第9話 武闘都市ホルン ④
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師匠との通話を終えてT・メイカーブースへと戻る。ただ、従業員からもう一度入りたければ整理券が必要だと言われてしまった。
まあ、そりゃそうだよな。
そんなわけで班員たちが出てくるのを待つ。護衛から俺が誰とどこへ行ったのかは聞いているはずだし、向こうも騒ぎはしないだろう。予定通りブース内のシアターもきっちり鑑賞してくるはずだ。エマもきっとそうする……はずだ。一応、クリアカードでメールは流している。
手持無沙汰で何をして時間を潰そうか、と考えているうちにクランが戻ってきた。
「どうだった?」
「オッケーだよ。今日の夜、聖夜クンの泊まってるホテルに行くね。ホテル・エルトクリアだったよね?」
首肯し、クランに封筒を差し出す。クランは首を傾げながらそれを受け取った。
「これは何?」
「俺の部屋まで来る必要は無いから、着いたら連絡をくれ。それで、ホテルに来る前に1つお使いを頼まれてくれるか」
渡した封筒をクランがひっくり返す。中から出てきたのは鍵だ。
「ホテルの……、じゃなくて、コインロッカーの鍵?」
「そう。フェルリア、ホテル・エルトクリア正面口駅にあるコインロッカーの鍵だ。その中に入ってる荷物を持ってきてもらいたい」
「いいけど、何で鍵? クリアカードで登録すればカードが鍵代わりになるから、この鍵なんて……、あー、その荷物をコインロッカーに預けたのは聖夜クンじゃないわけか」
皆まで言わずとも察したらしい。ならば、中に入っている物も『黄金色の旋律』関連であるというところまで思い至った事だろう。
「中にマスクとローブが入ったナップサックがある」
何に使用するかは言うまでもない。
「用意が宜しいことで」
クランは半ば呆れたようにそう言った。
俺だって本当に使うことになるとは思わなかった。サンフランシスコ空港で飛行機を乗り継ぐ際、何食わぬ顔で栞がやってきて、すれ違いざまに封筒を渡してきたのだ。あまりにも自然過ぎて、おそらく気付いたのはエマだけだっただろう。中には手紙とその鍵である。念のためにとのことだったが、まさか初日から使うことになるとは。
「分かった。荷物を回収してからホテルに向かうよ。それで聖夜クンを呼び出せば良いわけね」
かの『トランプ』の一角に雑用を任せるのは申し訳ないが、『中条聖夜=T・メイカー』という図式だけは何としてでも成立させたくはない。駅には監視カメラがある。可能性は限りなく小さいとはいえ、足はつかないようにしておいた方がいいだろう。
なにせ、その荷物を預けたのは『黄金色の旋律』のメンバーだからな。世間一般に知られていないとはいえ、何が原因で足がつくか分かったものではない。師匠の顔の広さは伊達では無いのだ。
「ああ、頼む。それからリスティルにあるギルド本部を経由して王城に向かうことになる。が、ギルドでは荒事を起こす可能性がある。本当に一緒についてきて平気か?」
場合によっては、かなり高圧的な態度を演じるつもりだ。というよりほぼ確実にそうなるだろう。クランは王族直属の護衛とはいえ、魔法世界の平穏の一翼を担う立場に変わりない。不穏な火種をばら撒く存在の近くにいるのは良く無い事だと思うのだが。
「もちろん。なにせ自分の捕縛クエストが発注されて、それが受理されているわけだからね。どういうことだー、って殴り込みに行くのは構わないよ。それに、私には抑止力としても期待してくれてるんでしょ?」
どうやらこちらの考えはしっかりとお見通しらしい。
無論、一戦力としても大いに期待させてもらうわけだが。
「まあ、変な流れになって仮に私が君を捕縛しないといけない立場になったとしても、うまく逃がしてあげるから心配しなくていいよ」
「そんな事態にはならないだろうけどね」と言いながらクランがウインクした。
それは頼もしい。
魔法世界最高戦力と名高い魔法使い直々のご協力である。
普通に考えれば敵などいるはずがない。
ただ、油断はしないようにしておこう。
正直、これ以上厄介事が増えるような展開になることだけは避けたい。
礼を言おうとしたところでクランがスカートに手を伸ばした。取り出したクリアカードを操作し、眉を吊り上げる。
「どうした」
表情を見るに、あまり愉快な内容ではないようだが。
「……まあ、このくらいならすぐに広まる程度のやつだし言ってもいいかな。どこかの奴隷商人がオークションに出品した商品が逃走。今、ちょっとした騒ぎになってるって話」
「奴隷商人?」
