第0話 エマージェンシー
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慌ただしい足音は、徐々に近づいている。
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伝達。
玉石同砕、並びに一刀両断との通信が途絶えました。
各実働部隊の隊長は、メンバーの所在を至急確認し、沙羅双樹へ報告してください。
死体回収班はこちらで手配します。
一攫千金、並びに合縁奇縁の逃走を確認。
発見した者は即時排除を。
但し、これは最優先事項ではありません。
運び屋より、素体回収を確認。
日本魔法開発特別実験棟での活動はこれにて終了。
以降、この運び屋の日本脱出を最優先事項とします。
現場指揮官には難攻不落を指名。
これは天地神明の名の下による厳命です。
各実働部隊隊長は、その命に速やかに従うようメンバーに徹底してください。
確認済みの情報。
監視対象が保護区外へ。
“旋律”が出てくる可能性は極めて低いと考えますが、交戦の際は細心の注意を。
『五光』『七属星』に現状の動きなし。
交戦は極力避けてください。
未確認の情報。
アメリカ合衆国『断罪者』が秘密裏に入国しているとの情報有り。
交戦は極力回避してください。
以上。
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白い仮面に同色のローブ。
中条聖夜は仮面を被り直すと、ゆっくりと一歩を踏み出した。彼に踏みつけられたエレベーターの扉の破片が音を立てる。その様子を呆然と眺めていた合縁奇縁は、自らのすぐ背後から生じた物音に、肩を震わせて振り返った。
そこには、天井から吊るされていたはずの監視カメラが、床に砕けて散らばっていた。
「覗き見されるのは趣味じゃないんでな」
奇縁が何かを問うよりも早く、聖夜はそう答える。しかし、奇縁が聞きたいのはそんなことではない。監視カメラを天井に固定していた部品は当然のように『絶縁体』仕様だし、聖夜が登場する際に細切れにしたエレベーターの扉だって、当然ながら『絶縁体』仕様だ。
それは、魔法による破壊は不可能だと言わしめる素材。こんな簡単に破壊できるような代物であるならば、奇縁や地に伏す一攫千金は、もう少し善戦できただろう。今までの自分たちの死闘は何だったのかという話だ。
しかし、奇縁にとって今何よりも聖夜に聞きたいことは1つだけだった。
「貴方が……、どうしてここへ……、なぜ……、あり得ない、です。なんで……」
涙で滲む視界に映る魔法使いへ、奇縁は問う。
助けを求めたところで意味は無いはずだった。そもそも、学生が来れるような場所ではない。例え、この階が来客を意識して用意されたフロアだとしてもだ。
「どうして、か。まあ色々と理由はあるんだが……」
右肩の部分に、鋭い何かで切り裂かれたかのような跡があるローブをひらひらさせながら聖夜は言う。しかし、奇縁に明確な答えを提示するよりも早く、エレベーターシャフトから新たな人影が姿を見せた。
「聖夜様、この階に何か入用なものでも? ……おや」
聖夜と同じく純白のローブ。その深く被ったフードの奥から覗く眼光が、へたり込んでいる奇縁を射抜く。その口から放たれた質問は、女の声だった。
「その女は?」
「顔見知りだ。傍で転がっている男もな」
聖夜が顎を向ける。
「治してやってくれるか」
「……畏まりました」
一瞬の空白。
しかし恭しく一礼した後、女が動いた。
「『裏切り、逆回転、生命の唄』『混沌の輪』」
女の手から、禍々しい闇の波動が放たれる。しかしそれは、見た目に反して血だらけになって転がっている千金の傷を見る見る癒してく。
「け、契約詠唱」
その光景を呆然と見つめる奇縁。
それがタイムリミットだった。
「対象発見!!」
ついに千金の迎撃部隊が到着した。武器に素人の奇縁でも分かる。一発で即死するかもしれないと思わせるような銃器が次々に向けられる。
「放て!!」
その号令に従い、銃口から凶弾が射出されようとして。
「放て、じゃねーよ。馬鹿野郎」
小さく聞こえる、不機嫌な少年の声。
到着した迎撃部隊の面々が、次々に膝をついて倒れていく。何発か射出された凶弾は、奇縁達の下へ届く前に、何かに防がれて弾き飛ばされた。
「なっ……」
もはや言葉にならない。
奇縁があれ程脅威に感じていた迎撃部隊は、どのような手法を用いたのかすら理解できぬままに全滅していた。
「魔法は使っていなかったようだな」
「はい。発現の形跡は見受けられませんでした。純粋な銃器での制圧を企んでいたようです」
契約詠唱を続けざまに発現しながらも、女は聖夜の問いに答える。
「魔法開発特別実験塔なんて言うものだから、魔法のエキスパートでも出てくるものかと思っていたが、こんなものか。それとも、これは様子見の第一部隊だったのかな?」
「あり得ますね。秘密裏に行うべき実験を行うこの施設が、これほどに脆弱な戦力しか用意していないとは考えられません」
まったくもって酷い評価に、奇縁は口を挟むことができない。口をパクパクとさせる奇縁に気付いたのか、聖夜が苦笑した。
「で、お前らはこんなところで何をしてるんだ? 狙われていたってことは、ここで働いていたわけじゃないんだろう?」
「わ、私たちはこの階よりさらに上、被検体保管室と呼ばれる場所で幽閉されておりました。隙を見てここまで脱出を……」
「被検体保管室……」
奇縁の口から出た単語を口にし、聖夜が露骨に顔を顰める。その単語が意味するところを悟ったがために。その視線が千金を治療している女へと向く。
「『断罪者』が言っていた内容は的を得ていたのかもしれないな。エマ、鼠の目的はこいつらだったと思うか?」
「断言はできませんが、可能性は高いかと。ともかく、確認に向かうのであれば直ぐに行動を……」
エマと呼ばれた女はそこまで口にしたところで、すんと鼻を鳴らした。
「どうした」
「仄かにですが、ガソリンの臭いがします」
「何だと」
直後。
魔法開発特別実験棟が大きく揺れた。