第14話 貴族都市ゴシャス ②
☆
俺の纏うローブへと、嗚咽を漏らしながら顔を埋めるクラン。
これはいったいどういうことだ?
「……まったく、待てと言うたのに。お前達、ここで見た事の一切は他言無用じゃ」
アイリス女王陛下は、やれやれと肩を竦めながら言う。
「ほれ、中条聖夜。さっさと入って来んか」
「あ、はい」
ローブにしがみ付いて離してくれないクランを、半ば引き摺るようにして入室した。同時に、部屋に残っていたメイド達も退出していく。
おいおい。
俺という不安分子をここに残して警備を引き下げるのか。
「ハートがいるのじゃ。警護としては申し分なかろう?」
俺の心情に気付いたのか、アイリス女王陛下はにやりと口角を歪めながら言う。
それだけで本当に引き下がるのか? 女王陛下の身の回りの世話を一任されているような人たちだぞ。事実、前回ルートではアイリス女王陛下へ異を唱えてでも残った人たちだ。それだけ無理を押したということか。
だとするならば、まさか。
本当に……?
アイリス女王陛下に促され、前回ルートでも利用した丸テーブルへと案内される。その頃には、クランも俺から離れてくれた。目は真っ赤に充血していたが。
座るのを躊躇していたが、アイリス女王陛下の口調が段々と不機嫌なものになってきているのを感じ取り、慌てて座る。それを見て満足そうに頷いた後、アイリス女王陛下は俺の対面に腰かけた。クランがアイリス女王陛下に耳打ちしてから、私室の奥へと一度下がる。
おい、護衛。
「さて」
どう切り出すべきかと思案していたが、アイリス女王陛下から口を開いた。
「先ほど、あやつのことをクランと呼んだな」
奥へと引っ込んだクランを軽く指さし、アイリス女王陛下は言う。しかし、俺が答えを口にするより早く、アイリス女王陛下は続けて言う。
「下手な押し問答は無しにしようではないか、T・メイカーよ。お前、憶えているな?」
……確定した。
これはもう間違いない。
直接的な表現は避けつつも、『脚本家』に関する知識を持つ者なら、確実に察することが出来る質問だった。
「はい。憶えています」
アイリス女王陛下は、小さくため息を吐く。
「そうか。……ようやくか」
その呟きの意図を聞きたかったが、ワゴンを押したクランが戻ってきた。ティーカップとソーサーを置き、手慣れた様子で紅茶を注ぐ。
「ホリメシアの茶葉です」
「うむ」
アイリス女王陛下への給仕を済ませた後、クランは俺にも紅茶を用意してくれた。
「ありがとう、ございます」
若干口調が怪しくなったことに気付いたのか、クランは俺を見て眉を吊り上げる。
「聖夜クン、私言ったよね。私たちは同等だよ、って。」
……。
薄々勘付いてはいたが、思わずアイリス女王陛下へと視線を向けた。
「その反応……、お前が関係していたわけでは無かったということか」
「どういうことです?」
「私が記憶を持っているのは、エルトクリアの血筋を引いているからだ」
ティーカップを傾けながら、アイリス女王陛下は言う。
「記憶を引き継げるのは、エルトクリア王家の直系と、大図書館最奥『創世の間』に身を置いていた者のみ。ハートよ、お前は『創世の間』に招かれてはいないのだったな?」
「はい。私は中央都市リスティルで殺されていますので」
「っ」
さらりと口にされた発言に息を飲む。
俺の様子に気付いたクランがおどけるようにして笑った。
「はっはっは。あんなに格好つけて君を送り出したのに、私はやられてしまったのだ! 格好悪いだろう!!」
「笑う事ではないぞ」
「申し訳ございません」
ぶすっととした口調で放たれたアイリス女王陛下からの苦言に、クランは慌てて頭を下げる。アイリス女王陛下は重苦しいため息と共に口を開いた。
「こんなわけでな。『脚本家』が別の手を用いたとしか思えん。遡りの神法が発現される際、あの者と共にいたお前なら何か知っていると思っていたのだが?」
「存じません。申し訳ございません」
「……おい」
謝罪の言葉と共に頭を下げたのだが、不機嫌そうな声が飛んでくる。
「お前、記憶はあると言ったよな」
「はい」
「ならば、遡る前に私とした会話も憶えているはずだよな?」
「はい」
「言葉遣い」
……。
そんなことまで憶えてなくて良かったのに。
「しかし、女王陛下」
「お前、私に喧嘩を売っているのか?」
エルトクリア王家とその配下に喧嘩を売りたくないからこういう態度なんだよ。
「……アイリス様」
「うむ」
むふー、と鼻を鳴らしながらアイリス様は満足そうに頷いた。
面倒くせぇ。
アイリス様の後ろに控えるようにしてクランが立つ。
それを目で追いつつアイリス様は言う。
