第14話 血塗られた真実《過程》
→【選択肢2】振り返る
★
振り返った時には、もう遅かった。
ジェームズ・ミラーの周囲に展開されていた魔力の刃は計5本。それらが淡い光を放ちながら、一斉に聖夜へと襲い掛かる。不意を突かれた攻撃に、聖夜の無系統魔法は間に合わなかった。
咄嗟に発現したのは無属性の身体強化魔法。
発現箇所は右手と左脚。
飛来した魔力の刃を右手で軌道を変え、左足で蹴り壊す。
上半身を反って躱して、跳躍でやり過ごす。
しかし、その全てを回避することは出来なかった。
「づっ!?」
5本のうち、1本。
聖夜が捌き切れなかったそれが、脇腹を軽く割いた。そのまま聖夜が背にしていた特大のガラス窓を突き破る。甲高い音と共にガラスにヒビが入り、そして砕けた。ホテルの外へと吐き出されていくガラスの破片だったが、上階故の強風によって細やかな欠片が吹き戻される。
強風によって体勢が崩れた聖夜にミラーが肉薄した。ウリウムの展開した水属性の魔法障壁をいとも簡単に蹴り砕いたミラーは、聖夜の手刀の軌道を左手で逸らし、右手で掌底を繰り出す。それが見事に聖夜の腹へと決まり、聖夜の身体は近未来都市アズサの夜景へと投げ出された。
「さらばだ、T・メイカーよ」
「ふざけ――」
耳障りなほどのモーター音。
突如として照らされたヘッドライトの光に目が眩む。
「がっ!?」
ホテルをスレスレに飛来してきた飛空車が、投げ出された聖夜へと激突した。反射で身体強化魔法を発現したものの、衝撃全てを吸収できるわけではない。脇腹を強く打ち付け、口から強制的に空気を吐き出すハメになった聖夜は、なおも暴走を続ける飛空車のボンネットにしがみ付いて落下を防いだ。
近未来都市アズサにおいて、飛空車は公共のものに限られる。しかし、この暴走車は明らかに聖夜個人を狙っていた。飛空車の外見は一般的な乗用車に近い。違いがあると言えば、タイヤが付いていないことくらいだろう。そのボンネットにしがみ付いている聖夜を振り落とそうと、飛空車が右へ左へ、そして上へ下へと次々と軌道を変えていく。
どこからかクラクションが鳴った。聖夜を乗せた飛空車が強引に舵を切る。そのおかげで正面衝突を直前で回避した。運転していた男は思わず舌打ちする。
「ジェームズの不意打ちを受けておきながら、まだこんな力が」
不可思議な音がした。
男がそう感じた瞬間に、密閉されている室内へ夜風が吹き込んでくる。僅かに視線を上げてみれば、いつの間にか飛空車はオープンカー仕様になっていた。
「おい。視線を逸らすなよ」
ボンネットにしがみ付いたT・メイカーが運転手に向かって言う。
「瞬き1つで全てが終わるぞ」
ザンッ、と。
訳の分からない斬撃音がしたと思えば、男が運転している飛空車の左半分が消えて無くなっていた。いや、正確に言えば、左半分だけが速度について行けずに遥か後方の建物へと墜落していた。
男の左腕と左脚を道連れにして。
「うっ!? うがああああああああああ!?」
まるで獣のような咆哮。
煌びやかな夜のネオン街へ鮮血を撒き散らし、男が痛みのあまり吠える。それを見届ける間も無く、T・メイカーは手にしていたクリアカードに告げた。
「後は任せた」
T・メイカーの姿が掻き消える。
直後。
流星が残り半分となった飛空車に直撃した。
★
リナリー・エヴァンス率いる『黄金色の旋律』。
そして、素性不明の天地神明率いる『ユグドラシル』。
どちらが脅威かと問われたら、おそらく大多数の者が後者と答えるだろう。『ユグドラシル』と言えば世界的な犯罪組織であるが、その構成員単体でも名を轟かせている者が多い。
例えば、蟒蛇雀。
特殊二大属性に分類される闇魔法を得意とする蟒蛇は、彼女の持つ無系統魔法『強化』を併用し、闇魔法を更なる次元へと昇華させた。属性同調によって自らの身体を闇そのものへと変質させることはお手の物で、無系統魔法を併用することで影への干渉も可能としたのだ。
