第5話 暴力行為
「何でこうなるのよ!!」
「……俺に言えた義理ではないが、自業自得だと思う」
1時限目の授業が開始して、既に30分が経過していた。しかし、俺と舞はその授業が行われているであろう教室にはいない。
ここは、空き部屋。そう、奇しくも昨日俺・舞・可憐で反省文を書かされていたあの空き部屋である。その空き部屋で俺たちが今何をしているか。言うまでもないだろう。
反省文書いてます。
「自業自得って何よ!! だいたい貴方が――」
「花園さぁん? 私のチョークの味を知りたいのかしら~?」
「しゅ、集中します」
俺たち2人が座る席の前で仁王立ちしながら、白石先生が凄む。舞は素直に屈して再び鉛筆に手を伸ばした。「それでよし」と言う顔で白石先生は持っていたチョークを黒板に置く。
「2年A組のクラスが火の手が上がっていると聞いたときは、どんなボヤ騒ぎかと肝を冷やしましたが……」
白石先生はこめかみをひくひくさせながら叫んだ。
「どういうことなのです、いったい!! 2日続けて私のクラス!! しかも同一人物ときました!!」
「す、すみません」
「……すみませんでした」
頭を下げる。舞もやり過ぎたという自覚はあるのだろう。俺に続いて、項垂れるようにして頭を下げた。
その光景を見て、白石先生がため息を吐く。
「今度はいったい何があったのです? 話では、中条君と花園さんがケンカしたとのことでしたが」
「……あ~」
俺の煮え切らない態度を見て、白石先生がはっとした表情になった。
「……まさか、昨日の件をまだ引きずってるんじゃあ」
「……えー、と」
明確に断言せずとも、答えは伝わったらしい。白石先生はガクリと頭を落とした。
「はぁ~。中条君も花園さんも。本当に困ったちゃんですねぇ」
「すみません」
「私に謝られても困るのですが……。いえ、私にも謝るべきですね。私は担任なんですから」
勝手に自己完結する白石女史。
「それで? 結局、生徒会の片桐さんとはお会いできたのですか?」
……掘り返さないで欲しかった。隣で黙々と反省文を綴っていた舞の手が、ピタリと止まる。
「実は、まだ……」
「あら? すれ違いにでもなっちゃったのですか?」
「すれ違い……と言えばそうなのかもしれないですが。どうやら生徒会関連の仕事で呼ばれたらしく……」
「あ……、ああ!」
俺の言葉に、白石先生は何か思い当たるものでもあったのか、手のひらをポンと叩く。
「確かに、昨日は大変だったみたいですからねぇ」
「……3年で何かあったんですか?」
舞の興味が、生徒会の仕事に逸れたようだ。いいぞ、このまま忘れてしまえ。
「ケンカ、とまではいかなかったのですが……。クラス=Aでちょっとですね」
白石先生の顔が苦笑いに変わる。
「……クラス=A」
舞が呟く。
……ん?
クラス=Aって確か現3年で3人しかいない超エリートクラスじゃなかったか?
「詳しい内容は控えるけど、ちょっと魔法でのトラブルに発展しかけちゃいましてね。多分、片桐さんはそれで駆り出されたんだと思いますねぇ」
「クラス=Aって、3年の中でもトップクラスの魔法使いが在籍するところですよね? その片桐という人で魔法関連のトラブルがどうにかなるものなんですか?」
「生徒会の実力を舐めちゃだめよ、聖夜。片桐さんは2年で私たちと同じ学年だけど、並みの3年よりは十分に戦力になるもの」
俺の疑問に舞が口を挟む。それに続くようにして、白石先生が重い口を開いた。
「……それに、騒動を起こした人物の片方は生徒会の人間でしたからね」
「……は?」
「……だろうと思った」
予想外の発言に、思わず言葉に詰まる。対して舞は、やっぱりねという顔になった。
「3年の現・クラス=Aは3人。うち2人は生徒会の人間よ。だからクラス=Aの騒動って言ったら、どんな組み合わせでも必ず生徒会は関わってくるわ」
「……この時期に、生徒会の人間が率先して問題起こしていいのかよ」
「いや、多分違うんじゃないかしら」
俺の呟きに舞が否定の言葉を入れる。同時に白石先生へと視線を向けた。白石先生は苦笑する。
「花園さんが想像している通りでしょうね。あの生徒会長も、流石に疲れた顔をしていましたから」
……しかも、関わっているのは生徒会長だったようだ。
「よくトラブルになりますよね、今のクラス=Aって」
「はい、その通りです」
