか? 明日も学園があるんだ。用が無いならもう帰りたいんだが」


「ええ。直ぐに車を用意させるわ」


 後ろにいる黒服へと宝樹は手で指示を飛ばす。不自然なほどに素直に納得してしまった宝樹の様子に動揺を見せた黒服だったが、宝樹の命令は絶対だ。1人が一礼して早歩きで退室していった。


 それを視線だけで見送り、聖夜は目の前に置かれたティーカップを手に取り口にした。それもまた、宝樹にしか分からないものの明確な答え合わせの1つだ。お互いの認識共有はもう済んでいる。毒を仕込む意味は無い。だから躊躇いなく口にできる。


 なぜか突然肩を震わせ、焦ったようにティーカップをソーサーへと戻したことだけは不可解だが。もしかすると、猫舌であまりの熱さに驚いたのかもしれないし、熱いのは分かっているものの答え合わせとしてせざるを得ずにした結果での反応だったのかもしれない。どちらにせよ、それが理由ならかわいいものだと宝樹は思う。


 そんな考えを見抜いたのか、ばつの悪そうな表情で立ち上がった聖夜は、まるで吐き捨てるような演技だと宝樹に感じさせるような口調で言った。


「……お前も青藍の生徒になったなら登校くらいしろよな」


 それはどのような意図での発言か。

 考えるまでも無い。


 これまでのことは水に流してやる。

 学生を続ける気なら顔を出し、無いなら早々に去れと言うことだ。


 神楽家が学生として宝樹を送り込んだわけではないということを、既に聖夜は知っている。それでも宝樹が学園に通う選択肢を残しているという意味。つまりは神楽家がまだ懲りずに『黄金色の旋律』へ挑んでくるのなら、正面から受けてやるという宣言に他ならない。


 外に出ていた黒服が戻って来た。

「お車の準備が整いました」と。


 回答を待たずに、聖夜は歩き出す。

 宝樹は、それを透き通るような笑みで見送った。

 聖夜……、成長したんだね。


 次回の更新予定日は、7月8日(水)の17時です。

 その次くらいから、もしかすると週一更新になるかもしれません。

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[良い点] 流石に笑ったw
[一言] 勘違いがスゴすぎるぜ…
[良い点] さすがあえて地の文でも愚者を演じる男よ
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