第4話 考慮に値しない
☆
「……なるほど。神楽の一人娘がそんなことを」
本日学園で起こった内容を報告したところ、師匠は独り言のようにそう呟いて思考の海に沈んだ。対してシスター・、メリッサは。
「あー。貴方との関係を見直したいと考えています。これまでもこれからも、真っ赤な他人ということで。さようなら。もうここには来ないでください。出てって、はよ」
「いやいやいや」
あからさまな他人行儀に待ったを掛ける。
「そんなことを言うなら、情報くらい前以って教えておいてくださいよ。貴方、一応青藍の職員なんでしょう? 神楽が来ることも知っていたのでは?」
「知らなかった」
「はい?」
「知らなかったって言ってんのよ!! 私は何にも聞かされてなかった!!」
うそぉ。
シスター・メリッサの魂の叫びに思わず唖然としてしまう。
シスター・メリッサと美麗さんは面識があったはずだ。青藍魔法学園の理事長は、可憐の父である泰造さん。その奥さんである美麗さんが今回の一件を知らないはずがない。仮に神楽一族から口止めされていたとしても、美麗さんなら内密に情報を流すというくらいのことはしていそうだが。「美麗のやつぅぅ」と恨み事のように呻くシスター・メリッサを見る限り、嘘を言っているようには見えない。この人はこの人で、独自の情報網を展開しているようだが、それすらも封殺されていたのだとしたら、完全に意図的な秘匿ということになる。
視線を師匠へと向ける。
「それでは、この一件については師匠も知らなかったということで?」
「知っていたけど」
知ってたのかよ。
思わずずっこけそうになったわ。
「リナリーの裏切者!」
「だって貴方、前以って知っていたら絶対に姿を晦ませると思ったんだもの。だから美麗に口止めしておいたのよ」
師匠からの指摘に、シスター・メリッサは笑顔を引き攣らせて一歩下がった。
「あぁ……、そういう……」
「ちょっと! なんでチミはそこで納得した表情を浮かべているわけ!?」
それはもちろん、否定できる材料が何1つとして存在しないからですが。
「まあ、そういうことだから。今日から神楽が来るわ」
「まさかの事後報告!!」
来るわ、というか『来たから』だからね。
「このタイミングで身を晦ませることはお勧めしない。やましいことがあると宣言しているようなものだからね。何食わぬ顔で堂々と構えていればいいのよ。いつも通りでしょう?」
「こ……、こ……、この女ァ」
シスター・メリッサがぷるぷるしている。
気持ちは分かるぞ。凄い分かる。
師匠、相手の神経を逆撫でするような言葉をさらっというからね。
「しかし、師匠。俺には教えてくれても良かったんじゃないですか?」
そうしたら、少しは心構えができていたのに。
そう考えていたら、師匠の矛先がこちらへと向いた。
「教えていたら、何かが変わったの?」
え。
「確かに、相手の身分を知っていれば多少は我慢できたのかもしれない。貴方はね。でも、ちょろ子はそうもいかない。貴方のことになると、あの子は本当に融通が利かなくなるから。貴方への理不尽な扱いを見たちょろ子は必ず暴走する。神楽はそれを決して許さない。貴方、ちょろ子をそのまま見殺しにできた?」
それは。
「それに第一、貴方には花園と姫百合から情報が流れていたはずだけど」
……。
「え?」
★
東京都新宿区。
日本魔法開発特別実験棟跡地の隣に立つ立派な建物の名は、日本魔法協議会館。日本魔法協議会という日本において魔法関係の事案を扱う組織の本部が所有する建物だ。日本五大名家『五光』と七大名家『七属星』が集う年に一度の『権議会』が開催される場所でもある。そこでは、魔法に関する事案の精査、各地方におけるパワーバランスの調整、非常任理事である七属星の決定などが行われるのだが、逆に言えば『五光』も『七属星』も、その時にしか全員が集うことは異常時をおいて他に無い。
その日本魔法協議会館にある一室に、『五光』の面々が集まっていた。
中央の純白の円卓に坐するのは全部で6名。
花園家現当主、花園剛。
姫百合家現当主、姫百合美麗。
白岡家現当主、白岡巡。
二階堂家現当主、二階堂華。
岩舟家現当主、岩舟龍朗。
そして。
日本魔法協議会現会長、神楽真徹。
