第5話 クロ
☆
『……俄かには信じられないわね』
冷めたからという理由で受付嬢ドロシーに淹れ直させた紅茶を飲みながら、師匠リナリー・エヴァンスはそう口にする。ちなみにお代わりの紅茶を用意した直後、ドロシーは「いつまで居座っているの? さっさと出て行ってくれない?」という師匠からの自己中心的にして問答無用の退出命令によって退室している。
『あいつはリスクを冒して自分の姿を晒すような男じゃないわ』
そう断言する師匠に、前々から疑問を抱いていたことを訊ねてみることにした。
『師匠はアマチカミアキと会ったことがあるのですか?』
文化祭の時もそう。
まるで知人のことを説明するかのような口ぶりだ。
俺の質問に、師匠は僅かに眉を寄せたが、視線を逸らして答えを述べる。
『私がまだ学生だった頃……、学習院で一緒にいた時期があったのよ』
はぐらかされるかと思っていたが、思ったより明確な答えが返って来た。学習院か。……アマチカミアキも王立エルトクリア魔法学習院の院生だったのだろうか。まあ、この辺りの情報は追々聞いていければいいだろう。現状、師匠はこの件についてはあまり触れて欲しくないようだし。
『ですが、確かに私は会いました。武闘都市ホルンで』
エマの言葉に、外れていた師匠の視線がエマへと戻る。
『それが本当にアマチカミアキであったという確証は無いでしょう?』
『それは……』
エマが言葉に詰まる。
師匠の言う通りではある。エマが相対したという男がアマチカミアキであるという保証は無い。影武者の可能性だって十分に考えられる。証明するには、エマがアマチカミアキだと言っている人物を、師匠が実際に見て確かめる他無いのだ。
この中で実際にアマチカミアキの姿を見ているのは、師匠しかいないのだから。もしかすると、縁先輩も顔を見たことがあるかもしれないが。使者役として来てもらうつもりだし、時間があれば聞いてみるか。
エマは自分の証言が信じてもらえずにむくれているが、これ以上の問答は無意味だろう。むしろ、エマの言葉が信じられないと断言する師匠から見た、アマチカミアキの人物像が気になって来た。
『師匠から見て、アマチカミアキとはどのような人物なのですか?』
『天才よ』
打てば響くような速度で返答があった。
一言。
あの師匠がこうも他人を褒める単語を用いるのは珍しい。
師匠は、どこか遠くを見つめるような表情で口にする。
『頭の回転が恐ろしく早い。冷静沈着で、常に二手、三手、先を読んで行動するような男だった。プライドも高くて学習院でも近寄りがたいオーラを発していたわ。……まあ、私も他人のことは言えないくらい浮いていたみたいだから、不思議と親近感を覚えてしまったのだけれど』
あんたは浮くだろうね。
殿堂館で見たぞ。あんたの経歴。
学習院の頃から滅茶苦茶にやっていただろう。
俺からの視線に居心地の悪さを感じたのか、師匠は軽く咳払いをしてから続ける。
『まさに完璧超人という言葉が相応しい男だったわ。と、言いつつも、実は忘れっぽいところがあったりして、変なところで人間味を感じさせてくれる奴だったっけ』
『忘れっぽい?』
大人しく聞いていた美月が首を傾げた。
師匠は苦笑しながら頷く。
『ええ。講義の内容とか、約束したこととかはちゃんと憶えているのに、昨日話したはずの雑談の内容を忘れていたり、その日の昼食で食べたメニューを夜に会った時にはもう忘れていたこともあった。きっとオンとオフの使い分けが常人と比べて極端過ぎたのでしょうね』
『オンとオフ、ですか』
師匠の表現に引っ掛かりを覚えたのか、栞が聞き返す。
『忘れてはいけない大切な情報と、忘れても支障の無いどうでもいい情報。他人との会話中でも、頭の中では開発中の魔法理論に矛盾が無いかを常に模索し続けているような男だったから。記憶すべき情報か否かの取捨選択は、あの男の意思に関係無く、頭の中で勝手に分類されていたのだと思うわ』
……天才、か。
『少し話が逸れてしまったけど……。あいつはね、自分の身を危険に晒すようなリスクを冒す奴じゃない。自分で動くような奴なら、そもそも「ユグドラシル」なんて組織を作らない。自分で何でも出来てしまうような奴だから。自分は一切表に姿を見せず、他人を駒のように動かして目標を達成する。そのために生まれたのが「ユグドラシル」なの。拒絶されることが分かり切っている勧誘のためだけに姿を見せるなんて行動、私の知っているあいつは絶対にしないわ』
