第7話 武闘都市ホルン ③ / 交易都市クルリア ①
更新間に合いました。
※問題の先送りとも言う。
★
白のワイシャツにジーパン姿の男は、軽快なポップミュージックを垂れ流す喫茶店の壁にもたれ掛かるようにして立っていた。外見上は20代後半から30代前半。しかし、実際の年齢は分からない。片手には文庫本。肩まで届きそうな黒髪を掻き揚げながら文庫本へと目を落とす仕草は、実に様になっていた。
このワンシーンだけ見れば、誰かと待ち合わせているだけの何気の無い日常の一コマのように見える。しかし、この男がそんな日常に溶け込めるような存在ではないことを、エマは知っている。
エマが、その男の名を呼んだ。
「――、アマチ、カミアキ」
文庫本へ落としていた視線を上げて、男は笑う。
「やあ、ガルガンテッラ君。久しぶりだね」
何年振りかな、と呟きながら男は文庫本に栞を挟んでから閉じた。
一歩を踏み出そうとして。
「動かないで」
咄嗟の制止だった。
それでも。
エマの制止を聞き、男は上げかけていた足を下ろす。
自らの制止の言葉が通用したという安堵は一瞬のこと。想定外すぎる事態にエマの思考は混乱の中にあった。咄嗟にMCへと伸ばした手が僅かに震えているのを自覚し、エマは歯噛みする。まさか敵のトップがこうも簡単に姿を見せるとは思わなかったからだ。
呼吸が乱れる。
それを必死に隠そうとする。
男は、再び壁に背中を預けて微笑んだ。
「変わったね、君」
「何がかしら」
「あの日、今井修に先を越された夜。初めて会った君のままなら、制止の言葉など無く魔法を撃ち込んできただろう?」
エマが眉を吊り上げる。
「知った風な口を利かないで」
「そうかい?」
肩を竦める仕草も、この男がすればわざとらしく見えない。ただ、そんな仕草にもエマは神経を逆撫でされるような感情を覚えた。そんなエマの心情を余所に、男が視線を逸らす。
「まあ、手段としては悪くなかったんじゃないかな。花園と姫百合の警備網は中々に強固なものだ。それは、守られている身としても例外ではない。第一護衛と戦闘メイド筆頭の目を盗んで抜け出すなら、無音白色の力を借りるという選択肢は間違っていなかったと思うよ」
エマは小さく息を飲んだ。
男は構わず続ける。
「ドゾン・ガルヴィーンをこの場から引き剥がしておいたのも正解だ。魔力に敏感な彼なら、分身魔法に気付いていただろうからね」
「……貴方は」
「だからこそ、僕がこうして君に接触出来たわけだけど」
エマの言葉を遮り、男は柔らかく微笑みながらそう言った。
エマの表情が歪む。
変わっていない。
あの日。
あの時。
あの場所で。
初めて相対した日から、この男は何も変わっていない。
髪型も。髪の色も。肌の色も。目の色も。笑みの浮かべ方も。話し方も。声色も。身長も。体型も。物腰も。何もかもが、あの日のまま。
まるで。
男の周囲だけ、時計の針が止まっているようだった。
震える声で言葉を紡ぐ。
「貴方は……、何のつもりで私に接触してきたのかしら」
「もう一度勧誘を……、と思ったんだけど」
男の視線がエマへと戻った。男の視線はエマの足元からゆっくりと上がっていく。しかし、それは異性に向けられた嘗め回すようなものではなく、あくまで淡々としたものだった。
科学者が被検体の鼠に向けるようなそれだ。
男の視線が、エマの装着しているMCに向けられたところで止まった。いつでも起動できるようにエマは片手を添えていたのだが、その様子を見た男の目が細められる。
「けれど、やっぱり止めておこうかな。今の君には、欠片も魅力を感じなくなってしまったよ」
心底残念そうに、男はため息を吐いた。
「どういうこと」
「分からないのかい? 本当に?」
男とエマの視線が交差する。
「君が今ご執心の彼は、僕を明確な敵として捉えているんだろう?」
「それが何」
「なら君は、真っ先に属性奥義を放つべきだった」
「ふざけないで。こんな人混みの中でそんなものを――」
「ほら」
男の人差し指が、エマへと向けられた。
「当時の君なら、目的の為には手段を選ばなかったはずだ。何を差し置いても、まずは僕を殺すことだけを考えていた」
「勝手に私のことを――」
「分かった気にならないで、かな? 僕の語る人物像にもっとも心当たりが有るのは君だと思うんだけどね。世界に欠片も未練を残していなかったはずのガルガンテッラ君」
表情も声色も、柔らかいまま。
しかし、発せられる言葉の1つひとつが、エマの心を穿つようだった。
確かに。
以前のエマなら――。