ただならぬ気配を身に纏った老人だった。肩まで届く白髪を後ろへ流し、顔には深いしわが刻まれている。年は取れども鋭利な瞳から放たれる光には、一切の老いの色は見られない。喉元まで垂れた白髭をしごきながら、真徹は言う。
「考慮には値しない。まさか下手な言質は取られておるまいな」
「勿論です。会長殿によろしくと頼まれた程度ですからな」
「なら、この話はこれで終わりだ。では、次の話に移ろう」
巡の返答に満足した真徹は、総理大臣と魔法省大臣からの度重なる要請について、驚くほど呆気なくそう結論付けた。そして、その言葉通り本当に次の議題へと移ってしまう。
同じ円卓に着きながらも、美麗は口元まで出かかっていたため息を堪えるのに必死にならざるを得なかった。理由は勿論、明らかに日本政府と敵対する姿勢を見せている日本魔法協議会のスタンスについてだ。
総理大臣との面会で龍朗が口にしていた内容は、言い方は悪かったが言っている内容は事実。どちらにせよアマチカミアキの討伐が公表できないなら、その真実を知る人物は少ない方が良い。特に、権力者でありながら魔法に関する知識が乏しい人物にはなおさらだ。しかし、国家権力を預かる身である人物が、外交上ある程度の情報を仕入れておかなければならないという言い分もまた理解できる。
こうして考えれば、前会長であった古宮小次郎は上手く立ち回っていた。あちら側の面子は立てつつも、秘匿するところはしっかりと秘匿し、日本政府サイドと魔法協議会サイドの橋渡し役としてきちんと機能を果たしていた。だからこそ、魔法関連の事案については日本政府側からも積極的に相談を持ち掛けられており、最終的には魔法協議会側が介入することで解決といったケースも少なくなかった。
しかし、今ではそれぞれが得た情報の共有は最低限。これまでは話し合うべき事案が無くても行われていた定期連絡も途絶えて久しい。全ては実験棟の一件で空席となった日本魔法協議会の会長籍に神楽真徹が就いてからのことだ。
とはいえ、この神楽真徹は決して無能な男ではない。
魔法使いの始祖であるメイジ直系の一族であることに加え、初代『五光』神楽家の現当主であり、古宮が会長へと就任する前は、この男が会長職に就いていたのだ。つまりは二回目、再びその座へ戻って来たことになる。だからこそ、この職における勝手は分かっていたし、動揺する魔法使いたちをまとめ上げるのもお手の物だった。
そして何より、発言権が強い。
古宮のように張り巡らせた独自のパイプを使って根回しをする必要など無い。
ただただこの老人が口にしたことが正義となり、協議会が向くべき方向となる。
美麗含む『五光』や『七属星』の面々も、案を唱えることはできるし推奨されてはいるが、それだけだ。あくまで選択肢を提示できるだけ。決めるのは全て神楽真徹。そして、誰もそれに異を唱える事はしない。それが良いことなのか悪いことなのか。少なくとも現状で日本という国に明確な実害が出ていない以上、美麗はどちらかを判断することができなかった。
「少々国内のパワーバランスに不安がある。その是正に向けて動きたい。具体的には――」
真徹の言葉を遮るようにしてアラームが鳴った。断りを入れた上で、真徹の後ろに控えていた副会長・大森零が携帯電話を取り出して通話に応じた。何度か相槌を打った後、その端正な顔に困惑の表情を浮かべた零は、携帯電話を抑えながら真徹の耳元へと口を寄せた。
「会長、お電話が入っております」
「今は忙しい。後にしろ」
「しかし、相手は青藍魔法学園の理事長、ご本人でして」
夫の役職名を出された美麗と、自らの管轄地からの入電だった剛が、顔を見合わせ眉を吊り上げる。
「用件は」
「会長の御息女が……」
「よい。代わろう。この会議室へ直接かけるよう伝えろ」
「承知致しました」
零が再び通話相手への対応に戻る。携帯電話での通話に応じなかったのは、ここに集う面々に対して隠し事をする気が無かったからだ。スピーカーモードにする手もあったが、そちらの手段を真徹は選ばなかった。手元のスイッチを押して、円卓に備え付けられた通信機器を起動させる。
「暫し待て」
真徹からの言葉に『五光』の面々が一礼した。
零が通話を切る。
間髪入れずに真徹の手元にある通信機器がアラームを鳴らした。
