第13話 近未来都市アズサ ②
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「やはり、我々も同席するべきでは」
「同席して何の役に立つというの? 別に味方でも無いでしょう?」
自らの前で直立してそう進言してくる男に対し、リナリーは鼻で嗤いながら返答した。
「そのような軋轢を生む発言は遠慮願いたい。我々は『黄金色の旋律』と『ユグドラシル』の両トップが会するという場に対して、適切な行動を取るつもりでここにいる。貴方が世界を害する存在でないと自覚しているのなら、何の問題も無いでしょう」
「世界を害する存在という表現は適切ではないわね。正しくは、アメリカ合衆国を害する存在でなければ、でしょう」
「お戯れを」
「なら、貴方のボスから命じられたわけ? 何かあれば、リナリー・エヴァンスを補佐せよと」
リナリーからの質問に、男は押し黙る。
その様子を見て、リナリーは鼻を鳴らした。
「もう間もなく、私の弟子がここへ来る。貴方たちは私の弟子と共に別室で待機。介入は状況を見て適宜ということでよろしく。もう行っていいわよ」
これ以上話す事は無い、とリナリーはひらひらと手を振った。
男は苦虫を嚙み潰したような表情を見せたが、それは一瞬のことだった。凝視していなければ気付かない程度に小さく頭を下げた男は、踵を返してその部屋を出る。閉じられた扉を一瞥し、小さくため息を吐いてから歩き出した。
廊下には、男以外誰もいない。
それもそのはずで、このホテルは貸し切りにされていた。
関係者以外は立ち入る事すら許されない。
ホテルの従業員でさえも。
男はあらかじめ割り振られていた部屋の前に立ち、カードキーでロックを解除する。素早く部屋の中へと滑り込んだ。オートロックで鍵がかかったことを確認した男は、クリアカードを取り出して連絡待ちをしている仕事仲間へと掛ける。
『首尾は?』
「同席は断られた」
『なぁにやってんだよ、ミラー。それじゃあどうなるか分からねぇじゃねーか』
呆れたような口調でそう言われた男は、クリアカード越しに頬を引くつかせた。
「お前なら無理を通せたとでも?」
『いや、無理。そのまま戦闘になるんじゃねーかなぁ』
ふざけるな、と。そう吐き捨てたくなる気持ちを、ミラーはあとちょっとのところで抑えることに成功する。頭を振り思考を切り替えた。
「予定通り、こちらから指示を出すまでお前はそのまま張っていろ」
『はいはいっと。簡単に言ってくれるが、こっちもそれなりに神経使ってるんだぜ。やばそうな奴らがうようよいやがる。バレてないか、こっちがひやひやもんだ』
「心境はこちらも同じだよ……」
なにせ、これから行動を共にするのはT・メイカーだ。彗星の如く七属性の守護者杯に現れて、話題を総ざらいしていった謎の男。同僚であるアリサ・フェミルナーを始めとした様々な有名人を打ち倒し、『トランプ』の一角であるウィリアム・スペードとも互角の戦いを披露した武闘家。直接相対したのは、日本の『痛みの塔』の件での僅かな時間だけだったが、自分たち『断罪者』の隊長格を相手に、全く物怖じしない豪胆な人物だったという印象が残っている。
迂闊な行動は出来ない。
何がきっかけで戦端が開かれるか分かったものではないからだ。
気休めの激励を受け取ったミラーは、通話を切ってクリアカードを懐へと仕舞った。扉をノックする音が聞こえ、ため息を吐いたミラーは仕方なく扉へと向かう。扉を開けば予想通りの人物が予想通りの格好で姿を見せた。
「T・メイカー殿だな」
「ジェームズ・ミラー殿、助力に感謝する。かの名高い『断罪者』、それも隊長格の貴方がついてくれているとは心強い」
どうせただのリップサービスだろう。そもそも、目の前の男がT・メイカーであるという確証も無い。そう考えながらも表情には一切出さないよう注意し、ミラーは来客を丁重に招き入れた。白いローブに白い仮面を身に着けた素性不明の男を。
☆
「……いらっしゃい」
近未来都市アズサにある超高級ホテルの一室。最上階から1つ下の階に構えているその部屋は、近未来都市アズサの街並みを一望できる特大のガラスが壁に嵌め込まれていた。そこから差し込む赤い夕陽を浴びた師匠は、こちらに背を向けたままそう口にする。手には何かの雑誌。リラックスした姿勢で椅子に座り、視線をそれに落としていた。
昔は分からなかった。
