第1話 依頼
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「護衛の依頼だ。君の師匠には既に話をつけてあるが、もちろん拒否してもらっても構わない」
窓から差し込む夕陽を背に、重厚なデスクに坐すのは日本五大名家が一、花園家現当主の花園剛。身分的に天と地ほども差のあるその人は、自らの書斎に俺を招き入れるなりそう言った。
護衛。
どう考えてみても、俺の実力に見合った仕事とは思えない。
苦い記憶が蘇る。
この学園にやってきて、早々に巻き込まれた可憐の誘拐騒動の記憶だ。
確かに、あの時に比べれば俺は格段に強くなっただろう。これは断言できる。色々な経験を積んできたし、危ない橋だっていくつか渡っている。同じような事件が起きれば、あの時のようにはならないのは間違いない。
しかし……。
「まあ、まずは話を聞いてもらいたい。先にこちらを伝えておくべきか」
俺の否定的な雰囲気を敢えて無視しているのか、剛さんは手元の資料を数枚捲りながら続ける。
「青藍魔法学園2年生の修学旅行先が決定した。魔法世界だ」
……。
「は?」
内容を理解するのに数秒を要してしまった。思わず間の抜けた声が漏れた俺を見て、剛さんが苦笑する。
「君の考えは理解できるぞ、聖夜君。正直、先方が良く許可したものだと俺も感心してしまったよ」
「しかし、本当に許可が下りたようだ」と剛さんは言った。
「……魔法世界側に打診している状態だったから、修学旅行先が未定のままだったのですね」
出発まであと一週間しかない。もともと行き先は海外のどこかとだけ伝えられていたため、皆パスポートだけは準備していた。ただ、それ以上の情報が一向に入ってこなかったため、何か問題でも生じているのかと心配していたほどだ。
「そんなところだ。姫百合の方がうまくやったらしいがな。週明けの明日にでもこの情報は学園生に公開されるだろう」
「なるほど」
剛さんの言う護衛の依頼。
つまり、魔法世界での修学旅行中に舞を守れということだろう。
俺の中で結論が出る。
この依頼は受けるべきではない。
確かに俺は強くなった。
あの時よりも格段に。
身体強化魔法や全身強化魔法といった強化系魔法だけではなく、魔力そのものを武器として扱う“不可視シリーズ”に『独自詠唱』によって俺では実現不可能な魔法発現を可能とするMC、そして奥の手である無系統魔法。しかし、これだけの手札を用意したって勝てない相手はいる。
俺に圧倒的に不足しているもの、それは経験だ。
魔法は扱う人間の技量によっていくらでも応用が利く。
しかも、今回の依頼は前回と明確に違うところがある。
学園の庇護下に無い。更に言うなら、日本国外での任務だということだ。
当然、この学園のような結界は無い。魔法世界にも防護結界はあるが、「関係者以外立ち入り禁止」にできるこの学園ほど出入りする人間を制限できるわけではないし、実際にあの犯罪集団『ユグドラシル』の面々が中にいたことも事実。
舞はこの国の最高戦力『五光』の血を継ぐ、正当な後継者だ。それも次期当主候補序列1位。本来なら俺のような人間が気安く話しかけられるような存在ではないのだ。国外をまともな護衛無しでうろつこうものなら、路地裏どころか白昼堂々大通りで誘拐騒ぎに発展してもおかしくはない。
自分の命1つ懸けることすら危うい立場にいる俺が、他人の命を預かれるはずがない。
「既に想像はついているだろうが、依頼について説明しよう。君には修学旅行中の護衛を頼みたい。但し、護衛対象者は舞だけではない」
……なんだって?
俺が聞き返すより早く、書斎の扉がノックされた。
やって来たメイドは丁寧に一礼した後に、剛さんへこう告げる。
「姫百合美麗様がお出でになりました」
……。
護衛?
対象は舞だけではない?
