第12話 エンブレム争奪戦 ④
★
聖夜から向けられる右手。
それが何を意味するのか、舞は瞬時に理解した。
咄嗟に横へと舵を切る。
しかし。
「あっ!?」
舞が纏っているのはRankAの全身強化魔法『業火の型』。僅かでも力の入れどころを間違えれば、とんでもない被害を周囲にもたらす高難度の魔法。
結果。
制御に失敗した舞の身体がその勢いのまま流れ、側壁へ激突し派手な音を立ててぶち破った。そのまま旧3年の教室へと突っ込み姿を消す。
結局、何かの魔法を発現するわけでもなく、ただ右手を掲げるというジェスチャーだけで脅威を払った聖夜が肩を竦めた。
「忠告だ、舞」
扉を吹き飛ばして姿を現した舞へ、聖夜が声を掛ける。
「使いこなせてこそ、魔法は魔法として機能する。付け焼刃の魔法で挑むくらいなら身の丈に合った魔法にしておくべきだぞ」
「五月蠅い!!」
跳躍。
聞く耳を持たないとはまさにこのことだった。
圧倒的な熱量を帯びた紅蓮の塊が、聖夜のもとへと突っ込んでくる。聖夜は嘆息しながらそれを迎え入れた。放たれる拳を躱し、十分に魔力を纏った手で舞の背中を押し、足を払う。
「制御不能の力に負けて吹き飛べ」
「きゃっ!?」
聖夜に突撃した運動エネルギーが、聖夜の払い飛ばす力へとそのまま変換された。舞の身体に不規則な回転が生じながら吹き飛ぶ。上も下も、右も左も分からないほどの勢いで回転しながら、舞の身体が廊下終端にある扉へと叩きつけられた。
当然、破損。
舞自身、何に衝突したのかも分からぬまま、その身体に生じる浮遊感。
「っ!?」
茜色に染まる夕陽が見えた瞬間、舞は自らが校舎外へと飛ばされたことを悟った。しかし、下は地面では無かった。
「がっ、あっ!?」
非常階段。
何の飾り気も無い硬い感触を全身に味わいながら、舞の身体は段差を転がり落ちていく。いつの間にやら解けていた全身強化魔法のせいで、それらも有無を言わさずに吹き飛ばして退場という結末は避けられたが、その代わりに全身を襲ったのは耐えがたい激痛だった。
派手に咽る。打撲程度で済んでいるのは、反射で魔力を纏ったからだろう。そうでなければとんでもないほどの重傷を負っていたはずだ。
少々高めの手すりがついているだけの、簡素な踊り場で蹲っていた舞の耳へ足音が聞こえてくる。
「助かったのか。運の良い奴だ。いや……、悪かったのか?」
咄嗟に身体を捻る。
更に下へと。
踊り場に衝撃音が響き渡った。階下へと転がるように降りていた舞は、2階廊下へと繋がる扉を蹴り壊してその姿を消した。
聖夜はその後を追わなかった。
「駄目だな、あれは」
そう結論付ける。
舞が全身強化魔法を発現したことには驚いたが、それだけだ。持続時間は短いし、そもそも完全に制御できていない。おまけに、次の発現までにも時間がかかるようだ。これではとてもではないが、実戦運用出来ているとは言い難い。なぜ、わざわざこの試験で使おうと思ったのか。
「……まあ、例え数秒だろうが発現できるだけで優位には立てるか」
参加しているメンバーのせいで感覚が麻痺しがちだが、本来ならば2年生は属性付加をようやく習得するという段階だ。それが何を間違ったか属性付加させた全身強化魔法を発現させているのだ。RankAの魔法なんて、社会人が血の滲むような努力の末、ようやく到達できるかどうかといった魔法。相手が普通の学園生ならとうに緩衝魔法が発動しているだろう。
つまり、そんな魔法相手にさらっと対処してしまった俺の株は、もはや留まることを知らないほどに急上昇中ということだな。
「あー、頭いてぇ」
俺の評価、どうなるんだろうなぁ。
★
RankA相当の空間掌握型魔法『白銀の世界』。
それは簡単な表現で済ませるのなら、魔法の発現範囲が極端に広い安楽淘汰と同じような技量を、一時的にではあるが術者に付与する魔法だ。
先ほど、安楽淘汰の身体を媒介として氷の大輪を咲かせたのもそう。
先ほど、片桐沙耶を狙って氷の氷柱を発現させたのもそう。
加えて、『白銀の世界』を展開中の術者が、別の魔法を更に発現する際、その魔法の発現難度が体感的にワンランク下がるのも大きい。本来ならば並行して発現させるには相当な技量が必要となる。しかし、そのハードルがあってなお、発現する魔法の難易度が容易に感じられるのだ。
だからこそ、可憐はRankA相当の『白銀の世界』を展開中に、RankB相当の『薄氷の壁』を無詠唱で発現させることができたわけだ。一般の学生なら、並行しての魔法発現自体が極めて困難であり、ましてやRankBの魔法ですら大学課程で学ぶ難易度。この状況を作り出したその技量だけで、可憐はまさに教師陣から手放しで絶賛されるだけの技量を示してみせた。
