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『いってきます』 【2】

 

「雨が…」

 初めは小さかった雨音が、次第に大きく、激しくなっていく。

 そうだった。あの日も、こんなふうに雨が降っていて…。


                              +++++

 

「瑠佳、遅いな」

 俺は準備の手を止め時計を見た。時刻は4時過ぎ。瑠佳はいつも遅くても3時半には帰っている。雨も本降りになってきたし、過保護かもしれないけど迎えにいってやるか。と俺は立ち上がった。

 部屋の飾りつけはよく分からないので手付かずだが、テーブルの上には誕生日用の蝋燭が立ったケーキと、俺の自信作の料理が並んでいた。瑠佳の友達の親も作って持って来てくれるらしいから、そんなに多くは無い。くまのぬいぐるみも、赤いリボンを纏ってちゃんとスタンバイしている。少しむず痒い気持ちになりながらも、俺はそのくまをそっと抱きかかえた。


 そのとき、一本の電話が鳴った。俺はくまを小脇に挟み、受話器をとる。

「もしもし。楠木です」

『警察です。君は、楠木拓哉君?』

「はい。拓哉は俺ですけど。…警察がなにか用ですか?」

『その様子じゃあ、まだ、知らないんだね。落ち着いて聞いて欲しい。実は、瑠佳ちゃんが…』


「は…?」

 その続きを聞いた途端、これは性質(タチ)の悪い冗談だと思った。とても現実に起きたことだとは信じられなかった。信じたくなかった。

 でも、心のどこかでこれは実際に起こったことなんだと、認識している自分がいる。

「嘘だ。嘘だ!!瑠佳は、今日が誕生日で、だから!!」

『…君が取り乱すのも分かる。とりあえず、署まで…』


 その続きは、聞き取れなかった。俺の震える右手が、受話器を床に落としたのだ。とても、掴んではいられなかった。受話器から聞こえてくる警察の声が、いやに遠く聞こえる。


 次の瞬間俺は、くまを持ったまま雨の中へ飛び込んでいた。傘なんか差している場合じゃない。俺は道行く人々を蹴散らし、一心不乱に走った。冷たい雨が、俺を濡らして行く…。


 早く行って、この目で確かめるんだ。冗談だって言って笑う、瑠佳を見るんだ。そして、家につれて帰って、誕生日を祝ってやって、その後でキツく叱るんだ。


 だから、絶対に嘘に決まっている。そんな、瑠佳が…ルカガコロサレタナンテ…。


                              +++++


 警察からことの詳細を聞き、車に乗せられて数十分、俺は大きな白い建物の前で降ろされた。

「病院…?」

 

 そこからどうやって瑠佳がいるという、そのへや(・・・・)の前までいったのかは覚えていない。俺は頭の中が混乱していて、とてもそれどころじゃなかったのかもしれない。


 俺はドアを勢いよく開け、瑠佳がいるという部屋の中に飛び込んだ。――そこには瑠佳の姿は無かった。あったのは、白い布を掛けられた、瑠佳と同じ大きさぐらいの、人型の何か。

 そして、何も考えずにそれをめくった。手先に僅かな祈りを託して。微かに指が震えていたような気もする。そこにいたのは…

「る…か…」

 瑠佳はそこにいた。朝、学校へ出かけて行ったときと同じ、白いフリルのワンピースを着て。でも、何かが決定的に違う。

「はははっ。おい、瑠佳。兄ちゃん騙されねぇぞ。起きろ。家に帰ろう」

 いくら揺すっても瑠佳は起きない。それどころか、その体は完全に体温を失っていて…。

「もうおしまい。もう十分びっくりしたから。警察の人に迷惑かけちゃ駄目だって言ったろ?兄ちゃんな、おいしいのいっぱい作ったんだ。早く帰って食べよう。みんなで…誕生日パーティ…やるんだろ?」

 瑠佳は、起きない。俺は瑠佳の小さな手を包み込んだ。

 そう、瑠佳が眠れないときは、いつもこうやって手を握ってやっていた。瑠佳が眠れるまで、そっと見守った。瑠佳の手はいつでも、夏のイヤになるほど暑い日も、冬の凍えるような寒さの日も、いつだって暖かかった。ぬくもりを失うことはなかった。

 

 顔は紙のように白く、生気を失っていた。包みこんだ手は氷のように冷たい。長いまつげは伏せられたまま、ピクリともしない。それじゃあ、まるで…まるで…

「まるで、死んだ…みたいだよ…」

 俺の目から、熱い雫が零れ出た。それは瑠佳の頬に落ちる。いくつもいくつも。

「おい、おい…瑠佳、瑠佳!!!」

 俺は今まで瑠佳の前で一度も泣いたことが無かった。寂しいだろうから、せめて俺だけは明るくしていようと、泣かなかった。

「なんで…こんな…冷たいんだよ…。なんで…返事…」

 俺は、冷たくなった瑠佳の体を抱きしめた。

「ほら…くまのぬいぐるみ…お前、欲しがってただろ…?誕生日プレゼント…」

 そして震える手でくまを見せる。瑠佳は、反応しない。

「なんで…なんで…瑠佳が…こんな…」

 本当なら今頃ケーキを食べて、みんなに祝われて、幸せそうにしているはずだったのに。

 

 俺はくまを抱きかかえたまま、床にへたり込んだ。涙が、すでに雨で濡れてしまったくまに染みていく。

 誰が、瑠佳をこんなにしてしまったのだろう。あんなに優しい子を、誰がこんなにしてしまったのだろう。

「誰が…誰が瑠佳を!!」

 瑠佳を失った言い表せない喪失感と悲しみは、一瞬で犯人への憎しみで塗り潰される。俺は気づけば、警察の喉元に飛び掛っていた。

「クソッ…誰が!!」

「お兄さん。気持ちは分かりますが、落ち着いて…」

「落ち着いて…られるかよ…クソ…クソ…」

 憎しみに全ての感情が支配される。誰が、どこのどいつが、瑠佳を…。

――ダレガ…ダレガ…ダレガ…ルカヲ…コロシ、タ?


 再び地面にへたり込む。体に力が入らない。

「クソッ…畜生…・」

 醜く顔を歪ませながら、なんども地面に拳を叩きつける。拳が擦り切れ、痛みが走る。血が…。

「こんな…こんな…っ!!」

 こんな痛み。こんな苦しみ。瑠佳は、もっと苦しかっただろう。どれだけ痛かったろう。さぞ辛かったろう。

 ごめん。迎えにいってやれてれば、こんなことには…。


 消えることはないと思っていた命が消えると、人はこんなにも壊れてしまうのか。



 俺の叩きつける拳の音だけが、静かな部屋の中に響いていた。







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