日常生活では聞かない単語だ。日本で生活する限り、ほぼ一生関わりなく生きていけると言っても過言では無い。
奴隷商人が出品した商品と言えば、つまりは答えは1つだろう。
「奴隷をオークションで扱っているのか」
オークションということは交易都市クルリアだろうか。それはともかく人を平気で売買するお国柄は、日本人としては違和感しかない。
「えっと、今回のは国が認めたものじゃない。非公式の奴だからね。歓楽都市フィーナは比較的縛りを緩くしているところだから」
どうやらクルリアではないらしい。魔法世界エルトクリアが世界的に見ても比較的治安が良いとされているのは、歓楽都市という穴場を用意することでガス抜きを図っているからだ。認めていないと言いつつも、暗黙の了解はしているのだろう。そうでなければ、こんな情報が国側の人間であるクランに回ってくるはずがない。
というか、今回のはって言っちゃってるし。
「支援魔法持ちの奴隷が出品されるって話があって、クローバーが注目していたみたいだから。値段が良ければ買ってもいいかもって」
支援魔法持ちか。
確かにそれはレアだな。
支援魔法はその名の通り、味方の魔法使いを支援する効果のある魔法のことを指す。攻撃や防御、機動力といった身体能力を向上させる魔法や、火耐性や水耐性などの属性耐性付与など。逆に対象者を敵側に指定して、相手の防御力や属性耐性を下げる魔法なんていうのもある。
大きな括りで言えば補助魔法の一種であると言えるが、俺が良く使う身体強化魔法や全身強化魔法と違うのは、対象が発現者本人だけでなく複数人を指定できるということだ。
これだけ聞くととても便利な魔法に思えるだろう。習得しておいて損は無い魔法だ。無論、ここまでの話ではということだ。支援魔法持ちがレアである理由はちゃんとある。
第1の問題点。
支援魔法を扱うには適性が必要であるということ。
適性が無いと発現できないというわけではないが、時間がかかる。そして持続時間も極端に短い。発現に時間がかかり、かつ持続時間も短いとなれば、前以って支援魔法をかけて戦いに挑むというスタイルはとれない。そして戦闘の最中に、時間をかけて支援魔法を発現する余裕もない。それなら、さっさと身体強化魔法を発現して相手を殴れという話だ。
第2の問題点。
周囲にその効果を生じさせることができるだけの魔力容量と発現量が必要であるということ。
当然、発現者だけでなく周囲の魔法使いにその影響を与えるには、それだけ余分な魔力が必要になるということである。そして、持続時間を延ばせば延ばすだけ必要な魔力も増える。結果として馬鹿みたいな魔力が必要になる。それを何種類も重ね掛けするようなことになれば、普通に魔法で戦うよりも魔力を消費することになるだろう。ぶっちゃけ効率が悪い。
第3の問題点。
支援魔法には相手にダメージを与える魔法が少ない。というよりほぼ無い。
仮に適正があったとしても、最終的にはここに落ち着くことになる。結局、支援魔法に特化した魔法使い1人では何も出来ないのだ。いくら自分の耐性を上げて、そして相手の耐性を下げてを繰り返したところで勝敗が決するわけではない。支援魔法の使い手は、味方の魔法使いがいてこそ輝くのだ。そうなると、特化する覚悟が無い魔法使いは、結局相手にダメージを与えられる魔法球や強化系魔法を習得したくなる。支援魔法よりそちらに比重が傾いてしまえば……、ということだ。
まあ、両立させることも不可能ではない。ピッチャーとバッター二刀流の野球選手だってゼロではないのと一緒だ。ただ、ゼロではないというだけでそんな才能に恵まれた人間なんてほぼゼロである。そもそも魔法使いになれるか否かでふるいに掛けられた後に残った少数の中から、更に支援魔法への適性があり、かつ魔力容量と発現量が申し分ない人間しか選択できない領域の魔法だ。
俺が参戦したアギルメスタ杯にもそんな奴はいなかった。
それほどの狭き門なのである。
「なに? 聖夜クンももしかして欲しいとか?」
沈黙が続いたせいか、そんな勘違いをしたクランが聞いてきた。
「いいや。確かに支援魔法持ちの魔法使いに興味はあるが、そもそも奴隷を買うという発想が俺には無い」
「あー、まあそうだよね。奴隷制度がある国の人じゃなければ普通はそっか」
うんうんと頷くクランである。
第一、俺が奴隷を買ったとしてその人を俺はどうすればいいのか。日本に連れて帰ることはできないのだ。
「クランは奴隷を売買することに抵抗は無いのか?」
「うーん。今のところ必要は無いから考えてないけど、必要になったら買ってもいいかなくらいには思ってる」
