第17話 エルトクリア大図書館『深奥』(前編)
3月4日分、最初の更新は第13話です。
読み飛ばしにご注意ください。
現在、3時間毎に1話ずつ更新しています。
☆
見知らぬ場所に立っていた。
円柱状に上へと伸びるこの部屋は、壁に沿うようにして本棚が展開されており、そこには所狭しと本が詰められている。思わず上へ上へと伸びている本棚を追って見上げてしまう。しかし、どこまで伸びているのか先が見えなかった。どこかの建物の中ではないのか?
ここは、先ほどまでの喧騒が嘘だったかのように静寂に包まれている。
視線を正面に戻した。
そこにはカウンターがあり、1人の男が穏やかな笑みを浮かべて座っていた。
「ここではいかなる魔法も意味を成さない。しかし、魔法という理から外れた神法は別」
男は立ち上がり、両手を広げて言う。
「よく来たね、中条聖夜君。ようこそ、エルトクリア大図書館へ」
エルトクリア大図書館。
この場所を使えるのはエルトクリア魔法学習院の院生と許可を受けた人物のみ。その利用者も口止めされているのか外に一切の情報を漏らさない。それ故に、様々な憶測が飛び交う場所。
そして今回、俺が目指していた場所。
そうか。
師匠はもしもの時のために、俺が渡していた転移用の魔法具をここに置いていたのか。
ここは紙の匂いで満たされていた。
先ほどまでの喧騒は鳴りを潜め、痛いほどの静寂がこの空間を包み込んでいる。
目を閉じて。
大きく深呼吸をして。
気持ちを、落ち着ける。
スペードは言った。
この状況を打破する術があると信じている、と。
エースは言った。
『脚本家』の魔法は人知を超える、と。
縁先輩は言った。
俺がエルトクリア大図書館へ辿り着けば全てが解決する、と。
全ての答えが、ここにある。
目を開ける。
口を開く。
今井修に、告げる。
「『脚本家』に会いに来ました」
今井修は、答える。
「うん、待っていたよ」
今井修の背後には固く閉ざされた扉が2つ。その扉の1つ、俺から見て左側の扉が勝手に開き出した。
「行こうか。『脚本家』がお待ちだ」
☆
今井修。
スペードがオサムと呼んでいた時は分からなかったが、フルネームで聞いた瞬間に思い出していた。アメリカで活躍するロックバンド『アイ・マイ・ミー=マイン』のボーカル。青藍魔法学園の文化祭へスペシャルゲストとして参加していたため、俺も生徒会役員として顔を合わせたことがある。
この男がなぜ『脚本家』の案内役をしているのかは分からない。しかし、スペードやエースへ『脚本家』の伝言役をしていることから、かなり重要な立場にいることは間違いないだろう。
扉の先は、本当にただの図書館のようだった。
暖色系の光が射しこむ普通の図書館。本の匂いと本棚に使われている木の匂い。本棚は横長で規則正しく並んでいる。本棚ごとにラベルが張り付けられており、目の前のラベルには『BM-1』と書かれていた。
「僕の後についてきてくれ。絶対にはぐれたり、別のルートを通らないように」
頷く。
それを確認した今井修が歩き始めた。
その背中を追いながら思う。
『リナリー・エヴァンスに預けていたアレへ、座標を合わせろ』
少なくとも、俺の魔法を知っていなければ出せない伝言だ。そして、俺の魔法具がここへ配置してあることも理解していなければ出せない伝言である。つまり、師匠とも何らかの形で繋がっていたと見るべきだろう。
もしこれらが真実であるとするならば。
師匠が死んだことも計算の内だったということなのか?