聖夜と出会った当初のエマならそうしていただろう。発現までに時間を要する属性奥義は無理でも、幻血属性『毒』は使ったに違いない。何ら関係の無い通行人の命が何百か巻き込まれたところで、アマチカミアキが討ち取れるのなら安いものだ。なぜなら、ここでアマチカミアキを殺せれば『ユグドラシル』は崩壊するからだ。
アマチカミアキが死ねば、会談も中止となる。
つまり、リナリー・エヴァンスもヴェロニカ・アルヴェーンも死ぬことはない。
知人と他人。
どちらを優先すべきかは考えるまでもない。
なぜなら、人の命とは平等では無いのだから。
「残念だよ。仕える主が違うと、君はこうも変質してしまうのか。でも……、うん。そうだね」
体重を預けていた壁から、男が背中を離す。
そして、特大の爆弾を投下した。
「彼の勇気に免じて、ラズビー・ボレリアの保護は諦めよう」
「――なっ」
突然の話題転換。
何の脈略も無く紡がれたとんでもないキーワードに、エマは思わず言葉を詰まらせた。
「何も知らされず、何も知ろうとはせず。ただただ『黄金色の旋律』の終焉を待つだけだったはずの彼が、御堂縁と結託して先んじて行動を起こしてくるとはね。少々驚かされた」
立ち尽くすエマから視線を外し、男は涼やかな笑みを浮かべながら言う。「あれ? 彼に入れ知恵したのは御堂縁であっているよね? それ以外考えられないんだけど」とおどけた様子で男は続ける。
「だからこれは……、楽しませてくれた褒美だよ。僕はここで中条聖夜が別行動をとっていることについて黙認しよう。組織の誰にも……、そう、組織を含めて僕の息が掛かっている者たちにも、このことを告げないと君に誓おう。彼の行動の結果が、ラズビー・ボレリアの身柄拘束となっても受け入れるし、その場にいた同胞の首が刎ねられ、頭蓋を潰されることになったとしても……、まあ、不幸な遭遇戦だったと皆の前で嘆くだけに留めようかな」
「何を、言っているの。貴方は」
エマには、男の言っている内容が理解できない。
正確に言えば、意味は理解できるが意図が理解できていない。
不穏分子があるなら早急に摘むべきだ。それが組織の長たる人物の義務だ。そうしなければ、いずれはその不穏分子が組織を壊滅させることになりかねないからだ。それは部下の命を預かる者として当然の責務であるはずだ。
エマがこの男の立場なら、真っ先に中条聖夜を潰す。交易都市クルリアに近寄せることすらしないだろう。しかし、この男の言っている内容はそれとはまったく違うものだった。出来るはずがない、と思っているわけでもない。この男は、情報源が御堂縁であることにも気付いている。
にも拘らず、男はそれを黙認しようと言うのか。
理解の外だ、とエマは思った。
「宿敵たるリナリー・エヴァンスの死は、劇的なものでなければつまらない。そう言いたいんだよ、僕は」
エマに視線を合わせることなく、男は片手で文庫本を弄びながら続ける。
「だから、ここで中条聖夜に連絡して引き戻そうとするのだけはやめてくれよ? そうしたら、僕にとって折角の想定外の事態もただの予定調和に成り下がる。そんなことになるようなら……」
男はようやく視線だけをエマへと戻した。
口元には笑み。
朗らかな表情で。
しかし、それに似つかわしくない言葉を吐く。
「中条聖夜は、きっと君のもとへは戻れなくなる。悲しいことにね」
「――っ!!」
「エマちゃん!」
魔法を発現しようとした。
その瞬間に。
「み、美月?」
収束しかけていた魔力が霧散する。
あまりにも一瞬の出来事であり、駆け寄って来た美月も、周囲を歩くほとんどの通行人も気付かなかったようだ。
「どうしたのさ! 急にいなくなるからびっくりしちゃったよ!」
隣には聖夜の形をした分身魔法。
そして、その後ろからは遅れながらも舞と可憐が走ってきていた。
エマが慌てて男へと視線を戻す。
しかし視線を向けた先には、既に男はいなかった。
「お腹空いたの?」
エマの視線を辿った先にあるのは、軽快なポップミュージックを垂れ流す喫茶店だ。「けど、今は聖夜君は食べれないんだし」などと諭そうとする美月を止めて、エマは言う。
「聖夜様に……、いえ、何でもないわ」
エマは頭を振った。
分からない。
考える時間が欲しい。
エマの思考回路を以ってしても、この事態を理解するには時間が足りなかった。
聖夜からの話では、前回のルートでアマチカミアキと遭遇する状況は無かった。むしろ、警告文には接触するなとまで言われている。これはあくまで聖夜に向けた警告であって、エマには関係ないものだと言えるのだろうか。断言はできない。
