表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/19

第二章 家族 【1】

 放課後―ホームルームが終わると、俺は重い鞄を肩に担ぎ教室を出る。

「なぁ、楠木。お前今日暇か?宮校の女子と遊ぶんだけどさ、お前もこねぇ?」

 そんなに親しくもないクラスメイト…名前は忘れた。そいつが話しかけてきた。宮校というのは俺が通う高校のすぐ近くにある女子高だ。


「いや、俺は、家で妹が待って…」

 反射的にそう断ろうとして、口を噤む。俺はいままで一度も学生らしい『遊び』というものをしたことは無かった。平日は瑠佳が学校から帰ってきていて、家に一人にするのも心配だし、休日は休日で家事やなんやで忙しい。だから俺は少しクラスで浮いていることが多かった。

 でも、それは苦では無かった。瑠佳の将来を考えれば当たり前のことだし、そのことが理由で、俺がクラスメイトからハブられることはなかった。そんなに馬鹿らしい幼稚なことをする連中はいない。


「どうした?行くのか?」

 もう、家で待っていてくれる妹はいない。俺は自嘲気味に笑って答える。

「いいよ。行く」

「マジか!!やった」

「俺、そういうのよくわかんねぇけど」

「いいよ。お前はビジュアル担当だから。じゃ、また後でな」

「ああ」

 クラスメイトが走って帰っていくと、背後から声をかけられた。


「いくの?」

「ん?実沙希…」

 実沙希は友達を先に行かせると、俺に詰め寄った。

「無理、してるんじゃない?本当なら学校くるのだってキツいんでしょ?」

「別に」

 本当はここ数日、というか、あの日からずっと、まともに寝ていない。

「別に。何?」

「別に。ちょっと気晴らしだよ」

「…拓哉、変わったね」

「…」

 俺は何も言わずに歩き出す。

「復讐だけが、全てじゃないよ?」

「…分かってる」

                               +++++


「そうだ。こいつは俺の知り合いの楠木拓哉。どう?カッコイイでしょ」

 俺は自分の話題に反応して、飲んでいた飲み物から顔を上げる。

「わぁー。石井クンの知り合いにこんなイケメン君がいたなんて。拓哉君、よろしくねー」

 向かい側に座っている宮高生が俺に話しかける。俺は軽く会釈する。

 今、俺の周りには数人の男女が座っている。一人はさっきのクラスメイト。他は全く知らない人ばかりだった。


「歌っちゃいまーす」

「カッコいーよ!!」

「ヒューヒュー」

「…」

 周りのテンションが次第にあがっていくにつれて、俺は少しずつ冷めてきた。なんだか、場違いな気がする。…正直、アホらしい。


 例のクラスメイト、石井が歌い終わると、俺は静かに席を立った。

「ごめん。やっぱ俺帰るわ。用事思い出した」

「えー。帰っちゃうのぉー?」

「まぁまぁ。俺がいるからいいじゃないか」

「ビジュアル不足だよー」

 俺は石井にもう一度謝ると、石井は笑って首を振った。

「いいって。無理言って頼んだの俺だし。気にすんな」

「ほんっと、ごめん」

 そう言って俺は、逃げるようにそこを後にした。


                              +++++


 高校生の『遊び』なんて、たいして面白いものでもなかった。これだったら、瑠佳と遊んでやってるほうが楽しい。

「違う」

 あの日からもう一ヶ月も経とうとしていた。それなのに、瑠佳の影が頭から離れない。薄れるどころかどんどんと濃くなっていく。


「お兄ちゃん!!」

「…?」

 気づけば小さな女の子が、しきりに俺の袖を掴んでいた。

「ねぇ、お兄ちゃんってば!!」

「どうしたの?」

 女の子の背の高さに合わせてしゃがむ。くりくりとした大きな目が特徴的な、可愛い子だ。

「ボールがね、あそこの木の上に引っかかっちゃって…」

 見ると、近くに大きな建物があって、女の子が指をさしている先は、その敷地内の木だった。確かにボールが挟まっていて、まわりに子供たちが集まっていた。