☆
そう。
師匠は確かにそう言っていた。
白銀色と赤銅色に話をつける前。
イザベラと情報共有すべくギルド本部を訪れた、あの夜に。
しかし。
「よく来てくれたね。こちらの要求通り、本当に単独で来るとは。そちらが誠意を見せてくれるなら、こちらもそれに応えなければいけないな」
店員から案内された先。
個室番号『023』と表示された扉を開けた先で俺を待っていたのは。
「改めて自己紹介をしておこうか」
黒髪の男は、柔和な笑みを浮かべて言う。
「アマチカミアキだ。よろしくね、中条聖夜君」
背中を押されて入室する。
俺を中へと促した女が、そっと扉を閉めた。
★
時は、少しだけ遡る。
「……なるほど」
ホテル・エルトクリア。
聖夜が借りている一室にて。
カーテンの隙間から差し込む光だけが光源となっているこの部屋で、1人椅子に腰かけていた栞は、手にしたクリアカードに表示されている文面を読み終えてからそう呟いた。
こちら側にいるとされる内通者。
それを栞は、既に3択まで絞り込んでいた。
昨晩、中央都市リスティルにあるギルド本部で情報共有された時にである。
内通者が、鷹津祥吾単独の場合。
内通者が、大橋理緒単独の場合。
そして、内通者が鷹津祥吾と大橋理緒の共犯である場合。
ヒントは、前回ルートとの差異。
ギルドからT・メイカー捕縛クエストが発注されたなかったこと。
その差異が生じたのは、武闘都市ホルンで聖夜と接触した『無音白色の暗殺者』が、「T・メイカー=日本の学生」という図式に辿り着けなかったから。
武闘都市ホルンで接触したという『無音白色の暗殺者』の構成員は、剣を杖代わりにしている盲目の男だったと聖夜は言っていた。『無音白色の暗殺者』の構成員の中に、盲目の男は確かにいる。雷魔法を得意とする剣士、ドゾン・ガルヴィーンだ。
ドゾン・ガルヴィーンが単独で聖夜に接触していたのなら、聖夜が学生であることに気付けなかったという説明にも納得がいく。その時のやり取りも、聖夜が纏う魔力についてが話の中心だったとのことだ。外見に関する指摘は一切無し。聖夜が学生だと気付けていれば、「その年で良く鍛えられている」といった発言があってもおかしくはない。
垂れ流された魔力、そして声を掛けられてからの反応から、聖夜が只者では無いとドゾン・ガルヴィーンは判断した。その際、何がヒントとなってT・メイカーに辿り着いたのかは分からない。T・メイカーが参戦したアギルメスタ杯の出場者もしくはあの試合を生で観戦しており、T・メイカーの魔力で特定したのかもしれないし、聖夜から発せられる声色から判断したのかもしれない。しかし、この時点で確かに、ドゾン・ガルヴィーンは接触した者がT・メイカーであると確信を抱いた。
聖夜は「旅行で来ている」と言ってドゾン・ガルヴィーンと別れた。「ウェスペルピナー杯の参戦者か」という質問に対しての回答だ。ここで旅行と答えた聖夜を責める事はできない。むしろ、「修学旅行で来ている」と答えなかったのはファインプレイであると言える。旅行という言葉だけでは、聖夜が学生であることの証明には繋がらないからだ。
問題は、ここから先。
聖夜と別れた後、ドゾン・ガルヴィーンは他の構成員と合流し、T・メイカーを見つけたと発言。仲間を呼び寄せてT・メイカーと再び接触しようと目論んでいたところを、大橋理緒と鷹津祥吾によって止められるのだ。ドゾン・ガルヴィーンは、大橋理緒と鷹津祥吾が捕縛に動いた際には、仲間と一緒にいた。つまり、大橋理緒と鷹津祥吾はその姿をその仲間に目撃されている。
聖夜と接触した時と、大橋理緒と鷹津祥吾が接触してきた時。その違いは、ドゾン・ガルヴィーンに他の『無音白色の暗殺者』の構成員が同行していたか否か。この違いは非常に大きい。なぜなら、視覚から得られる情報が『無音白色の暗殺者』側に入るか否かが決まるからだ。
聖夜と接触した時は、ドゾン・ガルヴィーンのみ。
つまり、外見的特徴は得られない。
しかし、大橋理緒と鷹津祥吾が接触した時は、ドゾン・ガルヴィーンには別の仲間もいた。
つまり、大橋理緒と鷹津祥吾の外見的特徴を得ている。