「助かったよ。遡りの神法が発現してから、ハートが一番最初に相談してくれたのが私でな。そうでなければどうなっていたか想像もつかん」
確かに。
クランが他の人間に助けを求める可能性だってあったわけだ。
なにせ、戦場で殺されたと思っていたはずなのに、遡りの魔法を受けた瞬間に生き返っているわけだからな。さっきまでいた場所にはおらず、傷跡も残っていない。時間を見ればタイムスリップをしているのだ。冷静に対応しただけでも流石である。
「つまり、記憶を保持しているのはアイリス様とクランだけなのですか?」
「言葉遣い」
「……記憶を保持しているのはアイリス様とクランだけなのか?」
「そうだ」
俺の質問にアイリス様が頷く。
誰にも『脚本家』の神法に気付かれる事無く、クランが記憶保持の絡繰りを知るには、アイリス様に尋ねるしか無かったわけだ。良く一番最初にアイリス様の下へ向かったな。
「そもそも、本来ならば記憶を保持できるのは私だけだったはずなのだ。中条聖夜、お前、本当に何も知らんのか?」
「知らない。俺だって驚いている。『脚本家』からの説明では、少なくともエルトクリア大図書館、その深奥にいる者は遡りの影響を受けない、とのことだった。『少なくとも』という表現は、アイリス様の言っていた『エルトクリア王家の血筋を持つ者』だけでは無かったということになるのか?」
「王家に名を連ねる者では無く、『創世の間』にいたわけでもない。そのハートに記憶がある以上、そういうことになるな」
アイリス様の視線が後ろに控えるハートへと向く。
「『脚本家』との接触は無かった。そうだな?」
「はい。誓ってございません」
「そういうわけだ」
肩を竦めたアイリス様の視線が俺へと戻って来た。
《……また謎が増えたわね》
そういうことだな。
ウリウムの呟きに、思わず頭を抱えそうになる。
あの大図書館の最奥に『創世の間』という名称が付いていたことも初耳だし、何を以って創世と言っているのかも不明だが、それも後回しにしなければいけいないほどに大量の謎が転がっている。
クランはなんで記憶を保持している?
あの時、大図書館の最奥にいたのは俺、ウリウム、今井修、そして『脚本家』本人のみだ。俺の知らないうちに『脚本家』か今井修が何かしていたのか?
いや、それは違うか。
今回のルートでは、俺に対して『脚本家』はわざわざ警告までしてくれているのだ。現状で、クランは明らかに俺の味方になってくれている。俺の利点となることなら、隠しておく必要なんて無い。仮にクランが敵だとしても同様だ。俺の不利になる事だって、あの場で隠しておく必要は無かっただろう。
引き継がれる情報量と、それに付随して増加するという魔力量の問題か? クランの存在を伝えるか否かで神法の発現に影響を及ぼすと判断したのか? 分からない。しかし、そうでないとするならば、これは『脚本家』にとっても予定外の事態ということになるぞ。
……。
駄目だ。
考えたところで答えなんて出るわけがない。
この問題も棚上げになるのかよ。
悔しいところではあるが、仕方が無い。
他に聞きたいこともある。
「質問しても?」
「構わない」
「俺が登城することはクィーン・ガルルガから聞いていたのかもしれないが、前回ルートでは城門でいきなりここへ招かれるようなことは無かった。遡りによってクリアカードの連絡先も消えているし、今回のルートではこれまで接触するようなことも無かった。なぜ、俺に遡りの記憶があると確信を?」
「リナリーだよ」
アイリス様は呆気なく口にするが、それでは疑問は解消できない。
「それはおかしい。今回ルートで、俺はまだ一度も師匠、リナリー・エヴァンスへ連絡を取ってない」
「……何だと?」
アイリス様は眉を吊り上げた。
「しかし、私は確かにリナリーから連絡を受けたぞ。今回ルートが本命である可能性が濃厚、とな。ではなぜ、あやつはそれを確信したのだ?」
おかしい。
疑問を解消するために質問しているのに、質問するたびに疑問が増えていくぞ。
「そもそもなぜ、お前はリナリーに連絡しておらんのだ。一番に伝えるべき相手だろう」
「『脚本家』からの警告で、それが禁じられているんだよ」
「警告?」
アイリス様が首を捻る。
どうやら、本当に知らないらしい。
前回ルートの記憶を保持している理由を、アイリス様はエルトクリア王家の血筋だからと言った。アイリス様の記憶が大図書館の最奥にいなくても自動で引き継がれるのなら、『脚本家』が遡りの神法を発現するたびに、アイリス様は記憶を保持した状態で時間を遡ることになる。つまりは、これまでのやり直し全ての記憶があるという事だ。
