第17話 中央都市リスティル ②
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息を飲んだ。
白銀色、赤銅色問わず。
例外だったのは、男の後ろに控えるようにして直立する『番外』の2人だけだった。
「これで私が『黄金色の旋律』と繋がっている証明は出来たかと思います」
動揺を隠せなくなった面々を見据えたまま男は言う。
高ランクのグループとはいえ、動揺が隠しきれなかったのも無理はない。男が提示したクリアカードの名義にはこう表記されていたから。
『T・メイカー』と。
黄金色の絶対信者たる白銀色の2人だからこそ、シルベスターとケネシーを襲った動揺は計り知れなかった。ギルドから「絶対に損は無い」と断言された段階で、もしやとは思っていた。ケネシーに至っては、これで見当違いな輩が姿を見せようものならギルドを塵芥まで分解してやるくらいには考えていた。
しかし。
結果は。
「……クリアカードの偽造は不可能。T・メイカー名義に所属は『黄金色の旋律』と明記されている。あの者から強奪するにしても、相応の実力が無ければ不可能でしょうし、それが出来るのなら我々へ共同依頼を持ちかけるような回りくどい真似をせずとも、大抵のことは貴方の手駒でこなせてしまうはず。確かに証明にはなるでしょうね」
いち早く動揺から抜け出したモリアンが答える。その口上に「様を付けろよ」と無言のプレッシャーを放つ白銀色の2人だったが、モリアンは自分には関係ないとばかりに黙殺した。相手が黄金色の関係者ならば、王族や貴族に向けた礼儀は不要であると判断したためだ。
「では、なぜ黄金色の関係者が招集を? かの名高い『黄金色の旋律』の皆様であれば、我々は疎か、そちらに座る白銀色の面々も、貴方の後ろに控える『番外』の方々ですらも、邪魔にしかならないのでは?」
多量に皮肉の入り混じった質問だった。
事実、メッセンジャーだと名乗った男の後ろに控えるジャスティンとイレーアは、浮かべていた笑みを引っ込めて嫌悪感剝き出しの表情を見せている。心情としては白銀色の2人も同じだったが、シルベスターとケネシーは同時に納得もしていた。黄金色からすれば、同じくギルドランクSとして肩を並べる存在であったとしても、白銀色は有象無象の一部に過ぎない。そう信じて疑っていなかったからだ。
男は、そっと右手を挙げた。
制するように。
その仕草だけで、もはや殺気すら漂わせ始めていたイレーアは、直立不動の侍女へと早変わりした。同性ですら見惚れてしまうような微笑みを浮かべて。その隣に立つジャスティンも、いつも通りの貴族然とした佇まいへと戻っている。その変わりようには、2人の性格を知っているケネシーからすれば違和感しかない。
「ご謙遜を。『赤銅色の誓約』、そのリーダーを務めるモリアン・ギャン・ノイスヴァーン様。貴方がたの活躍はかねてより耳にしております。此度の昇格試験、おめでとうございます。未だ結果は出ておりませんでしょうが、昇格は確定でしょう。貴方がたが無事に生還することを私は確信していました。非常識な時間であることは重々承知していますが、このタイミングで招集させて頂いたのも、貴方がたの実力を信じていたが故でございます。それはご理解頂けていると考えておりましたが」
そこまで言われてしまえば、モリアンとしてもこれ以上喧嘩腰で行くわけにはいかなかった。一礼し、男から依頼内容が明かされるのを待つ。男は「信じて頂けたのなら、これはもう不要ですね」と言って、テーブルに置かれていたクリアカードを回収した。その際、白銀色サイドのソファから小さく「あぁ……」という声が聞こえた気がしたが、男は無視した。
「さて、それでは本題に移らせて頂きます」
クリアカードを懐に仕舞い込み、男は続ける。
「皆様へ依頼したい内容は一点。『黄金色の旋律』がリーダー、リナリー・エヴァンスの護衛です」