姫百合家の戦闘メイドは、護衛を務める者がメイドという意味で有名だが、メイド個々人のプロフィール自体は出回っていない。それは、全員がメイド服にカチューシャという異質なコスチュームで護衛に臨んでいるが故に、服装ばかりに目が行ってしまうという理由もあるし、日本五大名家『五光』の中において姫百合は新参者であり、まだ情報が諸外国まで行き渡っていないという理由もある。何より、そもそも姫百合家は他の『五光』と異なり第一護衛として個人を指名しておらず、内々に戦闘メイド筆頭として大橋理緒を指名していながらも、護衛として連れ出す際には戦闘メイドの中からランダムで選出するという手法を取っていることも、個々人の特定に時間がかかる理由として挙げられるだろう。
だが、最も大きな理由は、姫百合家現当主姫百合美麗本人が有名過ぎるからだ。その美しい容姿はもちろんのこと、幻血属性『氷』の破壊力、応用力は今更語るまでも無い。先日、日本で起こった『ユグドラシル』による『魔法開発特別実験棟襲撃事件』においても、横に真っ二つにされた実験棟の落下を氷魔法が食い止めて被害の拡散を防いだという報道は、諸外国にとってもまだ記憶に新しいだろう。
それに対して、鷹津祥吾は有名だ。
日本五大名家『五光』の中では、もはや古株と言っても差し支えない地位にいる花園家。その第一護衛を務めているのだ。美麗と違い、花園家現当主である花園剛は、公式の場においても祥吾を従者として連れまわしている。勿論、氏名も公表済み。外見的特徴を含めて、情報を集めるのは容易だろう。
ただ、これは剛が自らの権威を示すために独断で行っているというわけではなく、『五光』における不文律の取り決めによるものだ。姫百合家の手法が異質なのである。よって、情報が漏れるとすれば鷹津祥吾からとなるだろうが、これで花園家に非があると断じることも出来ない。
だが、非があるか否かは別として、『無音白色の暗殺者』は辿り着いた。ドゾン・ガルヴィーンが接触した者は、日本五大名家『五光』と繋がりのある者である、と。これ自体に問題があるわけでは無い。『黄金色の旋律』の長であるリナリー・エヴァンスは、姫百合美麗と花園剛、どちらとも繋がりを持っているし、その情報は秘匿されているわけではないからだ。『黄金色の旋律』の構成員として知られているT・メイカーが、『五光』の従者と繋がりがあったとしても不自然ではない。
つまり、この繋がりがバレたところで、『無音白色の暗殺者』側がギルドへ捕縛クエストの発注を取り止める理由にはなり得ない。そもそもここまでの流れは前回ルートと同じ既定路線。同じになるように聖夜が調整したのだ。ここで差異が生じるとは栞にも思えない。
ならば、何が影響を及ぼしたか。
やはり、聖夜が学生と見抜けなかったからだと考えるのが妥当。
今回ルートにおいて、この件に関して明確な差異として判明しているのは、『無音白色の暗殺者』がギルドへT・メイカー捕縛クエストを要請しなかったことと、ギルドに『五光』側から接触していないこと。これは、前者、後者共にギルド『御意見番』イザベラ・クィントネス・パララシアが確認したことだから間違いない。
今回ルートの鷹津祥吾、もしくは大橋理緒は、ギルド側へ牽制しなかった。
修学旅行中の学生がギルドに所属する者に狙われている。それを止めてくれ、と。
牽制された前回ルートの『無音白色の暗殺者』側からすれば、寝耳に水といった牽制であったに違いない。自分たちが追っている人物はT・メイカーであるという情報しか持っていなかったにも拘わらず、『五光』側からの牽制が「修学旅行生を狙うな」というものだったのだから。しかし、同時に理解するはず。『五光』側は、修学旅行生にさえ手を出されなければT・メイカーは守り通せると考えていることを。ここで、「T・メイカー=日本の学生」という図式に辿り着いたというわけだ。
T・メイカーの捕縛を目的とした大規模クエストが今回ルートで発生しなかった原因は、間違いなくこの差異によるものだ。それは、『無音白色の暗殺者』がギルドに大規模クエストを発注しようと思った動機を考えれば分かる。
『五光』は、修学旅行生に手を出すなと牽制した。つまり、T・メイカーは修学旅行生と分かる外見をしていることになる。それに『無音白色の暗殺者』側が接触しようとすれば、傍から見ればギルドに所属するグループが修学旅行生に接触しているように映ることだろう。『無音白色の暗殺者』側からすればT・メイカーと接触したいだけなのに、そうは見えない。『五光』側からギルドへもたらされた牽制がその接触を邪魔することになる。