気の遠くなるような話だが、それでも警告の存在を知らないという事は、俺がアイリス様に警告の件を伝えたのが初めてだったか、『脚本家』が警告を発したのが初めてだったかの2つに絞られる。
この2つのどちらが正解かは、現状では分からないし今後も分からないだろう。なにせ、俺自身の記憶が引き継がれたケースがこれまでにあったのかが不明なのだ。俺が警告の記憶を失くしていれば、アイリス様に伝わるはずがない。俺に前回ルート以前の記憶が全く無いことからも、これは間違いないだろう。
師匠がアイリス様に伝えた、今回ルートが本命である可能性が濃厚という線は、あながち間違っていないのかもしれない。しかし、師匠がなぜそう判断したのかが分からない。師匠には遡りの記憶は無いはずだ。前回ルートとの差異に勘付くことは不可能であるはずなのだが。
「リナリーに確認してみるか」
「待ってくれ」
後ろに控えるハートへ指示を出そうとするアイリス様に待ったを掛ける。
「俺は警告で師匠への接触を禁じられているんだ。この状況下でアイリス様がリナリーへ連絡することがどのような結果をもたらすのかが分からない」
「間接的な接触でも駄目ということか?」
「少なくとも、良いとは言われていない」
「……なるほど」
ハートへ挙げかけていた手を下げ、アイリス様が腕を組んだ。
「もう1つ聞きたいことがある。前回ルートでギルド本部から出されていたT・メイカーの捕縛クエストが出されていない。何か手を回した覚えは?」
「……何? あのクエストが出されておらんのか」
思考に没頭しかけていたアイリス様が勢いよく顔を上げる。
駄目だ。
この反応で分かる。
この件に王家は関与していない。
くそ。
気を回してくれて圧力を掛けていた、とかだったら楽だったのに。
「中条聖夜、この後の予定はどうなっている? お前は修学旅行で魔法世界へ来ているのだったな」
「今日の行事自体は終わっている。この後はギルド本部に行って、白銀色と赤銅色に会う予定だ。対『ユグドラシル』に向けてな」
《マスター、あのお婆ちゃんも》
「あと、ギルド御意見番ともギルド本部で会う約束をしている」
うっかりしていた。
ナイスフォローだ、ウリウム。
ギルド御意見番という単語を聞いて、アイリス様が不敵な笑みを浮かべた。
「イザベラと会うのか。なら、私も行くか」
「は?」
「私とあやつは顔見知りだ。話も早く進むだろう。道中、お前の護衛も必要だろう? ハートよ」
「はっ。直ぐに手配を――」
「ちょっと待てちょっと待て」
ハートに指示を出し、立ち上がろうとするアイリス様を慌てて止める。
危ねぇ。
このまま流されそうになったが、これはまずい。
あの警告はそういうことかよ。
怪訝な表情を見せながらも、アイリス様が浮かせた腰を下ろしたことを確認し、俺は改めて口を開いた。
「アイリス様は、少なくとも『黄金色の旋律』と『ユグドラシル』の会談が終わるまでは、城から出てはいけない」
「なぜだ」
口にした後に、アイリス様が会談の件を知っているのか疑問に思ってしまったのだが、直ぐに反応が来たことからも知っていると考えていいだろう。師匠から知らされていたのか、それとも以前のルートで会談が行われていたことを掴んでいたのかは分からないが。
「『脚本家』から警告を受けている」
如何なる理由があったとしても、エルトクリア現女王アイリス・ペコーリア・ラ=ルイナ・エルトクリアは王城から連れ出すな。
今回ルートでは、接触は無いと思っていた。
だからこそ、この警告に何の意味があるのかが分からなかった。
しかし、今なら分かる。
『脚本家』は、こうなることが分かっていた。
つまり、アイリス様が記憶を保持出来るということも知っていたという事だ。エルトクリア王家の血筋を引く者は、遡りの神法を受けても記憶が保持出来るということは、『脚本家』にとってイレギュラーな事態ではない。やはり、分からないのはクランが記憶を保持しているということだけだ。
「また警告か」
アイリス様はしかめっ面をしながら腕を組む。
連れ出すなという表現から、もしかするとアイリス様が自発的に城の外へ出るのは問題無いのかもしれない。しかし、ここまで話が進んでしまうと、自発的にという線引きが分からなくなる。俺と一緒に出なければいいのか? 城の外で合流した場合は? 分からない。ならば、無理に危険な橋を渡る必要は無い。
「とりあえず、お前の知っている警告とやらを全て話せ」
色々と回り道をしてしまったが、それが良いだろう。
アイリス様の言葉に頷く。
何か分かる事があればいいのだが。
次回の更新予定日は、9月2日(月)です。