オマケ 9章〈中〉16話(初期案)
本日2つめの更新です。
☆
埃っぽいその部屋は、物置のような場所だった。
明らかに、日頃から使われている部屋ではない。
「こっちだよ、中条君」
俺と一緒に跳んできた男、今井修が俺の名を呼ぶ。扉を開けた今井修が手招きをしていた。
先導に従い部屋から出ると、そこは廊下だった。見た事のない建物で、窓の外から見える景色にも見覚えは無い。どうやら、俺が用意していた魔法具の置き場所を変更したという話は本当だったようだ。
ここは、ホテル・エルトクリアではない。
「こっちだ」
言われるがまま、大人しくついて行く。
思考が追い付いていない。
本当なら、聞きたいことがいっぱいあるはずだった。
なぜ、俺の魔法を知っているのか、とか。
なぜ、スペードが殺されたのにそんな冷静でいられるのか、とか。
そもそもなぜ、全てを知っているかのような口ぶりで行動しているのか、とか。
今井修が押し開けた扉は、先ほどの部屋のような扉とは違い、もっと大きく豪勢なものだった。その扉を潜った先に見えたのは――。
「……本、だ」
本だった。
円柱状に伸びるこの空間には、その壁に沿うようにして本棚が展開されており、そこには所狭しと本が詰められている。ふと、上を見上げてみて驚く。
天井が見えないのだ。
学習院の中にある施設の1つであるはずなのに。
ここは紙の匂いで満たされていた。
出入り口から正面にはカウンターがあるのみで、その背後には固く閉ざされた扉が2つ。
立ち尽くす俺を余所に、今井修がカウンターで何やら操作している。しばらくすると、俺から見て左側の扉が勝手に開き出した。
今井修が手のひらを扉へと向ける。
入れ、というジェスチャーだ。
俺が歩き出すのと、今井修が動くのはほぼ同時だった。俺よりも早く今井修が扉を潜る。その後すぐに俺が扉の先へと足を踏み入れた。
中は、本当にただの図書館のようだった。
規則正しく並ぶ、木製で横長の本棚。本棚ごとにラベルが張り付けられており、目の前のラベルには『BM-1』と書かれている。
「僕の後についてきてくれ。絶対にはぐれたり、別のルートを通らないように」
俺が頷くのを確認した今井修が歩き始めたので、その後に続く。
……。
無言のままついていく。
右へ左へと曲がる。
迷っているのか、と思うほど何度も曲がる。
しかし、前を歩く今井修の足取りに迷いはない。
大人しくついていく。
時折、歩く道すがら、今井修が本棚に入れてある本に触れて少しだけ引き出しているのが気になった。しかし、途中から今井修が触れた本のタイトルを見てみてもジャンルはバラバラで規則性が無い。意味の分からない行動としか言いようが無い。
「中条君」
たった今、今井修が触れた本のタイトルに目をやっていた俺は、その声に視線を前へと戻した。
「はい」
「ここから先、足場が悪くなるんだけど、動揺せずに僕の言う通りにしてくれ」
「分かりました」
よく分からない指示が来たが、反射的にそう答えた。
今井修が、引き出しかけた本を押し戻す。
その光景を見て、瞬きして、視界が変わった。
「え?」
思わず、そんな声が出た。
先ほどまでの暖色系の光に照らされた木製の図書館ではない。
真っ暗な空間に、硬質な本棚が規則正しく並ぶ。本棚に収められている本は自らが青白く発光しており、それがこの空間の光源となっていた。そして、本当に驚くべきは規則正しく並ぶその本棚の規則性にある。
視界の先に、ただ真っすぐ本棚が並んでいるだけではない。足元を見れば、俺の下へと真っすぐ本棚が伸びている。見上げれば、頭上から真っすぐ本棚が伸びていた。
右も、左にも本棚がある。
上も、下も。
平衡感覚がおかしくなりそうな光景だった。
「こっちだよ、中条君」
その声で我に返る。今井修は歩き始めていた。おそるおそる一歩を踏み出してみる。床は無いが、何かを踏みしめている感覚はあった。今井修の後を追いかける。
視界の端を流れていく、陳列されている本たち。青白く発光する本に、黒字でタイトルが刻まれており、アルファベットが使われていた。英語かと思ったら日本語のものがあったり、どこの国の文字かは分からない象形文字のようなタイトルもある。
その本たちが、勝手に動いていた。
誰も触れていないのに引き抜かれて隣の本と場所が入れ替わったり、本棚から飛び出したかと思うと勝手に発火して燃え尽きてしまうものもある。かと思えば、動いた本と本の間に隙間が出来た瞬間に火花が散って新たな本が現れたりもしている。
その動きに規則性はない。
完全なランダムに見える。
「中条君、上にいくよ」
立ち止まって俺を待っていた今井修が、頭上を指さして言う。
「ジャンプをすると言うよりは、向こうに行きたいと思って一歩を踏み出すような感覚だ。まあ、言葉で説明するよりもやってもらった方が早いかな。ついてきてくれ」
今井修が一歩を踏み出す光景に目を疑った。
まるで見ている角度を変えているかのように、今井修の歩く光景が90度曲がったのだ。
言われた通りに一歩を踏み出してみる。