師匠との手合わせで、どれだけ上手くやったつもりでも、どれだけ不意を突いたつもりでも、なぜ転移魔法の転移先に気付かれてしまうのか。それが、今なら分かる。
発現の兆候だ。
『自分の能力が最強だと思ってた? 回避不能の神の御業だと? あはは、馬鹿言わないでよねぇー。それが魔法である以上、事象を改変するには魔力が必要。なら、その魔力のたわみを感じ取ることができれば、避けることだって可能なわけ』
以前、文化祭の夜に蟒蛇雀から言われたことを思い出す。そうだ。俺は何処かで過信していたのだろう。あの時は師匠から無系統魔法の乱用を禁じられていた。しかし、その切り札さえ使えば敵などいないと思っていたのだ。
目の前の、師匠を除いて。
思えば、手合わせの相手が師匠しかいなかったことも視野を狭める要因の1つとなっていた。俺の無系統魔法を回避できるような変人は、師匠以外にいないだろうと勝手に考えてしまったのだ。師匠が非常識な力の持ち主だったが故に。勝手な思い込み。言わば慢心。
そして、現実を知る。
何度も痛い目にあった。自分がどれだけ傲慢だったのかを思い知らされた。ライセンスを取得し、プロの魔法使いの仲間入りを果たしたと意気込んだところで、精神面がそれに追いついて来ないと何ら意味を成さないということを理解させられた。
今はどうなのだろうか。
適切なリスク管理は出来ているのか。
おそらく、答えは否だろう。
リスク管理の面で言うなら、近未来都市アズサには来るべきでは無かった。既に抵触してしまっているとはいえ、もういくら警告を破っても構わないという状況ではない。『ユグドラシル』の全勢力が集結していてもおかしくはないこの場所へ、俺は来てしまったのだ。
「どうかしたの?」
無系統魔法『上書き』で跳んできてから、一度も言葉を発しない俺を不審に思ったのだろう。師匠は座っている椅子を反転させて、俺の方へと向き直った。差し込んだ夕陽をその一身に受けて赤く輝く師匠を、俺は素直に綺麗だと思った。相変わらず年齢を感じさせない美貌だ。まあ、今が何歳なのかを俺は知らないのだが。
「いえ……。やはり、会談の件を考え直してもらうことは出来ませんか」
「……貴方もあの子と同じことを言うわけね」
なぜかうんざりしたような表情で師匠が言う。
あの子?
「私の考えは変わらないわ。ここが最初にして最後のチャンスなの」
師匠は手にしていた雑誌をデスクへと放り投げてからそう答えた。
「ならば、せめて日付を変更することは出来ませんか。『脚本家』からの指令では、日付を跨ぐタイミングで師匠が生きていればいいのです。せめて明日とか」
「無理」
断言だった。
取り付く島もない。
「ここのホテルを丸々貸し切るために、いったいいつから予約を入れていたと思っているの? それとも、一般人が普通に利用している日に、どこかの空き部屋を一室借りてやれとでも?」
「それは……」
巻き込むわけにはいかないという理由は分かる。相手は街中で属性奥義を使うような連中だから、ホテル一棟を貸し切ったところで何ら意味を成さない可能性はあるが。
「それにね、日程を変更すれば間違いなく天地神明は不審に思う。言ったでしょう? あいつは用心深いのよ。ここで会談の話がご破算になったら、おそらく私の前には二度と姿を現さないわ」
「アマチカミアキの人物像については、納得出来ないところがありますけど」
「姿を見せても構わない、とあいつに覚悟を決めさせる程の期待があったのかもしれないわね」
師匠の言葉に首を傾げる。
「期待?」
「貴方とちょろ子を味方に引き込みたい、という話よ。聞いた限りでは、貴方たちが『ユグドラシル』側に寝返っていれば確実に向こうが勝っていたでしょうし」
それは言えるかもしれない。『脚本家』の望む事象改変をする奴がいなくなるからな。
「ですが」
「懸念事項を片付けておきたいという思いもあるの。今、貴方が言った通り、私と貴方とでは天地神明という人物像への認識が違い過ぎる。まるで別人よ。本当にそんな存在がいるのなら、この眼で確かめておきたいわ。少なくともさっきの報告で聞いた通りなら、あいつの名前の本を持っていたんでしょう? なら、最低でもその本を預けられるほどの実力者ということ。まさかあいつが2人いる、なんて悪い冗談も良いところだし」
「そう思わせて、師匠をおびき出す作戦かもしれませんよ」
「それなら1つ懸念事項が片付いたと考えられるわね。天地神明を名乗る男は1人だけ。それでも十分な成果でしょう? 本物が現れてくれるならこちらも好都合というものよ」
……言っている内容は理解出来る。