無理に決まってんだろ。
そんな俺の心情を余所に、メイドが扉の前から一歩引いた。
扉の外で待っているであろう客人を中へと促すわけでもなく、道を譲るようなわけでもない。
単純にただ一歩、扉から遠ざかるためだけに動いたような。
その仕草に僅かながらの違和感を覚える。
瞬間。
開かれた扉の外。
死角となっていた場所から、突如としてこちらへと突っ込んでくる影を捉えた。
――――"神の書き換え作業術"、発現。
突き込まれた手刀が俺の残像を容赦なく貫くのを眺めながら、乱入者の脚を払う。この女、しっかりと身体強化魔法まで使ってやがる。無防備なまま喰らっていれば俺の喉に風穴が空いているところだぞ。
座標の書き換え先は、先ほどまで俺が立っていた位置からほとんど変わっていない。
すぐ隣だ。
高速での移動中に掛けられた足払いは予想外の反撃だったのだろう。女の顔に驚愕の色が張り付いている。バランスを崩した上半身が前のめりに倒れ込み――。
歪む、女の口角。
振り上げられた女の右脚を一歩後退することで回避する。女はそのまま両手を床につけ、両足を広げて独楽のように回転し出した。おかげでスカートの中の純白が全開である。
少しは羞恥心を持て。
こちらを傍観するだけの剛さんも苦笑いだ。
遠心力が弱まり脚を床につけようとするタイミングを狙って、威力を絞った"不可視の弾丸"を撃ち込んだ。思いの外可愛らしい悲鳴と共に、女の身体が転倒する。
女が身体を起こすよりも、俺の人差し指が女の額を小突く方が早かった。
「そこまでだ」
俺の一言に女の身体が硬直する。女の頭からカチューシャがずれ落ちた。
「まだやるって言うなら相手になってやらんでもないが、場所は変えたい。ここが『五光』が一、花園家現当主の書斎だと分かった上での行動なんだろうな?」
問答無用で場所を変えさせても良いが、肝心の剛さんがあの調子だと暗殺者の類では無さそうだ。となると、先ほど名の挙がっていたあの人の差し金だろう。
「これは何の真似ですか、美麗さん」
「あらあら、全部お見通しということなのかしら」
視線の先、ゆっくりと剛さんの書斎に姿を見せたのは姫百合美麗。日本五大名家『五光』に名を連ね、世界から『氷の女王』として絶賛される大魔法使いだ。
少しも悪びれた様子を見せない美麗さんは、微笑みを携えたまま転がったメイドへと視線を向けた。
「随分と鮮やかに仕留められてしまいましたね。理緒さん」
「申し訳ありません。正直、ここまで鮮やかに無力化されるのは予想外でした」
素早い身のこなしで立ち上がったメイドが言う。そしてカチューシャを直しながら正面から俺と向き合った。
「大橋理緒と申します。突然の非礼をお許しください」
メイドが一礼する。
ん?
この人、どこかで……。
その俺の表情に何か思うところがあったのか、大橋理緒と名乗ったメイドがニヤリと笑う。そして小さく「驚いたわ。あの時とはまるで別人のよう」と呟いた。直ぐ近くで相対する俺だからこそ聞き取れた音量だ。
あの時。
つまり、俺とこの女は本当にどこかで会ったことがあるということだ。
「突然ごめんなさいね、聖夜君。理緒さんがどうしても貴方の実力を見たいと言ってきかなくて」
「いえ……」
誰何するタイミングを美麗さんによって奪われてしまった。
いきなり襲い掛かってきたことに対して言いたいことは山ほどあるが、その動機については理解できる。自分の護衛対象と一緒に行動する人間だ。それも自分の主が直々に依頼する相手。ボランティアではないのだ。契約が成立する以上、「力及ばずすみませんでした」で許される世界ではない。
俺の実力を見ておきたいと思うのは、至極当然のこと。
「で、俺は合格ということでよろしいので?」
俺の問いに、メイドはにこやかな笑みで応えた。
左様か。
もっとも、だからと言って俺がこの依頼を受けるかどうかは別問題だ。
あまり引き延ばすと取り返しのつかないことになりそうだ。
「剛さん」
「何かな、聖夜君」
「俺は今回の依頼ですが、お受けするつもりはありません」
「……ほう」
俺のきっぱりとした拒絶に対して、剛さんはなぜか面白そうなものを見つけたかのような笑みを浮かべる。
「なぜか理由を聞いてもいいかな?」
「俺の能力は基本的に『逃げる』ことに特化しています。護衛対象を守ることには向いていません」
その言葉に、剛さんは声を上げて笑った。
「はっはっは。『逃げることに特化』か。面白い事を言うな、聖夜君。アリサ・フェミルナーやウィリアム・スペードを抑え、アギルメスタ杯で優勝した者とは思えん自己分析だ」