聞いた話の通りなら、現状で前回と違うのはこの場に聖夜がいないことだけだ。そうなると、あの男が姿を見せたのは、この場に聖夜がいないからということになる。この相違点は、良い方向に向かっているものなのか。それも分からない。むしろ、聖夜の企みが向こう側に筒抜けになってしまっていることは問題である。
しかし、エマには聖夜を止めることが出来ない。
あの男が最後に放った警告は捨て置けない。
信じるしか無いのだ。
例え、信用できない男から告げられた口約束だったとしても。
「ちょっと目に埃が入ってしまっただけ。ごめんなさい。さあ、早く行きましょう。舞たちに気付かれるわけにはいかないわ。心配させてしまうものね」
エマは、強く唇を噛み締めた。
不甲斐ない自分を恨んで。
男の言っていることは、何1つ間違ってはいなかった。目的を達成するためであっても、周囲の人間を巻き込むことを聖夜は好まない。その考えが、エマの行動を抑制した。ここでアマチカミアキという存在を殺せれば、どれだけの人間が救われるのかを分かっていながら、エマは行動には移せなかった。
その甘さに、男は気付いていた。
側近すら隣に置かず、無防備な状態を曝け出すという暴挙に出た敵組織の長は、それに見合うリターンを持ち帰った。
聖夜がクルリアに向かったこと。
会談に関与する可能性を掴んだこと。
そして、エマの危険性の低下について。
男の言っていた通り。
エマとアマチカミアキの出会いは、今日が初めてではない。
何のために、それを聖夜に伝えなかったというのか。
聖夜は仲間が傷付くことを恐れている。実験棟の一件で思い知り、今回の遡りで更にそれは極端なものとなった。戦えば人は死ぬ。それが当たり前のことだと割り切れてしまう自分が、果たして異端なのかどうか。それはエマには分からない。しかし、アマチカミアキと相対していることがバレたら、聖夜はエマを戦いから遠ざけようとするかもしれなかった。だから告げなかった。いざという時は、エマが自らの手でアマチカミアキを殺せば良いと考えたから。
だから、伝えなかったというのに。
血の味がした。
唇が切れたからだろう。
それでもエマは、唇を噛み締めたままだった。
戦ったわけではない。
ただただ、少しばかりの言葉を交わしただけだ。
それでも。
千載一遇のチャンスを逃した。
もっとも簡単に戦いを終わらせるチャンスはもう無い。
突如として訪れた、アマチカミアキとの再会。
しかしそれは、エマへ敗北と言う二文字を刻み付けるには十分すぎる一幕となった。
☆
「想像以上に早いね」
「隣の武闘都市ホルンにいましたから。もっとも、そんなに時間は取れませんよ」
メールに添付された地図に従って訪れた場所で、縁先輩と合流した。
合流場所は、オープンテラスのあるお洒落なカフェだった。コーヒーカップを片手に会釈を向けてきた縁先輩に応え、丸テーブルを挟んだ対面の席に座る。縁先輩が座っていたのはオープンテラスではなく店内。それも観葉植物で絶妙に外からの視線が切れる場所だった。中から外の様子を窺うことは出来るが、外からだと見えにくい。そんな場所だ。
おしぼりとお冷を持ってきた店員に、「まだ決まっていない」と告げてメニューを開く振りをしておく。どうせすぐ出るのだ。注文してもお金の無駄になるだけだろう。
交易都市クルリア。
今回のルートで来るのは初めてだ。前回のルートでもすぐに引き返してしまったために都市の散策などはしていないが、どういった都市なのかくらいは分かっている。というのも、防護結界によって閉鎖空間となっている魔法世界において、外界の物資が手に入る貴重な場所という位置づけにある都市だからだ。一般の人間も立ち入り可能な大市場や、目玉の飛び出るような価格で取引されるオークションなど、様々な物資のやり取りが行われていると聞く。
「それで、誰かの尾行か監視ですか?」
「……、よく分かったね」
メニューを開きながら何の気なしにした質問だったのだが、縁先輩は俺の想像以上に驚いた素振りを見せた。
「まあ、座っている場所があからさまだったんで」
「はは、なるほど」
軽く笑った縁先輩は、自然な仕草で防音の魔法を展開する。
「『ユグドラシル』の構成員を見つけた」
心臓が高鳴った。
平静を装おうと努力しなければならないほどに。
「どういう状況なんですか?」
「それがちょっと問題でね。魔法世界にあるギルドの副ギルド長と一緒にいたのさ。きな臭いと思わないかい?」
《真っ黒ね》
だな。