彼女特有の無系統魔法が必須条件となるため、世界魔法協議会が管理する『呪文大全集』には記載されていない。しかし、彼女が悪行に身を染めることなく魔法開発の発展に貢献し、その強化過程におけるメカニズムの解明に励んでいたとすれば、ClassLの取得も夢では無かっただろう。
壊滅的な性格をしており、快楽殺人鬼として裏社会で名を轟かせていたが、ある時期から『ユグドラシル』として活動することになった。言葉での懐柔は不可能とまで言われていた蟒蛇が、どのような経緯で『ユグドラシル』入りしたのかは知られていない。『闇の権化』の2つ名が付けられた蟒蛇は、『ユグドラシル』に所属しているという危険性も上乗せされ、魔法世界内において500万エール(日本円で約5億)もの懸賞金がかけられており、世界各国もそれに近しい懸賞金を用意している。
コードネームで活動している『ユグドラシル』において、唯一コードネーム以外の名前も知られている蟒蛇ではあるが、その名前が本名なのかどうかは不明のままだ。
例えば、カーリウ・スカウラウド。
土属性に秀でたスカウラウドは、自らの背に4本もの剛腕を創り出して攻撃するという物理特化の戦闘スタイルを有している。かつて日本の魔法開発研究所の1つを強襲し、単体で再起不能まで追い込んだ事件から名を上げたこの男は、日本でも『阿修羅』の2つ名を与えられ多額の懸賞金がかけられた。
その後は本拠地をアメリカへと移して裏社会で活動。『ユグドラシル』入りを果たしてからは諸行無常と名乗り着々と悪行を積み重ねていたが、最近ではその姿を見る事は無くなった。死亡したのではと一部では囁かれているが、魔法世界では未だに90万エール(日本円で約9000万)もの賞金が掛けられており、死亡説は否定されている。
例えば、天上天下。
剣聖エルダ・ブロウリー・ジェーンに弟子入りを希望した者は星の数ほどいたが、本人から正式に弟子と認められた者は僅か4人。更にその中でジェーンより免許皆伝と認められた者は2人にまで絞られる。かつて伊織と名乗っていた彼は、その一番弟子であり免許皆伝と認められた1人だった。師からの必死の説得を退け、三番弟子を殺傷して姿を消した伊織は、『ユグドラシル』へとその身を投じてからは世界に名を轟かせるほどの剣豪と化す。
最近ではなぜか愛刀を用いることなく魔力のみで戦闘を行うようになったと言われているが、それでもその戦闘力は衰えることなく、むしろその凶悪度は増した。魔法世界では800万エール(日本円で約8億)もの懸賞金が掛けられており、数々の非道を繰り返したアメリカにおいても日本円にして5億に近い懸賞金が掛けられている。ちなみに、世界各国よりも魔法世界が高い懸賞金を掛けているのは、魔法という存在そのものを悪と捉えられないようにするための抑止力を期待して、という理由がある。
他にも様々な悪名を轟かせる犯罪者が多数存在しているのが『ユグドラシル』というグループだ。トップに坐す天地神明を除いても、相当な数の実力者が控えていると言われている。
対して、『黄金色の旋律』は現状で構成員だと判明しているのがリナリー・エヴァンスとT・メイカーの2人しかいない。そのT・メイカーですら先日のアギルメスタ杯が初めてのお披露目であり、それまでは必要な時に外部から協力者を雇っているだけで、グループとは名ばかりのものではないかという説まで挙がっていたほどだ。
加えて、そもそもの話ではあるが『黄金色の旋律』は『ユグドラシル』のような犯罪組織というわけではない。不敬罪だけに絞って考えてみれば、リナリー・エヴァンスの右に出る者はいないだろう。実際に刑を執行するのなら、それこそ三桁では足りない程リナリー・エヴァンスは処刑されている。しかし。実際のところはその実力とこれまでの功績から不問にされていることが多く、その他グループが犯罪に手を染めているという事実も無い。