時が止まったように感じられた。
それほどまでの沈黙が訪れた。
その依頼を聞いた者の呼吸すら止まってしまったかのようだった。
目玉が零れ落ちそうなほどに見開かれた両眼のまま、震える声でシルベスターが問う。
「……それは、いったい、如何なる理由からでありましょうか」
胸中に蠢く感情の質がどのようなものであれ、ここに集った一同にとって唯一の共通認識。それは、今男の口から語られたリナリー・エヴァンスという女性、その者こそが現存する魔法使いにおいて頂点の実力を有しているということ。
世界最強。
口にするのは簡単でも、世界中の人間が等しく讃える実力はもはや異常だ。
個人的な感情から、小さなグループ、組織、果ては国家まで。
相手より優位に立とうと、誰もが大言壮語を口にするこの世界において。
例え、どのような場面であっても。
弁えた者であれば、誰もがこれだけは口にしない。
私はリナリー・エヴァンスを超える魔法使いである、とは。
我々はリナリー・エヴァンスを超える魔法使いを有している、とは。
最後の一線として。
常人では越えられない境界線として。
前人未到の領域として。
――――まるで楔のように。
皆が分かっている。
皆が理解している。
そこを越えてしまえば。
嘘だと分かってしまうから。
虚勢だとバレてしまうから。
それほどまでに追い詰められているのだと、自白しているようなものだから。
その程度の人間、集団、国だったと。
世界最強はリナリー・エヴァンス。
その事実だけは、天地がひっくり返ろうとも覆らない。
敵であれ味方であれ、それだけは理解している。それすら理解出来ない狂人は味方に引き入れるべきではない。いずれ身を滅ぼし、その腐敗は周囲の人間すらも巻き込んだ巨大な落とし穴へと変貌するだろうから。
無意識にそこまでの考えに至ったモリアンは、震えた様子で息を吐き出した。何を馬鹿なことを考えているんだ、と小さく頭を振る。そして口を開いた。
「依頼内容は理解しました。しかし、不可解な点があります。リナリー・エヴァンスの護衛とありましたが、中途半端な戦力では足を引っ張るだけでは? 自らを卑下する物言いは好みませんが、依頼内容上言わざるを得ません。我々赤銅色を含め、ここに集う者では意味を成さないでしょう」
語ったのはモリアンだったが、同じグループに属するノーツとサイランも、対面に座る白銀色のシルベスターとケネシーも同意見だった。
しかし、男は言う。
「失礼を承知の上で申し上げまして、1対1であればノイスヴァーン様の言う通りでしょう。しかし、今回は中々に厄介な事情があるのです。そして、勝手ではありますが、ここから先を語る上で条件を提示させて頂きます」
「条件?」
サイランが眉間に皺を寄せる。
そちらに視線を向けた男は頷いた。
「はい。ここから先はトップシークレットでお願い致します。今回の一件が片付くまでの間、私はここで話す内容を広められたくはありません。ですので、万が一依頼を受けて頂けない場合は、私の目的が完了するまで、この応接室から一切の退出を認めません。また、外との通信を遮断するため皆様のクリアカードも一時的に預からせて頂きます」
何を馬鹿な事を、と。
ノーツはそう思ったが、同時に男の後ろに控える『番外』の同席した理由を悟った。
ノーツと双子の視線が交わる。示し合わせたわけではないはずだが、ジャスティンとイレーアの口角が同時に吊り上がった。内心舌打ちしたい気持ちを押し殺して、ノーツは双子から視線を外した。
男は続ける。
「今回、私が皆様に提示する依頼は、非常に危険度の高いものです。端的に言って死ぬかもしれません。それは、ギルドランクSに属する白銀色の皆様、そしてそれに相当する実力を有する赤銅色の皆様であってもです。ですから、無理強いは出来ないと考えています。軟禁のような状態になってはしまいますが、これは私にできる最大限の配慮であるとご理解ください」
