森田慎司 【2】
学校が始まってしまい、更新する時間が無い・・・。少しゆっくりめなペースで進めたいと思います。
「録音ですか」
俺は足元に落ちたそれを拾い上げる。落ちた衝撃で壊れていた。
「あ、いや…。念のためだよ。嫌だったかい?」
「嫌じゃないですよ。別に」
と言って笑い、録音機を古い机の上に置く。置き方が悪かったせいか、ぐらぐらと揺れた後、またしても床の上に落ちてしまった。俺は再び屈んで拾い上げ、笑みを浮かべたまま桐嶋さんに手渡す。
「俺が暴れて、うっかり何かを話すとでも思ったんですか?」
その言葉に、録音機を受け取ろうと手を伸ばしていた桐嶋さんの手がピクリと止まる。
「何も話しませんよ。…そもそも話すようなことなんかありませんし」
「…そんなつもりはないよ」
俺はその言葉に嘲るような笑みで返した。
「貴方が俺を見る目は、いつも変だった」
哀れみのような、それでいて恐怖のような。この人はそれなりの歳で、いろんな事件にかかわってきた。だから俺のようになった遺族をたくさん目にしてきたはずだ。
悲しみに暮れ、ただ呆然と犯人の逮捕を願う者もいれば、壊れたように暴れる者もいただろう。
そして俺は後者。そのことを、この人は会った瞬間からそれを分かっていた。
「見張るつもりだったんでしょう?」
「…」
「俺が、大それたことをしないように」
きっと暴れた人たちは、何よりも犯人の死を望んだだろう。
いや、死よりも酷い結末を。犯人が死をもって自分の犯した罪を償い、終わるような物語は望まない。そう簡単に、楽には死なせない。ズタズタに、それこそ身も心もズタズタにした挙句生かす。何もかも奪い、奪われ、そして自らも闇の底へ堕ちていく。地獄の果てまでついていき、永遠に復讐を繰り返す。―それが俺の理想。
「無駄ですよ」
目には目を。歯には歯を。なんて、甘い。片目を潰されたなら顔の全てを。歯を抜かれたなら体中の骨を。大切な人の命を奪われたのなら、大切な人の命を奪いつくす。
そこに犯罪という概念はない。ただ憎しみが動かす本能に従うだけ。
「見張ったって、無駄です」
桐嶋さんは俺の顔をちら、と見ると黙って俺の手から録音機を受け取った。そこに先程までの笑顔は無い。
「見張る、なんて一言も言っていないよ」
目の前に桐嶋さんが立つ。口調は相変わらず優しいのに、言い表せない威圧感がそこにはあった。俺は気付かれないように唾を飲む。
「半分は当たっているけどね」
「半分?」
「『楠木拓哉を週に三日監視しろ』それが私の役目だよ。不本意ながら」
『見張る』じゃなくて『監視』。
「ははは。好きにしてくださいよ」
目の前にある厳つい顔に、自分の顔をぐっと近づける。
「俺は、逃げも隠れもしませんから」
この人が監視しているから何なんだ。関係ない。俺は、俺のしたい事をするだけ。
「君は、普段通り生活してもらってかまわない。私も極力妨げにならないようにするから」
普段通り、ねぇ…。
「それって、俺の家の中まで入ってくるんですか?」
「いや、さすがにそこまでは…」
「じゃあ、家の外から見張る…じゃない『監視』するんですね?」
「まぁ、そうだ」
「困るんですよねぇ。俺の家アパートだし、ご近所さんとかもいるわけですし。アヤシイ人がうろついてたら、警察に通報されちゃいますよ?」
そう言って顔を放すと桐嶋さんは僅かにうろたえた。
「冗談ですよ。別に人通りの少ない小さなアパートですから。大丈夫です」
最寄り駅からも遠く、近くにコンビニすらなく、たいした店も無い。そんなところに住む奴なんかよほど金がないか変わり者か。
入居してる人なんてほんとにちょっとしかいませんから。と俺が笑うと、桐嶋さんは眉間にしわを寄せた。
「私は、君が何を言っているのか分からない」
「俺が話してんのは日本語ですよ」
「…君は先程『困る』と言った。しかし今君は『大丈夫』と言った」
「別に、深い意味は無いですよ」
桐嶋さんはそうかといいながらも、眉間のしわを深くした。別に、どうだっていいんだ。近所のこ
となんか。
森田の情報を手にして、いままで俺の頭の中で練り上げてきた計画が一気に形作られる。森田相手ではできない所を取り除き、逆に新しく浮かんだものを更に練る。これなら、殺れる。心臓が高鳴った。この計画なら森田を地獄に叩き落し、絶望させられる。そして、俺も…。
殺レル。
「復讐はやめておいたほうがいい」
俺の眼が憎しみと喜びに染まったとき、計ったように隣から声が聞こえた。妙に悲しげな、苦しげな声が。
「桐嶋さん?」
「きっと、後悔する」
そう言う桐嶋さんの顔は、やはり声と同じく悲しそうに歪んでいた。
「復讐したって無意味だ。君はまだ誰も殺めていない。まだ間に合う」
ざわ、と全身の毛が逆立つのが分かった。
「あなたに、俺の気持ちが分かりますか」
「分かる」
「分かるわけ…ないでしょう」
悲しみが、喜びに。喜びが、絶望に。そして、憎しみに。
また、俺の中で何かが暴れだした。制圧することのできないアレが。俺の感情を支配して、暴れさせる…。俺はそれに身を任せた。
悲シミモニクシミモ喜ビモ。全テヲニヌリツブシテ…。
「あんたに…」
「落ち着いて」
「あんたに俺の気持ちが分かってたまるか!!」
俺が掴みかかっても、桐嶋さんは無表情を崩そうとはしなかった。ただ落ち着け、と言うばかり。その反応が俺の神経を逆なでする。苛つく。
「瑠佳の気持ちが分かるか…。瑠佳がどんな気持ちで死んでいったか!!」
パァン!!