ウリウムの言葉に頷きながら同意する。頷いた後に「やばい」と思ったが、縁先輩からの質問への回答だと誤魔化せることに気付いてちょっとだけホッとした。まあ、この人は何となく俺のMCのことも気付いていそうだけど。
「その副ギルド長と『ユグドラシル』はどこに?」
まさか同じ喫茶店にいる、なんてことはないだろう。
「うん。相手側がどれだけの駒を用意しているか分からなくてさ。迂闊には近づけないと思っていたタイミングで、君からの連絡に気付いてね。ここまで引き返してきたんだよ。この先の道を抜けてクルリアの奥地へ向かうと廃れた民家があるんだけど、彼らはその中にいる」
……。
クルリアの奥地。
廃れた民家。
これは。
「大きな庭を所有している民家でね。手入れはされていないから草木も生え放題の有様でさ。外からじゃ中の様子は窺えないんだ。踏み入るのはリスクが高い。中の状態がまったく分からないからね」
コーヒーの水面を揺らしながら、縁先輩の視線が俺へと向く。
「ハイリスクハイリターンだと思っている。決定的な現場を押さえることが出来るかもしれない。行ってみるかい?」
「やめておきましょう」
即答した。
縁先輩が目を丸くする。
「即断即決だね。迷いが無い。理由を聞いても良いかな?」
周囲に目を走らせた後に告げる。
「縁先輩。『脚本家』と言われて、何か心当たりは?」
口にしようとしていたカップをソーサーに戻した縁先輩に、先ほどまでの笑みは無かった。
「……何を知ったのかな?」
その回答の時点で、色々と知っていることは確認出来た。
「『脚本家』から警告されています。交易都市クルリアの奥地にある廃れた民家には近付くな、と」
縁先輩が目を閉じる。
腕を組んで目を閉じたままの顔が上を向いた。
沈黙が訪れる。
あの警告文はここで生きてくるわけだ。そうなると、この一件が『脚本家』にとって変えて欲しかった事象である可能性は非常に高くなる。俺と縁先輩が揃っている状態でも近付くなということは、余程の化け物が潜んでいるのだろう。もしくは、警告で接触を禁じられている奴らがいるのか。接触を禁じられている者の大半も、俺1人では太刀打ちできない奴らなわけだが。
縁先輩が薄く目を開けた。
顔ごと視線が俺へと向けられる。
「いつ、どこで、どのような状況下で、その警告を受け取ったのか……。非常に気になるところだね」
カップの縁を人差し指で撫でながら縁先輩は言った。
良い機会だ。
どちらにせよ、縁先輩には全てを話して協力してもらう気でいた。ここで話せるならそれに越したことは無い。
だが、その前に確認しておきたいことがある。
「話すのは構いませんが、民家の警戒は大丈夫なのですか?」
縁先輩の話を聞く限りでは、ここから見える場所にある民家ではなさそうだ。状況を説明している間に事態が進んでいて、気が付いたらもぬけの殻だった、とかは避けたいんだが。
「大丈夫だよ。民家は今、鈴音が警戒しているから」
その言葉に疑問を抱く。
「大きな庭を所有している民家なんですよね? 草木も生え放題で外から様子は窺えない、と聞きましたが。1人ではカバーしきれないのでは」
「心配は無用さ。民家の所有地の部分をくり抜いたドーナツ状に探知魔法を展開させている。例え正規の門を潜らずとも、所有地から一歩外に出れば探知出来る」
「……そんなことまで出来るんですか、蔵屋敷先輩は」
凄まじい魔法技術だ。
魔法の効果範囲や持続時間など、どれを取ってみても練習すれば何とかなるというレベルじゃないぞ。
「いくつかの魔法具を併用して、準備に時間を掛けた上でようやく、といったところだけどね。まあ、これくらいは出来てくれないと連れて来れないよ。相手は『ユグドラシル』だ」
それはそうかもしれないが……。
いや、それにしたって求めるレベルが高過ぎるような。
「そして、それは君にも当てはまる」
俺の思考を読んだのか、縁先輩は言う。
「ここから先、生きるも死ぬも自分次第だ。無論、チームとして動く以上はお互いフォローし合う必要はあるけどね。でも、本来、自分の身は自分で守るもんだ。そうだろう?」
……。
頷いた。
それを見た縁先輩も満足そうに頷く。
「さあ、前置きはこのくらいにしておくとて……。とりあえず、そちらの話から聞こうかな」
「はい」
次回の更新予定日は、7月8日(月)です。
奇跡が起きれば、7月1日(月)に更新されるかもしれません。
※奇跡が起きる確率は、ガルパの単発ガシャ一発勝負で☆4キャラが出るくらいです。
今回のエマとアマチカミアキのやり取り。
何が一番問題なのか、ちゃんと気付けている人はどれくらいいるのかな?
背筋がぞわっとしてくれたら嬉しい。