それを踏まえた上で。
リナリー・エヴァンス率いる『黄金色の旋律』。
そして、天地神明率いる『ユグドラシル』。
果たしてどちらが脅威となるのか。
ジェームズ・ミラーは考える。
リナリー・エヴァンス率いる『黄金色の旋律』である、と。
どちらも1つの国に属さない無法者の集団。いつ何時自国へと牙を剥くかも分からないはぐれ者たち。危険度で言えば、もはや前者も後者も変わらない。ならば、後はどちらを先に潰すかという話になる。
この会談で天地神明を討ち取ったところで、『ユグドラシル』の脅威は変わらない。むしろ頭が死ぬことで統率が乱れ、世界へより混乱が広がるかもしれない。『断罪者』が一枚かんでいることは、向こうにも知られている。弔い合戦と称してアメリカ合衆国を攻められたらたまったものではない。おそらく、その際にリナリー・エヴァンスは手を貸してくれないだろう。他国も同様だ。自分たちの国は自分たちで守るしかない。
それを前提に考えればどうか。
世界的な犯罪組織なら、自分たちが手を下さなくても他国がやってくれるかもしれない。自分たちが動く時は、他国が動く時。何も率先して動いてリスクを背負う必要など無い。こう考えれば優先順位は逆転する。両者共に不穏分子であるならば、都合が良い方から潰す。『ユグドラシル』と違い、『黄金色の旋律』はリナリー・エヴァンスありきの組織だ。リナリー・エヴァンスがいなければ成り立たない。逆に言えば、たった1人の力で世界共通に脅威と思われるほどの存在感を持つリナリー・エヴァンスが規格外と言うことになるが。
だが。
だからこそ、リナリー・エヴァンスさえ始末すれば『黄金色の旋律』は瓦解する。
実力の底が見えないのはT・メイカーも同じだが、アギルメスタ杯でのウィリアム・スペードとの一戦を見る限りでは、『断罪者』の隊長格が2人いれば十分に処理は可能であると推測できる。1人でも時間稼ぎくらいは可能だろう。
既に『ユグドラシル』側との話もついている。リナリー・エヴァンスの討伐に手を貸せば、『黄金色の旋律』の掃討は全て『ユグドラシル』側が請け負うと。
証拠は残さない。『ユグドラシル』と一時的にと言えども手を組んだなど、決して外には出せない話だ。しかし、リナリー・エヴァンスを無力化するためには、『ユグドラシル』の手を借りる必要がある。世界最強の名は伊達ではない。正面から戦いを挑んでも殺されるだけだ。味方だと認識されていなくとも、協力者という立場でいるこの現状こそが、リナリー・エヴァンスの隙を誘うことが出来る唯一無二の好機。
T・メイカーを飛空車で撥ね飛ばした同僚が、夜のネオン街へと消えていく。その様子を確認する間も惜しみ、ミラーは踵を返した。猶予はあまりないと見るべきだ。T・メイカーの能力は未だに不明のまま。アギルメスタ杯において仲間と居場所を入れ換える魔法を使っていたが、その発現者が誰なのか、どのような条件においてどれほどの効果を及ぼすのかははっきりしていない。
今、この瞬間に、ミラーとT・メイカーの居場所を入れ換えられる可能性すらある。そこまで考慮した上で行動すべきだろう。何を条件として魔法発現のトリガーを引いてしまうかは分からないのだ。
扉を開けて、無人の廊下へと飛び出す。身体強化魔法の力を借りて一瞬で角まで辿り着いたミラーは移動手段にエレベーターは選択しなかった。傍にある階段を用いて1つ、2つと階を上がっていく。
最上階に到達したミラーは、気配を断ち角からこっそりと周囲の様子を窺った。当然のようにこの階の廊下にも人の気配は無い。ゆっくりと一歩を踏み出す。絨毯が敷き詰められているこの廊下は、あまり意識をしなくても足音を消してくれた。