そこまで言って、男は深く頭を下げた。
「協力しよう」
やはりと言うべきか。
最初に回答したのは、『白銀色の戦乙女』のリーダー、シルベスター・レイリーだった。その隣に座るケネシーも無言で何度も頷いている。
「我々にエヴァンス様のお役に立てる程の実力があるとも思えないが、露払いくらいなら出来る。そのお立場に危険が迫っているのであれば、この命に代えてもお守りしよう」
シルベスターの宣言に、モリアンはため息を吐くと共に首を横に振った。
「報酬も聞かずに命を投げ出すとは理解に苦しむ。我々『赤銅色の誓約』は、白銀色と違って黄金色に全てを賭けられるような狂人は存在していません。そのリスクに見合うリターンは用意して頂けるので?」
「お受け頂けるのであれば、それぞれのグループに300万Eずつお支払いします」
「はっ?」
素っ頓狂な声を上げたのはモリアンでは無く、その隣に座るノーツ。モリアンを挟んで反対側に座るサイランも目をぱちくりとさせている。
「また、皆さまの働きに応じて追加報酬も用意しております。支払い能力があることも、ここで証明しておきましょう」
男は再びT・メイカーのクリアカードを取り出すと、何やら操作をしてからテーブルの上へと置いた。モリアン、ノーツ、そしてサイランがその券面を覗き込む。そこには、1000万Eの所持金が表示されているT・メイカーのプロフィールがあった。
「……どうやったらこんな額稼げるんだよ」
サイランが小声でそんなことを呟く。
男はそれを無視してクリアカードを回収した。
「ここにある金額は出し惜しみするつもりはありません。皆さまの働きに応じた追加報酬をお約束します。最高報酬額は、このクリアカードにチャージされている金額全て……。つまり、1000万Eと考えて頂いて結構です」
「ボス、これは……」
ノーツの言葉に、モリアンは頷いた。
「……赤銅色もこの依頼を受けよう」
「ありがとうございます」
モリアンの言葉に、男は礼を告げる。
一部始終を黙って見ていたケネシーが鼻で嗤った。
「結局お金で動くなんて。赤銅色の程度も知れたものね」
「ケネシー・アプリコット様」
「何だと」と、モリアンが声を上げる前に、男から制止の声が放たれた。
「これから同じ依頼を受ける者に対して、その言葉は頂けません」
「っ、も、申し訳ございません」
これまでの柔らかな物腰と喋り方とは打って変わった毅然とした口調に、ケネシーは慌てて謝罪の言葉を口にする。
「謝罪すべき相手は私ではありませんね?」
「は、はい。失礼致しました。申し訳ございませんでした」
「あ、ああ」
男へ頭を下げた後、ケネシーは改めてモリアンへと頭を下げる。言いたかったことを全て飲み込み、モリアンも動揺を隠すようにして頷いた。
それを確認した男は、仕切り直しとばかりに一度手を叩いて口を開く。
「さて、それでは話を戻しましょう。此度の依頼、皆さまの敵となる魔法使い達についての情報です」
そして。
男はさらりと特大級の爆弾を投下した。
☆
目の前で映し出されている隠しカメラの映像を見ながら、俺は大きく息を吐いた。
「ひとまず、白銀色と赤銅色の協力は得られそうか……」
「御堂縁様……、でしたか。やりますね」
俺の隣でじっとモニターを凝視していた栞もそう呟く。
しかし、それに反論したのはエマだった。
「何を言っているのですか、栞様。聖夜様だってあの程度の事なら出来ますよ。むしろ、聖夜様があの場にいれば、今頃は白銀色も赤銅色も一様に跪いていたに違いありません」
出来るわけねーだろう。
絶対何処かでボロが出ていたに決まっている。
それを何となく察しているであろう美月は苦笑いである。
「まあ、これで不要な争いを1つ潰せたと考えるなら、やって良かったということだな」