無言のままついていく。
右へ左へと曲がる。
迷っているのか、と思うほど何度も曲がる。
しかし、前を歩く今井修の足取りに迷いはない。
大人しくついていく。
時折、歩く道すがら、今井修が本棚に収められている本に触れて少しだけ引き出しているのが気になった。しかし、今井修が触れた本のタイトルを見てみてもジャンルはバラバラで規則性が無い。意味の分からない行動としか言いようが無い。
「中条君」
たった今、今井修が触れた本のタイトルに目をやっていた俺は視線を前へと戻した。
「はい」
「ここから先、足場が悪くなるんだけど、動揺せずに僕の言う通りにしてくれ」
「分かりました」
よく分からない指示が来たが、反射的にそう答えた。
今井修が、引き出しかけた本を押し戻す。
その光景を見て。
瞬きして。
視界が、変わった。
「――――ぇ」
思わず、そんな声が出た。
先ほどまでの暖色系の光に照らされた木製の図書館ではない。
真っ暗な空間に、硬質な本棚が規則正しく並ぶ。本棚に収められている本は自らが青白く発光しており、それがこの空間の光源となっていた。そして、本当に驚くべきは規則正しく並ぶその本棚の、その規則性にある。
視界の先に、ただ真っすぐ本棚が並んでいるだけではない。足元を見れば、俺の下へと真っすぐ本棚が伸びている。見上げれば、頭上から真っすぐ本棚が伸びていた。
右も、左にも本棚がある。
上も、下も。
平衡感覚が可笑しくなりそうな光景だった。
「こっちだよ、中条君」
その声で我に返る。今井修は歩き始めていた。おそるおそる一歩を踏み出してみる。床は無いが、何かを踏みしめている感覚はあった。今井修の後を追いかける。
視界の端を流れていく、陳列されている本たち。青白く発光する本に黒字でタイトルが刻まれており、アルファベットが使われていた。英語かと思ったら日本語のものがあったり、どこの国の文字かは分からない象形文字のようなタイトルもある。
その本たちが、勝手に動いていた。
誰も触れていないのに引き抜かれて隣の本と場所が入れ替わったり、本棚から飛び出したかと思うと勝手に発火して燃え尽きてしまうものもある。いきなり目の前に飛び出して発火した時は、思わず声が出てしまった。かと思えば、動いた本と本の間に隙間が出来た瞬間に火花が散って新たな本が現れたりもしている。
その動きに規則性はない。
完全なランダムに見える。
「中条君、上にいくよ」
立ち止まって俺を待っていた今井修が、頭上を指さして言う。
「ジャンプをすると言うよりは、向こうに行きたいと思って一歩を踏み出すような感覚だ。まあ、言葉で説明するよりもやってもらった方が早いかな。ついてきてくれ」
今井修が一歩を踏み出す光景に目を疑った。
まるで見ている角度を変えているかのように、今井修の歩く光景が90度曲がったのだ。
言われた通りに一歩を踏み出してみる。
すると、目の前に、先を歩く今井修の背中が映った。おかしな角度からは見えていない。つまりは、俺も90度曲がったらしい。重力に逆らった感覚はない。だからこそ、余計に意味が分からない。
そこから先は、本当に訳の分からないルートを歩いた。
右へ左へ。
そして、上へ下へ。
どれだけ歩いただろうか。
いい加減、驚きすぎて疲れてきた頃に、ようやく視界の先の光景に変化が現れた。
今井修の歩く先。
これまで規則正しく並んでいたはずの本棚が無くなり、ぽっかりと開けた空間が見える。時間にして、いったいどれだけの間彷徨っていたのかも分からない。いや、彷徨っていたと感じるのは道順を知らない俺だからか。しかし、これでようやく目的地に辿り着いたということだ。
開けた空間へ足を踏み入れる。
そこで前へと歩む足を止めた今井修が、俺の前からどくように横へとずれた。そして、目の前の存在へと膝を付いて首を垂れる。
『よくぞここまで辿り着いた。歓迎しよう、精霊王の申し子よ』
目の前のモニターへ文字が表示されるのと同時。
打ち込みのような抑揚の無い女性の声がぽっかりと空いた空間へと響き渡る。
思わず隣で跪く今井修へと目を向けた。
「……まさか、これが」
今井修は答えなかった。
代わりに答えたのは、目の前の存在。
『君の想像の通りだ。この私が「脚本家」と呼ばれる存在である』
目の前の存在は、言う。
モニターに表示された言葉で。
スピーカーから発せられる打ち込みのような女性の声で。
目の前には、質素なテーブルが1つ。その上に設置されているのは、こちらへ向けられたモニターとキーボード。モニターの上にはカメラのレンズのようなものが、前には小さなマイクが、左右にはスピーカーが設置されている。テーブルの端には青白く光る1冊の本。
そして、その奥。
モニターが設置されているテーブルの奥には、人が入れそうな縦長の水槽のようなものがあった。中は黄緑に近い色をした謎の液体で満たされている。その中心部分に、実物を生で見たことは無いが形状や名称は知っているモノが仰々しいコード類で接続された状態で浮いていた。