それはつまり抵抗が無いということだ。
ちょっとショック。いや、そういうお国柄ということで納得せざるを得ないということか。
「一応言っておくけど、奴隷にだって人権はあるんだからね。売買している商品が人ってところで引っかかるだろうけど、購入した人間は奴隷に衣食住を提供する義務が与えられるの。代わりに奴隷は労働力を提供する。売り手と買い手でやり取りしているのは購入費用と労働力であって、決して奴隷がないがしろにされるわけじゃない。極端に労働環境が悪ければ、奴隷は管理局に申し出ることが出来る。認められたら裁かれるのはその主人なんだから」
ほう。
「だが、その奴隷が監禁状態にあったら報告なんて出来ないんじゃないか?」
「管理局の人間は抜き打ちでチェックしに行くからね。奴隷の売買については国で管理しているから、どこで誰がどんな仕事をしているのかは把握してる。で、その時は主人と奴隷は別室で分けてからそれぞれに近況の説明を要求するの。聖騎士団の団員も同行するし、買収とかも難しいんじゃないかな」
なるほど。
「だから理不尽に殴ったり蹴ったりするのはもちろん駄目だし、えっちなことを強要したら一発アウトだよ。まあ、クルリアのオークションと違って、フィーナでは性奴隷もやり取りされているみたいだけど」
おい。
最後の最後で台無しである。
結局、一部ではそういうやり取りもあるようだ。
今の話を聞く限りでは、そういった奴隷は表には出てこないのだろう。監視が甘いフィーナから連れ出されることは無さそうだ。その奴隷は国で管理されているわけではないから、国としても手を出しにくい。その流れでずるずると来ているのか。
「おまたせ」
そんな話をしているうちに、T・メイカーブースの見学が終わったらしい。舞たちが出てきた。そしてその視線は俺に向いていない。
「で、この人が?」
舞の質問にクランが手をひらひらさせる。
「よろしくー」
「あ、どうも」
その気安い接し方にどう対処すればいいのか分からなくなったのだろう。舞がわりと素で頭を下げている。
「これはどういう状況なのでしょうか」
可憐が質問してきた。
「今日オフなんだってさ。暇つぶしで来てたところに遭遇したってだけ」
嘘は言っていない。真実である。「え、遭遇してから一緒にいるって知り合いだったの」的な感じで可憐が困惑しているが、どう説明すればいいのだろうか。俺だって別に仲が良いわけではない。なぜか愛称で呼ぶことになってはいるけど。
「クランベリー・ハート」
「あら、マリーお久しぶりね。元気でやってるみたいで安心したわ。けど、その名前をあまり大きな声で言わないでくれると嬉しいかな。後ろの鏡花水月ちゃんもよろしくー」
ずいっと出てきたエマに笑顔を返しつつ、クランの視線はその後ろに向いていた。
「……私のこともその名前で呼ばないで欲しいんだけど」
「そう? じゃあ何て呼べばいいのかな」
なんだろう。なんとなくピリピリしているような。
あれ、美月とクランってどこかで会ってたっけ?
あー。そう言えばアギルメスタ杯に参加するために来た時、高速鉄道でクランに待ち伏せされていたっけ。そもそも俺とクランが顔を合わせたのはそこだ。そして、美月は魔法でクランを電車から吹き飛ばしていた記憶がある。因縁の間柄というやつになってしまったのだろうか。
「ところで、これから皆はどうするの?」
ひとまず全員との挨拶を終えたクランが俺に聞いてくる。
「一応、今日は武闘都市ホルンを見て回ろうという話になっていてな。大闘技場とここ殿堂館は見たから、後は下町散策と時間が余ればリスティルかな」
「ふーん。でもホルンってあまり見て回るところ無いよ?」
そうなんだよな。グッズを買い漁るだけの散策なら、本心としては遠慮したいところだ。
「ねえねえ、ならエルトクリア学習院に興味はない? 私と一緒なら中も案内してあげられるよ?」
なんですと?
それは確かに魅力的だ。
だが……。
「魅力的な提案ではあるが、難しいな」
青藍魔法学園に班の行程表を提出しているものの、こちらはどうにでもなる。問題なのは、クランと俺たちの関係を説明できないということだ。
「まあ、そうだよねー。ちょっと言ってみただけ」
クランも分かっていて言ったのだろう。あっさりと引き下がる。
かに見えたが、そっと俺の耳元に顔を寄せてこう言った。
「聖夜クンが個別で案内して欲しいって言うならいつでも歓迎だからね」
……勘弁してくれ。
聞こえてしまったであろうエマの顔が凄いことになっていた。
次回の更新予定日は、1月29日(月)です。