家族 【4】
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「お帰りなさい」
俺は立ち上がって、微笑んだ。
「すいません。勝手に上がり込んじゃって」
「かまいませんよ。あれ、みんな寝ちゃったんですね」
「はい。はしゃいでたから、遊び疲れたんだと思います」
「ふふふ。お兄さんも、疲れたんじゃないですか?」
「ここの子供達は、みんな元気ですからね。流石に疲れます」
アカネさんはお疲れ様です。と笑うと、はっとしたように俺の顔を見た。
「どうかしましたか?」
「いえ…そういえば私、お兄さんの名前も聞いてなかったような…」
俺達は顔を見合わせると、お互いに吹き出した。そして、子供達が寝ていることを思い出してしーっと声を落とす。
「今更ですけど、私の名前は…」
「アカネさん、ですよね?」
アカネさんは首を傾げると、不思議そうな顔をした。俺は慌てて付け足す。
「この間、子供達が『アカネちゃん』って呼んでたので」
「ああ、なるほど」
納得したように頷くと、ポンと手を叩く。俺はそっと胸をなでおろした。…なんで緊張したのかわからないけど。
「改めまして…。宮野茜といいます」
「えーっと…」
これからは宮野さんと呼んだほうがいいのか、茜さんと呼んだほうがいいのか、戸惑う。それを察したように、茜さんは苦笑した。
「茜でいいですよ」
「俺は楠木拓哉です」
「じゃあ、私は楠木さんと呼ばせてもらいますね」
「あっ拓哉でいいです。堅苦しいですし」
茜さんのほうが年上だと思うし。と付け足すが、茜さんは首を振った。
「いいえ。楠木さんって呼ばせてもらいます。どうしても嫌ならいですけど…」
「嫌ってわけじゃないですけど…」
「んー。でもやっぱり、楠木さんよりもお兄さんのほうが呼びやすいかもです」
茜さんはそういって、悪戯が成功した子供のような顔をする。
「改めてよろしくです。楠木さん」
「い、いや…こちらこそです。茜さん」
俺達はそう言って、なんだかむず痒い気持ちになって笑った。
「ふふ…やっと笑った」
「え?俺笑ってませんでした?」
茜さんや、子供達の前では結構笑っていた記憶がある。
「あ、いや、笑ってはいたんですけど…なんとなく、影があるような気がして。それが今のは、高校生らしい、無邪気っていうか、子供っぽいっていうか…」
「子供っぽいですか」
「あ!!ごめんなさい。…怒っちゃいました?」
そう言って顔の前で手を合わせる茜さん。年上なのに、なんだか頼りないっていうか。
「ははは。別に怒ってませんよ。子供っぽいなんて言われたことなかったので」
「そうなんですか?」
「はい。むしろ大人びてるっていうか、無駄に大人っぽすぎるって言われることばっかりですね」
昔から、何もかも完璧でどこにも穴がない、『大人すぎる、どこか悟った子』だった俺。『子供っぽい』なんて一度も言われたことは無かった。
「そうですか?私は二回会っただけで、結構子供っぽいとこ発見しちゃったりしたんですけど」
「どんなところですか?」
「それは…秘密です」
き、気になる。
「な、なんで秘密なんですか?」
「なんで秘密かなんて、秘密だから秘密なんですよ」
「茜さんのほうが、子供っぽいと思います…」
「ふふふ」
二回会っただけだけど、なんだか読めない人だ。…天然?
「う…ん…」
「あ、起きちゃったかな」
茜さんが屈むと、俊が布団から這い出してきた。
「ん…あかねちゃん?帰ってきたの?」
俊は手を伸ばして、無邪気に茜さんにだっこを求めた。茜さんは優しく抱き上げ、髪を撫でる。
「楠木さん…拓哉お兄ちゃんと、何してあそんだの?」
「たくあ兄ちゃんの、肩車が高かったの…」
「そっか。怖くなかった?」
「こわくなんか…ふぁ・・」
茜さんがそっと尋ねると、俊は大きな欠伸をした。
「まだ、寝てもいいよ?」
「ううん…たくあ兄ちゃん…」
「どうした?」
「いっしょに遊んでくれて…ありがとう」
眠そうな目をこすりながら、笑顔の俊が言った。そのまま、俊は茜さんの腕の中でもう一度深い眠りについた。
「また寝ちゃいましたね」
「子供は、遊びと寝るのが仕事ですから」
他の子を起こさないように気をつけながら、茜さんは優しい手つきで俊を布団に戻す。
「ありがとう、だって…」
「男の人が少ないから、ああいう風に肩車とかで遊んでもらえることってないんです。嬉しかったんでしょうね。歳の離れたお兄ちゃんができたみたいで」
「そうだと、嬉しいです…。こんどはまた、休日にでもきますね」
休日なら、他にも子供がいっぱいいるだろう。俺にできることといえば、その子達と遊んであげることぐらいだろうから。
「あれ、もう帰っちゃうんですか?夕ご飯ぐらい、ご馳走しようとおもったのに」
「気にしないでください。それに、他にもたくさん子供たちが帰ってきて大変でしょう?」
「そうですか…。ちょっぴり残念です」
本当ならご馳走になりたいが、迷惑になるわけにはいかない。
「また、すぐにきます。子供達によろしく」
「はい、また。さようなら」
「さようなら」
そう言って、しらゆり園を後にする。手を振った俺に、手を振り返してくれた茜さんは、やっぱり笑顔だった。
空は、輝くような夕焼けに染まっていた。
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「…」
俺は首の後ろで手を組み、家へと向かう道を歩く。それなりに広い道なのだが、辺りには人の姿は見えない。体に軽い疲労感はあったが、それもまた心地いい。どうせ暇なんだ。来週も行ってみよう。
「あ、すみません」
「…」
前から歩いてくる男と肩がぶつかって、俺は反射的に謝る。しかし男は何も発しない。男は立ち止まると、訝しげに俺を見た。俺はそれを無視して先に進もうとするがそれを男が遮る。俺が右に行けば右に、左に行けば左に。
「あの、何ですか?」
俺も次第に苛立ち男にそう問いかける。男はちら、と俺の顔を覗き込むと、グッと顔を近づける。白いというより青白いに近い顔色と、蛇のように鋭く細い目。
「くくく…」
そして、笑った。俺の肌が粟立つ。
「あの…」
「くくく…お兄ちゃん…?」
思考が停止した。こいつ、今なんて…?