舞の問いにそう答え、白石先生は若干うんざりした表情を作りながら空いている席に腰かけた。
「どうも御堂君と豪徳寺君は馬が合わないようですねぇ」
どっちかは分からないが、その名前のどちらかが生徒会長なのだろう。だとするともう片方が問題児なのだろうか。
「ただ、2人とも実力は本物です。なにせ青藍魔法学園のツートップですからね。それほどの実力者が正面から激突してしまったら……。あまり被害は考えたくないですー」
遠い目をしながら、白石先生は小さく呟いた。正直、少し同情したくなるほどの儚さだった。
しかし、その必要は無かったらしい。ぐるんと上を向けていた顔を正面に戻し、俺たちを見据える。ギロリと睨みながら一言。
「中条君や花園さんは、そんなことしないですよね?」
有無を言わせぬ迫力があった。
「……はい」
口を揃えて肯定する。というより、肯定以外の選択肢は存在しなかった。今にもチョークを飛ばして来そうな雰囲気だ。
「ならいいですけど……」
白石先生がまたもやため息を吐く。どうやら相当心労が溜まっているらしい。この時期は教師陣にとっても一大イベントなのだろう。これからは、自重していく必要がありそうだ。これ以上自分たちの事情でこの人を振り回してしまうのは忍びない。
そう思いつつ、立ち上がる。
「どしたの、聖夜」
急に立ち上がった俺を見て、舞がきょとんとした表情になる。それを無視して白石先生の所へ。書き終えた反省文を差し出した。
「ん、おっけーです」
それを一瞥した白石先生からお許しの言葉が出る。
「じゃ、お先に」
舞へ爽やかに手を挙げて見せた。
「え!? いつの間にっ!!」
「口だけじゃなく、手も動かせよー」
そう言って教室の扉を開ける。
「裏切り者ーっ!!!!」
「花園さぁーん? 早くしないと2限目の授業も遅刻しちゃいますよ~」
「ちょっと、はるかちゃん? 怖いですって!!」
舞の叫びは聞かなかったことにして、教室の扉を閉めた。
☆
反省文を書いていたせいで遅刻。
そんな理由で授業中の教室に入るのは嫌だなぁと考えていた俺に、天は味方してくれたらしい。そんなタイミングで1限目の終業チャイムが鳴った。これで2限目から堂々と授業に出ることができる。
途端に廊下が騒がしくなった。授業が終わり生徒が束の間の休息を得ようと廊下に出てきたからだ。そんな中、何処かで見たことがある顔が4つ。とある教室から出てくるのが見えた。
「くそっ。何でこうなるんだ!」
「少し落ち着けよ。熱くなり過ぎだ」
「姫百合さん1人なら、何とか口説けるとは思ってたんだがなぁ」
そんな会話が聞こえてきた。おそらく間違いない。今朝俺にいちゃもんをつけてきたあの4人だ。遠目で成り行きを見ているだけだった男はいないが、どうやらあの4人は同じクラスだったらしい。
会話を聞く限りでは、どうやら可憐に『アピール』をかけたらしい。そして玉砕した、と。
なんだよ。する勇気くらいはあったのか。
そんな能天気なことを考えていた時だった。
「類は友を呼ぶってことなんじゃないか?」
その言葉を皮切りに、会話の内容が変わる。
「あんな欠陥品と一緒にいるなんて、まともじゃねーよ」
一気に血が昇った。
「花園や姫百合も、見る目が無いよなぁ。あんな欠陥品と一緒にいるなんて」
自然と足が動く。
「本当、あの2人も頭がどうかしてんじゃないか?」
自然と拳が振り上がる。
「もともと花園の方は奇行が激しかったし、今さ――」
自然と口が開く。
「もう一回言って見ろクソ野郎がァァァァァァ!!!!」
「へ? ――ぶばっ!?」
前を歩いていた4人の内、1人の男子生徒の頬を殴り飛ばす。魔力は込めていない。が、全身全霊を込めた。構えてもいなかった男子生徒は、その衝撃で廊下を転がる。
「なっ!? お、お前がぶぼっ!?」
何か言うよりも先に、俺の脚が振り上がった。膝は男子生徒の顎を捉えて、鈍い音と共に床を転がす。
「きゃあああああっ!?」
周囲から悲鳴が上がる。休み時間の廊下だ。生徒の通りも多い。直ぐに騒ぎに発展するだろう。
ただ、今はそんなことはどうでも良かった。
「お、お前、こんなことして、ど、どうなるか分かって……」
「うるせぇよ」
どんっ、と。足で相手の胸を押す。それほど力を加えていなかったが、突然の襲撃に棒立ちになっていた男子生徒は足を絡めて転倒した。
「あ……あ、う」
最後の1人に至っては、触れてもいないのに勝手に尻もちをついている。