枯れ枝のような真徹の人差し指が通信に応じる。
「あらかじめ伝えておこう。この会話は『五光』当主も聞いている。何用だ」
『……そのやり方は少々乱暴が過ぎるのでは?』
「今、会議中であることを知っていながら、アポイントも無しに連絡を寄越してきたのはそちらだぞ、青藍魔法学園理事長殿。私は、何用かと問うたのだが?」
通話相手である姫百合泰造は、僅かに言葉を詰まらせた。
しかし、ここで声を震わせることなく続きを口にできたのは、流石と言うべきだろう。
『そちらのご令嬢の行動は目に余ります。注意をお願いしたい』
「なぜそれを私に言うのだ」
『は?』
泰造が呆けた声を上げた。
「青藍魔法学園の運営は姫百合と花園に委任していたはずだ。学園の中で起こったことなら、学園内で解決しろ。なぜ、そのような些事にまで保護者が口を挟まねばならん」
『そちらのご令嬢が、学園に実害を与えているのですぞ! 護衛が教師に手まで上げる始末だ!』
「その件は既に耳にしている。そして、既に後始末も済んでいるということもな。何か問題が?」
淡々と返答する真徹へ、泰造は怒りのあまり眩暈を覚える。
『あれが神楽家の言う後始末ということで? 破損した設備の修復と、貧血で倒れたという教師への見舞金で? その教師は受け取りを拒否しておりますが?』
「受け取る受け取らないは本人の自由だ。好きにするが良い。そこまで関与する気は無い」
『あれが金で解決できる一件だとお思いか! あまつさえ護衛が生徒を襲うなど言語道断だ!!』
「そうか。ならば、今この時を以って貴殿の青藍魔法学園理事長の職を解任とする」
『はっ!?』
「しかし、何も事情を知らぬ者を後継とするわけにもいかんな」
突然の通告に動揺する泰造を余所に、真徹の視線が美麗へと向いた。
「姫百合美麗殿、貴殿へ青藍魔法学園理事長の職を与える。そして、これはこれまでこの国へ貢献してきた姫百合家への温情措置でもある。納得がいかなければ、私の後ろに控える大森零へ兼任させても構わんが?」
『何を仰っているのですか! そのような勝手な――』
「姫百合泰造殿、今の質問は貴殿に向けたものではない。本日中に理事長室を明け渡せ」
真徹はそれだけ告げて通話を打ち切った。
沈黙が下りた会議室にて、真徹は改めて視線を美麗へと向ける。
「どうする?」
「……謹んで承ります」
「うむ、励むが良い。学園の運営権がそちらにある限り、我々もある程度はそちらに合わせるからな」
ある程度。
つまるところ、第三者からは傍若無人な振る舞いに映ることでも、この男やその娘にとっては十分譲歩した結果であるということだ。その言葉の意味を忠実に理解した美麗は、その内心を隠すように一礼した。
「では、話を戻そう」
まるで今晩の献立が決まった程度の軽い口調で、真徹はこれまでの話を終わりにした。
「国内のパワーバランスについてだ。君たち5人に対して、神奈川に構えた重要拠点は青藍、紅赤、黄黄の3つ。そもそも完全なバランスを取ることは不可能だったわけだが、ここ最近になってそのバランスの乱れ方は少々目に余る」
「目に余る、とは? 我々は自らの領分を破るような真似はしておりませんが」
剛の言葉に、真徹は鋼の如き視線を剛へと向ける。
「『ユグドラシル』の元被検体に元構成員、ガルガンテッラの末裔、そして『黄金色の旋律』と過剰なまでの戦力を囲っておきながら随分と甘い評価だな、花園殿」
「『ユグドラシル』関係者は貴重な情報源として匿っているだけですし、そもそも『黄金色の旋律』の方々は私たちの配下にいるわけではありません。会長殿の思い違いでは」
「それでは中条聖夜の身柄をこちらで頂戴しても何ら問題はないということだな?」
美麗の発言を制するようにして発せられた真徹の言葉に、剛と美麗は押し黙ることになった。巡、華、龍朗は口を挟まない。ただ推移を見守っているだけだ。
「……中条聖夜は、リナリー・エヴァンスと密接な関係にあります。リナリー・エヴァンスが青藍に居を構えている以上、中条聖夜だけをそちらへ送ることはお勧めできませんが」
「それがつまり、リナリー・エヴァンスと貴殿らが親密な関係にあることの証明となる」
