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第四章 ヒトリメ【1】


「ヒトリメは、あんたに決めた」

「なん…っ」

 目の前に噴き出す紅。そして悲鳴。一気に紅に染まって行く、両の手のひら。俺の頬に、体に、生温かいものが降り注いだ。体にのしかかる体重。俺はそれをおもいっきり吹き飛ばした。

「悪いのは、俺なんだ。あんたに罪は無い」

 冷酷に言い放とうとした。でも、声が震えて言葉にならない。そのときになれば自分は冷酷になれるもの、そう信じていた。だって、もしもそのときに俺が冷酷になれないんだったら、人を殺めることなんか出来るわけがない。

 でも、違った…。もし俺がそんな人間だったら、ここに魂を失った骸は転がっていないだろう。


「勿論、フタリメはあんただよ…?」

 震える声。

 血に染まった、獣の眼。獣の言葉に抑揚は無かった。


                              +++++


『犯人は未だ捕まっておらず、逃走しているとみられ…。深夜の公園で二人の高校生が殺害され…。被害者は鋭利刃物で首や胸を刺され、またその後に腹部を強く踏みつけられ…』

 休日の昼間。朝からずっと流れ続けるニュースを、俺はどこか人事のように聞き流していた。事件が起こったのは昨日の晩。深夜の公園で女子高校生と男子高校生が殺された、というものだ。

 彼らは首と胸をナイフで刺され、即死だった(・・・)

『被害者は両者とも市内の高校に通う生徒で水崎祐太さん(18)刈谷実沙希さん(17)…』

 テレビの画面に二人の男女の顔が映し出される。よく見知った顔だ。

 水崎祐太と刈谷実沙希。

「どっかで聞いたことある名前だな」

 どこでだ?と考えるまでもない。俺は自嘲気味に笑った。

 殺されたのは俺と同じ高校に通う同学年の二人。面識は…ありすぎる。殺されたそいつらは俺の親友と幼馴染だから。


 そういえば、今朝早くに警察が家に来たような気がする。『妹さんを失った後に友人を失ってさぞ辛いだろう』そう言って頭を下げた。俺はただ漠然とそれをみて、そして涙が出るまで大笑いした。

 滑稽だ。

 警察は慌てて、犯人は必ずすぐに捕まえるから。と俺をなだめようとした。もう耐えられないんだろう、と思ったに違いない。そう、耐えられない。…面白すぎて。

 お前らが話しかけているのがその犯人なんだぞ?必ず捕まえる、と言っている犯人が目の前にいるそいつなんだぞ?早く捕まえろ。

 結局俺は、警察が困り果てて帰るまで笑い続けた。きっと諦めたんだと思う。唯一の家族を失って壊れたところに、数少ない友人を失って、もう粉々に砕け散ってしまったと思ったのだろう。


 滑稽だ。

 目の前に犯人がいるのに。部屋に行けば真っ赤なTシャツがあるのに。台所へ行けば血まみれのナイフがあるのに。

 滑稽を通り越して哀れにすら思える。


 ひとしきり笑った後、俺はナイフとそのときに着ていた服を処分した。二人分の血が染みた服は重く、気分が悪くなるほどの悪臭がした。

 目撃証言は無かったらしい。もし見られていたとしても、暗くて服の色まで分からないだろうし、第一古い帽子を深く被っていたから顔立ちも分からないだろう。


 …ここではっきりしておこう。

 祐太と実沙希が殺された。そして殺したのは俺だ。水崎祐太と刈谷実沙希を殺したのは、楠木拓哉だ。


                             +++++


 不意に辺りは闇に包まれる。微かに注ぐ月明かりで、俺の体が照らし出された。

 そうか、悲鳴が聞こえないのか…。ようやく死んだのか。俺はそっと、足元にころがるそれからナイフを引き抜く。コポ、と音を立ててまた血が流れ出た。

 俺の頬を、血ではない何かが流れる。巻きこんでしまって申し訳ないという気持ちと、これでいいんだというどこか諦めたような感情がないまぜになって零れおちる。

 それが転がる死体の体に落ち、軽やかな雫となって跳ねる。いくつもいくつも。

 傷つけてごめん。苦しめてごめん。奪ってごめん。でも、じゃあ他に俺は、どうしたらいい…? 


 違う。この体はもう生きていない。生きていないから、俺の親友なんかじゃない。この死体はさっきまでは俺の親友だった。でも心臓にナイフを突き立てられたことによって、親友の『水崎祐太』ではなく、『水崎祐太の死体』になったんだ。

 だからコレは祐太じゃない。もう、タダの屍。タダの肉の塊。そこに祐太はいない。

 だから俺はこいつを踏みつけても何も思わない。―ぐしゃり、という肉の音が響いた。


「…た…くや?」

 背後から聞こえるか細い声。

「なんてことして…」

「祐太には、死んでもらった」

 ひっ、という押し殺した悲鳴。

「…時がきたら罪も償う」

「どうして…。どうして祐太を…?」

「ヒトリメに、一番相応しい」

 大切な人が奪われれば、迷いも消える。俺が人殺しになれば祐太や実沙希は俺を止めようとするだろう。やめられない。だから、傷つける。そこで森田に奪われてしまったら、きっと平常心を保っていられない。

 奪われるのが怖かった。だから、殺した。人に奪われるぐらいなら、俺が奪う。


 失うものは何も無い。もう何も護らなくていい。護られなくていい。もう何も怖いものはない。


「勿論、フタリメはあんただよ」

 怖がる実沙希に俺は詰め寄る。乾ききらない紅い血が付いた、ナイフを持ち上げる。

「いやっ…!」

「実沙希…ごめん。祐太にも、伝えてくれ」

 実沙希の細くて柔らかい首に、埋もれる無機質な刃物。噴出す紅。生温かい液体が腕を伝う。実沙希が最後の力で俺の腕に縋った。

「た…くやぁ…。たく…。たく…ちゃん…」

「みさ…」

 ふっと力の抜ける手。離れていくぬくもり。

 ドサ、と実沙希の体が地面へ落ちる。やけにゆっくりと。たった数秒の出来事なのに、俺にはそれが永遠に感じられた。死んダ。俺ガ殺シた。


「なんで、こんなにあっけなく死んじまうんだよ……。お前らも、瑠佳も…」

 目の前に転がる二つの人型。そっと触れると、瑠佳に触れた時と同じように冷たく冷え切っていた。


 大切に想う人がいると、それは人の弱みになる。もしもその人を人質に捕らえられたらどうだ。その人を盾に脅されたらどうだ。こっちは手も足も出なくなる。


 だからいいんだ。殺したって。


 俺はさっきまで『刈谷実沙希』だったモノを踏みつけた。これは『刈谷実沙希の死体』であって『刈谷実沙希』本人じゃない。


 だからいいんだ。踏みつけたって。


 深夜の公園に、ただただ不気味な音だけが響いていた。



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