第0話 闇に、2人。
★
「目ぇ覚めたか?」
「……ここは」
「医務室だよ。医務室」
ぼやけた視界を漂わせていたアリサ・フェミルナーは、自らに声をかけてきた男性へと視線を向けた。その男性はアリサの隣のベッドに腰かけていた。ブラインド代わりのカーテンを開けて、アリサが寝ているベッドの方を覗き込んでいる。
「……ヘンタイ」
「おいおい、とんだご挨拶だな。大人しく襲われるようなタマじゃねーだろ?」
「まぁね。……はぁー、負けちゃったのか」
大きなため息と共に、アリサは言った。
「華を持たせてやった奴が何言ってんだ。試合映像見たぜ。なんなんだよありゃ。若い芽を育てる老婆心ってやつか?」
「別に……、まあ、そうとも言えるかもしれないわね」
「なんだそりゃ」
訳が分からないとばかりに龍は肩を竦める。
「『断罪者』から『黄金色の旋律』を始末しろって命令が来てるのかと思ってたんだが」
「そんな命令なんて受けてないわよ。さわらぬ神に祟りなし、ってね。現状、脅威ではあるものの敵対はしていないわけだし。魔法世界に来ていたのもたまたまだったしね。T・メイカーが出場しているのを知って、それを報告したらこんな形になっただけよ。実力を確かめて来いと言われただけ」
アリサは天井を見つめたままそう答えた。
「たまたまねぇ……」
そう呟きつつも、龍はそれ以上の言及はしなかった。
「さて、……と」
代わりに、自らが使っていたベッドから立ち上がる。
「もう行くの?」
「あぁ。負けちまったし、もうここに用は無いからな」
「試合、見ていかないの? ブルーグループの試合、もう少しでしょう?」
「俺の目的はメイカーだけだった。大会に興味はねーよ」
腕をさすりながら龍は苦笑いを浮かべた。
「まさかメイカーじゃなく、そいつに心酔しているお嬢ちゃんに負けるとは思わなかったが」
「……アナタ、本気出してなかったじゃない」
ジト目を向けながらそう言うアリサに、龍は一瞬だけ目を丸くする。
「何の話だ? 俺はいつでも真面目で本気だぜ」
「アナタ、実力を隠すのが下手よね。結構浮き沈みしていた自覚はある? T・メイカーの不可思議な技を正面からまともに喰らってもピンピンしてたし」
「実力の浮き沈みって話なら、お前にも言えるんじゃないのか?」
「……そう。アナタがそのつもりなら別に良いわ」
「なんか嫌な感じだけど、まぁいいか」
龍は薄ら笑いを引っ込めた。
「じゃあな、フェミルナー」
「ええ。また会えるといいわね」
「いやぁ、それはちょっと勘弁かなぁ」
「それどういう意味よ!?」
ただの別れの挨拶として使った言葉を拒絶され、アリサが憤慨する。
「次にあんたと会ったとき、同じように接してくれる自信が無いからさ」
「……どういう意味よ、それ」
その問いに、龍は答えなかった。
★
扉を開けて医務室を出る。
関係者以外の出入りが禁止されているエリアとはいえ、不自然に静まり返った廊下。なぜか落とされている照明。
そして。
「なんでお前がここにいる」
龍は、アリサの時とは比べものにならないほど冷淡な声色で、そう問いかけた。
対して。
「あはは。なんでって、貴方を迎えに来てあげたに決まってるじゃなーいっ。無様にヤられちゃった、あ・な・た、をっ」
「……ボスからRankAまでの魔法で、って制限受けてなけりゃ殺せたよ」
「言い訳? みっともないオトコ。あはははは」
闇から聞こえてくるその声は、不自然なほど楽しそうに答える。
「……誤情報しか流さなかった奴がよく言ってくれるもんだ」
龍は吐き捨てるようにしてそう言った。
「誤情報?」
「大会本戦の試合形式、中条聖夜の実力、その他もろもろだ」
「だって前回はトーナメント形式だったんでしょ?」
「おい。なんだその適当な理由は。つまりなんだ。お前は根拠も無く適当に言っただけなのか」
「あのガキはあの時より力を付けてたよねぇ。ちょっとビックリしちゃった」
「……お前の情報との誤差はちょっとどころの騒ぎじゃなかったんだが」
悪びれもせずに話す闇に、龍はため息を吐いた。
「まぁ、いいや。中条聖夜の実力のほどは知れた。帰るぞ」
「えぇー。その扉の向こうに“雷帝”ちゃんがいるんでしょ? ちょっとおハナシしていきたいなぁ」
「馬鹿言え。お前が乱入してお話だけで済むはずねーだろうが」
龍の言葉に、闇の中で光る2つの瞳が細められる。
「なに? 私じゃ“雷帝”に勝てないって言いたいわけ?」
「そうじゃねーよ。進んでアメリカを敵に回そうとするなって言ってんの。つーか、お前、どうやってここへ来た? 関係者以外立ち入り禁止なんだぞ」
「私が『属性同調』使えるの、貴方知ってたよね」
「……ここへ潜り込む程度でRankSの魔法使ったのかよ」
「まあ、使ったとは言ってないけどねー」
「……どっちなんだよ」
龍が呻いた。気を取り直すようにして咳払いをする。
「ともかく、帰るぞ」
「貴方、私に命令できる立場なわけ?」
「できねーよ。俺とお前の地位は同格だからな。だから、お前が馬鹿やらかしてボスに睨まれても、俺はお前を助けてやれねーからな」
闇が舌打ちした。
「おら、さっさと退散だ退散。なんか冷え込んできたしよ」
「外、雪降ってるからね。明日まで降り続けるらしいわよ」
「マジで!? 午後から冬で雪って天気予報がバグってたわけじゃねーのかよ!? ……こりゃあ囮役の不良品も災難だな」
「もう自我なんて残ってないんだから関係無くない?」
「気持ちの問題なんだよ、気持ちの。あくまで俺の偽善だがね」
龍と闇に紛れた女が立ち去った直後、その廊下は再び明かりを取り戻した。