第7話 歓楽都市フィーナ ②
☆
世界の秘密……、か。
おそらく、こうして興味を持ってしまったこと自体、この男の思惑通りの展開なのだろう。俺は内心で舌打ちをかました。
……この流れは良くないな。
興味が無いわけではない。むしろ、知りたいとすら思う。以前、泰然が口にした『世界の理』とやらが、アマチカミアキの言う『世界の秘密』なのだとしたら、更に興味が湧いてくるというものだ。
ただ、問題となるのは、この男が真実を話すとは限らないということ。
自分たちの協力者に仕立て上げるために、都合の良い情報のみを口にする可能性だってある。そもそも、俺はこの男からの誘いをすっぱりと断っているのだ。にも拘らず、余裕の表情のまま『世界の秘密を教えよう』と言ってきているのだ。裏があるに決まっている。
話を聞く体勢になってしまっていること自体が、既にこの男の思惑通り。そう考えるべきだ。こうして話し合いに応じてしまったことがそもそもの失敗。エマだって、あれほど悔やんでいたじゃないか。敵を目の前にして殺すことが出来なかったと。
こいつさえ殺せば、全てに片が付くというのに。
……。
テーブル下で死角になっている俺の手が、無意識のうちにピクリと動いた。
やれるか。
この狭い個室の中。
いるのは3人。
俺と、アマチカミアキを名乗る男。
そして、俺の背後、個室唯一の扉の前で待機する女。
無系統魔法『書き換え』を使えば一瞬で片が付く。ポケット内にあるシャープペンシルの芯を、2人の心臓へ直接跳ばす。俺の対面に座るアマチカミアキは、目視で確認出来ているから問題は無い。不安なのは、女の方。もっとも、背後に控えている女の立ち位置も、大まかではあるが頭の中に入っている。最悪、女の体内にさえ跳ばせれば二撃目で殺せるだろう。
ただ、目の前の男が自らを『アマチカミアキだ』と名乗った瞬間にこの手段に及べなかった理由はある。それが、この男が嘘を吐いている可能性だ。
『アリス・ヘカティアを王城まで警護するにあたり、聖夜様へ同行を禁じたのは、襲撃者の誘拐を確実に成功させるためだった可能性があります』
エマはそう言っていた。
そして、おそらくエマの考えは正しい。
俺のクリアカードに届いた送り主不明のメール。あのメールが無視しても構わないものなら、そもそもメールの存在自体が不要のものとなる。メールが必要無いなら、逃走奴隷であるアリスの誘拐を成功させる必要も無い。現状がその逆である以上、この誘いに乗ることに何らかの意味がある。そういうことだ。
俺は、この場へ来る必要があった。
あの悲劇を繰り返さない為には、避けては通れぬ道。
なら、俺がここですべきことは何か。
アマチカミアキと名乗ったこの男を殺すこと?
おそらく、違う。
この男が本当にアマチカミアキだとするならば、『脚本家』からもたらされた警告に矛盾が生じてしまう。『脚本家』の警告は全部で7つ。その中で今回のケースに関係していると思われるのは2つだ。『保護したアリス・ヘカティアを王城へ連れていく際、ついていくな』と、『この修学旅行期間中は、どのような事態になろうとも次に挙げる人物とは接触するな』と前置きされた上で挙げられた人物の1人、天地神明。天地神明とは『ユグドラシル』のトップ。つまりは目の前の男だ。
エマの推測が正しければ、俺がここへ来るのは確定。しかし、ここへ来てしまえばアマチカミアキが待ち構えている。どちらかの警告を守ろうとすれば、どちらかの警告を破ることになる。エマの推測が間違っていたとでも言うのか。いや、それは無い。確たる証拠があったわけでは無いが、あいつの考えは筋が通っていた。俺がここに来るべきという推測は間違っていない。
なら、この矛盾はどう説明するのか。
いや、もし、もしだ。この状況すらも、矛盾が発生していないとするならばどうか。現状も、『脚本家』から与えられた警告全てを忠実に守り、どれ1つとして抵触していないとするならば。……そう。1つだけある。この状況でも『脚本家』の警告に抵触していないケースが。
それが、目の前の男がアマチカミアキを騙る偽物の可能性だ。
それならば、説明はつく。エマの推測通りに俺はこの招待に応じる必要があり、かつ『脚本家』が警告した接触禁止の誰でも無いこの男と面会する。
この男がアマチカミアキで無いのならば、ここで殺すという選択肢はまずい。リスクとリターンが合わないからだ。『ユグドラシル』のトップであるアマチカミアキをここで殺せれば、師匠が危ない橋を渡る必要は無くなる。遡り前に見た、あのような地獄も起こらないだろう。あれは師匠という抑止力が消えたが故に起こった惨劇だったからだ。勿論『ユグドラシル』という組織が、頭を失った時にどのような動きをするのかは未知数。だが、危険度はかなり下がるに違いない。