もっとも、これは決して魔法による恩恵だけではない。
可憐自身が持つ、並外れた魔法の素質や他者を圧倒する魔力の保有量。
それら全てが揃って、初めて成しえる芸当である。
しかし。
「賞賛しましょう、貴方の技量を。姫百合可憐さん」
氷塊が次々に音を立てて落下し、砕け散る。その中心地にいる安楽から、賞賛の声が飛んだ。
「貴方が用意していた遅延魔法は2つ。違う魔法2つを待機状態におけるその技量はもちろん、何よりその生かし方が素晴らしい」
可憐が手のひらを向ける。呼応するようにして砕氷が安楽の周囲へと群がるが、安楽を中心として噴射された突風がそれら全てを払いのけた。
「魔法球と魔法障壁。それは攻撃手段と防御手段だ。しかし、貴方は私が攻撃した際、障壁ではなく魔法球で応戦した。防御に障壁ではなく魔法球。てっきり私は、攻撃魔法しか待機させていないのではないかと思ってしまった。しかし違った。そう、後に発現させるRankAの魔法、その布石だったということ。残っていたのが魔法球だったら、私はこのRankAの魔法発現は防ぐことができたでしょう。先見の明というやつですか。実に素晴らしい。……ですが、同時に残念でもあります」
安楽は両腕を左右に広げながら言う。
「貴方が本気で魔法を発現していたら、僕をちゃんと撃破できていただろうに」
凄まじい魔力の奔流だった。
可憐が完全に掌握しているはずの空間が、僅かではあるが揺らぐほどの。
いや。
僅かなその揺らぎこそが、可憐が未だに能力を自制している証拠でもあった。
☆
「ぎ……、あ……っ」
低く、絞り出すような声が聞こえる。
その声を無視し、背中越しに感じる視線の主へ問う。
「次の相手は貴方ですか? 大和さん」
振り返る。
思わず目を逸らしたくなるような惨状だった。
ガラスは割れる。天井は崩落する。蛍光灯は破裂する。廊下にひびは入る。側壁はぶち抜かれる。随所に焦げ跡は残る。というか一部は溶けている。補修工事するくらいならいっそのこと建て直せば、と提案したくなるほどの有様だ。まあ、そうしたら名称は旧館じゃなくなるわけだが。
そんな下らない事を考えつつ、その光景を視界に捉えた。
口内に溜まった血を吐き捨てる大和さんと、その足元でうつぶせに倒れるエマ。エマは必死に起き上がろうともがくように動くものの、一向にその成果は得られていないようだ。まるで何かに押さえつけられているかのようだ。
……大和さんの無系統魔法か。
「あん、だぁ……」
顔すら上げられない状態で、エマが口を開く。
「わだしの王子様に手を出しでみださい、ぶち殺ずわよぉぉぉ!!」
「……随分と妙な奴に好かれたな、聖夜」
濁点多めで吠えるエマを見つつ、大和さんは俺へそう言った。黒い髪は乱れ、エマの表情を完全に覆い隠している。廊下に這いつくばった体勢で怨念を垂れ流すその姿は、何かのホラー映画のワンシーンなのではないかと思わせる光景だった。
そんなエマを無視し、大和さんは言う。
「さて……、ようやく借りを返せるってわけだ」
その言葉に、思わず笑みがこぼれた。
「エマはそのままでいいんですか?」
「あ? 無抵抗の女に追い打ちをかける趣味はねぇしなぁ。その拘束を自力で抜け出せるようなら改めて相手をしてやってもいいが」
「ごぉ、ごうがいざぜてやるぅぅぅぅ、必ずぅぅ。腸を食いちぎっでやるぞぉぉぉぉ!!」
いや、エマさんマジでやめてほんとにこわいっす。
「何のキャラだよお前。あれか? オタクなのか? わりぃな。そういうの疎くてよ」
大和さんは中学生が比較的罹りやすいナニカ(一部大人でも罹る。そして大人の方が拗らせやすい)だと脳内処理したようだ。普通に謝っちゃってる。まあそうだよね。止めないと本気でやりかねないとは言えない。キャラ作りなどではなく本心から出ている言葉だとは決して言えないのだ。
徐々に張り詰めだした空気の中、1人脱力しかけたところで、大和さんの後方にある階段から紅蓮の炎が噴き出した。
「……お?」
「舞か。毎度毎度ご苦労な事だ」
音源へと視線を向け目を見開いている大和さんを挟み、姿を現した舞へと声を掛ける。その身体には全身強化魔法『業火の型』が展開されていた。
「おいおい、RankAの魔法とかマジかよ」
「人の忠告は素直に聞くべきだぞ、舞」
大和さんの呟きは無視させてもらい、舞へと声を掛ける。RankAの魔法を前にしても動揺を見せない俺に何か思うところがあったのか、舞の顔が顰められた。その表情には脂汗が浮かび、明らかに無理をしていることが見て取れる。
「満足に使いこなせていないその魔法の持続時間は何秒だ。あと何回発現できる?」
