第2話 偶然
☆
元『ユグドラシル』の一員である鑑華美月を連れていれば、既に息絶え転がっている不審者の素性が分かったのかなと思いつつも、俺の眼前で拳を止めたアリサ・フェミルナーを見て、やはり荒事を好まないあいつは連れてこなかったのは英断だったと思い直した。そもそも、実働部隊とやら同士の繋がりも無いとか言ってたしな。
「……T・メイカー、どうしてこの国へ」
「自分に返ってくる事を想定した上での質問なら、答えよう」
俺の返答にアリサは苦虫を噛み潰したかのような顔をする。予想通り非公式での来日らしい。
「そっちは闇魔法を使っていたわね。マリーゴールド・ジーザ・ガルガンテッラということでいいのかしら」
「まずはメイカー様に向けたその拳を下ろしなさい。私から首を落とされたくないのならね」
冷徹な声色で言うエマに臆したわけではないだろうが、アリサ・フェミルナーは素直に拳を下ろし、俺とエマから距離を置いた。良かった。問答無用の殺し合いに発展することは避けられそうか。
「初めに言っておく。ここで顔を合わせることになったのは偶然だ」
「知ってるわよ。そこまでこちらの情報部が盲目だとは思いたくないし」
軽いため息と共に、アリサ・フェミルナーは吐き捨てるようにそう呟く。
「お互い、見なかったことにするのはどうだろう」
「そりゃ、私としてはそれがベストよ。アナタとは知らない仲じゃないし、そもそも口封じするにしても周囲にバレないように処理する自信が私には無いし」
私としてはということは、独断で決められる状態にないということだ。アリサ・フェミルナーと同等の地位を持つ人間か、それ以上の人間が同行していることになる。もちろん、遠方から指示だけを受けている可能性もあるが。
「なら、お互いを利用し合わないか?」
「どういうこと?」
俺の提案に、アリサ・フェミルナーが眉を吊り上げる。
「実は、俺たちはこの国の実験棟に用があって来た」
「実験棟? 何なのアナタたち。まさか日本に喧嘩売る気?」
止めはしないけど関わりたくはない、という表情を隠そうともせずにアリサ・フェミルナーが一歩下がった。
「そうではない。『黄金色の旋律』の長であるリナリー・エヴァンス宛にメッセージが届いたんだ。日本にある実験棟を鼠が狙っている、と。送り主不明でな」
「そのメッセージを見せてもらうことはできない?」
「言っただろう、リナリー・エヴァンス宛だと。俺の手元には無い」
どこから俺の素性が割れるか分かったものじゃない。迂闊に見せない方がいいだろう。なにより、文章が日本語だしな。
「ふぅん……」
納得したのかしていないのか、アリサ・フェミルナーは考え込む仕草をする。
「で? 利用し合うっていうのは?」
「魔法開発特別実験棟がこの近くにあるのは知っているな? そこへ向かっている最中に戦闘中のお前たちと出くわしたんだ。無関係ではない、と俺は考えている」
「鼠=『ユグドラシル』だと?」
首肯し、補足する。
「共通の敵を狙っている以上、無意味な戦闘は避けるべきだ」
「私、『ユグドラシル』を狙っているなんて言ってないんだけど?」
「そこに転がっている奴、もう死んでいるんだろう? やむを得ず始末したなら、さっさと姿を晦ませればよかったんだ。それなのに残っていたということは、だ」
一拍置いてから、告げる。
「その死体、持ち帰りたいんだろう?」
「……証拠隠滅したいだけって線もあるわよ?」
若干遅れて、アリサ・フェミルナーはそう切り返した。
しかし、俺は答えない。
しばしの沈黙。
そして。
「で、利用し合うってのは?」
肯定も否定もせず、そう質問してきた。敢えてそれに乗っかってやる。
「俺たちは、実験棟に鼠が潜り込むのを防ぎたい。お前たちは『ユグドラシル』を始末したい。利害は一致する。なんなら、俺たちが始末した『ユグドラシル』の死体はくれてやってもいい」
