第5話 朝食
☆
修学旅行2日目。
ホテル・エルトクリアにて、朝のバイキングを1人で楽しんでいた時のことである。
だんっっっっ、と。
丸テーブルで食事をつついている俺の対面に、アホみたいな勢いでトレーを叩きつける奴がいた。思わずナイフとフォークを動かす手を止めて、手元から前方へと視線を向ける。その過程で、向かいのトレーの惨状が目に入った。
綺麗に盛り付けられていたであろうサラダは盛大にぶちまけられ、大皿に彩良く添えられた品の数々は見るに堪えないほどに入り乱れて混沌と化し、スープは噴火後の火山のように辺り一面を赤く汚しており、ジュースが注がれたコップに至ってはひっくり返っていた。折角別々の皿に入れられていたにも拘わらず、結局はトレーの上で一体となってしまっていて、エグイ色をした具だくさんのスープにしか見えない。
嫌な予感しかしない。
そう思いながらも視線を上げた。会ったことは無いが、魔法世界の宗教都市アメン最奥に住むという聖女様はこんな表情をなさるのかな、なんて思えるような光り輝く笑顔を浮かべる女の子がいる。
その名を、エマ・ホワイト(偽名)と言う。
「よ、よう。おは――」
「おはようございます、聖夜様」
「あ、はい。おはようございます、エマさん」
「相席よろしいですか?」
「あ、はい。どうぞ」
形式的な意思確認はされているが、「他にも席空いてるんだからどっか行けよ」と言える空気で無い事だけは良く分かる。
「それでは失礼しますね」
「あ、はい。どうぞ」
震えるような威圧感さえなければ見惚れてしまうほどに素敵な笑顔である。凄まじい音を立ててトレーを叩きつけたにも拘わらず、椅子に座るときの所作は優雅なものだった。光り輝くような笑みを携えたまま、エマがナイフとフォークを手に取る。
視線が合うと、これまた素敵な会釈をしてきた。
気まずくなって視線を落とす。もはや食えるような状態には見えないが、エマが食事を開始するならと俺も止めていた手を再び動かそうとして。
ざくっっっっ、と。
エマの右手に持つナイフが、大皿の上に載っていたスープやらジュースやらに塗れた焼き魚へ垂直に突き立てられた。弱肉強食を目の前で実演されたかのような光景に、思わず背筋に嫌な汗が流れる。
……。
「え、えっと、エマ……、さん?」
「はい?」
恐る恐る声を掛けると、エマは笑顔を浮かべたまま可愛らしく小首を傾げて見せた。やばい、可愛いはずなのにめっちゃ怖い。
「なんでしょうか、聖夜様」
「あー、そのですね。そういう食べ物を粗末にするのはちょっと――」
ざくっっっっ、と。
エマの左手に持つフォークが、大皿の上に載っていたスープやらジュースやらに塗れた鶏肉へ垂直に突き立てられた。次はお前をこうするぞとでも言わんばかりの光景に、思わず口にしていた言葉が止まる。
「聖夜様」
「あ、はい、いえ、あ……、なんでもないです」
「聖夜様」
「あ、はい」
「私は悲しいです。聖夜様は私に言うべきことがありませんか?」
……。
なんだろうね。その言うべきことって。
ぼくわかんない。
「とぼけるおつもりで?」
……。
おかしくない?
バレるようなこと、俺何もしてないよね?
昨日、解散してから一度も会って無いんだぞ。
「聖夜様、昨日はどちらへ?」
何も答えない俺へ痺れを切らしたのか、エマが先手を打ってきた。
「どこにも行ってないけど」
「なら、なぜ私がお部屋を訪ねた時に応じてくださらなかったのですか?」
こいつ部屋に来てたのかよ!?
「えーと、寝ちゃったから。気付かなかったのかな?」
「あら、夕食の後、すぐに就寝されたのですか?」
「あ、ああ。そうそう」
そういうことにしておこう。
「しかし、ホテルの庭から聖夜様の部屋を見た際には、部屋の灯りはついていたようですが」
……なんなのこいつ。
何でノックで反応無い段階で諦めないの?
