第3話 らしくない
☆
「お前、一回東京湾に沈んだ方が良いと思うんだよ」
「あ? 喧嘩売ってんなら買うぞおら」
放課後。
久しぶりに生徒会の予定が入らなかった俺は、本城将人、杉村修平、そして楠木とおるの3人で、学食の4人掛けテーブルの1つを陣取り修学旅行について話していた。
そんな中、将人から出たこの一言である。
到底、許せるようなものではない。
拳を鳴らし始める俺を見て、慌てたようにとおるが割って入った。
「ちょっとちょっと! 頼むから騒ぎは起こさないでくれよ?」
「……お前、俺を誰だと思っているんだ」
ちょっとしたジョークなのに。
俺に対する評価は相変わらずのようだ。
第一、俺はもうこの学園の副会長なんだぞ。
率先して騒ぎを起こそうものなら紫会長に首を刎ねられるわ。
そんなことを考えていたら、額に青筋立てた将人は頬を引きつらせながら口を開いた。
「まあ、俺がさっき言った内容はジョークなんかじゃねーんだけどよ」
「そうか。じゃあ、表出ろ」
バレないように瞬殺して、証拠も残さないように念入りにすり潰してやる。
将人が本当に腰を上げようとしたタイミングで、今度は修平が割って入ってきた。
「まあまあ、将人も聖夜もその辺にしておけ。煽った将人は当然悪いが、そもそもの原因を作った聖夜も少しは自覚を持っておいた方が良い」
「あん?」
原因? 作った?
「何の話だ」
「当然、修学旅行の班の話さ」
修平の即答ぶりに思わず目を丸くしてしまう。
「班?」
「お前、この学園の二大お嬢様にマドンナ、魔法世界からやって来た転校生と総取りじゃないか」
……あー。
まあ、そうなるよね。
剛さんからの依頼だと明言できない以上、形として見えるのは修平が言った内容そのままだ。
「騒ぎが表面化していないのは、相手が君だからだってことくらいは自覚しておいた方が良いかもね」
「どういうことだ?」
とおるの意味深な問いに聞き返す。
俺だからオーケーというのはどうにも引っかかる。
「お前はこの学園の『青藍の1番手』であり副会長であるという自覚をもうちょっと持っておいた方が良いぜ」
呆れ半分の口調で将人が言う。
「学園が誇る最高の魔法使いでありながら、同時に権力者でもある。こう表現してみれば最強だろう? 死角なんて無いってことさ」
肩を竦めながら修平が続けた。
他にも、文化祭で好印象を与えていたことや、片桐との模擬試合にエンブレム争奪戦(選抜試験)など、要所要所でうまく立ち回れていたことも良かったらしい。生徒会に入る前の俺では、考えられないほどの印象である。
どちらにせよ、面倒事が起こらないならそれに越したことは無い。ここは素直に喜んでおくべきだろう。周りの反応がどうなろうが、俺にはあのメンバーと組む以外の選択肢が無いのだから。
「さて、もうこんな時間か。俺はそろそろ行かせてもらう」
立ち上がり、空になったコップを持ちながら言う。
「行くってどこへ?」
「生徒会関連でちょっとな」
そう言ってしまえば、もう「ふーん」で終わる魔法の言葉である。
「ちくしょうてめぇ勝負しろくそおおおおお!!」
素早く修平に拘束された将人の奇声を聞き流しながら食堂を後にする。
いやまあ、うん。気持ちは分かる、気持ちは。逆の立場なら俺もふざけんなと思う。事情を知らない第三者からすれば、とても羨ましいポジション見えるだろう。
さて、気持ちを切り替えるか。
生徒会に関係していた人物と会うのは間違っていないが、生徒会の用事と言うわけではない。久しぶりに生徒会の予定が入らなかったのは本当だ。
夕闇に染まり始めた空を窓から眺める。
向かう先は生徒会出張所だ。
☆
待ち合わせ時間にはまだ余裕があるが、相手は既に来ていたらしい。そして、予想に反してその人物は出張所の中にいるようだ。隙間から明かりの漏れる扉を開く。
「やあ、中条君。お邪魔しているよ」
御堂縁。元生徒会長にして元『1番手』。名実共に元学園トップがそこにいた。そして、縁先輩の隣で頭を下げる女性。
蔵屋敷鈴音。元生徒会会計にして元『3番手』を務めた先輩である。
2人並んで座り、仲良く紅茶を啜っていた。いや、優雅な仕草でカップへ口をつけているのは縁先輩だけであり、蔵屋敷先輩は何とも言えぬ申し訳無さそうな表情で苦笑しているだけだった。大方、縁先輩に丸め込まれたのだろう。