あれは。
人間の、脳だ。
まさか、と思い視線を下へと向ける。脳に接続されたコード類の数々は、水槽の下部から複雑な機械を通して外へと伸びており、それらはテーブルの上に設置されている電気設備の数々へと繋がっているように見えた。
つまり、俺と話しているのはこの脳ということになる。いったい、どのような技術を使えばこのようなことが可能になるのかはまったく以って分からないわけだが。
『状況は理解したか』
モニターへ表示される文字。
打ち込みの声。
「目の前の存在が……、俺の理解を超えた存在であることは理解した」
『結構』
冷静になれていない状況下で、急に質問を投げかけられたせいだ。咄嗟に口を突いて出た言葉は敬語を使っていなかった。今井修が隣で跪いたままであるからには、相当な身分である存在であることは間違いない。しかし、目の前の存在は特に怒りはせずに返答は短いものだった。
『さて。話が早くて助かる。今後、私のことは「脚本家」と呼んでくれたまえ。これが今の私を指し示す記号なのでね』
「……分かりました」
『おや、言葉遣いは先ほどのままで良かったのだがね。師弟関係を結んだとはいえ、師匠は師匠、弟子は弟子ということか』
っ。
思わぬところで師匠の話題が出たせいで言葉に詰まった。
そして、『脚本家』の言い回しで気付いた。師匠もここへ来たことがあるのだと。目の前の存在と言葉を交わしたことがあるのだと。
『リナリー・エヴァンスの件は残念だった。ヴェロニカ・アルヴェーンもな。しかし、君が私情をかなぐり捨ててここまでやって来たことは評価出来る。事情を知らない君が、蟒蛇雀の挑発に乗って無駄死にするルートも存在していたからな』
……。
スペードが止めていなければ、そうなっていただろう。
やっぱり俺ではヴェラを取り返すことは出来なかったのか。
何を知ったような口を、と。
本当ならそう言い返しても良い場面のはずだが、不思議とそういった感情は起こらなかった。目の前の存在には、俺そのものを隅々まで熟知されている気さえしてしまう。
だからこそ。
目の前の人知を超越した存在に縋ってしまいたくなるのだろう。
「……『脚本家』」
目の前の存在を指し示す名称とやらを口にする。
敬称を付けるべきか悩んだが、人名とは思えなかったのでやめた。
「俺は……、私は、本当ならこんなところへ来るよりも、ヴェラを助けに行きたかった」
例え、そこで無残に殺される未来しかなかったとしても。
一発でも、一発でも良かった。
あの女をぶん殴れたら、って。
「それでも……」
両の拳を握りしめる。
爪が食い込み、血が滲むほどに。
「俺がここへ来れば、全てが解決すると言った奴がいます。その言葉を信じてここまで来ました」
モニターは反応を示さなかった。
俺は続ける。
「教えてください、『脚本家』。貴方は死者を蘇らせることが出来るのですか?」
俺の声は震えていたと思う。
何を馬鹿な事を、と自分でも分かっている。死者を蘇生させる魔法なんて無い。だから美月は『ユグドラシル』に入ったし、実験棟では旧・諸行無常が哀れな姿で俺の前に立ちはだかった。そんな魔法が存在するなら、この地球はとうに人で溢れ返って死滅しているだろう。
でも。
それでも。
縋ってしまう。
だから。
『君の質問に答えよう』
黙り込んでいたモニターが反応を示す。
こちら側からの言葉は通じず一方的な会話しかできないのかと思い始めた頃に、あの打ち込みのような女性の声が空間に響き渡る。
『この私の力を以ってしても、死者を蘇生させることは出来ない』
その当たり前のことを当たり前の回答で返された瞬間。
どうしようもなく無気力になって泣きたくなった。
感情とは反対に、血が滲む拳を更にきつく握りしめる。
ぬるりとした感覚が拳の中に広がり、指を伝って血が床へと滴った。
ああ、終わった。
俺がここへ来た意味は、失われてしまった。
これ以上、俺がすべきことなんてない。
もう……。
『だが』
モニターの言葉は続く。
打ち込みの声は言う。
『やり直すことは出来る』
……。
……、……。
……、……、……、は。
「は?」
『理解が追い付かないか。しかし、言葉通りの意味だ。私の神法を以ってすれば、やり直すことは出来る』
……。
やり、なおす?
『そうだ。リナリー・エヴァンスやヴェロニカ・アルヴェーンが未だ死んでいなかった場所からな』
……。
無機質な言葉が、徐々に頭の中へと染み渡っていく。
やり直せる?
師匠が死んでいなかったところから?
ヴェラが死んでいなかったところから?
つまり。
それは。
「それはっ――」
それ以上は言葉に出来なかった。
モニターに表示されたのは『ストップ』の文字。つまり、これ以上は喋るなということだ。一気に高ぶった気持ちを落ち着ける。捲し立てようとした言葉を飲み込んだ。目の前の存在を不快にさせても良い事は何も無い。
『それでは、君をここまで呼び出した理由を聞かせよう』
人知を超えた存在。
『脚本家』はそう言った。
次回更新は、18時です。