すると、目の前に、先を歩く今井修の背中が映った。おかしな角度からは見えていない。つまりは、俺も90度曲がったらしい。重力に逆らった感覚はない。だからこそ、余計に意味が分からない。
そこから先は、本当に訳の分からないルートを歩いた。
右へ左へ。
そして、上へ下へ。
どれだけ歩いただろうか。
俺と今井修。
たった2人しかいないのではと思わせるような空間に、別の人物が立っているのが見えた。
前を歩く今井修が足を止め、頭を下げる。
「お連れしました、中条聖夜です」
今井修が頭を下げた先にいたのは、地面を引き摺るほどに長い灰色のローブを身に纏った老人だった。腹まで伸びた白髭を左手でしごき、右手には青白い光を放つ本が一冊。髭と同じ真っ白な髪は足元まで伸びている。皺だらけの顔に人を射抜くような光を放つ双眼。
その目が、俺へと向けられる。
「来たか。こうして話すのはもう何度目になるかな」
老人は言う。
「言い飽きてはいるが、歓迎しよう。私は『脚本家』と呼ばれている存在だ」
……。
ブック……、メイカー?
どこかで聞いた単語だ。
「さて。実りの無い無駄話は全て省き、単刀直入に言おう。これから君には、魔法世界エルトクリアに入る直前、つまりは修学旅行を最初からやり直してもらう」
……。
は?
見た目のわりにはきはきと発音されるその言葉は非常に聞き取りやすいのだが、言っている意味は全く分からなかった。
「理由はたった1つ。アリス・ヘカティアが必要な役割を果たす事無く死んだためだ」
アリス・ヘカティア。
アリス。
アリス、アリス。
アリス!!
その名前を聞いて、ふっと我に返るような感覚があった。
「そうだ! アリス!! スペード!! 俺はっ――」
怒涛のように言いたいことを喋ろうとしていた俺の口が止まる。魔法を掛けられたわけじゃない。不思議と、老人が俺を制止するように掲げた手に抗えなかったのだ。
「君のその言い分をいくら聞いたところで、何の実りも無い事は既に証明されている。時間の無駄だ。必要なことは全て私から説明しよう。それが終わるまでは黙っていてくれないか」
口調は柔らかいが、有無を言わせぬ何かがあった。
俺は黙って頷く。
「アリス・ヘカティアは支援魔法の使い手だ。現状では十二分にその力を使うことは不可能だが、いずれはその分野において類を見ぬほどの実力者となる。そして、その援護が無ければ、君は蟒蛇雀には勝てない」
っ。
知っている名が出た。
忌々しい、今すぐにでも殺してやりたい奴の名前が。
「蟒蛇雀の攻略無くしてアマチカミアキに辿り着くことは不可能。ここで修正しておかなければ、『ユグドラシル』を討ち取ることは出来ない。アリス・ヘカティアを何としても、王城にいるアイリス・ペコーリア・ラ=ルイナ・エルトクリアのもとへと連れて行かねばならない。君に与えるノルマはここまでだ」
アイリス。
女王陛下か。
「……それを過去に戻ってやり直せと? そんなことが可能なのか?」
「可能だから言っている。そして、私は言ったはずだ。私の説明が終わるまで黙っていろと」
……。
「ここに、君の本がある」
老人が抱えていた本のラベルを俺へと向ける。青白く発光する本にはこう刻まれていた。『中条聖夜』と。老人がもう片方の手を一振りすると、その指先に栞のようなものが現れた。
「この本は君の人生そのものだ。過去、君が経験した出来事が文字となってページを彩り、死ねば本は燃え尽きる。未来は白紙、誰にも分からない。本来は」
人差し指と中指の間に差し込まれた栞をひらひらとさせながら、老人は言う。
「私が創り出したこの栞に本の持ち主が血を垂らし、私が任意のページに栞を差し込む。そうすることで本の持ち主は差し込んだページ、つまりはその場面まで遡ることが出来るというわけだ」
そうやって過去に戻るわけか。
だから今井修は未来を知っているかのような行動が出来た、と。
しかし、そうすると俺に遡る前の記憶が無いのはなぜだ。今井修やこの老人の言葉を聞くに、かなりの回数をやり直しているはずだ。
「遡る際、君の記憶は引き継がれない。なぜなら、未来とは白紙だからだ。この栞を差し込んだ時点で、君の存在はそのページへと遡る。そして、そのページ以降の文章は全て白紙に戻る」
……理解した。
つまりは、また何も知らない状態でやり直せと言うことだ。そうなると、ただでさえどう行動していいのか分からないのに、身構えようもないぞ。
この老人の能力、『黄金色の旋律』にいる栞のものと似ているな……。
「しかし、遡れる回数にも限界がある。正確には、回数に限界というよりは、遡らせるにあたって使用する魔力に、ということだが。当然、遡るには魔力がいるし、遡らせる時間が長ければ長いほど必要な魔力は増える」
まあ、それが魔法である以上、発現に魔力は必要だ。
「エルトクリア大図書館に貯蔵している残りの魔力を考えれば、あと数百回は何とかなるだろう。しかし、これまでの君の行動を見ている限り、それで成功するとは思えない」
……俺、いったいどれだけの回数を遡っていたんだ?