「ん…ちょっと待ってて」

 俺はフェンスをまたぐと、腕を伸ばしてボールを取ってやる。

「ほら」

「わぁっ。ありがとう!!お兄ちゃん!!」

 俺がボールを手渡すと、女の子は元気に礼を言った。

「お兄ちゃん、か…。そうだ、君は、どこの子なの?」

「ん?ここだよ」

 女の子が指差す先は、さっきの建物。玄関には『しらゆり園』と書かれていた。


「しらゆり…園?」

 小学生ぐらいの子もいるし、幼稚園ではないだろう。

「あ!!す、すみません!!」

 建物の中から、若い女の人が走ってくる。

「あ、いや、気にしないでください。この子のお母さんですか?」

 女の人にそう問いかけると、困ったように笑った。

「お母さん、というか。この子達みんなの親代わりですかね」

「はぁ、親代わり…じゃあここは…」

「身寄りのない子たちが、共同で生活をしているんです」

 女の人は、少し寂しそうに笑った。

「ここにいる子達は、みんな親に捨てられて…」

「そうなんですか…」

 俺が少し見てくるというと、女の人は優しく笑った。


「ふふっ。子供、好きなんですね」

「まぁ、はい。でも、なんでですか?」

「いいえ。ただ、お兄さんが子供達を見る目、とっても優しいから」

 女の人はまぶしそうに目を細める。

「この子達は、私には絶対に分からない影を背負ってる。当たり前の家族が、この子達にはないんです。…お兄さんのご家族は、きっと優しい人たちなんでしょうね」

「…妹がいるんです。俺の家族は、その子だけで。とっても、優しい子なんです」

「まぁ…。じゃあ、兄妹二人で?」

「父さんは妹が生まれる前に死んで。母さんは、出て行きました」

 子供たちの後姿を眺める。その景色はしだいに滲んで、夕焼けに墨絵のように広がった。

「ココの子達と、似ています…」

「すみません。会ったばかりなのに、こんな話」」

「いいんです。…また、来てもらえますか?今度は子供たちと遊んであげてください」

「はい。もちろんです」

 俺は笑って答えた。この女性ひとには、瑠佳が殺されたことは言わないでおこう。言ってもどうにもならないし、この人の中で瑠佳が生きているなら、なんだかうれしい。


 それに俺自身、まだ瑠佳が死んだということがいまいち理解できていなかった。だからつい、『妹』の話をしてしまったのだと思う。


「お兄ちゃん、またね!!」

「今度はアカネちゃんとばっかりお話しないで、一緒に遊ぼうね!!」

「バイバーイ」

 帰路に着いた俺の背中に、子供たちの声が追いかけてくる。

「おう、じゃあな!!」

 俺も大きく手を振って答える。アカネちゃん、というのがさっきの女性ひとだということは、なんとなくだけど分かる気がした。

 しらゆり園を出た俺の心は軽く、また足取りも軽かった。子供たちと触れ合えたことが、よかったのかもしれない。


 俺は少しずつ、本当に少しずつだけど、瑠佳の死を、悲しみや憎しみという形ではなく、心で受け入れようとしていた。






「あ、すみませ…」

 

 角を曲がったとき、人にぶつかって、反射的に謝る。でも、なかなか続く言葉は返ってこなかった。俺は不思議に思って振り返る。そこにいたのは…・

 細くて、化粧っ気がなくて、やつれて不健康そうな女性。俺は驚きに立ち竦んだ。昔より、かなり痩せてやつれてはいるけど、この人は確かに…。

 その女性は俺を見て、その場に泣き崩れた。

 




「あ…あ…あんたは…」

 俺は女性を震える指で指差して、言った。


 もう二度と、呼ぶことはないだろうと思っていた言葉を。

 もう二度と、会うことはないだろうと思っていた人に。






「あんたは、母さん…?」


 やせ細り、苦しそうに泣く姿は、それでもまぎれもなく俺の記憶の中の母さんだった。






評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