「あー、そういえば消し忘れたっけ。道理で眩しかったはず――」
「私が確認した際、部屋の灯りは消えてましたけどね」
「あれ、やっぱり消してたっけ。寝ぼけていたせいで良く憶えてないなぁ」
……。
「ふふふ」
「は、ははは」
テーブルで向かい合い、2人で乾いた笑いを交わしあう。ひとしきり笑った後、突如としてエマから表情が消えた。
「聖夜様」
「はい」
「この後、お時間頂けますよね?」
「はい」
もっとも、時間をくれてやったところで話せることなど何も無いわけだが。事実を全て話そうものなら単独で王城へ殴り込みに行きかねない。どう説得したものかと悩みながら、俺は深くため息を吐いた。
★
シルベスター・レイリー。
ケネシー・アプリコット。
レッサー・キールクリーン。
フェミニア・アン・レンブラーナ。
アイリーン・ライネス。
ルリ・カネミツ。
チルリルローラ・ウェルシー・グラウニア。
以上7名で構成される『白銀色の戦乙女』は、ギルドに登録されている中では最高位に位置するギルドランクSの認定を受けているグループである。希少な幻血属性『星』を持つシルベスター・レイリーを始め構成員は全て女性であり、その共通点は同じくギルドランクSに位置する『黄金色の旋律』の絶対信者であること。
なにせリーダーであるシルベスターが構成員に最初に命令した内容が、「仮に『黄金色の旋律』から何らかの要請があった場合、それを最優先とすること」である。「その要請が私が下した命令に反するなら、容赦なく私を切り捨てろ」とも。
かつては王家に仕える魔法聖騎士団の一員でありながらも、リナリー・エヴァンスの己を曲げない自由奔放さに憧れて周囲からの反対を押し切り脱退。リナリーが新設した『黄金色の旋律』への加入を希望するも「誰、貴方。無理」と呆気なく断られ、それでもめげなかった彼女は必死に同志をかき集め、少しでもリナリーの力になりたいが為に結成したのがこの『白銀色の戦乙女』だ。
当然のことながら、リーダーであるシルベスターも先日ギルド本部で起こった一件については承知している。現場には同志アイリーン・ライネスを派遣していたのだから、その一件については余すところなく熟知していた。
つまり――――。
☆
結局のところ、朝食の席が混むのを嫌って、少し早めに出てきたのがまずかったということだ。諸事情によって寝る時間が遅かったのだから、いっそのことぎりぎりまで寝ていればこんなことにはならなかった。
そう反省しつつ、エマに連行されるようにしてホテルのレストランから出ると、辺りがざわついているのに気が付く。
「……何だ? 何かあったのか?」
前を歩くエマが足は止めずにゆっくりと振り向く。
「何があったのでしょうね? 果たして……」
なにその思わせぶりな感じ。
めっちゃ怖いんだけど。
日当たり良好の廊下を抜けてロビーのある広間に出る。喧騒が徐々に大きくなっていたことから分かり切ってはいたが、どうやらざわめきの中心はここらしい。ここ、というより出入口近くにある売店が発生源のようだ。
……えっと、なんか「T・メイカー」って単語が聞こえた気がしたんだが。
「聖夜様、少々ここでお待ち頂けますか?」
「あ、ああ」
淑やかに一礼したエマが、売店へと歩いていき人混みの中へと姿を消した。
なんとなく読めてきた。
なぜエマが怒っているのか。
なぜこのタイミングでT・メイカーが騒がれているのか。
騒がれるのは当たり前だ。エマに話していなくとも昨日のことがバレているのも当然だ。
なぜなら。
「お! 聖夜じゃねーか!!」
エマと入れ替わるようにして、売店から元クラスメイトの本城将人がやってきた。手には新聞が握られている。
嫌な予感しかしない。
そしてそれはすぐに確信に変わった。
「お前も新聞を買いに来たのか? だよな! なんてったってあの闘技場の大英雄!! T・メイカーが再び姿を現したってんだからな!!」
……。
予想通りの展開に思わず絶句してしまった。
そして、その直後に後ろから肩を叩かれ、思わず距離を取って身構えてしまう。
「――、っと。どうした? 穏やかじゃないな、聖夜」
伸ばしていた手を引っ込めた杉村修平は、苦笑いを浮かべながらそう口にした。
「あ、ああ。すまない。ちょっと驚いて……」
「それにしたって随分と過剰な反応だったが……、まあいいか」
「おはよう、聖夜。君も新聞を買いに来たのかい?」
修平の後ろからひょっこりと顔を覗かせたのは楠木とおるだった。正直なところ、ただエマに連行されてきただけなのだが、仕方が無いので情報収集に切り替えることにしよう。
「そんなところだ。で、どういう話になってるんだ? 実は俺、まだよく状況を呑み込めてなくてさ」
「マジかよ! テレビ見てねーの? 中央都市リスティルにあるギルド本部にT・メイカーが突如襲来って大ニュースになってたんだぞ!!」
うへぇ。
やっぱりそうか。
「き、昨日は早く寝ちゃってさ」