「よって、方針を変えることにした。君に現状の記憶を引き継がせたまま遡らせる」
「お待ちください」
割り込んだのは今井修だ。
「それをすると、奴らに逆探知される恐れがあると……。だから、最小限の魔法で彼を遡らせていたのではありませんか」
「リスクは承知の上だ。それでなお、こちらの方針をとることにした。貯蔵が尽きてからではもう遅い。遡らせるにも限度があるのだ。これ以上、大図書館の維持に支障を来たすわけにはいかん」
老人の言葉で、今井修が引き下がる。老人の視線が俺へと戻った。
「記憶を引き継がせたまま遡らせる場合、所定の魔力とは比べ物にならないほどの魔力が必要となる。端的に言おう。これで決めろ」
これで決めろ。
つまりは、ラストチャンスということだ。
「本来であれば持ちえないはずの記憶。その情報量が増えれば増えるほど、必要な魔力が多くなる。リスクも高い。だから、これまで君が失敗してきたルート全ての説明をしてやることは出来ない。しかし、このまま送りだすのは少々不安だ。よって、いくつかの最悪なルートだけ説明しておく」
老人は、俺の名前が刻まれた本を宙に浮かせ、人差し指を立てる。
「1つめ、リナリー・エヴァンスに遡りの話をするな。また、救難要請も極力最後まで控えろ。アリス・ヘカティアの生存率は上がるが、『黄金色の旋律』と『ユグドラシル』の全面戦争ルートに入る。支援魔法を使いこなせない現状でこのルートに入ると、君たちの勝率は著しく下がる」
何の冗談だよ。師匠がいるのに負けるのか。
しかも、師匠に助けを求めることも難しいのか。
「2つめ、保護したアリス・ヘカティアをウィリアム・スペードが王城へ連れていく際、ついていくな。残った君の随伴者が惨殺された上、それを知った君が引き返しているうちに、ウィリアム・スペードとアリス・ヘカティアは同じ運命を辿ることになる」
ぞっとした。
最悪だ。なんだその最悪な展開は。
「3つめ、保護したアリス・ヘカティアを匿おうとするな。随伴者ごと惨殺されてこのルートは終わりだ。君が殺される前にオサムが回収出来て良かった」
……。
「4つめ、交易都市クルリアの奥地、教会ではないにも拘わらず、十字の紋章が刻まれた建物には近づくな。これについては、その理由を説明することは出来ない」
……。
「5つめ、アイリス・ペコーリア・ラ=ルイナ・エルトクリアを城の外へ連れ出すな。あくまで君のノルマは、王城にいるアイリス・ペコーリア・ラ=ルイナ・エルトクリアのもとへ、アリス・ヘカティアを連れて行くことだからだ。これについても、その理由を説明することは出来ない」
浮いた本を開いた手のひらで受け止めた老人は言う。
「繰り返すが、これが最後だ」
老人の射抜くような視線が俺へと向けられる。
「必要なのは、アリス・ヘカティアを王城にいるアイリス・ペコーリア・ラ=ルイナ・エルトクリアのもとへと連れて行くことだ。それで、この一件は全て解決する。以上で説明を終わる。質問を受け付けよう。但し、不用意な質問は極力避けろ。遡らせるにあたり、未来の記憶が増えれば増えるほど情報量は増え、比例して必要な魔力も莫大なものとなる」
質問。
質問なら、山ほどある。
しかし、何を聞くべきなのかが分からない。
「なぜ、アリスを女王陛下のもとへ連れていくことで解決すると分かるんだ? 未来は白紙なんだろう。解決することが分かっているということは、そのルートは既に経験済みなのか?」
「回答を拒否する」
……なんだと?