「何? 今のアナタたちのクライアントは日本人なの?」
アリサ・フェミルナーと同じく、肯定も否定もしなかった。ただ、肩を竦めるジェスチャーだけしておく。
「悪くない提案だと思うんだがな」
アギルメスタ杯で俺たちの有用性は提示できているはずだし、後は向こうが飲むか飲まないかだけだ。
問題視されている『ユグドラシル』の面々と、俺は過去に何度か戦闘になったことがある。そして、その共通点。それは、どちらも蟒蛇雀が死体を回収していたという点だ。蘇生の魔法が存在しない以上、本来ならば死体など持ち帰っても意味が無い。しかし、リスクを冒してでも回収しているということは、何かがあるのだ。
その前知識があったからこそ、今回はこうしてアリサ・フェミルナーへ吹っ掛けることができた。即興にしては中々良い流れに持ち込めたのではないだろうか。
こちらも相手が相手なだけに人手が欲しいし、それがアメリカの誇る『断罪者』なら実力に文句があろうはずもない。
アリサ・フェミルナーが何か言おうと口を開くが、それよりも早く短い振動音が鳴った。
「失礼」
一言断りを入れ、アリサ・フェミルナーが通信機のようなものを取り出す。俺はエマを促し、声が聞こえない場所まで移動することにした。風が強い摩天楼でそのような行動は不要かもしれないが。
通信はそう長くは無かった。
アリサ・フェミルナーがこちらへ寄ってくる。先ほどまでの剣呑な雰囲気は無い。
「こっちは一度合流しようって話になってるんだけど、一緒に来てくれないかしら」
「ほう?」
合流ということは、アリサ・フェミルナーのお仲間ということだ。
「……メイカー様」
エマが小声で俺の名を呼ぶ。もちろん、危惧している内容は分かる。「合流することにした」ではなく「合流することになった」と言った。つまり、アリサ・フェミルナーが決めたわけではなく、上の者の命令もしくはアリサ・フェミルナーと同等の者との相談で決めたということだ。合流場所で袋叩きに遭う可能性だってあるだろう。
だが。
「いいだろう。道案内を頼む」
俺は了承した。
アリサ・フェミルナーが微笑む。
「良かった。こっちよ」
そう言いながら、アリサ・フェミルナーが転がっている死体を担いだ。
「アリサ・フェミルナー、それは俺が運ぼう。あぁ、そのまま姿を晦ませたりはしないさ」
「あら。アナタ、戦闘だけじゃなくレディの扱いもお上手なのね。けど、結構よ。私たちの世界に、男も女も無いわ」
そう言って俺たちを先導する。それに続いた俺たち、いや俺を見てアリサ・フェミルナーがにっこりと笑う。
「アリサでいいわよ。メイカー」
「そうか。では、そう呼ばせてもらう」
後ろから聞こえてくる歯ぎしりの音は聞こえなかったことにしておく。
「ところで素朴な疑問なんだけど」
摩天楼から摩天楼へ。強化魔法で次々に移動しながらアリサは言う。
「アギルメスタ杯でアナタとリナリー・エヴァンスを入れ替えたあの魔法って何?」
「それに答えてやれるほどの信頼関係を築いた覚えは無いな」
☆
「やあ、T・メイカー。そっちも同じような状況になったわけだね」
アリサに先導された場所には、4人の男女が待っていた。
そのうちの1人、元会長がそんなことを言ってくる。特に打ち合わせをしていたわけではないのだが、俺をT・メイカーと呼ぶのは、俺がアギルメスタ杯で『断罪者』と接触していることを知っていたからだろう。流石だ。
「同じような状況、とは?」
俺の質問に、元会長は肩を竦めて見せた。その視線は、蔵屋敷先輩や門下生と一緒にいる最後の1人に向けられる。
「……T・メイカーか。まったく、このタイミングで鉢合わせるとはどんな運だ」
