届いた声
ホームルームが終わって放課後、クラブの人たちも手伝ってくれて比較的早く片付けは終わった。
「みんなお疲れ~」
菅さんはそう言い残して手を振って去って行った。これからクラブなんだろうなぁと元気あふれる背 中を見ながら思った。
そういえばなんで菅さん文化委員なんだろう。体育委員とかのほうが似合ってるのにな。
すでに体育館に討論会の名残はなく、クラブの人たちがネットを張ったりしていた。
私も帰らないと。
私は隅に置いておいた鞄を持って靴箱に移動した。
討論会も終わった。でも、私の記憶は全く戻らない。記憶の欠片も出てこない……。
溜息をついて靴箱を開けると、靴の上に紙が置いてあった。
嫌な予感が胸をよぎる。紙を手にとって見ると
やっぱりね。荒々しい文字が目に飛び込んできた。
“あんたってけっこううざいね。自分だけ正義の味方のつもりなの? 分かってないのは自分じゃん”
その一つ一つが胸に突き刺さった。
私の声は届かない。誰の心にも届かないんだ
知ってたことだけど、やっぱり辛い。
ねぇ愛里、愛里ならどうするの? 私は深雪だから、分からないよ。また、嵐が来るのかな……。
帰る気にもなれなくて、私は靴箱を閉めた。鞄を担ぎなおして階段を上がった。どこかで時間をつぶそっかな。
家に帰っても愛里がいるだけだし、今愛里に会ったら泣きそうだし……。
人形に慰められるのはなんか癪に障る。
そういえば、この学校にも屋上あったよね。なんでここで自殺しなかったんだっけ?
あっ、人が多かったのと高さが足りないからだったかな……。あれ? なんだっけ?
4階建ての校舎の屋上はいい感じに風が吹いて、疲れた時はよくそこで休んでいた。まっさきにそこから飛び降りたはずだ。彼女たちへの見せつけにもなっただろうから。
階段をあがり、屋上のドアを開けると懐かしい景色が広がっていた。
「えっ?」
違ったのはそこに人がいたってこと。
「早川君?」
早川君という存在に驚き、そこに広がっている光景にもう一つ驚いた。
「ちょ、ちょっと何してんの? 危ないし、け、消さないと」
早川君が座っている前には火がぱちぱちと燃えていた。
「……さわぐな。これぐらいでこの校舎が燃えると思うのか?」
早川君は私の出現にも驚くことなく、手にしていた紙束を火の中に放り投げた。とたんに火が大きくなってそれを飲み込んだ。
私はおそるおそる火に近づいた。
「何燃やしてるの?」
「紙」
あっ、ですよね。
「凶器だから、燃やす」
「あ、手を切ったりするもんね」
そんな理由で燃やすのかなぁと思いながら私も火の側に座って火を眺めた。こうやって見るとけっこう火ってきれい。
「秋宮、その紙はなんだ?」
早川君の視線は私の右手に掴まれた紙に注がれていた。
「え? これは……」
一瞬早川君の表情が険しくなった。
うわっ、私なんかまずいこと言った?
「燃やせ」
「え、あ、うん。そうだね」
私は丸めて火の中に放り込んだ。すぐに火がついて黒くなっていった。それを見ていると心が楽になった気がした。
「今日の討論会、お前の意見、俺は良かったと思う」
へ?
突然の早川君の言葉に私は目が点になった。どうしたの、早川君?
「俺もあいつらは何もわかってないと思う。自分たちが犯した罪にも気付かずに、生きている」
俺も含めて……。
とたんに早川君の言葉は今までの嫌な気持ちを洗い流してくれた。
「ありがとう。わかってくれて」
私の声、届いてた。すっごく嬉しい……言ってよかった。
「けどね、本当は全員じゃなかったんだ。読むことは出来なかったけど、二人……わかってくれてる人がいた」
私は二枚の紙を思い浮かべた。丸い、可愛い字と、神経質そうな堅い字の二つ。
「自殺者の苦しみを完全に理解することはできないけど、少しでも減らすことができたなら良かったって……私、すっごく嬉しかったんだ」
「その、お前さ……もしかして」
早川君が言いにくそうに目をそらした。単刀直入に物を言う早川君にしては珍しいことだ。
どうしたんだろう……はっ、まさか私が深雪だってばれた?
「そ、そんなわけないじゃん。あの時はちょっと頭に血が上っていろいろごっちゃに……」
私はそっと早川君の表情を見た。心苦しい言い訳だけど、ばれたくはない!
「そうか、ならいいんだ」
早川君は口元に笑みを浮かべた。
え、え、え! 早川君が笑ってる!
「お前に自殺は似合わない」
あれ? 深雪のことを勘付いたんじゃなかったの?