「……うる、……さい」
「発現までにかかる所要時間は何秒だ。今、自分が地に足をつけて立っている感覚があるか?」
「……うる、さいっ」
「視界は良好か? 聴覚は正常に機能しているか? 自らが魔法を掌握しているという自信はあるか?」
「うるさいっっ!!」
「これが学園主催の定期試験だという自覚があるか? 緩衝魔法に頼らずとも殺傷しないレベルに火力を落とすことは可能か?」
「五月蠅いっっっっ!!!!」
咆哮。跳躍。突進。
紅蓮の弾丸が一直線に突っ込んできた。
炎の塊が爆散する。
舌打ちと共に大和さんが身を翻した。身動きが取れず「ぎゃー」という悲鳴を上げるのみのエマを庇う大和さんは流石の男前である。周囲に莫大な被害をもたらしながらも迫る舞へ、俺は小さくため息を吐いた。
魔法を掌握できていない。
疲労。同じ戦いで連続使用するなら回数を重ねるごとに制御が弱くなるのは当たり前だ。それがまだ使い慣れていない魔法であるのならなおのこと。
「残念だ」
手のひらを向ける。
咆哮と共に放たれる拳を受け止めた。
舞が驚愕の表情を浮かべるのとほぼ同時。
足場である廊下へ瞬く間に亀裂が入り、それは四方八方へと瞬時に展開されて――。
「威力が分散した魔法は、こうも弱い。それが分からないお前じゃないだろう」
なぜ、こんな真似を。
本当なら聞きたかった質問。
だが、それは今じゃなくてもできる。
だから。
「今のお前にできる全力の魔法と、ぶつかり合ってみたかった」
そう告げる。
その双眸を大きく見開かせる舞へ、展開されている魔法を上回る魔力を叩き込んだ。
「“魔力の圧砕”」
旧館3階の廊下が崩落した。
★
旧館1階での戦いは不利だと判断した沙耶は、戦況を巧みに誘導しながらも2階へと退避することに成功していた。
迫るかまいたちを木刀で捌きながらも2階のフロアへと転がり込む。それを追うのは安楽淘汰。浮遊魔法で空中を自在に動き回る車椅子を操り、沙耶の後を追う。
「いやぁ、姫百合可憐さんの魔法は本当に凄いですねぇ」
朗らかな声色でそう呟いているが、その周囲には次々と『風の球』が発現されており、沙耶を執拗に狙い撃ちしていた。
「その魔法を正面から受け切った貴方も十分に称賛されてしかるべきだと思いますよ、安楽先輩!!」
そう吐き捨てながら、沙耶は必死に木刀を振るう。もう何発目か分からない『風の球』を弾き飛ばした際に、木刀から軋んだ嫌な音が鳴ったのを沙耶は聞き逃さなかった。
これは安楽の魔法によるものではない。
これは可憐の魔法によるものではない。
花園舞の全身強化魔法によって生じた傷だった。
不意を突かれた一撃。
真正面から受けざるを得なかったあの拳。
その拳に集中した、業火の中でも寒気を覚えるほどの魔力濃度。
RankAに分類される攻撃特化の攻撃を、あのタイミングで受け止められただけでも奇跡だったのだ。咄嗟に防御へと回した魔力があと少しでも足りなければ、沙耶はあそこで退場させられていただろう。
次々と襲い来る安楽からの猛攻を掻い潜りながらも、沙耶は歯を喰いしばる。
足りない。
力が。
圧倒的に。
これまで自分が抱き続けていた自信が、音を立てて崩れていくような感覚だった。この学園でそれなりの地位を維持してきたつもりだったが、それはあくまでそれなりだったのだという事実を突きつけられた気分だった。
思わず潤みそうになる視界を根性で耐え忍び、沙耶は咆哮する。
「ああああああああああああ!!!!」
溜め込んでいた憤りを。
焦燥を。
怒りを。
悲しみを。
そして、羨望を。
複雑に絡み合った感情の全てを目の前の男に叩き込もうとした瞬間、沙耶の頭上が爆発した。
「はっ!?」
「え」
これには流石の安楽も攻撃の手を止めた。自らの感知魔法の誤作動では、と疑ってしまうほどの衝撃だった。可憐によって掌握された空間で生じるジャミングのようなものではない。それまで感じていた空間を隔てる壁が、突如として消失する感覚。
「『風の盾』!!」
「『大地』!!」
安楽と沙耶の対処法は正反対だった。
安楽は耐久性は脆いが一度で複数枚発現できる盾を展開しつつ、全速力で後退。天井が崩落してくる一帯から一瞬で回避した。対して沙耶は自らの立ち位置から後退は不可能と判断。防御力を底上げして耐え切る選択をした。
轟音。轟音。そして轟音。
旧館全体を揺るがす振動が辺り一帯に広がる。
その中で。
『緩衝魔法の発動を確認。花園舞、脱落です』
御堂縁の声が校舎内に響き渡った。
次回の更新予定日は、11月4日(金)です。
先生たち「(゜∀゜)」
縁「えっと、とりあえずマイク借りますよ?」
鈴音「白石先生!? お気を確かに!!」




