番外編 おさななじみ
「たーくーちゃん! あーそーぼっ!!」
キャッキャっとはしゃぎながら公園の反対側から女の子が走ってくる。スカートがふわふわと揺れ、愛らしい。
「そんなに急ぐと、ころ…あっ」
言っているそばから実沙希が派手に転ぶ。拓哉は実沙希のそばに駆け寄った。
「だいじょうぶ?」
「だいじょーぶ!!」
そう言って笑う実沙希の頬に、涙の筋がいくつもあることに拓哉は気づいた。
よく見ると、実沙希の服は泥や土で汚れている。
「みーちゃん、変な子ー!!」
「もうあそばなーい!!」
「あそばなーい!!」
そのとき、遠くの方でほかの子供たちが何か言っていた。拓哉のみたことのない子たちだ。
実沙希はチラとそちらのほうを向くと、黙ったまま唇を噛む。
「どうしたの?」
「みんな…意地悪するの…たくちゃんは意地悪しないよね?」
声を震わせ、今にも涙が零れおちそうなくらいに目に涙をためて。
「おれは、意地悪しないよ。みーを守ってあげる」
「ほんとう!?」
「ほんとうだよ」
「うれしいっ」
拓哉はそっと実沙希の服についた泥を払ってやった。
それから実沙希は、毎日のように拓哉と遊ぶようになった。拓哉の近くにいれば、拓哉が怖いのか誰も実沙希をいじめたりなんかはしないし、拓哉も別に嫌じゃなかった。
ある日。拓哉が久しぶりにちょっかいを出してきた悪ガキを追い払うと、実沙希が唐突に言った。
「みーね、おおきくなったらたくちゃんのお嫁さんになる!!」
「おれのお嫁さん?」
「うんっ」
「うーん。いいよ」
実沙希がうれしそうに跳ねた。
「約束」
実沙希が自分の小指を差し出す。拓哉は一瞬戸惑い、そして自分も小指を差し出した。
「ゆーびきーりげんまん、うーそついたらはりせんぼんのーます!ゆびきった!!」
+++++
そしていつからだったか、実沙希の呼び方が『たくちゃん』から『拓哉』に変わった時、拓哉の呼び名が『みー』から『実沙希』変わった時、その約束は自然となくなった。いや、忘れてしまっただけかもしれない。
小学校に上がるまでは仲良しだった。いつからか拓哉と実沙希は互いを意識して、普通に仲は良かったが、一緒に遊ぶということはなくなっていった。
実沙希の手が拓哉の腕から落ちた時、拓哉はあの約束を思い出していた。いまさら思い出したって仕方のない、ただ苦しいだけの約束を。
「ごめんな。…みー」
サラサラと流れる長い髪が、しばらくの間拓哉の腕に留まっていた。腕の隙間から零れ落ちていく命の欠片。
微かに聞こえたささやき声。きっと、拓哉自身も気づいていないだろう。
まだ死にたくない。そう体は足掻くのに、心はすっきりとしていた。もう言葉を発することもかなわない。動けない。
『自分が生きてたって、大切な人が幸せじゃなかったら生きてる意味がない』
だからもういい。納得なんかできないけど、これで少しでも拓哉の気持ちが楽になるなら。未練が無いって言ったら嘘になる。これから先、もっとたくさんのことが待っていたはずなのに、実沙希の人生は閉ざされる。そんな理不尽な…。でも、叫びの変わりに出てきたのは別の言葉だった。
「………たく…ちゃん」
裂かれたはずの声帯を使って、動かないはずの腕を動かして。
濃密な闇に、意識が溶けて行く……。
今回はちょっと短めです。
普段も十分短いですが…。