「そうか。幸か不幸かは人それぞれだが、確かに昨日の馬鹿騒ぎは面白かったな」
ニヤニヤしながら修平が言う。
「面白いっていう表現は不謹慎だと思うなぁ。先生方も大変だっただろうし」
「先生方が大変って?」
しかめっ面のとおるへ聞いてみた。
「門限はとうに過ぎているのに、ホテルから抜け出そうとする生徒が多かったんだよ。なにせあのアギルメスタ杯からここまで、信憑性のある目撃情報なんて皆無に等しかったからね。『伝説の拳闘士』の姿を一目見ようと抜け出したくなる気持ちも、まあ分からなくはないかな」
「ホテルの出入り口は、みんなうちの先生方が張り付いてさ。寝ずの番をした先生もいるんじゃないか?」
とおると修平の話を聞いて思わず頭を抱えたくなった。
「自発的みたいだったけど、生徒会の人達も頑張ってたし……、って。そうか、だから聖夜の姿は見なかったんだな。ニュース見る間も無く寝てたんだったら手伝えねーよな」
……。
将人の言葉に背筋がぞわっとした。
「あら、中条聖夜副会長ではありませんか。ごきげんよう」
凍てつくような声だった。
振り向きたくないという思いを必死に封じ込め、ゆっくりと声の発生源へと目を向ける。
そこには表情をどこかに置き忘れてきたであろう片桐沙耶が立っていた。その右手が音も無く腰へと伸び、何かを掴もうとして空を切る動きをする。
……おい。
お前、そこに木刀が差さっていたら抜く気だっただろう。
★
この日、アルティア・エースは早朝から宗教都市アメンを訪れていた。
アメンには、『始まりの魔法使い』メイジと彼に付き従った7人の弟子を崇拝する神殿がある。エースがこの日訪れたのは、都市の端にひっそりと佇むメイジの神殿。参拝者と軽く挨拶を交わしたエースは、メイジを祀る像の前で静かに祈りを捧げていた。
いかほどの時間が流れたのだろうか。
エースは自らに近付いてくる人の気配を察知し、ゆっくりと意識を浮上させた。背後で立ち止まるタイミングを見計らい、エースは立ち上がる。
「お待たせ致しました。お会いになるそうです」
誰が、という主語が抜けている発言だったが、エースはその意味を正確に理解していた。
「感謝する」
「では、こちらへ」
神父に連れられてエースはメイジの神殿、その最奥へと足を進める。
その先で待っていたのは――。
「よくぞ参られました。信者アルティア・エース」
明るく澄んだ声がエースの耳に良く届く。
同時に、エースは膝を折り首を垂れた。
細長い廊下を抜けた先、開けた広間でエースを歓迎したのは聖女セイラ・エルサレーネだった。その立場上、聖女が式典以外でその姿を見せることは稀だ。今回のアポイントも、エースからすれば直答の許可が下りるとは思っていなかった。書面で用件を伝えることが出来ればいいな、程度のものだったのだのだ。そのため、予め用意していた書面は今もエースの懐に入ったままだ。
もっとも、直答の許可が下りたとはいえ、エースと聖女の間には幕が下りておりエースには聖女のシルエットしか見えていないのだが。
「貴重な時間を頂戴しましたこと、深く感謝申し上げます」
「構いません。何やらわたくしに聞きたいことがおありとか? わたくしが答えられることなら良いのですが」
声色から、聖女は柔らかく微笑みながらそう告げていることが窺えた。魔法世界最高戦力の一角であるエースだ。この場が実現したのは、その立場にある者からの質問ということで、単純に聖女の興味を引けた結果なのかもしれない。無論、何が正解なのかエースには分からないのだが。
「はっ、ウリウム様についてで御座います」
聖女が僅かに困惑したことをエースは感じ取った。
エースが信仰しているのは、土のガングラーダと闇のガルガンテッラ。もちろん、エースが他の守護者に対しても礼節を忘れない人物であることは聖女も知っている。しかし、このような場を設けてまで聞きたいことが、自らの信仰する守護者以外の者であったことに、聖女は些か疑問を抱いたのだ。
「『水の始祖』カーリアライス・ウィース・ウリウム様について、ということでよろしいですか?」
「いえ、精霊王の一柱ウリウム様を含めての『ウリウム』様で御座います」
今度こそ、聖女は目を丸くした。
精霊王と称されてはいるが、実際のところその存在は神話のようにして語り継がれているだけの眉唾物だ。なにせ、その存在に触れたことがあるのは『始まりの魔法使い』とその弟子しかいないのだ。以降、魔法使いの歴史の中でその存在を感じ取れた者は1人としていない。主張するのが彼らでなければ、ただの法螺話として早々に魔法使いの歴史から消滅していただろう。だからこそ、この宗教都市アメンに建ち並ぶ神殿が祀っているのは、あくまで人の身であった『始まりの魔法使い』とその弟子たちなのである。
「……いかような疑問を?」
「現存する人に、そのお力を貸し与える可能性はあるのか。もしくは何らかの手段を用いて、その力を無理矢理運用することが可能か否か」
次回の更新予定日は、6月18日(月)です。