第1話 力技
「……んぅ」
「ったく。また剥ぎ取りやがって」
ずれ下がったブランケットを掛け直してやる。隣の席で寝息を立てる美月は、実に幸せそうな顔をして口をもにゅもにゅとさせた。
……こっちの気苦労も知らずに、気持ち良さそうな顔して寝やがって。
「あらあら。優しいのねぇ、聖夜」
「むぅ」
「ほっといてください」
通路を挟んで隣の席に座る師匠からの茶々をあしらう。
……ルーナもそんな口を尖らせて俺を見るんじゃない。
美月を挟んだ先、窓に移る景色に目を向けてみる。相変わらず白い雲と青い空が広がっているだけだった。
ここは飛行機の中。
行き先は魔法世界の入り口がある『アオバ』。既にアメリカにある空港で乗り換えを済ませてあり、二機めだ。もともと観光目的で訪れるような場所でもないため、日本から直通の便は出ていない。それどころか、アメリカの空港を経由しても『アオバ』行きの飛行機は一日に二便しかない。
需要がいかに無いかが窺えるというものだ。
魔法世界内において掘り出し物がオークションに出品される時や、有名な催し物が行われる時は臨時便も運行されるらしいが、その程度らしい。
☆
波乱だらけの文化祭は、表向きは大成功のまま幕を閉じた。
しかし、俺を取り巻く環境はまさに一変してしまった。
美麗さんからの取り計らいもあり自主的な退学は免れたものの、あの平穏な生活に戻るためにはもう一仕事しなければいけないらしい。
あの夜、師匠のもとへと届いた電話の主、シャル=ロック・クローバーなる者から言われた内容はこうだ。
魔法世界では毎月の月初めに国主催の魔法大会が開かれる。
予選は大会前月の末。
その大会へ出場してみないか。
軽いお誘いのように聞こえるが、実際のやり取りではほぼ脅しのようなものだった。直接的な単語を口にされたわけではないが、俺の能力についてそれなりに理解しているような口ぶり。おそらく、一獲千金や合縁奇縁、青い運び屋の魔法使いとの戦闘を見られていたのだろう。
クローバーと言えば、魔法世界エルトクリアに君臨する王家を守護する護衛団、『トランプ』の一員。携帯電話に残っていた先日の留守電から察するに、情報を流したのはウィリアム・スペードではない。
つまり。
あの夜、学園に潜り込んでいたのは一獲千金たちだけではなかったということになる。
「……いったいどうなってんだか」
愚痴が口を突いて出る。
学園に張り巡らされているという結界は、何の役にも立たなかったということか。
いや、待て。
運び屋がいた一獲千金たちは、結界の効力をすり抜けてきたわけだから、結界が破られたわけじゃないのか。それに『トランプ』の方だって、ウィリアム・スペードや今井修のように正規ルートで入園してくれば簡単にスルーできてしまうわけで。
ならば、結界が破られたわけじゃないわけで。
いやいやいや。
使い物にならなかったという意味では間違ってない。
経過はどうあれ、招かれざる客を内部に侵入させてしまったのは事実なわけだから、意味を成さなかったのは間違いない。
うん。そういうことになる。
不毛な考えを巡らせていたら、また美月がもぞもぞし出した。
「んー、……せいや、くん」
……。
寝言で名前を呼んでくるのは反則だと思うわけだ。
またもやずり下げられたブランケットを掛け直してやる。
こいつとの関係も大分変わった。別に彼氏彼女の関係になったわけじゃない。
簡単に言えば、仕事仲間になった。
『黄金色の旋律』と名乗る師匠の組織。組織と言っても二桁にもいっていない少人数の集団だ。仕事内容は師匠のわがままを叶えること。間違った道に進ませてしまった感じもしないわけではないが、美月がもとの組織に戻れない以上、匿ってやる場所は必要だ。
美月の本名は教えてもらえなかった。
今まで通り『鑑華美月』でいくつもりらしい。元の組織の怪しい伝手で許可されていた青藍魔法学園での生活は、学園の理事を務めている姫百合家がそのまま引継いでくれているようだ。怪しい伝手とやらの詳細については姫百合と花園が処理するらしく、そのまま放り投げてある。
美月は風邪を拗らせて休養のため。
俺は家庭の事情で海外へ。
そんな適当な理由をでっち上げて、青藍を一週間程度サボることになっている。風邪で一週間は流石に嘘だとバレると思うのだが、まあなんとでもなるだろう。
そんなことを考えているうちに、アナウンスが流れる。シートベルトを締めろだとか携帯電話等の電子機器を切れだとか、例のアレだ。
