第0話 違和感
本当の10章です。
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『持って行くわ』
定型文の挨拶など無い、その単刀直入な物言い。
幾度となく聞いてきたその言葉に、未だ苦笑が漏れるかと今井修は己の反応に1人驚いた。
『……、聞いている?』
「ええ、聞いていますよ。リナリー・エヴァンス」
「Sound Only」と表示された券面に向かって修は答える。
そして、続ける。
「貴方が必要だと思うなら、私に止めるつもりはありません」
今までなら「お待ちしております」と答えていた。
それを別の言葉に置き換えて。
沈黙。
クリアカードから応答が無い。
リナリーから返答が来ない。
クリアカードの券面には、未だに「Sound Only」の文字。
つまり、この沈黙は回線が切れたことによって生じたものではない。
気付くか、否か。
リナリー・エヴァンスに遡りの記憶は無い。
繰り返し、繰り返し。
気が遠くなるほどに行われてきた問答から差異を判別することは不可能。
しかし。
この沈黙は少なくとも修の言葉に違和感を覚えたということ。
果たして。
リナリー・エヴァンスは今井修のメッセージに気付けるか。
『……なるほど』
決して短くはない沈黙の後。
リナリーは言う。
『気が変わったわ。持って行くのは止める』
「そうですか」
自らの心情を悟られぬよう、修は平静を装って返答する。
『それじゃあ、また。貴方の主様にもよろしく』
「はい、伝えます」
通話が切れた。
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通話が切断されたクリアカードの券面をぼんやりと眺めていたリナリーは、自らに向けられたままの視線で我に返り、そちらへと目をやった。
「予定通り、貴方には歓楽都市フィーナへ向かってもらう」
ヴェロニカ・アルヴェーンは、膝の上に置いていたクロッキー帳を開き、そこへ文字を書き込んでいく。
『リナリーは?』
「1つ野暮用が無くなったから……、そうねぇ。聖夜から連絡が来ればそっちの作戦に投入してもいいんだけど。下手に動かして運頼みにするより、転移で直接運んだ方が楽だとは思うし。けれど『ユグドラシル』の監視を掻い潜る危険を冒してまであいつを使うべきかは悩むのよねぇ……」
頬杖をつきながらリナリーはため息を吐いた。
『私1人で十分』
「本来ならそれで良かったと思うわ。でも、貴方はどこで顔が割れているのか分からないのよ。私の命令を無視して魔法聖騎士団の前で身分を明かすから」
その言葉に、むっとした表情を見せたヴェロニカは更に文字を書き連ねる。
『私は聖夜を助けたかっただけ』
「むしろ、あの時はアル・ミレージュに拘束されていた方が安全だったけどね。貴方が介入したせいで中途半端な逃走劇に身を投じた挙句、諸行無常に追い詰められたんでしょう」
『結果論』
「でも事実でしょう?」
クロッキー帳越しにヴェロニカがリナリーを睨みつけた。それが反論の尽きた合図だと受け取ったリナリーは、ゆっくりと腰を上げる。
「行きましょうか。途中までは送ってあげるわ。後はまりもからの合図を待って」
その声に従いヴェロニカも席を立った。
無意識の行動か。
自らの髪に手をやるヴェロニカへ、リナリーは微笑みながら告げる。
「黒も似合っていると思うわよ?」
次回の更新予定日は、5月13日(月)です。