そしてそれと同時にその言葉をもう一度思い起こす。
「え? それどういう……」
軽くそれ人をばかにしてません?
「別に、それとこれ、お前気にしてたよな」
早川君がポケットから取り出したのはあの封筒だった。
「あ……うん」
「今日、燃やそうと思って、討論会を見せた後」
それで焚き火してたんだ。少し納得。
早川君は封筒の中から何かを取り出して私に向けた。
「知ってるんだろ?」
手紙かと思ったらそれは写真だった。それも深雪の。
「こ、これ……」
私は驚きのあまり次の言葉が出なかった。
なんで早川君が私の写真を? しかもこれいつの? 記憶にない!
「神崎深雪」
早川君がその名を口にしたとたん心臓が飛び跳ねた。
「うん、知ってる」
私は強くうなずいて写真を早川君に返した。
「転校してきて最初に聞いたことが神崎のことだったからな……どういう関係か、聞いてもいいか?」
「私と深雪は昔の友達だったの、時々メールのやりとりをしてた」
早川君の質問の真意が分からなかったけど私は一応答えた。受け答えは千春に言ったことをそのまま使う。
「そうか……悪かったな、あんなこと言って。お前が興味本位で神崎のこと、調べてると思ったから」
あんなこととはたぶん墓地での一言だろう。
「ううん。いいよ」
私のこと守ってくれようとしたんだね。優しい早川君。
そして早川君はそれっきり黙ってしまった。
私はゆるやかに燃えている火を見ていて重要なことに気がついた。
「ねぇ、その写真燃やすって言ってなかった?」
「あぁ」
「彼女のこと、嫌いなの?」
その言葉を口にすると胸が痛んだけど、訊きたかった。
「違う」
その言葉に私はほっとした。死んだ後まで嫌われていたくない。
また沈黙が訪れる。早川君がまた紙束を入れた。それはすぐに燃えて火柱をあげた。
私は、全ての人に嫌われたわけじゃない。分かってくれる人はいるんだ。
そう思った時私は殴られたような衝撃を覚えた。
わ、私は、なんてことをしたんだろう。分かってくれる人はいたはずなのに……あの人たちの意見も今なら分かる。
あと少し待つことくらいできたはず。あと少し、声を大きくするくらいだって……。
なんで? 後悔しないって決めたのに。
正しいと思ってたのに……だめだよ。こんなの私のしたことは?
「お別れをするんだ」
ぐちゃぐちゃと思考が入り乱れている中を早川君の声が貫いた。
早川君の声には強い決意が込められていた。
「……もう、会えないのに?」
私を忘れてしまうの?
私はぐちゃぐちゃの塊を彼方へ押しやって、目の前のことに向きなおる。
「もう、会えないからだ。俺が欲しかったのは、一瞬の神崎じゃないんだ。永遠の神崎が欲しかった……」
私は早川君が言っている意味がよくわからなかった。永遠はない、それだけを思った。
「好きだったんだ。片思いいでおわったけどな」
早川君の言葉を3回くらい反復させ、それが爆発した時、私の頭は全ての機能を停止した。
「え?」
私はそれしか言葉を発せない。私の聞き間違いでないのならたしか早川君は好きと言った。
「ずっと、好きだった。入学してからずっと。彼女のことを見ていた」
早川君の視線は火に向けられていたけど、それを通して違うものを見ているように感じた。
うそ、全然知らなかった。え?