日本を発ってからどれくらい経っただろうか。時計を見るのも億劫だった俺は、背もたれに身を預けゆっくりと目を閉じた。
☆
アオバの空港は、それはもう質素なものだった。
いや、質素というと語弊があるかもしれない。
造りはちゃんとしたもので、大きなガラス張りの造りに吹き抜けのエントランスなど、綺麗さで言えば日本の羽田だとか成田だとかにも引けを取らないのだが、問題は中身の薄さにある。
本当に、必要最低限しか揃っていない。
飛行場に、それと空港を繋ぐ連絡通路。飛行機を待つ待合室。空港のエントランスには搭乗手続きを取るカウンター。
ただ、それだけ。
アオバ発の飛行機は一日に二便。朝9時が出発すると次は18時。つまり朝乗り逃した人がいると、その人は9時間もこの空港で待機させられるハメになるわけだが、この空港はそんなことお構いなしらしい。
遅れた方が悪いということか。いや、悪いんだけどさ。
「なにアホな顔してキョロキョロしてんの? 行くわよ」
いつの間にか預けていたMagic Conductorを回収した師匠や鑑華たちが戻って来ていた。
アホは余計だ。アホは。
「荷物持ちます」
「そうね。当たり前ね」
……一発ぶん殴っても文句無いよね。
本当に当たり前のように放ってくる荷物を、師匠から受け取る。片手にキャリーケース、片手にショルダーバック。結構な大荷物だ。
「大丈夫? 手伝おうか?」
「平気平気」
明るい笑顔を向けてくれる美月にそう答える。
美月も自分の荷物を持っている。気持ちはありがたいが、ここで美月に預けるくらいならそもそも師匠から受け取っていない。
「むぅ」
だから俺と美月が話すたびにいちいちむくれるのをやめろ幼女。
「エルトクリアの主言語は英語よ。ルーナと聖夜は大丈夫として……」
師匠の目が美月を捉える。
美月はすっぱいものでも口にしたかのような顔をした。答えは丸わかりである。
「……お前、一応ハーフなんだよな?」
「そうだよ。いちおうね」
平べったい胸を張って言うことじゃない。
「文法なんて気にしないでいいんだって。単語さえある程度分かればどうとでもなるんだから」
カタコト英語だって意外と何とでもなるものである。
「そんなこと言われても……。私、英語の評価2だよ?」
「いつの頃の話をしてるんだ? 青藍って10段階評価だろうが」
「うん。だから青藍の話をしてるんだけど」
……10段階評価で2ってことかよ。
詰んでいる、と言わざるを得ない。
「お師匠サマ。言語の壁を越えてくれるような、ふぁんたじぃなアイテムないんですか?」
完全にやる気ゼロな美月のセリフに、師匠が大げさにため息を吐いた。
「……ルーナ、美月の面倒をみてやりなさい」
「や」
師匠からの命令を、ルーナは一文字で切り捨てる。おまけにギロリと鋭い眼光で美月を睨み付けた。
「む。いいもーん。聖夜君は私の味方だもんねー?」
「お、おい」
急に抱き着いてこられたせいで、荷物を取り落としそうになる。
「うー」
ルーナが唸り声をあげながら視線を俺に移した。
俺は何も悪くないはずなんだが。
「はぁー」
師匠がもう一度大きなため息を吐く。
「行くわよ」
そして、俺たちへ見向きもせずに歩き出した。
☆
空港の周囲には何もない。
こちらは大げさじゃなく本当に何もない。
荒野って言葉はこういう景色に当てはまるんだな、という感想を地で抱くような立地条件の場所にある。
空港から出ている有料のハイヤーに荷物を詰め込み、そのまま乗車。前に師匠、後ろに俺と美月とルーナの3人で乗ることになったのだが、そこで美月とルーナの間で一悶着あった。
なぜかこの中では身体が一番大きいはずの俺が真ん中に座ることで落ち着く。そこはルーナを真ん中にさせておくべきだと思う。肩身が狭い。
15分ほどそのでこぼこ道を走っただろうか。
遠目からでも見えてはいた馬鹿でかい門の前へと到着する。
アオバ。
魔法世界への入り口だ。
石造りのそれがどれほどの高さを有しているのかは知らない。少なくとも東京タワーを縦に2つ並べたくらいの高さはあると思う。それだけ高い。それだけ高い理由も分からない。
二本の石造りの高い塔。その間にある重厚な扉。目の前まで来ると、頂上なんて見えない。
塔は魔法世界を護る城壁のように左右へ伸びているわけではない。ただ、この重厚な扉を支えるためだけに存在しているようだ。
実際に、魔法世界の周囲を壁が覆っているわけではない。この門の左右、石造りの塔の周囲には外見上何も無く、塔を避けて通れば門の内側にある魔法世界もすぐ見える。