担いでいた『ユグドラシル』の構成員と思われる人間を下ろしながら、黒人の男性はそう呟いた。
「彼は?」
「ジェームズ・ミラー。『断罪者』の二番隊隊長よ」
俺の問いに、アリサが素直にそう答える。ここまで来てしまえば、もはや隠す意味も無いと考えているのだろう。というか、隊長格が2人か。アメリカは今回の件に相当力を入れているようだ。
「信用できるんだろうな」
二番隊隊長がアリサに問う。アリサは直ぐに頷いた。
「悪い奴じゃないのは間違いないわ。それに、協力して事に当たろうってわけでもないし。口が堅ければ問題ないでしょう。なら、同じような理由でここにいるT・メイカーなら平気よ。というより、ここで実力行使に出た方が、私たちの立場を危ぶめるわよ」
「ふむ」
二番隊長の眼光が俺を射抜いた。背筋を悪寒が奔り抜ける程に鋭いものだ。実力を測っているのだろう。向こう側からすれば、殺せるなら殺すに越したことは無いはずだからだ。
「現状でアメリカを敵に回す気はない。意味も無いしな」
両手を軽く挙げて戦意が無い事をアピールしておく。
「それよりも、私はそっちの方が心配なんだけど?」
アリサが顎で元会長たちをしゃくる。
「エニシ・ミドー、そしてアサクサの後継者よね」
元会長は不敵な笑みで、蔵屋敷先輩は感情を読ませない表情で一礼した。門下生はいつでも蔵屋敷先輩の盾になれるようにと不動のままだ。
「アナタ、エニシ・ミドーに雇われてるの?」
「守秘義務があるんだよ、こっちも。その質問には答えられない」
「ふぅん。ま、いいけど」
俺の回答にアリサは目を細めたが、特に追及はしてこなかった。あまり根掘り葉掘り聞かれたくはない。さっさと話を進めてしまった方が良いだろう。
「で。どうするんだ? そちらの目的が『ユグドラシル』狩りなら、お互いの利害は一致するんだ。無益な戦闘は避けて、見なかったことにして欲しいんだが」
アリサの視線が二番隊隊長へ向けられる。二番隊隊長は小さく息を吐いた。
「ああ、構わない。エニシ・ミドーから聞いたが、そちらも同じような目的らしいな。ならば言うことは無い。これは不幸な遭遇だった。僕たちの存在は、この国に無かったことにしてくれ。代わりに、こちらも君たちの存在は口外しない。君たちの関係性についても追及することをやめよう」
「決まりだね」
元会長が軽い調子で手を叩く。
「フェミルナーからの話では、『ユグドラシル』が日本の実験棟を狙っているだとか?」
二番隊隊長からの質問に頷いた。
「奴らが実験棟に何の目的があるのかは知らないがな」
「この国の実験棟と言ったら『痛みの塔』。『絶縁体』で外部からの侵入がほぼ不可能なのを良いことに、相当悪趣味な事をしているみたいよ。上の階では人体実験のサンプルを保管する場所もあるみたいだし。そういうのが狙いなんじゃない?」
嫌悪感剝き出しで、吐き捨てるようにアリサは言う。そんな心情を知ってか知らずか、縁先輩が明るい声で言う。
「まぁ、それで俺たちは実験棟に向かっていたというわけさ」
「成程。なら僕たちはその周辺で張っているとしようか。まだ何匹か土産に持って帰れそうだ」
縁先輩の答えに頷いた二番隊隊長は、そう口にした。
★
「良かったの?」
「こうするしかないだろう? あぁ、なぜこのタイミングであの男が絡んでくるのですか……」
アリサからの問いに答えながら、ジェームズは弱々しい手つきで十字を切った。
「入国リストにおかしな点は無かったはず。私たちと同じで、何らかの手段があるのでしょうね」
「その手段とやらがアギルメスタ杯決勝で見せた『入れ換え魔法』だとすれば、効果範囲の広さに眩暈がしてしまうよ」
「あれ、『入れ換え魔法』で確定したの?」
ジェームズは首を横に振った。