「……縁先輩、なぜ出張所の中にいるんです?」
「ん? まだ君が来ていなかったからね。勝手に入らせてもらったよ」
「いや、そうではなく。なぜ入れているんですかってことなんですけど」
「そりゃあ鍵を借りたからだけど」
……聞きたいのはそこじゃねーんだよ、部外者。
まあ、もうどうでもいいや。
開けようと用意していた鍵をポケットにねじ込み、2人の対面の席へ座った。ポットから紅茶を淹れてくれた蔵屋敷先輩に礼を言い、改めて2人と向かい合う。
「それでは用件を聞こう」
「はい。雇われませんか?」
単刀直入に切り出してきた縁先輩へ、単刀直入に返す。色々と説明を省いた問いだったにも拘らず、縁先輩は人の悪そうな笑みを浮かべて頷いた。
「面白いね」
同じく内容を理解したであろう鈴音さんが露骨にため息を吐く。
「中条さん。言っておきますが、縁も狙われる立場にいるんですのよ」
「理解しています。それでもなお、メリットの方が大きいと判断して声をかけさせて頂きました」
俺の答えに、縁先輩は面白そうに笑った。蔵屋敷先輩から苦言を呈するように小突かれた縁先輩は、わざとらしく佇まいを直す。
「いや、失敬。それでは結論から述べさせてもらおう。申し訳ないが、君の依頼を受けることは出来ない」
正直な話。予想通りの返答だった。というよりも、この返答でないと困るところだった、と言った方が正しい。
「なぜかお聞きしても?」
「うん。実はね、俺たちも行くんだよ、魔法世界」
「もう自由登校の期間中だからね」とウインクしながら言う縁先輩である。ただ、それでは質問に対する答えにはなっていない。俺の反応に更に気を良くしたのか、縁先輩は笑みを深めた。
「あれ、もしかしてこういう反応をしてくるって気付いてた?」
「はい」
そして拒絶される理由も本当は分かっている。
「俺たちは紫の周りをうろつく予定だからね。護衛、なんて大げさな単語を使うつもりはないけれど」
もっとも、やる内容はこちらと変わらないだろう。
「なるほど。それなら仕方ありませんね」
そう言って頷く。蔵屋敷先輩が怪訝そうな顔をした。縁先輩は相変わらず面白そうな笑みを湛えたままだ。
「やっぱり分かっていたんだろう? 分かった上での質問だったね?」
その質問には肩を竦めることで応えた。
これでこの秘密の会合はお開きである。
確認したかったのは、縁先輩が紫会長の身辺警護につく気があるのか否か。無いのなら、俺は紫会長の方まで気を回さなければならず、仮にそうなっていた場合は無茶もいいところである。各方面に色々と根回しすることも考えていたが、これなら現段階では必要無いだろう。助けが必要なら、縁先輩の方から言ってくるはずだ。まあ、こちらがあれやこれやと気を回さずとも、この人なら自分で何とかしてしまうんだろうとは思っていたが。
どちらにせよ、全て悟られてしまったかな。
率直に紫会長のことを訊ねて「じゃあ協力してもらえる?」となっても、俺自身ができる事などほとんどない。なにせ俺は舞や可憐、美月に付きっきりになる予定だからだ。他に頼るにしても快諾されるとは限らない。質問しておきながら「特に協力できません」では話にならないわけだ。だからこそ、こうして回りくどい聞き方になってしまったわけだが。慣れないことはするものじゃない、ということだな。
鍵はこちらで閉めておくという縁先輩の言葉に甘え、先に失礼させてもらうことにした。
★
「どういうことですの」
「ん? 彼は律儀な性格だってことさ」
「あの時の約束をちゃんと守ろうとしてくれているんだから」と縁は嬉しそうに呟いた。
☆
夜。
街灯の明かりを頼りに歩き慣れた道を進む。
行き先は学園内にある教会だ。
結構遅くなってしまったな。
シスターが焦れて奇行に走っていなければいいが。
冗談のようで冗談では済まないようなことを考えながら、教会の扉に手をかけた。ゆっくりと押し開く。
祭壇の前で、なんとシスターが祈りを捧げていた。
「……なん、だと」
絶句してしまう。
信じられない。思わず目を疑ってしまったほどだ。実際に目をこすり、瞬きを数度してから改めて見直してみる。そこには同じ光景が広がっていた。
嘘だろ?