ハイヤーは、門の柱に設置されている関所の手前で停車した。
積んでいた荷物を下ろす。その間に師匠が勘定を済ませていた。
ハイヤーが来た道を戻っていく。
「失礼致します」
それを見送っていると、後ろからやたらとはきはきした英語で話し掛けられた。
「私は、魔法聖騎士団・アオバ警備隊のルーク・メイセンと申します。エルトクリアへの入国をご希望でしたら、身分証明書、もしくは入国許可証のご提示をお願いします」
西洋を思わせる銀の甲冑を身に纏った男がそう言う。美月からの視線を感じるが、今のセリフまでいちいち翻訳してやる必要は無いだろう。
俺や美月には証明書も許可証も無い。まさか日本の保険証でどうにかなる話でもないだろう。
師匠が俺たちの前に出る。
「ゴンザを出してもらえるかしら」
「は?」
予想外の言葉だったのか、門番の身体が一瞬だけ硬直した。
が。
「失礼ですが、まずは身分証明書のご提示をお願いします」
「貴方じゃ話にならないから、ゴンザを出してって言ってるの私は。首にされてガルダー脇の守護兵にでも転職してみる?」
……師匠が相当失礼な発言をしたことだけはよく分かる。いきなりこんなこと言われたら、俺ならキレるかもしれない。
「国が、その場所で本当に私の力を求めているのなら、喜んで参じましょう」
門番の見事な回答に師匠が舌打ちした。
「……ガルダーってなんだっけ?」
魔法世界について多少の下調べはしてきている。どこかで聞いた名だとは思うが。
「魔法世界内にある密林の名称だね。それもとびっきりに魔力濃度の濃い地帯だったはず。濃い魔力に冒されて成長を遂げた危険生物を牽制するために、エルトクリア王国は境界線に結構な量の戦力を置いているって話だよ」
美月が教えてくれる。なんとなく話は読めた。
「ホリウミーのはっぱは、そこでいっぱいとれるらしい」
ルーナが話に加わってくる。
ホリウミーの葉とは、ルーナが生成する特別な魔法薬に用いられる材料だ。先の文化祭ではずいぶんともったいないことをさせた。
……。
いや、そんな期待に満ち溢れた目で見つめられても俺は行かないからな。
そんなやり取りをしているうちに、関所から別の男が出てきた。目の前の騎士団員と同じく銀の甲冑を身に纏った男だ。ただ、兜は装着しておらず、フル装備ではない。
目の前の騎士団員が、師匠相手に手を拱いていると判断したのだろうか。
寝癖かと問いたくなるくらいのぼさぼさヘアーで、年は40歳ほどに見える。頬に大きな傷跡があるのが嫌に意味深だ。そんな傷どこでもらってきた。
その男性を確認し、師匠がローブを下ろす。綺麗な金髪が風に揺れてなびいた。
寄ってきた男性が目を見開く。
そして。
「誰かと思えばリナリーかよ!!」
第一声がこれだった。
「何しに来た!? 頼むから大人しく引き返してくれ!! フライトの方は俺がきっちり臨時便を手配してやっから!!」
「棒立ちにさせていた客人に対して言うセリフかしらそれは。エルトクリア入り口の守護を任されている、アオバ警備隊隊長さん」
「お前なんか客じゃねーよ!!」
男性が吠えた。
あまりにあまりな言われようなために、思わず美月と顔を見合わせる。英語が聞き取れていなくとも、険悪な雰囲気から内容は概ね把握したらしい。美月も目を丸くしている。
「た、隊長」
「お前は詰め所に戻れ。後は俺が引き受けよう」
「し、しかし」
「聞こえなかったのか? 後は俺がやると言ったんだ」
「っ!? しっ、失礼致しましたっ!!」
ドスの効いた声で隊長さんが隊員を睨み付けた。どうやら部下の躾はきちんとしているらしい。隊員は慌てた様子でそう答え、敬礼して去っていった。
隊長さんの視線が師匠へと戻る。
「この間も『トランプ』からの依頼をドタキャンしやがっただろう!? なんで門を通して外に出したって苦情が全部俺の所へ回ってくるんだよ!!」
「そりゃ通した貴方が悪いんじゃない」
「悪いのはお前だよ!! 俺はそんな依頼がお前に来てるなんてその時知らなかったんだからな!! いんや仮に知ってたとしても悪いのはお前だ!!」
……。
どう首を捻ってみても、悪いのは師匠のような気がしてならない。って言うか、『トランプ』ってやっぱりあの『トランプ』なんだよな。何してんだこの人。
「聖夜君、聖夜君」
小声で突かれる。
「『トランプ』ってもしかして……」
美月の声が若干震えている。どうやら不穏な単語を拾ったこいつも真実へ行き着いたらしい。