「いや……、その可能性がもっとも高いというだけだ。“脚本家”に問い合わせているが、無駄足となるだろうな。しかし、君は別人とみているんだろう?」
「ええ。本戦で直接拳を交えている私が言うのだから、間違いないわ。私と戦った男と、未確認生命体を撃退したリナリー・エヴァンスは別人。さっきまでそこにいたT・メイカーも、リナリー・エヴァンスではないわ」
ジェームズは短く刈り上げた白髪を掻き毟った。
「これで僕たちの情報が洩れようものなら大惨事になるわけだが」
「なら、なんで解放したのよ」
「他に選択肢があったのか?」
その問いに、アリサは肩を竦める。答えは当然ノーだ。
「『黄金色の旋律』の構成員を独断で始末できるはずがない。本国があれほど警戒しているリナリー・エヴァンスの配下を、だ。それに」
ジェームズは苦虫を噛み潰したかのような表情で続ける。
「T・メイカー自身の評判も、あのアギルメスタ杯の一件で鰻登りだ。今、あの男が魔法世界で何と呼ばれているかは知っているか」
「『伝説の拳闘士』、『詠唱知らずの大英雄』、『属性魔法の覇者』、『リナリー・エヴァンスの右腕』、『スペード様の天敵』、『アギルメスタ様の末裔』、『ガルガンテッラ家の秘密兵器』、……あと何だっけ?」
「『始祖様の生まれ変わり』だ!!」
頭を抱えながらジェームズが叫ぶ。
「1度の大会出場でここまで名を上げた魔法使いがいたか!?」
「学生時代のリナリー・エヴァンスじゃない?」
「それと比較される時点で別格だろう!?」
吠えるジェームズとは裏腹に、アリサは笑う。
「びっくりよね。『五光』の従者や天属性の使い手、ASAKUSA、おまけに私や牙王、その他もろもろの有名どころが軒並み参戦したというのに、話題を総ざらいしていったのだから」
何が面白いのか、アリサは笑みすら浮かべながらそう言った。それを見たジェームズがため息を吐く。
「『黄金色の旋律』の構成員という時点で、最初から注目されていた選手だったのは間違いない。しかし、注目されているということはハードルもまた高くなるということ。それを軽々と飛び越えたのだ。喰えない男だよ、T・メイカー。先月末のガルガンテッラ杯への不参加が確定した時……、知っているだろう? あの魔法世界の荒れ模様。この僕も笑ってしまったくらいだからね……」
「『リナリー・エヴァンス=T・メイカー説』を唱えている人もいるみたいだけど、かなり少数派ね。流石は魔法に精通した人達が集まる場所、エルトクリアといったところかしら。偽名で参戦していたウィリアム・スペードの棄権で、前回のアギルメスタ杯優勝者はT・メイカーとなった。終盤はとんでもない事件に発展しちゃったけど、それでもあの大会を中止・無効にしなかったのは、七属性の守護者杯委員会がそれを良しとしなかったということ。T・メイカーは不動の人気を獲得したと言っても過言ではないわ」
「そして、その人気は決してお飾りでは無かったということだな。『断罪者』の隊長2人を前にしても物怖じしないあの態度。君が言うように、あの男がこれ以上成長するのは脅威だ。ボスからも詳細を寄越せと命じられてはいるが……」
苦々しい表情をするジェームズに、アリサは悪戯を思い付いたかのような笑みを浮かべた。
「じゃあ後をつけてみる?」
「やめてくれ。エニシ・ミドーが同行している理由も不明だし、何が出てくるか分からないぞ。今日は素直に『ユグドラシル』狩りに勤しむとしよう。リナリー・エヴァンスの逆鱗に触れたくはないからな」
☆
故障車の始末を門下生に任せ、俺たちは当初の目的地へと辿り着いていた。
そう。
魔法開発特別実験棟だ。
しかし。
「おかしいな」
広い車道を挟んで向こう側が目的地、というところで元会長はそう呟いた。蔵屋敷先輩も頷く。物陰に身を潜めながら様子を窺う。
「警備員がいないのはおかしいですわ」