到底信じられるような光景ではない。気が狂ったのかと思う。
なにせシスターが祈りを捧げているのだ。
「……とりあえずチミがとてつもなく失礼なことを考えているということだけは理解したわ」
ゆっくりと立ち上がったシスターが、こちらに背を向けたままそんなことを言う。失礼はどっちだ。そっちこそ日頃の行いを省みてから言ってくれ。
直後、魔力の波動を感じたので『不可視の弾丸』を使って相殺しておく。乾いた弾けるような音が教会内に鳴り響いた。
「何の真似です?」
「いやぁ、随分と成長したもんだなと思っただけよ」
ようやくこちらを向いたシスターは、ニカリと笑いながらそうのたまう。
「成長?」
「ほら、ここで最初にそれをお披露目した時の話。チミ、それはもう必死になって回避しようとして、結局顎に一撃貰って気絶してたじゃん」
うるせぇ。余計なお世話だこの野郎。
「魔法世界行くんだって?」
突然そんな話を振ってきた。
「はい」
「意外ねぇ。チミは何かと理由をつけて回避するかと思ってた」
「あいつらを放っておいてですか? それは流石に心外です」
「いんや、皆も巻き込んで」
……。
言葉に詰まった。
正直、少しだけ考えていたことだったからだ。
「この学園の加護から抜け出すだけでもそれなりにリスクがあるってのに、分かってる? あの魔法世界なんだよ?」
「分かってます」
「本当に?」
俺の即答に胡散臭さでも感じたのか、シスターが重ねて質問してきた。だが、即答したのは俺の本心だからだ。何度聞かれようが答えは変わらない。
俺は行き先が魔法世界に決まったことへ異を唱えるつもりはないし、舞や可憐、美月がそこへ行くことへ文句を言うつもりもない。これは、あいつらにとって貴重な機会なのだ。決して、高校生活における修学旅行というイベントが人生には一回しかない、というありふれた話をしたいわけじゃない。
立場上、これから先、舞や可憐はどんどん自分の自由にできる時間は減っていくだろう。遊びに行く機会は用意できても、自分だけの時間はきっとない。今回は修学旅行という建前があるからこそ、護衛の人間が傍にいないというだけなのだ。本当ならこうはいかない。だからこそ、苦肉の策として俺が用意されているのだから。
美月だってそう。あいつは人を殺すことすら厭わない者たちに狙われている人間だ。個人で護衛を付けられるだけの力も金も名声もない。今回のこのタイミングでなければ、魔法世界で遊ぶなど以ての外だろう。アギルメスタ杯の時、『トランプ』からの反応を見て俺はそう確信してしまった。
これから先、あいつらにはあいつらの人生がある。きっと普通のごくありふれた人生など送れないだろう。ベクトルは違うが、それは舞や可憐、美月、そしてエマにだって言えることだ。楽しいことばかりではない。辛いことの方が多いかもしれない。
それでも。
どこかでふと過去を振り返った時。
こう思って欲しいのだ。
あぁ、そういえばあの時は楽しかったなぁ、と。
辛いことがあっても、何か1つでもそういった思い出があれば、きっと前に進んでいける。色々と偉そうな事を言える立場ではないが、そうあって欲しいと俺は思っている。
そして、もう1つ。
祥吾さんと、理緒さん。
あの2人の覚悟を見てしまったのだ。外から俺が「危ないからやめましょう」と口を挟むのは失礼だと思う。剛さんや美麗さんは、あの2人に任せておけば問題ないと判断したはずだし、あの2人はそれに対して「任せてください」と了承したはずだ。
ならば、俺が言うべき事など何もない。
俺は俺の職務を全うする。
それが剛さんと美麗さんの連名で出された依頼を受けた俺のすべきことだ。
もし。
万が一。
あの2人が用意した布陣を突破し、何者かがこちらへ向かってくるのならば。
その時は――――。
俺は何も語らない。
しかし、俺の表情で全てを悟ったのだろう。
シスター・メリッサは、らしくない表情で頷いた。
次回の更新予定日は、10月30日(月)です。
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