第五章 ケモノ 【1】
俺は何をするでもなく、ただぶらぶらと歩いていた。川に面したこの辺りは人通りが少なく、たまに見かけても犬か猫だ。
「あ…楠木さん! 楠木さんですよね?」
パタパタと足音を響かせながら一人の可憐な女性が駆け寄ってきた。ふわりと空気を含んだように柔らかそうなワンピースを着て、なにやら大きな箱を大切そうに抱えている。
「茜さん」
俺は足を止め、彼女―茜さんが追いつくのを待った。
程なくして隣についた茜さんは肩で大きく息をし、とびっきりの笑顔を俺に向ける。
「そんなに急がなくたって
、俺は逃げませよ」
「なんだか早く追いつきたくなってしまって。それより日曜日、いらっしゃらなかったようですけど、どうかしましたか?子供達が寂しがってました」
俺は毎週日曜にしらゆり園に行き、子供達と遊んでやっていた。他にすることも無いからだが。
「いや…急用が入ってしまって」
「そうでしたか」
納得してうんうんと頷く茜さんを見ると、俺の胸の奥がちくりと痛んだ。
その日は、とても人前を歩ける状態じゃなかった。ましてや子供達と遊ぶなんて、無理だった。
「ふふ。本当は、子供達よりも私のほうが寂しかったんですよ」
「へ?」
「何でもありません。独り言です」
唐突に言われた一言に俺が戸惑っていると、茜さんは笑って付け加えた。
「そうだ。今から時間あります?」
「はい。暇です」
「よかった。しらゆり園まできませんか?おいしいケーキを買ったんです」
なるほど、その大きな箱はケーキだったのか。道理で甘い匂いがする。
「喜んで行かせてもらいます」
「本当ですか!!」
笑顔がぱっと輝き、まるで花でも咲いたみたいだ。自然と俺の頬も緩み心が温かくなる。―同時になぜか胸が痛んだ。
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「やったぁ! 茜ちゃん、ありがとう」
「ありがとお!!」
茜さんは微笑み、子ども達の頭を順番に撫でる。
「ちゃんと、手を洗ってから食べるんだよ?」
「はぁーい」
元気な足音が隣を駆けていった。
「楠木さん。どうぞ?」
「あっ。いや、俺はいいんです。すぐ帰らなくちゃいけないんで」
家の中に入るよう勧められたが、俺は首を振った。
「そうですか…」
残念そうな声が聞こえる。
…。なんだかいやに胸が苦しい。鉛でも沈められたかのように胸が冷たく沈み、先程までの高揚感はまるでない。
子供は正直だ。俺の変化を敏感に察知し、自分の身を守るため、無意識に俺を避ける。
「どうか、しましたか?」
「…なんでもないんです」
俺が俯いて言うと、茜さんは眉根を寄せた。
「なんでもなくありません!!」
まるで子供を諭すような口調に、俺は驚いて頭をあげる。
茜さんはしめた、とニヤリと笑い、ケーキの中に入っていたのだろう保冷剤を俺の頬に当てた。ひやりとした感覚に仰け反る。
「ちょ…冷たい!!」
「元気出ましたか?…会ったときから、ずっと元気がないようだったので」
いつもの、あの悪戯っぽい笑いを見せられて、俺はたじろぐ。
「そういう風に見えました?」
「ええ。見えました」
「そ…そうですか…」
できるだけいつも通りに振舞おうとしても、やはり影ができてしまう。子供にはそれがわかったのだろう。
「苦しいですか?」
「え?」
「なんだかずっと、何かに耐えているような顔をしていたので」
それは…と思わず口ごもると、茜さんは一瞬寂しそうな顔をし、そしてまた笑顔を見せた。
「私の前では無理しなくていいです。…私が出来ることなら、なんでも言ってください」
俺の中でなにかが、ストンと落ちたような気がする。
「そう…その顔です。なにも考えていない楠木さんも素敵です」
「拓哉」
たじろぐのは茜さんの番だった。何も考えていないのに、まるで誰かに操られているかのように口から言葉が出てくる。
「拓哉って、呼んでください」
「た…拓哉?」
…。…。沈黙があった。
俺と茜さんは互いに目を見合わせ、そして互いに真っ赤になった。
「い…いまのはその…俺の考えで俺の考えじゃないって言うか…俺の言葉じゃないっていうか…。だからその、別に言わなくてもいいっていうか…」
なんでこんなことしか言えなんだ。と俺は自分で自分を殴りたくなる。
茜さんはと言うと、ただ黙ってうんうんと頷く。顔は耳まで夕陽の様に真っ赤だ。
俺は沈黙に耐えられなくなって、気になったことを聞いた。
「あ、茜さんはその、どうしてここで働いているんですか?」
今回は少し短めです。
次話も短めになる予定です;;