……。
視界の端に捉えているメイドの表情に変化はない。
当たり前のように知っている内容ってことかよ。まあ、そうでなくては困るわけだが。理解できているかは知らないが、既にいくつか手札を開示しているわけだし。
「ただ、護衛という仕事について、それだけ重く捉えられるようになったのは良い事だ。リスクマネジメントが出来ぬ魔法使いに任せられるような仕事ではないからな」
実に耳が痛い話である。
「さて、では改めて依頼内容を説明させてもらおう。少々、誤解している部分もあるようだしな」
「座ってくれ」と促されるまま、ソファに身を埋めた。その対面に剛さんと美麗さんが座る。美麗さんのすぐ後ろに大橋理緒が立った。
直後、書斎の扉をノックする音。剛さんの許可を得て入室する人物には見覚えがあった。思わずソファから立ち上がる。
「……、祥吾、さん?」
俺の驚く顔に笑みを浮かべつつ、剛さんとアイコンタクトを取ったその人は口を開く。
「久しぶりだね、聖夜君」
鷹津祥吾。
俺が師匠と渡米する前、良く世話になっていた花園家のボディーガード。
今では花園家に仕える護衛の序列で1位に位置する人だ。
舞の護衛役とするのなら、人柄はもちろん戦力としても申し分ない人選である。
「では、まずは誤解を解くことから始めようか」
祥吾さんが大橋理緒と並ぶようにして剛さんの後ろに控えたタイミングで、剛さんが口を開く。
「君に頼みたいのは舞と可憐嬢の護衛だ。但し、護衛と君には言ったがね。それを君に全て一任しようなどとは思ってはいないよ。我々は『五光』。この国の最高戦力と謳われる存在だ。そんな我々が、だ。国外に跡取りを旅行に行かせるとして、外部に護衛戦力を頼らなければならないと思うかい?」
「いいえ」
まったく以って思わない。
祥吾さんの実力は知っている。この人がいるだけで、余程のことが無い限り舞どころか可憐を護衛対象に入れてもお釣りがくるだろう。
まあ、余程のことが無い限り、という注釈は抜くことが出来ないが。
俺の考えていることを悟ったのか、剛さんがニヤリと口角を歪めた。
「君の今思った通りだよ、聖夜君。我々は『万が一』を想定している。修学旅行という環境で、我々の護衛がぴったりと張り付いているわけにもいくまい。そうなると、舞や可憐嬢ともっとも近い距離で行動できるのは君だ。言葉を着飾るのはあまり好きでは無くてね。君が気分を害することを承知で言おう。今回、君に務めてもらいたいのは、『時間稼ぎ』だ」
なるほど。
「あら、表情ひとつ変えないとは……。もう少しかわいい反応をしてくれるかと思ったのに」
「いえ、妥当な人選だと思いましたので」
美麗さんが少しだけ口を尖らせたような気もするが、多分気のせいだろう。
とりあえず、納得した。それならば理解できる。
本来であれば付きっきりで警護するところが、修学旅行という建前上、大っぴらに護衛はつけられない。戦力は十分に用意できるものの、護衛対象者との距離が空けばその分リスクは増す。だから、近くにいても不自然にならない俺を傍に付けておく。俺は直接の戦力として期待されているわけではない。
あくまで、時間稼ぎ。
花園や姫百合の抱える主戦力が到着するまでの。
「貴方が何を考えているのか、想像はつきますが……。ひとつだけ訂正をさせて頂くのなら、私たちは決して貴方の能力を過小評価しているつもりはありません」
「美麗君の言う通りだ」
美麗さんのフォローに剛さんも頷く。
「はっきり言って、君は自分を過小評価し過ぎだよ。最後に余計な横やりが入ったとはいえ、かのアギルメスタ杯で優勝した君の実力は本物だ。あの大会に参戦していた者たちは、たまたま運良く撃破できるような実力者だったか?」
……そんなはずはない。
「そして、君の役割を敢えて『時間稼ぎ』と表現したのはね、本来ならば今回の一件は全て我々の手で解決しなければならないことだからだよ。いくらライセンスを取得しているとはいえ、君の立場はまだ学生だ。無論、プロであることには変わりないのだからこうして正式に契約を結ぼうとしているのだが……。そうは思わない者もいる。言っている意味は分かるな?」
首肯する。
学生に頼らなければ護衛すらできないのか、などと思われたくはないだろう。剛さん自身が鼻で笑い飛ばせる内容であったとしても、世間がどう捉えるかは別問題だ。
「だからこそ、君はあくまで舞や可憐嬢に被害が及ばないように立ち回ってくれるだけでいい。どれだけ些細な火の粉であっても、危害さえ及ばないのなら払わずとも構わない。それは全てこちらで処理しよう」