しかし、この男がアマチカミアキでは無いのなら、リスクしか残らない。影武者としてこの場にいる以上、『ユグドラシル』の中でも重要な地位にいる者ではないはずだ。少なくとも、これから行われる会談に支障が出るような人物ではないに違いない。そうなると、こちらが一方的に敵対したという事実だけが残る。人質として取られているアリスや白銀色の2人も助からない。俺がこの店から生還する可能性も激減するだろう。それではリターンが少な過ぎる。
この男を殺すのは得策ではない。
……結局、この結論に至るのか。
そう思わせることすら、この男の作戦かもしれないというのに。
目の前に座る男と視線が合う。
涼やかな笑みを浮かべられた。
そして、問われる。
「気持ちの整理はついたかな?」
……。
呼吸が止まったかと思った。
少なくとも、思考は一瞬停止した。
そう。
この男は、俺が内心で葛藤している間、一言も喋らなかった。
ただただ、俺がどのような決断を下すのかを観察していたのだ。
くそ。
こちらの葛藤もお見通しってわけかよ。
そして、どのような決断を下すのかも。
完全にこの男の掌の上だ。
アマチカミアキの笑みは崩れない。
俺の背後に立つ女にも動きは無い。
物理的な手段に及ばないことは、完璧に見抜かれていた。
「さて、君の聞く姿勢が整ったところで話そうか。キーワードは『本』だ」
そう言って、アマチカミアキは話し始めた。
魔法世界エルトクリアに10ある都市の1つ、創造都市メルティ。
王立エルトクリア魔法学習院の施設の1つである、エルトクリア大図書館。
その最奥に住む主。
その名を、メイジ・ラ・ジルル=アストネイル。
通称『始まりの魔法使い』または『脚本家』。
彼女の無系統魔法の神髄は、本を創り出すこと。
その創り出された本は、只の本ではない。
1冊につき、1人の人生。
本の表紙には、その者の名前が刻まれる。
ページをめくれば、その者の人生が事細かに記されている。
出生と同時にその者の本も誕生する。
死ねば同時にその者の本も消失する。
全ては『始まりの魔法使い』の無系統魔法によって、自動で運用されている。エルトクリア大図書館に存在する『創世の間』という空間において、人知れず本は管理されている。誕生と消失を繰り返す本たちは、与えられた本棚の中で自らアルファベット順に並び替わる。
生まれては消えて。
出ては入ってを繰り返す。
人は皆、魔力を持って生まれてくる。
大小は個人差があり、小さ過ぎると魔法使いにはなれない。
しかし。
どれだけ小さくても。
例え魔法使いになれなくても。
人間は、生きている以上魔力が存在する。
例外は無い。
そして、『始まりの魔法使い』の無系統魔法によって本が創られる条件とは、魔力を有しているか否か。少量でも魔力を有しているのなら、それは本を創られる条件を満たしたと判断される。人として出生した以上、『始まりの魔法使い』の無系統魔法から外れる事は不可能。
つまり、この世に存在する人間は、全て『始まりの魔法使い』によって管理されていると言っても過言ではないということになる。
「……本を作る者。だからブックメイカーと呼んでいるのか」
言葉遊びから生まれた2つ名だったか。
脚本家を指す英語はシナリオライターだ。
まあ、場面によって他の言い方をされる場合もあるけど。
というか、さらっと繋がったな。『脚本家』と『始まりの魔法使い』が。同一人物だったか。それなら、ウリウムと『脚本家』がまるで知り合いかのように会話していた理由にも説明が付く。
「確かに、個人情報の全てが握られていると考えれば脅威だな。『世界を管理する大図書館』と呼ばれているのも頷ける。大袈裟な異名だと思っていたが、異名通りの存在だったということだ」
ただ、その説明だと引っ掛かることもある。
「……本のページには、対象者の人生が記されているという話だが、もしそれが本当ならお前が敵対することも『脚本家』は分かっていたということだよな」
そうだとすれば、危険な芽は早々に摘まれてしまうはずだが。
「良い着眼点だね」
アマチカミアキは言う。
「勿論、記載はされていた。ただ、彼女も神ではないということだ。例え彼女にとって有益な情報が記載されていたとしても、目を通さなければ情報は意味を成さない。なにせ莫大な数の本があるわけだからね。気付いた時には後の祭りだったということさ」
そういうことか。
この世に存在する人間が、全て『始まりの魔法使い』によって管理されているという話が本当だとするなら、反乱分子がいないかを1つひとつ確認して回るわけにもいかないだろう。
……。
「……記載、されていた? 後の祭り?」
俺の呟きを拾ったアマチカミアキが笑った。
「うん。気付いちゃったかな?」
なぜ、この男はあたかもその本を読んだかのように話している?