「取り消せ」
「……へ?」
「舞や可憐を侮辱したことを、取り消せっつってんだよ!!!!」
「何事かねっ!! って、こ、これは何だっ!?」
男子生徒の胸倉を掴み、叫んだところで後方から声。
「君、その手を放しなさい!!」
「……ちっ」
胸倉を掴んでいたところを目撃された。1人は頬を赤く腫らし、1人に至っては顎を打ち抜かれて気絶している。
どう見ても、悪いのは俺だった。
☆
「何か言ったらどうだね」
再び空き教室へと戻された俺。
ただ、さっきとはまた別の部屋だった。この教室には時計が掛かっていない為に正確な時間は分からないが……。
少なくともチャイムは5回鳴っている。そろそろ昼休みのはずだった。
今回は完全なる暴力行為と断定され、反省文では済まず教師陣による尋問まがいの状態になっている。
ただ、理由は言えなかった。
舞や可憐のことを侮辱されたから。
そんなこと、言えるはずがない。あいつらのことでキレる権利なんて今の俺にはないし、何よりそれが広まってしまえばあいつらに罪悪感を抱かせるだけだ。
「彼らは君にいきなり襲われたと言っているよ。君が試験の関係で悪目立ちしているようだったから、心配して声をかけたのに、と」
……あのクソ野郎どもが。
「無言のままじゃあ、いつまで経っても終わらないよ」
……。
「……まったく」
俺が無言で貫き通すことに呆れ果てたのか、対面に座っていた教師が深いため息を吐く。
「今回の件、何があったのかは知らないけどね……。仮に向こう側の言い分が正しくて、単に君が暴力を働いただけというのなら、反省文だけでは済まないよ」
反省文だけでは済まない。
目の前の教師は暈した表現をしたが、それが何を意味しているかは聞くまでも無かった。
☆
「聖夜!!」
「中条さんっ!!」
結局無言を貫き通す俺に対して、教師は熱くなっているが故の抵抗だと受け取ったらしい。時間が解決してくれるとでも思ったのか、ひとまず授業に戻れと命令されて2年A組へと戻ってくる。
昼休みが終わる間際、午後の授業開始前ぎりぎりでの帰還だった為、まだクラスメイトたちはざわめきの真っただ中にいた。
そこにそのざわめきの元凶を作り出した俺である。
関心は一気に集中した。
「お、お怪我は……。お怪我はありませんか!?」
ただ、やはり他のクラスの面々より良識はあるらしい。真っ先に駆け寄ってきたのは可憐と舞のみであり、他は押し黙ってこちらの動向を窺うだけで意味も無く騒ぎ立てたりはしなかった。とおるが言っていた『クラスの面々も心配ない』という言葉が、少しだけ実感できた。
「落ち着け、可憐。俺は何もされちゃいねーよ。むしろ、した方だ」
前に立つなり俺の身体をあちこち調べ出した可憐を、やんわりと遮る。
「した方って……。これはいったいどういうことなのよ!! 貴方がいきなり廊下で暴力を振るったって学園中の噂になってるわよ!!」
「……まあ、間違ってはいないな」
「へ?」
「はぁ!?」
俺の発言は、可憐や舞にとって予想だにしなかった物だったのだろう。否定の答えでは無く、あっさりと肯定したことで2人とも呆けた声を上げた。
「聖夜……」
「ん?」
別の方向から声を掛けられ、そちらを向く。集まるクラスメイトの群れから、将人・とおる・修平が顔を出したところだった。
「聖夜が手を出したって4人の話、聞いたよ」
とおるが不安げに口を開く。
……そうか、今朝の一幕では一緒だったからな。何となく、事態の想像はできているのかもしれない。
「聖夜、お前まさか……っ」
修平がそこまで言い掛けて口を噤む。どうやら、俺のアイコンタクトを正確に理解してくれたらしい。それ以上の言葉を発することはなかった。
今朝の件を知っているのなら、あの4人組の証言が如何に嘘くさいか気付いているはずだ。
だとするのなら、舞や可憐がいる場でその話はして欲しくない。
鋭い修平のことだ。自分に有利になる情報を敢えて止めたことで、ここにいる俺以外の誰かが原因で騒動が起こったことは気付かれただろうが、仕方が無い。こいつなら他言はしないだろう。
そこまでは読めていなくても、話して欲しくないという雰囲気はとおるや将人にも伝わったようだ。再度開きかけた口を、2人は大人しく閉じ直した。
「……どういう、ことですか?」
しんとした教室で、その声は静かに響いた。見れば、可憐はまだ信じられないという顔で俺を見ている。