「その回答は、情報量が特に多い。よって、答えることは出来ない……。が、しかし……、そうだな……」
しばらく黙り込んでいた老人だったが、眉間に皺を寄せながらゆっくりと、しかし明朗に言葉を紡ぐ。
「君のおかげで、と言えば嫌味に聞こえるかもしれないが、今回の一件については様々なパターンを私とオサムは見てきた。いつ、どのタイミングで、誰が、どこにいるのかもな。そこから導き出した結果だ。これは意地悪をしているわけではない。言わないのではない、言えない。理解してくれ」
……。
謎解きは後にすべきか。
「貴方たちは知っているようだが、俺には無系統魔法がある。あらかじめアリス・ヘカティアが捕らえられている場所へ赴き、連れ出してから王城へ向かえば直ぐに済むのでは?」
「その方法は、お勧めしない。理由については回答を拒否する。ただ、アリス・ヘカティアを殺すために蟒蛇雀が出てきた、という事実を理解してくれ」
……。
最初からマークされているってことかよ。
そうか。そうだよな。
そうじゃなきゃ、ウィリアム・スペードが一緒にいる状況でアリスに手を出すはずが……。
いや、待て。
なら、なんでアリスが独りで逃走している間に処理しなかったんだ?
「質問は以上か?」
「いや、待ってくれ」
これも後で考えることか。
なんだ、他に聞き出しておくべきことは……。記憶が引き継げるのなら、出来る限り情報を持っておくべきだ。情報量とやらについては分からないが、後1回のチャンスならギリギリのところを持って行きたい。
そこで疑問に思うことがあった。
「……貴方がたは記憶を引き継げるのか?」
「エルトクリア大図書館、その深部であるここにいる者は、記憶遡りの影響を受けない。栞を差し込んだ瞬間、君の存在はここではなく、差し込んだページに刻まれた文字の場所へと跳ばされるので適用されないだけだ。遡りが発動した瞬間、エルトクリア大図書館の外が一瞬にして遡りの影響を受けることになる」
なるほど。
そんな加護があるのか。
ふと、そこで視線を感じた。
今井修がじっと俺を見つめていた。
「他に何か質問は?」
老人の言葉で思考の海へと引き戻される。
どうする。
質問は無いか。本当に?
いや、聞きたいことなら本当にたくさんある。
しかし、正解に近い質問や、それを連想させるような内容については答えてもらえないようだ。情報量というやつが大きすぎるせいなのだろう。
だとすれば、何だ。
必要な事は何だ。
「この遡り、どこまでなら話していい?」
……。
この回答には、少々間が空いた。
「人による。但し、権力者に近い者に話すことは勧めない」
想像以上に漠然とした回答だった。いや、回答があっただけマシか。拒否される可能性だってあったわけだし。権力者に伝わるのはまずい、と。遡りなんて喋ったところで信じてはもらえないだろうが、確かに面倒な事にはなりそうだ。
いや、ここでこうした回答が出るということは、面倒だけでは済まないのだろう。最悪、修正できないほどのルートに入ってしまうことも想定すべきだ。
くそ。
冷静に考えたいのに、冷静に考えることが出来ない。
分かっている。
動揺から抜け出せていないのだ。
死んだ。
アリスが。
スペードが。
その事実が、どうしようもなく俺を動揺させている。
淡々と受け答えしているようだが、実際のところは状況に成すがまま流されているだけだ。もう全てが手遅れだと思ってしまっている脱力感と、何とかしなければという焦燥感がせめぎ合い、何とか状況を飲み込もうとしているだけなのだ。
後1回だけ、やり直せる。
そう思えば思うほど、今の時間は貴重だ。だからこそ、冷静に頭が働いてくれない。ここを逃せばもう質問出来ないと知っているから、余計に焦ってしまうのだ。
「質問を打ち切る」
老人は言った。
「これ以上の質問は不要と判断した。情報は貴重だが、持て余しては意味が無い。これまでの回答を精査しろ」
「……分かった」
俺が頷くのを見た老人が、栞を差し出してくる。
血を垂らすって言ってたよな。
親指の腹を八重歯で切り、栞へと血を垂らす。
それを確認した老人が、俺の名が刻まれた本を開いた。
とあるページで開かれたままの本へ、栞を差し込もうとして。
「頼む、中条聖夜。アマチカミアキを止めてくれ」
そんな言葉が聞こえた瞬間。
俺の視界は白一色に染まった。
続きを15時に更新します。
それでこのルートの書き溜めはおしまいです。