ならば、どうするか。
開き直って言ってしまえばいい。
俺たち『無音白色の暗殺者』が接触したいのは、修学旅行生ではない。
T・メイカーなのだ、と。
だから、T・メイカー捕縛クエストが発注された。修学旅行生を狙って付きまとっているわけではない。俺たちはあくまでT・メイカーを追っているのだと言い張るために。牽制を牽制で返してきたわけだ。
しかし、今回ルートではそれが無い。
なぜなら、修学旅行生に手を出すなという牽制が無かったから。これなら『無音白色の暗殺者』は大義名分を掲げる必要は無い。ギルドにT・メイカー捕縛クエストを発注した目的は、自分たちの力だけではT・メイカーを探し当てることが出来ないと考えたからではない。それは、大橋理緒と鷹津祥吾が接触するまでは、自分たちのみでT・メイカーに再び接触しようと目論んでいた姿勢からも窺える。つまり、大義名分を掲げるためのクエストを発注する必要も無くなるというわけだ。
そこで、浮き上がる内通者という存在。
なぜ、今回ルートで『五光』側はギルドに牽制しなかったのか。
聖夜が差異を生み出さない限り、聖夜以外の人間は前回ルートと同じ行動をする。当たり前だ。変える要素が無いのだから。しかし、実際に聖夜の手から離れたところでも差異は生じている。これも聖夜とエマの考察通りならという注釈は付くが、それでも栞は確信していた。
聖夜が差異を生じさせることが出来るのは、前回ルートの記憶があるから。その聖夜が意図していない場面で差異が生じている。そうなると、その差異を生じさせた者もしくは周囲にも、前回ルートの記憶がある、もしくは聖夜に前回ルートの記憶があることを知っており、それに対抗しようという意思があると考えるのが妥当。
すなわち、アマチカミアキの存在だ。
アマチカミアキが指示をしたのだ。
牽制するな、と。
そうすると辻褄が合ってしまう。こちら側に内通者がいることが判明してしまう。そして、ギルドへ牽制するか否かの決定権を持っているのは、大橋理緒と鷹津祥吾の2名のみ。美麗や剛は魔法世界の外におり、連絡を取るには魔法世界の外に出るしかない。リアルタイムでの指示が出せないので今回は除外。舞や可憐では、護衛の者たちへ護衛方法を変えさせるほどの発言力が無いため、この2名も除外。
故に栞が出した結論は3択。
内通者が、鷹津祥吾単独の場合。
内通者が、大橋理緒単独の場合。
そして、内通者が鷹津祥吾と大橋理緒の共犯である場合。
これにはリナリーもエマも、そして聖夜も同意している。
後は、ここから先をどう絞り込んでいくか。
新たな選択肢が浮かび上がる度、脳内で実現不能と切り捨てられる。それが何度繰り返されたか分からなくなった辺りで、エマからのメールを受信した。
鷹津祥吾と大橋理緒が別行動。その隙に、大橋理緒と接触。大橋理緒は、ギルドへの接触については考えていなかった模様。指摘したところ、鷹津祥吾と相談して判断したいと返答があったため、T・メイカーが日本の学生であると気付かれる恐れがあると伝えて止めた。
「……流石はちょろ子さんですね」
ギルドへの接触を止めたのは、鷹津祥吾の意思。
3択が絞られたわけではない。なぜなら、これだけでは大橋理緒が内通者ではないと証明出来ないからだ。しかし、分かったこともある。
――――鷹津祥吾はクロ。
★
薄暗い廊下を歩く。
自らを先導するのは、この店の従業員ではない。
琴の音が所々に設置されているスピーカーから流れているものの、それはあくまで店の雰囲気作りの一環というだけで、それぞれの個室で行われていることが外へ聞こえないようにするためのものではない。当然、締め切られた個室の前を通り過ぎた程度では、女の嬌声が聞こえてくるなどということは無かった。
ミスはしていない。
……はずだった。
「はい。どうぞぉ」
甘ったるい猫撫で声を発しながら、先導役を担っていた蟒蛇雀が扉を開く。
その先にいたのは。
「初めまして。自己紹介をしておこうかな」
男は、柔和な笑みを浮かべて言う。
「アマチカミアキと言う。よろしく頼むよ」
ここで死ぬ。
鷹津祥吾は、この時点で自らの死を悟った。
次回の更新予定日は、12月13日(金)です。