出来る、が。
「仮に本物のアマチカミアキが来るとします。師匠が奴を無力化するとします。そしたら、『ユグドラシル』は瓦解すると思いますか?」
もしするのならば、リスクを冒す意味も多少はあるのかもしれない。
「思わないわね」
しかし、師匠はそう断言した。
「そりゃ多少の混乱はあるとは思うわよ? 仲良しの集まりってわけでもない、それぞれが自分の都合しか考えない犯罪者どもの寄せ集めのような集団だから。もしかしたら『ユグドラシル』という看板を下げて別のグループになるかもしれないし、いくつかのグループに分裂するかもしれない。そう言った意味では、瓦解という言葉は正しいのかもしれないわね。それでも、全ての脅威が消えてなくなることは無いわ。絶対にね。だって、他のメンバーは生きているのだもの」
「それなら、ここでリスクを冒す必要は無いでしょう」
「いいえ、それでも天地神明を討つ意味はある。貴方、『脚本家』に会ったのでしょう?」
急に会話の矛先が変わった気がしたが、師匠の言葉に頷く。
「あの世界の管理人から目を付けられておきながら、それでもまだ『ユグドラシル』という集団が存在している。その異常性がここでリスクを冒す最大の理由よ。『脚本家』が御し切れない最悪のイレギュラー。それが天地神明という男なの。もうここしかない。次のチャンスは回ってこないと考えるべきだわ」
……『脚本家』。
世界の管理人……、か。
「『脚本家』は信用出来るのですか?」
俺の質問に、師匠が綺麗に整えられた眉を吊り上げた。
そして、答える。
「その質問に意味はあるわけ?」
答えになっていない答えを。
「意味、とは?」
「貴方はこれまで、その『脚本家』から与えられた指令と警告に従い、ここまで来たわけでしょう? それが貴方にとっての答えではないの? 私がここで信用していないと言えば、貴方はどうするわけ?」
それは……。
答えに窮する俺を見て、師匠は露骨なため息を吐く。
「大方、あの男から何か言われたんでしょう? 世界は1人の魔法使いが管理するものではないとか、貴方は利用されているだけだとか。そうとしか考えられないもの。これまでは一言もそんな疑問を口にしなかったくせに」
鋭い。
ぐうの音も出ない程に。
「盲目的に従う人形みたいな奴らよりはよっぽどマシだけどね。幅広い視野を持つことは大切。事象を『そういうものだ』として捉えるだけでは無く『なぜそうなるのか』と考える力はとても重要よ。本質に気付けることがあるからね。でも、そういう疑問は敵から言われて気付くようでは駄目よ。ただ心理戦で負けているだけじゃない」
「すみません」
俺が頭を下げたのを見て、師匠はもう一度ため息を吐いた。
「頭を上げなさい。先の質問に対する回答と助言をあげる」
頭を上げる。
夕陽を背にして真っ赤に染まった師匠と目が合った。
「私は信用している。今のところは、ね。そして、私はその回答を貴方に押し付けない。だって、貴方は貴方。私では無いもの。だから、貴方は貴方だけの答えを見つけなさい」
俺だけの、答え……。
「今すぐにここで出せ、とは言わないわ」
師匠が椅子から立ち上がる。
「でも、ここは協力して欲しい。『脚本家』は確かに強大過ぎる力を持っている。今ここで貴方が事象を改変しようとしているのも『脚本家』が望んでいるからこそ。それでも、その事象改変は世界にとってプラスになることでしょう?」
首肯した。
理由は『ユグドラシル』を好きにさせないようにするためだからな。
「今はそれで十分よ」
俺の出した答えに、師匠は満足そうに頷いた。
そのタイミングで、ノックと共に扉が開錠されて開かれる。
「あっ」
入室してきたのは『黄金色の旋律』のメンバーであるヴェロニカ・アルヴェーン、通称ヴェラだった。ヴェラは俺の顔を見るなり嬉しそうな笑みを浮かべてこちらへと駆け寄ってくる。
「……ヴェラ」
満面の笑みで手にしていたクロッキー帳を開き、俺に対するコメントを書き込み始めた姿を見て、少しだけ泣きそうになってしまった。
生きている。
ちゃんと生きている。
それだけのことなのに。
その当たり前のことが嬉しくて仕方が無かった。
人は他人を羨む生き物だ。なぜなら、自分には無い何かを持っているから。自分には無いその何かが、自分では手に入れる事の出来ない何かが、なぜか、とても重要なものに見えてしまうからだ。だから見落とす。今の自分の現状がいかに恵まれているのかを。他人が自分を見て羨んでいることに気付かない。現状が当たり前だと思っているからだ。だから、気付くのは失ってからになる。自分がどれだけ恵まれていたのかを。当たり前だと思っていたことが、どれほど尊いものなのかを。