大仰な門を見据えながら蔵屋敷先輩が囁いた。門の先にあるのが、この国の魔法社会の中枢とも言うべき日本魔法協議会、そして魔法開発特別実験棟だ。
「どうします? 会長」
「俺はもう会長じゃないんだけどねぇ」
……。
どうしても癖で言ってしまうんだよ。
「俺の事も『縁さん』でいいんだよ?」
縁さん、とか。冗談じゃない。
「大和だけずるいなぁ。俺と君の仲じゃないか」
「ちょっと鳥肌が立ったのでその辺でやめてもらっていいですか?」
なんてことを言ってくれやがる。仕方が無いので代案を提示することにした。
「じゃあ……、縁先輩で」
「まったく。君って奴は本当にシャイだね」
ウインク1つで星を飛ばしてくるんじゃねぇ。
「まさか聖夜様」
「まさかもクソも何にも無いからお前は黙れ」
戦慄するエマを、先手を切って黙らせる。こいつは絶対に余計な事しか言わないからだ。
「本題に戻っても?」
わざとらしい咳払いで、蔵屋敷先輩が本題へと戻す。
「中条君、アレを頼むよ」
「……アレ?」
嫌な予感というか、もはや分かり切っているのに聞き直してみた。
「皆まで言わなければ分からないかな。君の無系統魔法について」
縁先輩の言葉に、エマが眉を吊り上げる。そして縁先輩はその反応に興味を示さない。
「今から俺たちがしようとしている事の異常性を、きちんと認識しているかな。この国トップレベルの機密施設に侵入しようとしているんだよ。見つかればハチの巣かもね」
「そんな場所へ、なぜ同行しているんですか」
「俺には俺の目的があるんだよ、中条君。なに、君たちの足を引っ張るつもりはないさ。『断罪者』の面々と違い、俺が君に求めているのは共闘だからね」
……本当に共闘する気があるのなら、目的くらい吐けや。
「塀の裏側に転移します。どうなっても知りませんからね」
内部の状態が分からない以上、転移は出来てもいきなり詰む可能性がある。警備員の目の前に突然出現とか。
「であれば、あの付近の裏側で」
蔵屋敷先輩が、塀の一点を指さした。
「あの辺りなら、塀の裏側に警備員の管理室がありますので陰になりますわ」
「何でそんなことを知ってるんですか」
「逆に聞くけど、何でそんな下調べもせずに易々と命を懸けてるんだい?」
会長から放たれた正論に、思わず口ごもる。
「内部構造についてはきちんと頭の中に入れてきているよ」
会長はアルティメット・スマイルと共にそう言ってのけた。
その内部構造に関する資料は、いったいどこから入手したというのか。もうどうでも良くなってきた。
ただ、これだけは確認しておかなければいけないだろう。
「縁先輩」
「ん。俺が君の無系統について話したのは鈴音だけだよ。俺が持つ無系統魔法を君に話す意義って奴を理解させるには、どうしても必要だったからね」
左様か。
俺が具体的な質問をしていないにも拘わらず、その答えがすぐ出てくる辺り、一応の罪悪感がこの男にもあるらしい。
だからどうしたという話だが。
俺は舌打ちしてから無系統魔法を使用する。
――――“神の書き換え作業術”発現。
そして、蔵屋敷先輩の言う通り、本当に何かの建物の陰に転移した。
……しかし。
「第一段階成功……、と素直に喜びたいところだけれど。どうやらそんな余裕はなさそうだね」
縁先輩の声が、ぼんやりと頭の片隅で響く。答える余裕は無かった。
警備員の管理室。
蔵屋敷先輩はそう言っていた。
ただ、現状ではその管理室はまったく機能していないだろう。
建物の上半分が綺麗に抉り取られていた。
蔵屋敷先輩が小さく息を呑む音が聞こえる。それも当然。あちらこちらにある血飛沫の後。おそらく、中に人がいる状態で両断されたのだろう。鉄のような臭いが仄かに漂ってくる。
それに。
「警備をしていた人間は、ほぼ全滅していると見ていいでしょう」