空気を乾いた音が揺らした。同時に左頬に走る痛み。俺の体は地面に転がった。
「…死んだ人間は何も語らない。何も思わない」
「っ…。てめぇ」
「死んだ人間に感情はない。瑠佳ちゃんは、悲しくも苦しくも寂しくも…憎くも無いんだ。彼女は、死んでいるから」
俺は冷たい床に転がったまま目の前に立つ男を睨みつける。なぜ俺は、この男に殴られたのだろう。
「死んだ死んだって…殺したのは森田だろう!!」
「そうだよ」
「瑠佳が…瑠佳がどんだけ苦しんで死んだと思ってんだよ!!悲しくて、苦しくて、寂しくて…どんだけ憎いか!!」
桐嶋さんは突然俺の胸倉を掴むとそのまま床に叩き付けた。
「それは瑠佳ちゃんの気持ちじゃない!!森田が憎くて憎くてたまらないのは拓哉君、君だろう!!」
「っ…!!」
「言っただろう?君の気持ちが分かるって。君の、その歪んだ憎しみの感情が分かるって!!」
背中に走る鈍い痛みと、動揺。
「私も…私も殺されたんだ!!君と同じ歳ぐらいのときに、大切な家族を!!」
「は…?」
俺は目の前の男性を凝視した。桐嶋さんは目から大粒の涙を流しながら顔を歪めていた。
温厚で、大人しそうな桐嶋さんの見せる激しい感情。癒えることの無い過去の傷。
「復讐しようとした!!いつまで経ってもモタついてる警察に嫌気が差して、自分で犯人を突き止めた。そして…」
桐嶋さんは目を見開いて、手で首を横に切るように動かす。
「殺してやろう。私はナイフで、犯人の腹を引き裂いた」
「桐嶋さんはその犯人を…?」
俺がそう問うと、桐嶋さんは首を振り困ったように微苦笑した。
「でもね。そのとき私の中に一瞬の迷いが生まれたんだ。人を殺めることに対する恐怖が。…結局犯人は大怪我を負ったものの、致命傷には至らなかった」
「…」
「もちろん私は逮捕された。なんて馬鹿なことをしたんだと、自分を責めた。今度は人を救う立場になって、犯人に復讐をしようと志し、一生懸命勉強した」
「そして、今の自分がいる。とでも言いたいんですか」
「違うよ」
桐嶋さんはいつの間にか俺から手を放し、冷たい床を食い入るように見つめていた。
「前科者は警察にはなれない。拓哉君、君が罪を犯し、そしてその罪を償う覚悟があったとしてもだ。結果的に自分の人生を、掴めるはずの幸せを逃すことになる。君はまだ若い。若くして、大きなハンディを背負うことになる。…ちょっと、お喋りがすぎたかな」
これから…?考えたことも無かった。俺は幸せにはなれないのだろう。…いい。かまわない。幸せにならなくてもいい。瑠佳と過ごした四年で、俺はもう満足だ。
「君と話していると、不思議なことに自分の過去が口から出てくる。…それはきっと、人を救えるものだと思うよ」
「人を、救う?俺は幸せになりません。人は救えません」
意味が分からない、と笑う。
「でも、今の君じゃ無理だ。…人を憎むのは、辛い。そして多くの体力を使うから」
「…」
この人は、憎しみを知っている。どん底を知っている。彼がそこからどうやって這い上がったのか、なぜ刑事になることができたのかはわからない。
そして俺は、この人と正反対。どん底へ堕ちていく途中。
「俺、帰ります」
復讐という道の先では地獄しか待っていない。地獄しか待っていないと知っている道を、人間は普通は歩かないだろう。
…俺は普通じゃない。大事なのは結果じゃなくて、その過程。たとえ結果が地獄だとしても、その道の途中で森田が苦しめばそれでいい。
「さようなら」
きっと次に会うときは、死体を挟んで会うのかもしれない。
去ろうとする俺を、ただ見つめる彼に、俺は微笑んで言う。
「今日はありがとうございました。桐嶋さん」
おかげサマで、イイ情ほうが、テニハイリマシたヨ…。
勝手ながら、【1】で、少し設定を変更しました。
また、少し全話を改定しました。・・・が…になっている程度なので気にしなくて大丈夫です