あらかじめ知らされていた一室の前で立ち止まる。
用意していた合図を、クリアカードで送る。
相手へ、僅かに1コール。
5秒待つ。
そして。
★
無系統魔法『上書き』で、聖夜は再びホテルの一室へと戻って来た。リナリーと別れてからミラーの控える部屋へと向かう過程で置いてきたものだ。
転移用の刻印が施された1円玉を、聖夜はリナリーには預けなかった。
理由は簡単で、リナリー本人が肌身離さず所持している状態で転移すれば、リナリーを殺めてしまう可能性があるからだ。『上書き』は座標演算を必要とせずに対象となる刻印が施された魔法具へと転移させる魔法だが、生じる効果は『書き換え』と同じだ。転移した先で何かが重なっていれば、書き換えられた対象物が勝ってしまうためにその何かが破壊されてしまう。つまり、リナリーが洋服のポケットに1円玉を入れていれば、聖夜はそれを突き破って現れることになる。身に纏っている衣類が破れるだけならまだマシで、下手をすればリナリーの身体そのものを破壊してしまう可能性だって否定できない。
ならば、転移の直前に1円玉を宙に放れば済むかと問われたら、転移自体は可能だが現実的ではないという回答をせざるを得ない。聖夜が転移してくる前に、刻印が施された1円玉が『ユグドラシル』側に破壊される可能性がある。誰だって、会談中に突然懐から1円玉を取り出して宙に放れば不審に思うだろう。放るチャンスがあるかも分からない。何より、いきなり戦いのど真ん中に転移してくれば聖夜にも隙が出来る。音声である程度の状況を把握できていたとしても、映像で状況を確認しているわけではないので、転移先で誰がどこにいるのかといった情報は全く無いのだ。
これらのリスク全てを冒してまで、リナリーが肌身離さず所持しておくメリットは無い。それなら、多少時間はかかったとしても、会談予定となっている部屋の近くに転移した方が安全だし現実的だろう。
そういうわけで、聖夜が転移してきたのは会談場所となっている部屋と同じ階にある別部屋だ。もっとも、転移直後の魔力の揺らぎを感知されないように、一番遠くの部屋となっているが。
残念ながら、飛空車との激突で耳にしていたイヤホンは弾け飛んでおり、会談の状況は一切分かっていない。しかし、『断罪者』側の明確な裏切りがあった以上、会談がそのまま続けられているという可能性は低いだろう。むしろ、未だその裏切りが知らされておらず会談が続けられているのなら、手遅れになる前に介入しておくべきだ。
そう考えた聖夜は、転がるようにしてその部屋から躍り出た。身を晒したのは無人の廊下。その廊下に、怖気の走るような音が響き渡った。何か柔らかいものを切断するような、バケツ一杯に入った水を壁にぶちまけるような。
まるで、人をずたずたに斬り裂いたような、音。
「――っ」
走る。
無人の廊下を。
走る。
足音すら気にせずに。
走る。
角を曲がる。
走る。
足がもつれても。
走る。
目的地へと向かって。
そして。
「中条聖夜の名前を出したことで油断したな、リナリー・エヴァンス。世界最強と持て囃されてはいたものの、所詮はお前もただの人だ」
内側から聞こえてくる声を無視し、半開きとなっていた扉を開け放つ。薄暗く細い室内を通って、大部屋へと移動する。移動するごとに血の匂いが強くなっていくことを、聖夜は仮面越しに認識していた。灯りの照らされた大部屋へと辿り着く。
そこには。
こちらに顔を見せて座る黒髪の男。
嘲るような笑みを浮かべた黒髪の女。
そして。
最後の一刀を放つジェームズ・ミラー。
赤。
聖夜の視界は、その一色で埋め尽くされた。
次回の更新予定日は、2月29日(土)0時です。
※金曜日の更新では無いのでご注意ください。