後の祭りとは何だ。
過去がどうだったかは知らないが、今は間違いなくアマチカミアキは『脚本家』と敵対している。それを『脚本家』も認識しているはずだ。
敵対しているのなら、早急に潰すべきだ。本には対象者の人生が事細かに記されているという。それなら、アマチカミアキの動向は全て『脚本家』に筒抜けになる。どこへ逃げようとも本が所在を教えてくれるのだ。隠れようが無い。
それなのに。
「……なんで、お前はまだ生きているんだ」
声は震えていた。
言われなくとも、回答に辿り着いてしまっていたから。
……まさか。
「彼女は……、俺を殺さないのではなく、殺せないのだとしたら?」
そう口にするアマチカミアキの笑みに、妖しさが灯る。
暖色系の灯りに照らされた奴の顔には、危険な色が纏わりついているように感じた。
アマチカミアキが、こちらからは死角となるテーブル下へと手を伸ばす。
そして、勿体ぶることなくそれを取り出した。
「……それは」
見覚えがあった。
どこで見たか。
明白だ。
心音が跳ねる。
憶えているぞ。
はっきりと。
アマチカミアキは言う。
「俺の本が、ここにあるからだ」
本。
何の本?
聞くまでも無い。
発光はしていない。
記憶にあるような、あの青白い光は発していなかった。
しかし。
分かる。
分かってしまう。
あの本だ。
そして。
何よりも。
信じたくない文字がそこへ刻まれていた。
俺の視線がそこへと釘付けになる。
そこに書かれていたのは。
『KAMIAKI AMACHI』。
呼吸が止まる。
心臓が脈打つ。
耳鳴りがする。
言葉に、ならない。
アマチカミアキが自らの本を所持していることにも驚いたが、それ以上のショックが俺を襲っていた。俺はどこかで期待していたのだ。目の前の男が、アマチカミアキでは無いことに。師匠とエマの話を聞いて、別人の可能性があると思った。今、目の前にいる男と言葉を交わし、この男はエマ寄りの特徴を持った男だと思った。
だから、アマチカミアキの名を騙る影武者だと思ったんだ。
警告は、回避できたと思った。
なのに。
遡り前に『脚本家』から受けていた警告。
その1つ。
『1つ、この修学旅行期間中は、どのような事態になろうとも次に挙げる人物とは接触するな。これから挙げる者は、全て本名では無い。その人物とは、天地神明、天上天下、唯我独尊、傍若無人、盛者必衰、そして沙羅双樹を指す』
天地神明には接触してはならない。
天地神明、つまりはアマチカミアキだ。
そう。
俺は、アマチカミアキに接触してはいけなかった。
これまで、なんとかうまくやってきたのに。
分からないなりに、無い知恵を必死に振り絞ってここまで来た。
でも。
やってしまった。
警告に抵触してしまった。
「だから……、は俺に手を出せない。俺は奴の能力で言う『行方不明』の状態……、……っているからね。……、から持ち出し……、同時に、本は輝きを失っ……、ね。ページも……、ほら……、白紙が続いているだろう? だから……、どうなるかは……、ないんだよね」
アマチカミアキが話している。
しかし、うまく頭の中に入って来ない。
くそ。
最悪だ。
どうなるんだ?
警告に触れたらどうなる。
終わりか?
死ぬのか。
あの悲劇が、再び繰り返されるということか?