「嘘ですよね? ……嘘だって言って下さい。中条さんが、そんなことするはずないですよね?」
「……悪いな」
可憐の中で、俺に対する人物像が音を立てて崩れていくところが見えるようだった。
だから、ここが引き際だと感じた。
「話すことなんて、何もねーよ」
その言葉に。可憐の双眸から涙が溢れ出た。
「……聖夜ァ」
対して。
俺の言葉など耳に留めない。どこまでも自分の意思に真っ直ぐな舞。
「聖夜ァァァァ!!!!」
凄まじい音は、俺の後頭部から聞こえた。襟首に掴み掛ってきた舞が、後ろの壁に俺を打ち付けた音だと気付いたのは、痛みが襲ってきた後だった。
「貴方、何やってんのよ!! 説明しなさいよ!! あの後!! 教室を出てから!! 何があったってのよ!!」
「きゃあっ!?」
「は、花園さん!?」
「花園さん!?」
「おいおい、花園のお嬢さん! これ以上問題を拡散すんな!!」
その光景を見て、クラスメイトから悲鳴が上がる。可憐は頬を濡らしたまま動かず、代わりに修平が俺から舞を引き剥がした。
「離しなさいよ!!」
「落ち着けって!! これ以上問題が増えたら、本当に聖夜の奴まずいぞ!!」
その言葉に、舞の身体がピタリと止まる。修平は何がまずいのかは明言しなかった。が、それはこの場にいる誰もが言わずとも分かっていた。
不意に、電子音。
『中条聖夜君。至急職員室まで来なさい。繰り返します――』
「悪いな」
もう一度、謝った。何に対して謝っているのか。それすら分からないくせに。
誰もが一言も発せない状況の中、俺はそれだけ告げて教室を後にした。
☆
「このままでは退学も辞さないぞ」
教員室に呼び出され、窓際の席に座らされたところで。開口一番、見たことも無い教師はそんなことを言ってきた。
「そうですか」
「そうですか、じゃないですよっ!!」
その教師の隣に控えていた白石先生が叫ぶ。
「な、何か理由があったんですよね!? そうですよね、中条君!!」
「……白石先生。その問い方では、理由さえあれば暴力は合法化されることになりますよ」
「だって、中条君はっ」
「いいんです、白石先生」
冷めた口調で諭す教師に向かい、反論しようとする白石先生の言葉を遮る。
「……中条君?」
「どんな理由であれ、あの4人に暴力を振るったことは事実ですから」
「中条君!!」
「落ち着いて下さい、白石先生。それで? その振るった理由を聞いているのだがね」
「話す理由がありません」
「……何だって?」
「どんな理由であれ、あの4人に暴力をふるったことは事実ですからね」
目の前の教師に対して、もう一度同じことを言ってやった。我ながら、熱くなっていることは自覚している。多分、怒りが冷めた時は猛省するハメになるだろう。それでも、今この時は自分の感情を制御できなかった。
「君ねぇ……」
教師がイラついた声で呟く。
目の前の教師に対してどのように振舞おうが、俺は本当のことを話す気は無い。ここで本当のことを言ってしまえば、間違いなく舞や可憐には伝わるだろう。だからこそ、向こうのクソみたいな言い分にケチを付けず黙っているのだから。
☆
結局、「言え」「言わない」の討論は果てのない平行線を辿り、先に折れたのは教師の方だった。とっとと理由を聞き出して処罰を考えようとしていた教師と、開放されるまで居座り続ける覚悟を決めていた俺。うんざりした教師から、「また明日呼び出す」旨のいらない招集予告を頂戴し、俺は日がどっぷりと暮れてからようやく解放された。
「……面倒くせぇ」
そんな言葉が思わず漏れた。何というか、もう全てが面倒くさかった。考えてみれば、何で休暇中である俺がわざわざこんな面倒くさい事に巻き込まれてるんだ。
全然休めてる気がしない。
師匠にも伝わるかな。
……伝わるだろうな。どこから仕入れているかは知らないが、師匠は俺に関する情報で知らないことなどないだろう。
「……はぁ」
ため息を吐き、重い手で下駄箱から靴を取り出す。
そこで。
「中条せんぱい」
何処かで聞いたことのある声が耳に届いた。靴を地面へと転がそうとしていた手が、ピタリと止まる。
……今一番会いたくない少女と遭遇してしまったようだ。俺のことを「中条せんぱい」と呼ぶ人物など、1人しか心当たりがない。
恐る恐る振り返る。
そこには、俺が予想していた通りの少女がいた。
