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第一章 『いってきます』 【1】

 真っ白なユリの花が飾られた、華やかだけど物悲しい。そんな小さな壇に、写真が飾られていた。

 写真の中の女の子は、太陽のようなひまわりをバックに、写真を撮る兄へ無邪気な、それこそ太陽のような笑顔を見せていた。


 ――写真。それは、二度と戻れない一瞬を切り取った、大切なモノ。親にそう言われてから、俺は大切な写真もそうでもない写真も、全てをアルバムに閉じ保管していた。

 それが、こんな形で役立つことになるなんて…。俺は一人、自嘲気味に笑う。


 あの写真は、去年、近所の花畑に連れて行ったときのやつだったか。そのときのことは、昨日のことのように覚えている。たくさんのひまわりに囲まれ、はしゃいでいた…。帰るときには、すっかり疲れきって、俺に背負われていた。眠気を堪え、頭をカクカクとさせながら、『来年も来ようね?』と言っていた。俺は『来年も再来年も、お前に反抗期がくるまで連れてきてやるよ』そう言って、微笑んだ。


「今年は連れて行ってやれなくて、ごめん」

 俺は写真に向かって話す。そう呟いただけなのに鼻の奥がツンとして、もう流しつくしたはずの涙が流れた。


「拓哉君。瑠佳ちゃんのこと、なんていったらいいのか…。困ったことがあったら、何でも言ってね?できるだけ、力になるから」

「はい。ありがとうございます」

 隣の部屋のおばさんに涙を堪えてそう答えると、俺は静かに椅子に腰掛けた。

 

 遠くのほうで、話している声が聞こえる。

「まだ高校生なのにね…」

「あんなにいい子だったのに。なんて酷い…」

「小さい頃に親に捨てられて…。本当に気の毒…」

 同情か、嘲笑か。どっちだって、対して変わらないような気がする。死んでから気を使われたってな。


 あの写真は、妹の遺影。今年小学校に入学したばかりの、年の離れた俺の妹。妹は俺にとってただ一人の家族だった。

 母さんが瑠佳を妊娠してすぐ、父さんが死んだ。母さんは瑠佳を産んだけど、三年後、まだ中学生だった俺と三歳の瑠佳を置いて家を出た。俺が朝起きると、涙で滲んだ書置きの手紙と、今月の生活費と書かれた封筒が置いてあった。手紙には『ごめん』とだけ書かれていた。

 俺はそれだけで、全てを理解した。


 それから俺は、母さんからの仕送りや、バイトで稼いだ金で何とか生活してきた。母さんを恨んだ事は無い。こんなことをいうのも変だけど、あの状態の母さんじゃあ、俺たちを捨てたことは仕方なかったとしかいえない。

 母さんは、父さんのことも、俺たちのことも忘れて、幸せになるべきだったんだ。

―だから、仕方ない。ずっと、自分にそう言い聞かせてきた。

 だって文句を言う相手も、反発する相手もいないんだ。毎日を生きるのに精いっぱいで、自分を捨てた親の事なんかいちいち考えていられる時間なんかない。

 もういい。自分の娘の葬式にも出ない親がどこにいる。…嗚呼、ここにいたか。まぁ、そもそも居場所が分かんないんだから、教えてもやれないが。


 でも、嗚呼。瑠佳と過ごす日々は毎日が楽しかった。もしかしたら、寂しい思いもさせたかもしれない。悲しい思いもさせたかもしれない。あの子がどれだけ我慢したか分からない。欲しい物を買ってあげられなかったし、おいしい物を作ってあげられなかった。

 でも、瑠佳はいつも『お兄ちゃん』と呼んで、笑ってくれた。ワガママも言わない、聞き分けのよい、いい子だった。たとえシスコンといわれたって構わない。そんなこと、勝手に言っていたらいい。俺にとって瑠佳がすべてで、瑠佳にとって俺が全てだっただろうから。


 どうして俺たち兄妹にばかり、こんなに不幸が訪れるのだろう。不幸が訪れるのなら、俺に来ればよかったのに…。

「なんで…こんなことに…」

 今からちょうど一週間前。瑠佳の七歳の誕生日だった。


                         +++++

『瑠佳!!遅刻だ遅刻!!』

 そう言って、自分の準備もそこそこに妹の髪を梳かしてやる。


『これでよし』

 ランドセルを背負わせ、黄色い帽子をかぶせる。


『ねぇ、お兄ちゃん、今日が何の日か…覚えてる?』


『んー?何かあったかなぁ?』


『お兄ちゃ…』


『うそうそ。冗談だって。可愛い妹の誕生日なんか、忘れるわけないだろ?』

 そう言って、瑠佳の頭を撫でてやった。フワフワの髪が手の平に心地よかった。


『えへへ。今日ね、おうちにお友達よんでいい?』


『おう。いいぞ。誰がくるんだ?』


『カナちゃんと、さつきちゃんと…あと…くん。』


『んー?なに君だってー?』


『ちっ、ちがっ…。違うもん!!』

 そう言うと、瑠佳は林檎のように真っ赤になった。


『そうか。ついに瑠佳にも好きな人が…。でもな、気に食わない奴だったら、兄ちゃん瑠佳をお嫁にはあげません!!』


『お兄ちゃん…?』


『はははっ。ほら、早く学校行って来い』


『うんっ。いってきます』


『いってらっしゃい、瑠佳。気をつけてな』


『うんっ!!』

 

 駆けていく瑠佳の後ろ姿が、朝日にまぶしかった。いつもどおりの、いや、小学校に入って初めての誕生日を迎えた、朝。白いフリルのワンピースが風に揺れて…。

                             +++++

 あの日は、とびっきり幸せな日になるはずだった。誕生日プレゼントに、瑠佳が欲しがっていたくまのぬいぐるみも内緒で準備していたし、ケーキもできるだけ豪華なやつを買っていた。

 瑠佳の友達を呼んで、盛大に祝ってやろうと思っていた。学校に行く前に瑠佳の友達の親御さんにも連絡して、どうにか頼み込んだ。



 でも、瑠佳は帰ってこなかった。

 どんなに待っても、帰ってくることはなかった。


 そのとき鳴り響いた、一本の電話。


 瑠佳の『いってきます!!』という元気な声が、まだ耳の奥に残っていた。







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