仮に赤銅色が戦力にならなくても、足を引っ張ってこないだけマシというものだ。垂れ流されている会話を聞く限りでは、白銀色も赤銅色も、『ユグドラシル』の名が出ても引く様子は無い。美月に蔵屋敷先輩を呼んでくるように頼んでおく。これなら、万が一を想定して部屋の外で待機していた蔵屋敷先輩も戻ってくるだろう。
会談の具体的な日時と場所について説明をし始めた縁先輩から視線を外し、俺の対面に座って無言で成り行きを見守っていた師匠へと目を向ける。
「こちらの問題は解決しました」
「……そう」
師匠の視線は、俺では無くこの部屋の主へと向いた。丁度連絡を終えた御意見番が、内線の受話器を置く。
「……やはり、日本の『五光』を名乗る者は来ておらんそうじゃ」
「……そう」
俺の時とまったく同じ回答。
しかし、上乗せされた感情はまったく異なるものだった。
近くにいるだけで感じる、悪寒。
ここまで激情を露わにする師匠はいつ振りだろうか。
隣に座る栞が、俺の袖をそっと掴んだ。それを察知したエマも反対側から袖を掴んできたが、そちらは払っておく。
「聖夜」
「はい」
「確定次第、殺すわよ?」
……。
端的に放たれた言葉。
それは、俺に許可を求めたものでは断じて無い。
あくまで決定事項。
関わりのあった俺には伝えておこう、という義理立てに過ぎない。
「やむを得ないと思います」
俺の回答に、僅かな間を空けて師匠は鼻を鳴らした。
「やっぱり甘いわね、貴方は。いえ……。そこで庇う言葉が出てこなくなったあたり、成長したということかしら」
その言葉に、なぜか俺の隣に座るエマがうんうんと頷いている。
「それでは、『無音白色の暗殺者』がT・メイカー捕縛クエストをギルドへ発注しなかった理由は確定したということでよろしいですね?」
栞の言葉に、この場にいる全員が首肯した。
T・メイカーの存在を察知した『無音白色の暗殺者』の面々は、ギルドにT・メイカー捕縛クエストを発注できなかったのではない。発注する必要が無かったのだ。
T・メイカー=日本の学生という図式に辿り着けなかったが故に。
ギルドを通じての『五光』の牽制が無ければ、無音白色側に建前を用意する必要は無くなる。おそらく、ギルドを通す事無くT・メイカーの捜索は始まっているだろう。盲目の男との邂逅以降、無音白色の人間と鉢合わせていないのはたまたまだ。
「国外にいる美麗と剛はシロ。聖夜がもらった警告を見てもそうだし、そもそもあの2人が『ユグドラシル』と繋がっているなら、こんな回りくどい真似をしなくたっていくらでも方法はある」
確かに。
「あらかじめ顔写真を貰っておいて良かったわ。貴方の護衛も担うと聞いていたから、念のためにと思っていたんだけど。こんな形で利用することになるとはね」
師匠が懐から取り出した写真をテーブルへと並べる。面識の無い栞や御意見番が、険しい表情で並べられた写真を凝視した。
「男の方が、花園家第一護衛の鷹津祥吾。女の方が、姫百合家戦闘メイド筆頭の大橋理緒。どちらも、ある程度の裁量権を与えられた、花園・姫百合それぞれの護衛のトップよ。舞や可憐からの申告でギルドへの接触を取り止めるとも思えないから、前回ルートとの差異を生み出せるのはこの2人のみ。イザベラ、監視要員を出して頂戴」
「……ジャスティンとイレーアを出すわい。本当に『ユグドラシル』と繋がっとるなら、下手な奴には声を掛けられん。あっという間に蒸発するぞ」
「バックアップに赤銅色をつければ良いのでは? あの者たちも、敵の逃走を食い止めるくらいのことは出来るでしょう」
エマの言葉に、イザベラは頷いた。
師匠が小さく息を吐いて立ち上がる。
「このどちらか、あるいは両方か……」
師匠が窓際へと移動する。
こちらに背を向け、独り言のように呟いた。
「安易にヒントを与えたことが、決定打にならなければいいわね。今日死ぬことになるのは貴方よ、神明」
次回の更新予定日は、同日9月16日(月)朝6時です。
次の更新で第10章真・修学旅行編〈上〉はおしまいです。