気付いた時には、抱きしめていた。
クロッキー帳とサインペンがカーペットの床を打つ音で正気に戻ったが、それでも離さなかった。ヴェラの細い腰に回した腕に力を込める。温かい。それがよりヴェラの生を実感させてくれた。
「あ……、え、あの……」
ヴェラのか細い声が耳元で聞こえる。
それとほぼ同時に師匠のわざとらしい咳払いが聞こえた。
そこで完全に我に返った。
「あ、ごめん」
急いでヴェラを解放する。正気に戻ったと思っていたが、全然そんなことは無かった。むしろ抱きしめていた時に感じていたはずの柔らかさを今になって思い出し、羞恥で悶えたくなる。完全にセクハラだった。女性側から同意を得ていない以上、出る所に出れば間違いなく有罪判決である。
「私、席を外した方が良いかしら。初夜を迎えるには絶好の場所だと思うし」
素早く床に落ちたクロッキー帳とサインペンを拾い上げたヴェラへと近寄り、『お願いしま』まで書かれたクロッキー帳を取り上げた。何をお願いするつもりだったのか小一時間問い詰めたいが、自らの首を絞めるだけのような予感がしたので触れないでおく。
「いいえ、結構です」
そのページは破り取ってくしゃくしゃにした。
なおも赤面した顔でこちらを睨みつけてくるヴェラにもう一度謝罪の言葉を告げてから、師匠へと向き直る。警察に突き出されるのは、この一件が解決してからにして欲しい。
「では、俺は行きますね」
「ええ」
師匠が頷く。
ヴェラの肩を軽く叩き、その場を後にする。
扉を開けようとしたところで師匠から声が掛かった。
「そう言えば、ヴェロニカのイメチェンには何か言ってあげないの? 熱い抱擁だけで終わりなの?」
「茶化さないでくださいよ……」
さっきのは本当に申し訳ないと思っているんだから。
そう思いながら振り返る。
ヴェラと目が合った。夕陽のせいで部屋全体が赤く染まっているために距離を置くと見えにくいが、それでもまだヴェラが赤面していることは分かった。ツーサイドアップとかいう髪形をしたヴェラ自慢の銀髪が、今は真っ黒に染められている。今更何を、と思ったが感想を言ったことは無かったかと思い直した。
「似合ってるよ。普段とイメージが違うからびっくりした」
それだけ告げて踵を返す。
手にしていた仮面を装着する。
扉を開けて外に出た。
そこで、何かが引っ掛かった。
何かが。
それはヴェラのことだったような気がしたが、結局何かは分からなかった。
☆
イヤホンから何かが擦れるような雑音が聞こえ出した。おそらく、師匠が盗聴器の電源を入れたのだろう。移動を始めたのだ。いよいよ会談が始まろうとしている。じっと座ってはいられず、立ち上がった。その様子を見ていたジェームズ・ミラーが口を開く。
「……何か起こったのか?」
「リナリー・エヴァンスが移動を始めた。会談を行う部屋へ移動するのだろう」
「いよいよか……」
こちらに心情を読ませない顔色で、ジェームズ・ミラーが呟いた。
窓際へと移動する。師匠が待機部屋として利用していた先ほどの部屋から2つ下の階にあるこの部屋は、グレードこそ1つ落ちるものの世間一般で言うスィートルームとほぼ同じクオリティを誇っている。近未来都市アズサの美しい外観を一望できる特大のパノラマも変わらずだ。
室内を真っ赤に染め上げていた夕陽も先ほどまでで、今は遥か向こうの空を僅かに赤く染めるだけに至っている。陽がほぼ落ちたにも拘わらず、それでも外が明るく見えるのは、やはり近未来都市アズサならではの特徴だろう。夜景も実に美しかった。
いつの間にか握りしめていた拳を解く。
じっとりと汗で濡れていた。
なるべくリラックスすることを心掛けてはいたが、やはり無理だったか。それはそうか。ここで全てが決まるんだもんな。今までの努力が全て無駄になる可能性もある。警告にも抵触してしまっている。これからどれだけ挽回の為に頑張ろうとも、それすら全てが意味の無い可能性だってある。
ぼんやりとしていた焦点を戻す。
何かが窓の外で動いた気がした。
同時に感じ取る、魔力が揺らぐ気配。
俺は――。
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次回の更新予定日は2月21日(金)ですが、もしかすると28日になるかもしれません。