「但し、万が一という可能性も当然あります。どうしても私たちでは間に合わないというケースも存在するでしょう。その場合、誠に申し訳ないのだけれど、聖夜君にも働いてもらうことになるかもしれません。仮に、そのような事態に遭遇せずとも、可憐や舞さんと行動を共にするということは、それだけリスクを背負うということ。ですから、私たちはこれを『護衛』の仕事として貴方に依頼することに決めました」
先ほどとは打って変わり、美麗さんの表情は真剣そのものだ。そして、それに続くようにして剛さんが口を開く。
「美麗君の言った通りだ。それに付随し、修学旅行の班は、舞、可憐嬢と同じ班に入ってもらいたい。そして、班員はそこで打ち止めだ」
「仮に何かあった場合、他の班員に被害が及ぶことを防ぐためですね?」
「その通りだ」
俺の問いに剛さんは強く頷いた。
「では、『黄金色の旋律』のメンバーならば?」
その問いの返答には、一瞬の間があった。
「君が個人で戦力としてカウントするのならば、問題は無い。だが万が一の場合、優先順位は低くなってしまうが」
剛さんの言う優先順位とは、当然護衛対象として、だろう。
その表現で完全に理解した。
おそらく、今回の護衛任務は形として成立させるものの、対象者は舞や可憐だけではない。
俺も、含まれている。
最初の段階で師匠の名前を出された時点で、何となく違和感を覚えていたが、これで確信した。おそらく、発起人は師匠だろう。魔法世界では俺も色々とやらかしている。もちろん、世間的には『T・メイカー』ということになるが、一番知られたくないところには知られているしな。まだ魔法世界内に『ユグドラシル』が潜伏している可能性だってゼロではない。
あの人、何だかんだで過保護なところあるんだよな……。
「なるほど、理解しました。しかし、おそらくですが、エマ・ホワイトと鑑華美月は同じ班になると思います」
「ふむ」
剛さんが顎を撫でながら目を細めた。
エマはあの性格だ。
俺と一緒の班になる以外の選択肢などあり得ないだろう。
それにあいつは戦力として十分にカウントできる。いざという時には頼りになるだろう。
そして、鑑華美月。
こいつは同じ班にしておく必要がある。
どれだけ固執しているかは知らないが、こいつは『ユグドラシル』側からすれば裏切り者だ。この学園という保護区域から抜けてしまえば、何が起こるか分からない。しかも舞台は魔法世界。本音を言えば修学旅行自体を仮病で休んで欲しいくらいだ。
本当なら、舞や可憐と美月はくっつけるべきではない。
なぜなら、美月が別の厄介事を抱え込んでくるかもしれないのだ。護衛対象の安全を優先するのなら、決して褒められたことではない。だが、俺は約束したのだ。美月を守る、と。臭い話かもしれないが、これは本心。組織に歯向かってまで俺を助けようとしてくれたあいつとした約束を、俺は裏切りたくない。
だから、今口にした言葉は俺の身勝手なお願いだ。
鑑華美月は同じ班になると思います。
つまり。
この契約を結ぶのなら、鑑華美月も加えることになる。
それでもよろしいですか、と。
しばらく目を瞑り熟考していた剛さんだが、ちらりと視線を美麗さんに向けた。美麗さんは微笑みながら頷く。
そして。
「理緒さん」
「問題ありません」
「祥吾」
「問題ありません」
即答するメイド理緒さん。同じように剛さんも後ろに立つ祥吾さんの名を呼んだが、反応は同様だった。
「いいだろう」
剛さんの視線が俺へと戻る。
「それでは、契約は受けてくれるということで構わないな?」
「ありがとうございます」
頭を下げた。
剛さんが立ち上がり、デスクへと向かう。おそらく書類を用意するのだろう。何となくそれを目で追っていたら、美麗さんから声をかけられた。
「聖夜君。先ほど貴方の能力は『逃げることに特化している』と言っていましたが」
「はい」
「それはある一面から見れば間違っていない評価であると私は思います。だから『仮に』、本当にそのような事態になったら、舞さんや可憐、ホワイトさんや鑑華さんを連れて、本気で逃げてくださいね」
……それは、つまり。
ふと視線を感じ、美麗さんの後ろへと目が行く。
2人は何も言わず俺を見ていた。
その雰囲気に、思わず息を呑む。
2人は同じ表情をしていた。
それは物静かで、穏やかで。
覚悟を秘めた者の笑みだった。
次回の更新予定日は、10月2日(月)です。