「中条聖夜君?」
期せずして証明されてしまった。
目の前の男が、アマチカミアキ本人であるということが。
「……中条聖夜君?」
思わず頭を振る。
行き所の無い憤りを必死に押し殺す。
……駄目だ。
下手なことは出来ない。
目の前の男が、アマチカミアキ本人であると言うなら尚更だ。この男がアマチカミアキであることは、本によって証明されたのだ。『脚本家』に敵対の意思を見せているこの男が生きているということが、この本が本物であるという証明に他ならない。ならば、この男を護衛しているのは後ろにいる女だけではないに違いない。
俺が下手な動きを取れば、直ぐに殺される。
二度警告を受けつつもアマチカミアキが俺を赦している以上、そう判断すべき。
それでもやるべきか?
やった後、どうする。
人質に取られた3人は見捨てるのか。
闇雲に探せばこいつの側近と鉢合わせするぞ。
リスクが高過ぎる。
くそ。
さっきの考えと矛盾しているじゃねーか!
もはや、何が正解なのかが分からない。
明らかに動揺している。
冷静になろうとしても全然出来ていなかった。
こんなことでは、精密な座標処理が必要となる無系統魔法は失敗する。
この男を殺すという第一関門すら突破できない。
視線が合う。
俺の思考がまとまったと判断したのか、アマチカミアキが口を開く。
「危険だと思わないかい?」
「……何がだ」
そう絞り出すのが精一杯だった。
「『始まりの魔法使い』の存在が、さ。君の考えの通り、彼女は敵対者を理不尽に追い込む術を持っている。俺はたまたま自らの本を奪えたおかげで助かっているだけだ。本来なら、俺も抗うことなく殺される運命だった」
「敵対しなければいいだろう。『脚本家』が存在することで、何か不都合が生じるのか?」
「それ、本気で言ってる?」
質問を質問で返されてしまった。
しかし、俺の回答を聞くことなくアマチカミアキは続ける。
「『始まりの魔法使い』は神では無いんだ。にも拘らず、その魔法故に絶対の存在としてあり続けている。1人の魔法使いが、だよ? その魔法使いが永久にこの世界にとって良い存在であると思うのかい?」
……言いたいことは分からなくはない、が。
「そもそも、『始まりの魔法使い』はまだ生きているのか? 歴史の教科書に載るような人物だろう」
正直、実際にその姿をこの目で見た身としては不要な質問だが、しておかないと遡りがバレる可能性があるからな。アマチカミアキの表情に変化はない。
「そう。彼女はまだ生きている。自らの魔法で、神に成り替わろうとしているわけだ」
そうは見えなかったが。
この男からはそう見えたのか。
それとも、俺がそう判断するだけの情報がまだ足りていないのか。
「これは単独で所持していい力の限界を遥かに超えている。冷静になって考えてみてくれ、中条聖夜君。この世界が……、たった1人の魔法使いに管理されているということだよ? 生かすも殺すも、全ては『始まりの魔法使い』次第。彼女に気に入られている者だけが生き残り、目を付けられた者は抵抗すら出来ずに殺されてしまうんだ。世界の在り方として、不健全と言わざるを得ない。そうは思わないか」
まあ、確かに。
言っている意味は分かる。
まさに、完成された絶対王政と言えるだろう。
1人の魔法使いが持つ魔法としては、強大過ぎるという言い分は理解出来るさ。あの存在を1人と呼んでいいものかは分からないが。ほぼ人間を捨てているような姿だったからな。『始まりの魔法使い』メイジとして活躍していたあの時代から今まで、ただひたすらに生き続けているのだとしたら、本当に人という枠組みから外れかけている存在であることは間違いない。というか、もう外れている。
俺の思考を余所に、アマチカミアキは続ける。
「たった1人の魔法使いによって管理された箱庭。これがこの世界の秘密だ。そして、俺たち『ユグドラシル』は、その現状を許さない。人は、それぞれが対等であるべきだ。全てが平等であるなんて寝言を論じるつもりは無い。しかし、対等であるべきだ。決して、1人の魔法使いの自由にしていい権利ではない」
アマチカミアキは、ここで初めて笑みを消した。
真剣な表情で口を開く。
「だから殺すんだ。この世界の偽りの管理者を。俺たちが、世界を『始まりの魔法使い』の手から救い出す。君も協力してくれないか」
次回の更新は、1月10日(金)になるかもしれません。
年末年始はパソコンに触れそうにないので……。
ごめんね。
めりくり。
よいお年を。