真徹からの反論に、剛は苦虫を嚙み潰したような表情をした。その反応から全てを理解した真徹が席から立ち上がる。
「この国にいる以上、この国の都合には従ってもらう必要がある。嫌ならば早急にこの国から去れと伝えるが良い」
「お待ちを。アマチカミアキが討伐され世界情勢が不安定になりつつあるこの時期に、『黄金色の旋律』との関係をこじらせることは得策とは思えません」
零を従えて立ち去ろうとする真徹を美麗が呼び止める。
真徹は顔だけ美麗に向けてからこう言い放った。
「この状況下でこの私に異議を唱える貴殿の姿勢こそが、得策とは思えんがね」
剛と美麗の反論を聞くことなく、真徹はこの場を立ち去った。
☆
新入り御乱心事件から翌日。
当然のように無断欠席をかました神楽には呆れてものも言えない。もっとも、昨日の件を引き摺っている俺たちに向けて「おっはよー」と挨拶をしてこられても、何と返していいか分からないわけだが。
ちなみに、朝っぱらから舞と可憐に「あれだけ忠告しておいたのに!」と言われたことで、俺は全てを察した。本当にごめんなさい。どうやら朦朧とした頭で右から左へと聞き流していたらしい。昨日の放課後は、2人と会話する暇も無く紫会長と片桐に連行されて生徒会館へ直行。正座させられた上でのお説教からの卒業式に向けた段取りの再確認。最後に教会での地獄の特訓だったからな。
そうか。
生徒会館で感じた咲夜からの何か言いたそうな視線はそういうことだったのか。なるほどね、全てが繋がったよ。いや、本当に申し訳ない。多分、紫会長や片桐、おまけに美月からの猛攻を受けて消沈した俺を見かねて何も言わなかったんだろうな。
「出席を取ります」
教壇に立った白石先生が言う。
目には大きなクマができていた。
朝。登校するなり昇降口で待ち構えていた白石先生から開口一番で謝られた。「守れなくてごめんなさい」と。謝らないといけないのはこっちだ。おそらく、俺が余計な口を挟まなければこんなことにはならなかった。神楽の思うがままにさせていれば。結果としてそれが正しかったのかと聞かれると、首を傾げることになるのだが。
というか、一番謝らないといけないのは俺でも白石先生でもなくあの女だ。ふざけるなという話である。あの女の傍若無人っぷりのせいで、こっちはエマが猛犬と化して大変なんだぞ。あれから今に至るまでことあるごとに唸り声を上げている。時折表情が抜け落ちて沈黙するのだから余計に怖い。
白石先生には「粋の良い新人が入って来て、運悪く制御できなかっただけ。これから全力で躾けていけば問題無いですよ」と伝えてある。武力行使が必要なら協力します、とも。これでもこの学園で最強の称号を預かっている身だからな。おまけに白石先生は戦闘ができるほど魔法は扱えない。一言で魔法学園と言っても、魔法以外の授業だって当然存在する。古文とか数学とか、化学だとか英語だとか。だから、ここで勤めている教師も全員が全員魔法のプロフェッショナルというわけではない。
ただ、白石先生はそういうことを言って慰めて欲しいわけではないだろう。この人は本当に真面目だからな。生徒は先生が守るもの、という考えを地で行くような人だ。だからこそ、日常生活レベルでしか魔法を扱えないにも拘わらず、この2年クラス=Aの担任を任されているのだろう。学園で学ぶべきは魔法だけではない。魔法の腕にいくら自信があっても、常識が無ければ世間では通用しない。魔法の腕があればあるほど慢心はしやすい。以前の俺がそうだったように。
シリアスな雰囲気にならないよう、「武力行使が必要なら遠慮しないで頼ってくれ」とおどけた口調で伝えたつもりだったのだが、白石先生はやはり引き摺っているようだった。
「では、連絡は以上ですね。今日も1日頑張りましょう」
間延びした口調でも無く柔らかな口調でも無く。
ただ単調に、機械的に。
ホームルームの連絡事項を告げた白石先生は、ぺこりと頭を下げると教室から出て行った。
「ままならねぇなぁ……」
次に神楽と顔を合わせたら、一言くらい文句を言っても罰は当たらないだろう。そう考えている時点で、師匠が「教えていたら、何かが変わったの」と言ったことは、正しく的を射ていたということに気付いてしまった。
次回の更新予定日は、6月10日(水)17時です。