「な、なんで?」
「初めて見たときに綺麗だと思った。薄汚れた人の中で、彼女だけが、綺麗なままだった。それに、彼女は自分に正直に生きてた……それが、うらやましかった」
綺麗、とかそんなこと全然ないし、正直というより、不器用で周りに合わせられなかっただけだよ……。
「俺は、周りにも自分にも嘘をついて生きてきた。カラッポで、薄情な人間だ。何も出来ず、ただ見てるだけで……失った」
早川君は本当につらそうに話した。
「そんなこと、ないよ……」
私はそれを言うのが精一杯で、早川君の気持ちに耳を傾けた。
「お前の言葉を聞いて、自分の思い違いに気がついた。そうだよな、言えるわけないんだ。助けを求められるわけなかったんだ……」
早川君はくしゃりと前髪を掴んだ、その手は少し震えていた。
「笑顔が消えて苦しそうな顔になったのも見てた。いじめられていたのも知ってた。なのに俺は……何も出来なかった! やめろって、言えばよかったんだ……今更、だけどな」
早川君は自嘲気味に笑った。早川君も苦しんでいる。自分を責めている。
「それだけで、十分だよ……嬉しい、そう思ってくれてるだけで深雪は喜んでる」
胸の奥が震えた。ごちゃまぜな感情が押し寄せてくる。
「だといいな……。なぁ、神崎は、死んで楽に慣れたのか? 死んで、安心したのか?」
「それは、わからない」
最初は、嬉しかった。でも……。
「もしそうなら、俺は喜んでやらないといけないんだろうな」
早川君は唇を強くかみ締めて、空を見上げた。
「でも俺は、生きて欲しかった。神崎が死を望んでいても俺は、生きて欲しかった。俺の声を、言葉を、聞いて欲しかった。受け入れてくれなくてもいいから……自分の気持ちを言いたかった」
私を真っ直ぐ見た早川君の目には涙が溢れていた。私はその時、本当の早川君に触れた気がした。
辛いのは、私だけじゃない……。
「俺は、最低だ。逃げてばかりでそのうち何が一番大切なのかも見失って……失くしてから気がついて」
早川君はそこで言葉をつまらせた。
「早川君……」
私は、悲しいのか、嬉しいのか、自然に涙が溢れてきた。
「秋宮?」
「ありがとう……ありがとう」
私はただそう繰り返す。良かった、還ってきてよかったって、初めて思えた。
「なんだよ、薄気味悪い」
早川君の不愉快そうな声が少しおかしかった。
「あのね……深雪は、早川君のこと、好きだったよ」
好きって言葉を口にしたとたん恥ずかしくて膝頭に顔をうずめた。
「……本当か?」
「うん、メールでそう言ってた。かっこよくて、憧れの人だって。どんなに辛くても、早川君が学校にいるから、頑張れるって……」
本当に、そう思ってた。好きで、でもこんな自分ではだめだと思ってたから、ずっと大切にしまっておいた気持ち。
「そうか」
早川君ははずかしそうに笑って、また空を見上げた。
「じゃぁ、俺は幸せだな。好きな人に好きになってもらえて」
「深雪も幸せだよ」
とっても、とっても幸せだよ。
「神崎は、ずっと俺の心の中にいるんだ。泣いたり笑ったり」
「うん、私の中にもいる。ずっと、これからもずっと……」
私たちはしばらく黙ったままだった。
二人の涙が乾いた頃にはもう火は消えていて、代わりに空が赤く染まっていた。
「ねぇ、もしよかったら、私がその写真もらってもいい?」
「俺も、お前に持っていてもらった方が、神崎も喜ぶと思う」
早川君から手渡された写真の中の私はさっきより笑っているように見えた。嬉しいんだ。
私はそれを上着のポケットにしまって立ち上がり、ゆっくり柵の方に歩いて景色を眺めた。
「なんか、久しぶりに空を見た気がする」
そして、今まで見て来た空の中で一番きれいに思える。
「いつからか、空なんか見上げなくなった」
「ほんと……ん?」
私は柵の端にある赤いものに気がついた。気になって近づいてみた。
それは制服の赤いスカーフだった。
「あぁ、それか」
「誰のかなぁ」
私はスカーフを手にとって見た。二つのスカーフが一緒に結ばれていた。
スカーフにはたいていイニシャルが書いてある。私はそれを探した。
――M・S――T・M?
なんかこの字見覚えがある……。M……S!
神崎深雪! 私の字だ。じゃぁこっちのは?
「……あっ」
スカーフの端に桜の花びらの刺繍があった。
これ……千春のだ。
「どうした?」
いつのまにか早川君が側に立っていた。
「えっ、い、いや」
「M・S……神崎深雪?」
するどっ!
私の心臓が飛び跳ねた。
「もう一人はわからないな」
「いや、でも深雪じゃないかもよ?」
私にこんなところにスカーフを巻きつけた覚えはないし。
「たしかにそうだよな」
そう呟いた早川君の顔は切なくて、私は遠い空に視線をそらした。
それから少し話をしたけど、私はあまり覚えていない。
「きゃ~! 何よそれ! ありえないわ、この世の終わりよ~」
「何よその言い草」
家に帰ってすぐに愛里に話した結果がその言葉だった。
「だって、そんなねぇ」
愛里は人形ではあるが遠い目をして言葉を続けた。
「まじ彼が深雪のこと好きだったとは思わなかったわ」
あれほど人に告白がどうのと言って置きながら本音はそれか。
私は黒い笑みを浮かべた。
私の黒い気配を感じてか愛里が突然静かになった。
「おやすみ、愛里」
「お、おやすみなさい」
今日で分かったことがある。私は記憶がない。あのスカーフはなんなのか。
それがわかったら私は帰れるのかな。
帰る? どこに?
ちょっと、長いかな。
読んでくれている人がいたら、ぜひ感想ください。
作者は心待ちにしています。では。