その真っ黒な黒髪は、姉である可憐や母である美麗とまったく同じ。ただ彼女たちと違い、身長も胸も全てにおいて可愛らしいと表現したくなる体型の美少女がそこに居た。
姫百合咲夜。姫百合家の次女。俺の、友達。
「……こんな時間に、こんな所で何してるんだ」
絞り出すように発した言葉は、意味など伴ってはいなかった。聞かずとも、そんな理由くらい分かる。
待っていたのだ。俺を。
「あ、あの……」
制服のままで。学校の鞄も持ったままで。
言うまでも無く、ずっと待っていたのだろう。一度も寮に戻ることなく。
多分、可憐は止めたはずだ。この2人はいつも一緒に帰っている。
それでも。
咲夜が可憐の言うことを聞かず、意地でも俺を待ち続けたのであろうことは容易に想像できた。
「すまん。待たせたみたいだな」
だから、答えを聞く前に謝罪する。どう答えようか迷っていた咲夜は、「えー、うー、あー」という何と通信しているのか分からない謎の言葉を発しながら目を泳がせた後、「か、勝手に待っていただけですから」とだけ呟いた。
「待たせていた俺に、あまりこういうことは言えないんだが……。あまり遅くまで外を出歩くものじゃないぞ。それも1人で」
話は帰りながらということで、2人並んで帰路につく。あれから一度も口を開かず俯いたままになってしまった咲夜に対して、ひとまず会話作りということでそう振ってみる。
「……す、すみません。け、けど……ここは学園内ですから」
「その学園内で、可憐は誘拐されそうになったんだけどな」
「で、ですよね」
……。
はい、状況悪化しました。俺のバカ。もう少し優しい言い回しがあるだろう。
「でも」
咲夜が足を止める。つられて足を止めて、振り返った。
「どうしても……。今日お話したかったんです」
無言で先を促す。
校舎と宿舎を繋ぐ一本道。照らすのは街灯だけで、人影は無い。痛すぎるほどの静寂の中、ジジッという街灯の音だけが響いた。
「教えて欲しいことがあります」
「話せることなら、な」
俺の先手に、咲夜が軽く口を噤む。が、直ぐに開いた。
「学園で噂になっていることは……」
「事実だ」
「何処までが、ですか?」
今度は、俺が黙る番だった。
可憐と同じく、俺が暴力を振るったことを肯定してしまえば終わるものだと思っていたのだが……。
咲夜の質問はもう一歩切り込んできた。学内の噂や可憐の話は先に聞いているわけだから、可憐よりもこの件について熟考しているのは当然と言えば当然なのだが。
「話しては、頂けないのですか?」
暴力を振るったところまで、と言うのは簡単だ。
が、そうなると原因は何だったのかという話になる。
4人組の言い分が嘘だとするならば、何があったのかという話になる。
その理由が話せない。その話せない部分は特定されたくない。
どこまでが本当で、どこからが嘘なのか。どこまでが話せて、どこからが話せないのか。これは、イコールで繋がる部分だ。
だとするならば、ここは答えるべきではない。
曖昧にしておくことが、得策。
無言を答えと受け取ったらしい。咲夜は、一瞬だけ悲しそうな顔をした。
「咲夜」
「……はい」
だからこそ。
「この件が片付くまでは、俺に関わるな」
「そ、そんな……」
流石にこの言葉は予想できなかったのか、咲夜は驚きを隠せぬ表情で呟いた。
「……いや、本来ならばこの件に関わらず俺に近付くべきではなかったんだけどな」
咲夜に勝手に近付き、縁を持った人間のセリフではない。最悪だ。
「……どうして」
咲夜が、俯く。
「どうして、そんなこと言うんですか?」
「俺がどんな存在か知ってるか?」
質問に質問で返した。
「中条せんぱいは、中条せんぱいです。私の――」
「もっと、根本的な部分さ」
咲夜の答えに被せるようにして、口を開く。
答えは咲夜も知ってる。咲夜だってこの件に関して無知ではない。俺が言わんとすることを避けるような言い回しをしていることは、容易に想像できた。
だから、咲夜の口からは決して紡がれることがないであろう答えを、俺が出す。
「俺は“出来損ないの――”っ!?」
動かしていた口を、止められた。咲夜の小さな人差し指で。
街灯しか明かりの無いその場所で、その全貌を細かく見ることは出来ない。
それでも。咲夜は、笑っていた。
「中条せんぱい。1つだけ、良い事教えてあげます」
何をと答える前に、それは紡がれた。
「出来損ないじゃ、お姫様は救えないんですよ」
咲夜は、泣きながらも、笑っていた。