「お兄ちゃん、逃げて…。そう言ってたよ。くくく。瑠佳ちゃんだっけ…。本当にお兄ちゃんが大好きなんだね」
「っ…!!」
「殺す気はなかったんだよ…。ついておいで、って言っても、ついてこなかったんだ。お兄ちゃんがどうなってもいいの?って聞いたら、飛び掛ってきたから、ね?」
「き…さま…」
俺は気づけば男―瑠佳を殺した犯人、森田に襲い掛かっていた。森田は抵抗もせず、されるがまま地面に押し倒された。
「お前…俺たちの何を知ってんだ?」
「楠木拓哉。高校三年、11月16日生まれの17歳。小学生の頃に父が他界。その後、母に捨てられ、いままで幼い妹、楠木瑠佳と二人で過ごしてきた。妹が森田慎司―おっと、僕か。に殺された後は天涯孤独となり…」
森田が、まるで国語の教科書でも読み上げるようにすらすらと述べる。俺の背中を冷や汗が伝った。この男、俺たちの何もかもを知っている。
「ちなみに楠木瑠佳は、小学一年、8月20日生まれの7歳。両親の顔も曖昧にしか覚えておらず、歳の離れた兄と二人で暮らしてきた。もっとも、7歳の誕生日に殺され、帰らぬ人に…」
「やめろ」
「あれ、怒っちゃった?ちょっとお喋りが過ぎちゃったかな」
「やめろって…言ってんだろうが…」
再び俺の心を、憎しみが支配する。この男が、瑠佳を殺したんだ。コロシタンダ―。この男が、憎い。ニクイ、ニクイ、ニクイニクイニクイニクイ―。
「ヴ…ァァァアアアアアア!!!」
今、何も凶器になるような物は持っていない。なら、この拳でやるしかない。殺ルシカ――。
「まいったな。ほら怒らないでよ。お兄…」
「死ね。死ネェエエエエエエエ!!」
「まったく。面倒な」
森田は俺の拳をいとも簡単に片手で受け止めると、起き上がって俺の前に立った。
俺は狂ったように暴れ、『死ね』『殺す』と叫びながら、森田に飛び掛る。森田はそれを蛇のように細い目で睨み…。
「うっ…ごほっ」
一瞬の間の後、勝負を制したのは森田だった。俺は、何がなんだか分からないまま地面に倒されていた。森田が強く俺の胸を踏みつける。
「…っ!!」
「やっぱりか…。まだ、傷口が塞がってないんだろう?」
「いっ…」
抉るように、何度も、何度も。俺の傷を踏みつける。俺の着ていたTシャツには、いつの間にか血が染みてきていた。
「ぐっ…お前を…殺して…」
「君が僕を?どうして?」
「お前は…瑠佳を…」
俺が苦し紛れに言うと、森田は更に勢いよく俺の傷を踏みつけた。鋭い痛みが胸だけでなく、全身を駆け抜ける。
「殺した…?くくく。そうか…僕は、君の妹を殺したんだな…」
「死ね…」
「くくく…。はははははは!!!」
森田は高笑いをすると、俺の胸から足をどけた。俺はすかさず立ち上がる。血がボタボタと地面に落ちた。
「楠木…いい、いいよ!!君は、僕の想像以上だ…。でも、まだ足りない。もっと、もっと憎め。もっと醜く、もっと壊れるといい…」
「森…田…」
「まだ、足りない…。君が僕の理想になるまでには、もっと『生け贄』が必要だね。…次に会うときまで、考えてくるよ」
じゅるり、と森田が舌なめずりをした。
「楠木。また君に会えるときを、楽しみにしているよ…。くくく」
「ま…て…」
俺は、去っていく森田の後ろ姿を見送ることしかできなかった。森田の高笑いが、まだ耳の奥にこびり付いている気がした。
そして俺は気を失い、緩やかに闇に呑まれていった…。