冷静な声色でエマは言う。
そびえ立つ実験棟や協議会の正面にも、死体は転がっていた。五体満足の方が少ない。3ピース、4ピースくらいには分けられて転がっている。白い地面に染み込んだ血は赤黒く、それがより生々しさを伝えてきた。
「綺麗に両断されている。普通の斬撃でこうはならない。無系統魔法かな」
縁先輩が両断された管理室の断面を観察しながら呟く。
「日本の魔法社会の中枢機関。これって一大事ですよね」
「そうだね。首相官邸が陥落するくらいの一大事だ」
俺の質問に縁先輩が端的に答えた。こんな質問しか出てこない辺り、俺の思考は麻痺しかかっているらしい。
「外の見張りは、もはや誰もいないようだ。理由は不明だが、サクッと侵入してしまおうか。君の無系統の範囲を知らないんだが、あの自動ドアの内側に転移は出来るかな?」
「……どれですか」
縁先輩と場所を変わりつつ、建物の陰から様子を窺う。縁先輩が指さす先には、巨大な塔の入り口があった。確かに生存している見張りは居ないようだ。言われた通りに“神の書き換え作業術”を発現し、呆気なく中枢機関の1つに侵入する。
警報が鳴り響いていた。
エントランスにも、誰もいなかった。
いや、生存者がいなかった。
白塗りの内部は、人の血によって赤く染め上げられていた。真っ先に警戒していた蔵屋敷先輩も、剣の柄から手を放す。カウンターで首を飛ばされたまま座っている人間。侵入者を処理しようとしていたのか、駆け出した直後に真っ二つにされたであろう人間。両腕を失い、壁に上半身を預けている人間。ここで何人が絶命したのかは分からない。バラバラにされた死体も少なくないからだ。
思わずマスク越しに口元を手で覆う。
死体を見たことが無いわけではない。だが、日常からかけ離れたこの惨状に思考が追い付かない。
警報は今もむなしく鳴り続けている。
しかし、その音源はエレベーターからのようだ。
「慌ただしいね」
階段の方へ視線を向けながら、縁先輩は言う。侵入者は上階にいるのか、階段の方から慌ただしい足音が聞こえてくる。
「二手に分かれようか」
その提案に、縁先輩へと振り返った。
「俺と鈴音は先に行くとするよ。君たちはもう少しここで何かないか探ってみてくれたまえ」
「それでいいんですか?」
おそらく、この惨状を見て一瞬でも硬直してしまった俺を気遣っての意見だろうが、この惨状を引き起こした元凶の元へ先行するということは、かなりの危険が付きまとうだろう。
それでも、縁先輩はいつもの調子のままで頷いた。
「ん。魔法って奴は繊細だからね。少しの乱れで不発になる。今の君じゃあちょっとお荷物かな。俺と鈴音の心配をするくらいなら、さっさと冷静になってくれ。それじゃあ、行こうか。鈴音」
そう言うや否や、縁先輩と蔵屋敷先輩が地面を蹴った。その姿は直ぐに見えなくなる。
「……聖夜様」
エマが気遣うように声を掛けてきた。
ゆっくりと息を吐き出す。
日本の学園生活に浸り過ぎていたせいで、やたらと平和ボケをしていたらしい。既に死地へと赴いているにも拘わらず、この体たらくなのだ。
「……心配を掛けてすまない。もう大丈夫だ」
やることはやっておくべきだろう。周囲へと視線を巡らせ、監視カメラと思われる全てを“神の書き換え作業術”を用いて破壊しまくった。
「見事なお手並みです」
「そりゃどうも」
処理自体は数秒で終わる。『絶縁体』仕様であることも考え、“不可視の弾丸”ではなく無系統魔法を選んだ。
「さて、行くか」
「では、御堂縁を追うということで?」
「……いや」
エマの問いに首を振り、視線をエレベーターに固定した。
警報が鳴り続けているエレベーターに。
「折角だし、ショートカットするか」
次回の更新予定日は、5月13日(金)です。