「ガルルガ様から直々の依頼なんて、これほどの名誉は無いんだぞ!!」
「私、そういうの興味無いし」
「帰れってもう本当に!!」
ぼさぼさの頭を掻き毟りながら男性は天を仰いだ。
そこで俺と目が合う。
「その後ろのガキ共はなんだ。まさか今度は人身売買とか臓器売買に手を染めようってんじゃないだろうな?」
「失礼な。私の従順な部下たちよ」
「問題児候補じゃねーか!!」
唾を撒き散らかしながら叫ばれた。
駄目だ。今までの会話の内容を聞いている限りじゃ、違うと否定して理解してもらえるとは思えない。
「ほら。もう時間の無駄だから、通してもらうわよ」
師匠が、隊長さんへ向けてカードのようなものを見せ付ける。眼前に突き付けられたそれを見て、隊長さんは開きかけた口を喰いしばるようにして閉じた。
「さあ、みんな行くわよ」
「ちょっと待て!!」
俺たちを促し門へと進もうとする師匠を、隊長さんが手と口で制する。
「……今度は何」
「後ろのガキ共の身分証明書を見せてもらってないぞ」
「だって持ってないもの」
「通せねーじゃねーか!!」
男性が再び吠えた。もう声がかすれ始めている。
「うっさいわね。ちゃんと中で用意するわよ」
「中じゃもう遅いんだよ!!」
ついには肩で息をし出した。
気持ちは良く分かる。この女は本当にトチ狂ってるよな。分かる分かる。
そんなことを思っていたからか、男性はギロリと視線をこちらに寄越してきた。
「……来いガキ共。向こうで証明書を発行してやる。この女の従者なら、……まあ、簡単に審査もパスできるだろう」
指で示された先には、先ほど隊長さんが出てきた関所がある。
先ほど師匠が提示していた証明書とやらは、俺も見たことが無いカードだった。おそらくここで求められる証明書とは、魔法世界独自のカードなのだろう。なら、それを発行できるのも魔法世界関係の場所だけになる。関所にはどうやらそういった役割もあるらしい。
なんだ。強面な人だけど、ちゃんとやることはやってくれるんだな。流石は警備隊長さん。私情と仕事は関係無いってやつだ。
失礼過ぎる感想を抱きながらついて行こうとしたら、師匠に手で制された。
「どうしました、師匠」
「発行には時間が掛かるの。スムーズに審査が通っても1時間弱掛かるわ。面倒臭い」
先を進んでいた隊長さんの足が止まった。
……。
駄目だ。もうなんもフォローできそうにない。最初からしてないけど。
「……リナリーィ。お前、いっぺん血を見るか?」
寒気がするほどの殺気だった。戦わずとも分かる。隊長と言うだけあって、この男は相当の腕を持っているらしい。
「そう言えば、自分の血なんて久しく見てないわね。ま、どうでもいいけど」
そんな殺気もどこ吹く風。本当にどうでもよさそうな感じで師匠が言う。
「とにかく。ここで身分証明書作られちゃ本名が載っちゃうでしょ? それはちょっと困るのよ。中ではちゃんと偽造カード作るから入れて」
「馬鹿にしてんのかお前は!!」
隊長さんの中でついに何かが切れた音がした。
そりゃ切れるわ。今の内容のどこで懐柔できると思ったのか俺も小一時間問い詰めてみたい。
「それもあろうことか偽造だと!? アオバ警備隊隊長である俺への宣戦布告ってことで良いんだな!!」
「……面倒臭いなぁもう。聖夜、アレ出して」
ちょいちょいと手招きされる。
アレって言うと、……アレか。
「……なんだアレって。言っておくが、口は悪くてもエルトクリア王家へ忠誠を誓った身。賄賂だ何だで買収されるほど俺は安くねーぞ」
鼻息荒く、隊長さんが俺を睨み付けてくる。
……俺、何も悪いことしてないのに。
仕方が無いので、手持ち鞄にしまっていた例のアレを取り出す。
「何だそれは。エールでも無しドルでも無し円でも無し。いったい何の紙切れ……」
ずんずんと音が鳴りそうな勢いで寄ってきた隊長さんの顔色が、徐々に青くなってきた。目がゆっくりと見開かれていく。
俺が見せた物。
それは、スペードの紋章。
「……本物か、これは。これも偽造しましたとなると、いよいよ国家反逆罪だぜ、リナリー」
「偽造か本物か。見分けるのが貴方の仕事でしょう」
隊長さんが呻き声を上げる。
……。
まさか魔法世界の入り口を、許可証も証明証もなくこじ開けさせるとは。
ウィリアム・スペードからもらったそれは、やはり絶大な効力を持つ物のようだ。
なら、最初からこれ使わせろよ。
そう気付いたのは、魔法世界へと足を踏み入れてからだった。
次回更新予定日は、5月11日(日)です。